22波多野亜沙香

 俺とギニョルと、クレールの断罪者三人。それに、負傷したロンヅと、ニュミエやほかの悪魔や吸血鬼達は、シェイムレスヒルから、ゴドウィ家の屋敷へと戻った。


 ハプサアラと、シェイムレスヒルで蜂起を計画していた者達は、とりあえず武装だけを解除し、手当ても行われている。


 厳しい裁きが望まれるかと思ったら、銃弾に身をさらして、血みどろの重傷を負ったロンヅの姿は、強硬派の悪魔や吸血鬼の心を打ったらしい。


 巨大な恐怖の前に自ら身をさらして、自分の意見を通すというのは、称賛されることなのだそうだ。


 悪魔や吸血鬼らしくない、脳みそが筋肉みたいな考え方だが。クレールの親父が得意だった、紅の戦いの例もあるし。連中は戦争や戦闘が好きらしい。後でギニョルとクレールに聞いたが、過去、人間やエルフ達との間の戦いは、ほぼダークランド側から仕掛けたのだという。


 とにかく、とりあえず、期限前の暴走と破滅だけは防げた。

 だが問題が終わったわけじゃない。将軍の奴は、よりによって、マウントサースティを占拠した連中の中に紛れていたのだ。

 何をやるつもりなのか。そして、ハプサアラや蜂起を煽った奴隷や下僕たちが、こちらの手に渡ったことで、そのことにどういう変更があるか、ないか。


 これからこちらは、どう出るか。


「……困ったことにね、それが考えられる状況じゃないんだ」


 顔以外あちこちに包帯だらけのロンヅが、ふてくされた顔で外をにらんでいるハプサアラに、とうとうと語りかけている。


 六頭立てのゴムタイヤ式馬車は、広い。


 中央の寝台にロンヅが寝て、その脇の椅子に俺とクレールとギニョルとニュミエと、ハプサアラまでがゆうゆうと腰かけた状態で、屋敷への道をひた走っている。


「聞かせてくれないか、あの悪魔のような人間の計画を。そして、できれば協力してほしい。この地を守るために。そうすれば、シェイムレスヒルを、いや、フリードヒルを、今度こそ君たちの様な者に与える。これは」


「悪魔の契約とでも言うつもりなのか!」


 ハプサアラがロンヅに詰め寄った。ショットガンで吹っ飛んだ手は、操身体魔法で不完全ながら形成され、襟首を捕まえることができる。


 触れた傷口に血がにじみ、うめき声をあげるロンヅ。吸血鬼を率いるニュミエの瞳に魔力が溜まった。


「やはりお前など」


「いけません、ニュミエ様」


「クレール」


「ギニョルをご覧ください。それに、あなたは私に蝕心魔法で負けました。ヘイトリッド家を代表して、敗者のあなたに命令をさせていただきましょうか」


「……分かっているわ」


 未亡人のニュミエの怒りを押しとどめるとは。クレールが父親と本格的に肩を並べ始めたのかも知れない。


 俺と同じく、押し黙ってやり取りを見つめているばかりのギニョル。ハプサアラのことを、信用していたらしいが、ロンヅがその家族を奪ったというのは、本当なのだろうか。


 ハプサアラは再び、ロンヅの肩をつかんだ。包帯越しに、シャツにまで血がにじんでいる。魔力で膨れ上がった身体に食い込んだ弾丸そのものは、人間形態の体内に残されることはない。


 が、穴が開き、骨が砕け、肉が裂けた負傷そのものは、戻った身体に残されている。ギニョルや名のある悪魔たちがそろって回復の操身魔法を使い、ようやくこの状態だ。


 激痛だろうが、ハプサアラは構わず、詰め寄る。


「お前は、私や父さんや母さんや妹や、日ノ本から連れてこられた三十人くらいを、飼っている怪物に与えて、生きたまま、食い殺させたんだ! ほかの悪魔や吸血鬼も、それを笑いながら見ていた! ギニョル、私を、戦災の孤児から見出したなんて嘘だったんだからな!」


 憎悪のままに、ギニョルの方を振り向くニュミエ。


 長く赤い髪を揺らして、ギニョルが目を伏せる。


「お父様、あなたは、私に嘘を付かれたのですね。この子は、自衛軍に主を殺された奴隷だったと。仮初めでも、自由と、この地以外でも生きていく手段を奴隷や下僕たちにつけさせるために、あのシェイムレスヒルを始めたというのも……」


 そういうことになっていたのか。そもそも、こんな悪魔や吸血鬼達が、テーブルズで一貫して俺達断罪者を支持しているのがおかしいと思ったんだが。


 ギニョル自身、父親を説得して支持を得たと思っていた様だが、どうやら外れていたらしい。


 まあ、このダークランドを見ていると、甘いのはギニョルだ。なぜ気が付けなかったのか。いや、気付きたくなかったのか。


「……人間と、いや、法と正義に対して、悪魔の契約を結んだ君には、とても言えないいきさつだったよ。アグロスの脅威を経験しても、僕達は何も変わっていない。操り、奪い、かしずかせて、殺すことを何よりの喜びにしている。むしろ、そのころを取り戻すために、紛争の終結ぎりぎりで、さらってきた亜沙香達日ノ本の人間を、盛大に殺すことになったんだ」


「それは当然でしょう。私達だって、ライアルの件で、アグロス人への汚辱刑騒ぎがあったのよ。この子に隠すのには苦労したわ」


「ニュミエ様」


 クレールが唇を噛んだ。当主のライアルを撃った自衛軍の狙撃兵坂下忠治に、クレールのヘイトリッド家の家令ルトランドが、憎悪のままに禁忌である汚辱刑を行った件だ。その娘の坂下燈子が、自衛軍過激派“報国ノ防人”の一員となって、ポート・ノゾミを爆破しようとした事件は、記憶に新しい。


「その頃には、悪魔の代表だったから、迷ったよ。けど、結局悪魔の性情を疑えなかった。いや、今もかな」


 巨大な怪物の姿で、園遊会に現れ、来賓たちを喜ばせたロンヅ。多分悪魔達はこいつの残忍さと、弁舌を疑っていない。だからこそまだ、表向きだけでもダークランドがGSUM支持に傾くことを防げているのだろう。


「お父様は、私にまた嘘を付かれたのですね。紛争の悲惨さを見て、新たな秩序が必要だと感じたなどと言って。島へ出奔していった同胞たちを守るために、私達断罪者への、支持を固めるというのも、今のこちらを見ていては」


 頭を振って、こめかみに手を当てるギニョル。どうやら、相当にダークランドの変革を信じていたらしい。理想主義が過ぎる気もするが。


 ロンヅは苦笑する。


「そう、だね。でも、なぜかな。この亜沙香の父親がね、僕に頼んだんだ。自分の子供を助けて欲しいって」


 ハプサアラは抵抗しない。ロンヅの伸ばした包帯塗れの手が、日ノ本の人間だった頃の名残りの黒い髪に触れても。


「人間の、優しさなんてさ、弱さを綺麗な包装紙で包んでいるだけだっていうのは、僕達悪魔の常識だ。でも、この亜沙香の父親は違った。短い寿命のくせに。目の前で自分の妻と、末の娘が食い殺されて、自分の右足が、使い魔に食べられてるときにだよ。僕に娘を助けてって言った。みんな気付かなかったけど、僕は首を縦に振ったんだ。悪魔の契約が成立したんだ。喰い殺される寸前でね」


 ギニョルが目を見張った。思い当たる何かがあるのか。ロンヅは続ける。


「だから、僕は、宴の贄が助かる方法を考えた。答えは、悲惨で滑稽な奴隷にすることだった。演技だけど声を奪って、同じ奴隷や下僕たちからも蔑まれる、森番に落とした。この子だけは、殺して喰らう宴の趣向を変えて、生存を苛む生ける贄とした。そう叫んだら、みんな喜んでくれた」


 目前で家族を殺され、声を奪われてそれを仕組んだ奴に仕える日々。しかも寿命は、無駄に引き延ばされてしまう。悪魔の下僕となるということは、生き続けながら、苦しめられ操られ続けるということだ。


「でも、おかしいと思ったね。悪魔のことを。だから、やってみたんだ。テーブルズと断罪者を信じたし、シェイムレスヒルも作ってみた。けどここまでかな……誰か、亜沙香に銃を与えてくれないか」


 亜沙香とは、ハプサアラの人間のときの名だ。ロンヅは覚えていたのか。

 一瞬、ほんのひとときだけ、不意を突かれたような表情。


「……ロンヅ、私に殺されたいのか。なら別に構わない。誰でも銃をよこせ」


 俺は思わずM97を遠ざけた。クレールもM1ガーランドを握る。だがギニョルだけが一瞬遅れた。


 ハプサアラの手が素早く伸び、ギニョルの太股のホルスターを探った。

 エアウェイトを取られた。38スペシャルが装填されたリボルバーの小さな銃身が、ロンヅの額に当たる。


「だめ!」


 ギニョルの悲鳴に、ニュミエが今度こそ蝕心魔法の行使にかかる。ロンヅが片手を挙げた。


「いいんだ。ただ亜沙香。僕の命で、この地の者達に生きて気が付く機会をあげてほしい。480歳にもなる僕が、自分の娘と、君のお父さんの影響で、悪魔を疑い始めた。二つの世界が混ざり合った今、誰も変わらざるを得ない。良い方にも、悪い方にもだ。僕も、ギニョルも、たぶん、お若いヘイトリッド家のご当主もさ」


「だからどうしたというんだ!」


 引き金に指をかけた亜沙香。トリガーが一段階下がり、シングルアクションになった。ほんの少し引けば、38スペシャルが脳しょうをぶちまける状況で、ロンヅは超然とほほ笑む。


「僕らを生かして、見届けてはくれないかな。法や秩序を知る、長命なアグロスの者として。今度は、僕達闇の住人が、生きる贄になって苦しむのを。ダークランドの全てが燃えたら、それはできなくなるだろう」


 亜沙香が歯を食いしばる。だが引き金は、それ以上動かない。ニュミエの目から、魔力が喪失していく。


 ハプサアラの手が震え始めた。銃を上げると、短い銃身を額に着け、瞳を伏せる。


「……父さんが、居なかったら、私はどうなったの」


「殺されていたよ。僕も、ただの悪魔だった。娘を、ギニョルを信じる気にもなれなかった」


「あぁ……っ」


 うめきながら、膝を突いたハプサアラ。いや、亜沙香と呼ぼうか。


 俺はクレールと顔を見合わせた。ギニョルが、亜沙香にそっと寄り添いながら、その手からこぼれ落ちた銃を受け止める。


 馬車は、妖雲の中を、走り続けている。


 嗚咽する亜沙香の肩をギニョルが抱いている。


「まだ、遅くないのかも知れないわ。私達が、この先を、考えること……」


 ニュミエのつぶやきには、この上なく小さいが、希望がにじんでいた。

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