9レイブンビルにて
十日という滞在の期限は長すぎるかと思ったのだが、そんなことは全くなかった。
平日は授業を聞き、合間には裕也達と話をして、放課後はIUの部室と化したふ頭へ向かう。一連の流れはルーチンワークと化して、完全になじんでしまい、みるみる日程が過ぎていった。
残念なのは、そこまで大した情報が集まらなかったことだ。
断罪者の俺も把握していなかったのだが、ポート・ノゾミでは一部のネットが生きており、通常の検索エンジンを忌避したサイト上で、情報交換がされていた。ただそれはどうやら、GSUMの連中の支配下にあった。すでに明らかになった事件や、俺達断罪者が見つけても、動きようのないような当たり障りのない情報ばかりなのだ。日ノ本の人間をポート・ノゾミに呼び込もうという広告塔に過ぎない。
裕也達は喜んで写真や文章を集めているものの、それらはポート・ノゾミに暮らしてさえいれば、誰もが知るようなことだ。
たとえばホープ・ストリートでは、見た目は完全な子供であるローエルフの風俗嬢が手ごろな値段で買える店があちこちにあるとか。
またマーケット・ノゾミでは深夜になると、誰でも麻薬や銃の類が購入できるとか。それに大潮の日、島の南沖にある孤島の近くから手紙と代金を瓶に詰めて流すと、ハイエルフの暗殺者ギルド、シクル・クナイブに依頼できるとか。
日ノ本に住んでいれば驚くべきことだろうが、断罪者である俺にとっては知っていることばかりなのだ。
肝心なこと、たとえばノイキンドゥでは実際に何をしているのかとか。
自衛軍とGSUMの誰がどこでつながっているのかといったことは、どこにも書いていない。
最初こそ、由恵に得意げに報告した俺も、だんだん焦ってきた。新しい麻薬や、命取りのことについての情報は、いくら探しても見つからないのだ。
迎えた五日目、休日の土曜日。休みは週一のポート・ノゾミと違い、日ノ本では週休二日がデフォルトだ。
布団からようやく起きて、あくびをした俺。ここのところ遅くまで部室にこもりすぎて、生活リズムがなんとなくズレている。
キッチンに出ると、着替えを済ませた由恵が、朝食を作っていた。
バンギアでは一般的な、干した果物の入ったオートミールを、牛乳で煮込んだものだ。なかなか良い匂いがする。
俺が席に着くと、由恵は深皿にオートミールをよそってくれた。
「おはよー。今日も行くの?」
「夕方からな。新聞まとめるらしい。必ず来いって」
「ふーん。ね、じゃあお昼から、時間あったりする?」
「ないことは、ないけど。どうかしたのか」
「騎士くんさー、普通の服あんまり持ってないみたいだから、一緒に買い物でもどうかと思って」
買い物か。確かにポート・ノゾミで探すよりはいいだろう。
「行けなくはないけど、いいのか。断罪者の仕事はギニョル達にまかせっきりだし、その分俺達が情報集めてないと」
「でも進んでないみたいじゃない。毎日遅くまでネットに潜ってるけど、収穫ないんでしょ。私の方も全然だよ。色々話聞いてるけど、この学校、本当にみんな良い子ばっかりなんだから」
みんな良い子、か。それは俺も感じる。通ってみて分かったが、基本的に学校の雰囲気はいい。生徒たちはみんな従順で、素行の悪い奴は見当たらない。
ましてや、ドラッグの調合や取引なんて気配の欠片もない。悪い噂で真っ先に出て来るのが、変なことをやってるIU同好会と、制服が校則違反な裕也くらいだ。ところがそいつらの活動といえば、本当にただ情報を見て、集めているだけなのだ。
「だからさー、いいじゃない。一緒に行こうよ、騎士くーん」
「おい、引っ付くなよ。今度は何が狙いなんだ」
椅子を引き寄せ、隣に座ると、背中を丸めてこちらを見上げる。
「……制服デートがしたい。ラノベの主人公っぽい騎士くんと、ラノベっぽくデートがしたい」
こいつ、なにかに取り付かれているのか。
なぜそこまで、学園なんてものに憧れるんだろうか。
オートミールを飲み込んだ俺の腕に、すっと肩を寄せて来る。
生意気にも流し目まで使いこなしている。
ぐぬ、エプロンまでしやがって。たかが粥を煮込むために。
「ねえ、お願いだよー。友達に自慢したいんだもん、私男の子と一緒に買い物なんて行ったことないし。十二のときから戦いばっかりなんだよ」
それにしちゃ、甘え方が慣れている気がするが。
まあ、実際俺も時間を持て余している。
山本の態度は不気味だが、警察の目が光っている三呂では、ポート・ノゾミのような狼藉も難しいだろう。俺たちが街に出たからって、狙われることもないはずだ。
「分かったよ、飯食ったら行こうぜ」
「本当! やったー、騎士くんとお出かけだー!」
ぴょんぴょんとはねて、無邪気に喜ぶ由恵。
なんというか、和んじまうな。仕事で来たのを忘れそうになる。
調子に乗ったのか、俺のそばにしゃがむと、必死に応援し始めた。
「がんばれがんばれー。ほら、もう一口」
微妙に可愛いが、なんかうざったいな。
「やかましい。飯ぐらいゆっくり食わせてくれ」
指先でおでこを押しのける。
心底解せない、といった表情で、由恵は首をひねった。
「あっれー、通じないんだー。おかしいなあ、そういう人だと思ったんだけどなあ」
「どういう人だよ。大人しくしてろ」
飯を片付けると、俺達は部屋を出た。
レイブンビルは三呂駅の駅前にある。商店街と呼ぶには、少々大きいアーケードの一か所に、ずんと建っているのだ。
俺は由恵に手を引かれ、その中へと入ったのだが。
ビルの真ん中、吹き抜けになったモールの中央、3階層目。
「やー、久しぶりに来たなあ。ポート・ノゾミとは品揃えが違うんだよね、アニメも映画も、こっちは正規品のDVDがあるし」
自販のジュースを片手に、ベンチでにこにこしている由恵。
俺はというと、両手に三つずつの紙袋、背中のリュックには大量の本が放り込まれている。こんな重量と疲労、ガンベルトを全身に巻いて、日がな銃撃戦をしたとき以来だ。
「なあ、おい」
「なに?」
「俺の買い物は、どうなった」
沈黙が横たわる。缶コーヒーをベンチに置くと、由恵はあいまいに笑った。
「あ……あ、あはは、どうなったんだろうねー」
「ざっけんなこら! おま、お前何て言って俺を連れ出しやがった! 俺の私服がどうとか言ってたよなあ。成人向け同人誌まで買わせやがって! しかもよりによってBLだぞBL!」
三時間引っ張りまわされた。銃撃戦もきついが、ここまでとは。女の買い物に付き合うとうんぬんってのはあるが、こんなことになるなんて。
「やー、ごめんねー。ついテンション上がっちゃって」
「テンションの上下で人を翻弄するな、どうすんだよこの荷物」
「今からなら、一旦帰って、荷物置いて活動に行けばいいんじゃない。夕方には間に合うって」
「……俺の買い物は、全くないけどな」
実際それしか方法がない。ただつき合わされ、引っ張りまわされ、荷物持ちにされた俺の気持ちはどうなるか知らんが。
いたまないよう、荷物を選んで床に置くと、俺はベンチに体を投げだすように座った。由恵の、女の隣だが、だからどうってこともない。疲労が勝つ。
「本当に、ごめんね……」
しゅんとした感じになる由恵。面倒くさいがフォローしてやるか。
「まあいいよ、別に。俺も暇だったし、ギニョルには言えねえな、どやされるぜ、休暇でもないのに平和に趣味の買い物とか」
「そうだよねー。でも、本当平和なんだもん。こっち」
見下ろしたのは、中央の吹き抜け。
下の階へ続くエスカレーター、また同じように階段を囲んだ広間。
休日の昼間、相も変わらず、丸腰で清潔な服装の人間たちが歩いていく。家族連れにカップル、一人の奴も、みんなまあ幸せそうだ。遊びに来てるせいだろうな。
あの島の住人が、こんな風に過ごせる日は来るのだろうか。
「みんな、人なんか撃ったことも、撃たれたこともないんだろうなあ」
「そりゃ普通はねえよ」
日ノ本の普通の人間はな。
だが、バンギアに住む人間は、あの紛争以来――。
由恵がうつむき、目を伏せる。
「みーんな、そうなんだよねー。海ちゃんも、ほかの子も。色々話したんだけど、戦いのことも、何にも知らないみたい。それが当たり前なんだよね」
由恵は黙ってる俺に構わず、喋り続ける。
「私、魔法が使えないから、小さい頃から、犬畜生にも劣るって言われてね。マヤ姉さまはちょっと優しかったけど、宮廷のみんなに馬鹿にされて、友達なんか一人もいなくて。でもそんな子、こっちにはいないんだ」
なんと言っていいか分からなかった。俺は自分が紛争に巻き込まれた被害者だと思っているが、それまでは、むしろ幸福な部類だったと思う。
しかし、由恵の生い立ちは――。ジュースの缶を見つめたまま、話し続ける。
「自衛軍が来て、町が焼かれて、人がたくさん殺されて。私もひどい目に遭わされそうになったんだけど。このまま死んじゃうのかなって思ったとき、この子が呼んでくれたの」
いつの間にか、由恵の手に銃が握られていた。シグザウアーP220、自衛軍の9ミリ拳銃だ。兵士から奪ったといっていたが。恐らく本当なんだろう。
持ってきていたのか。お守りみたいなものなのだろうか。
「この子だけじゃないの。いろんな銃で、いろんな人と戦った。たくさん勝って、たくさん殺して、
由恵が12歳から16歳の頃所属した部隊は、紛争中、自衛軍の大陸侵攻を散々に妨げたという。自身も、バンギア人が恐れる銃をアグロス人よりうまく使い、崖の上の王国の魔法騎士団をはるかに上回る戦果を上げた。
犬畜生とさげすまれた妾腹の姫がにわかに脚光を浴び、母国である崖の上の王国では、一時期救国の聖女呼ばわりする動きまであったと聞く。
でたらめだが、才能というよりほかない。ホテルで見せたファニングショットといい、俺達の間でも、こいつの腕は群を抜いているのだ。
音もなく銃をしまうと、ユエは再びぼんやりと周囲を見回す。
「ここのみんなも、怖がるんだろうなー。アニメとか、小説とか、漫画の中だと私みたいなキャラも、楽しそうに学校行ってて、日ノ本に憧れたんだけど。本当は血の臭いが一度ついたら、そんな風にしか生きられないんだよね」
「ユエ……」
「あ、ご、ごめん暗くなっちゃって。なんかね、こっちにいたり、本読んでると、私でも普通の女の子みたいになれるんじゃないかって。騎士くんにも関係ないのにね」
自分で自分の傷をえぐったかのように、笑顔の張り付いた由恵の頬。
涙、か。
俺はそっと手を伸ばした。
「騎士くん……」
ザベルのところの子供たちにやるように。
肩を抱き寄せて、頭をなでる。
「あんまり気にするなよ。似たようなもんさ、俺達みんな」
「……うん」
由恵がゆっくりと、俺の方へ体を傾けてくる。
クレール以外の詳細は知らない。だが断罪者は全員が、軽くない過去を背負っている。紛争の混乱この方、ポート・ノゾミに暮らす奴らは、たいていそうなのだろうが。
しばらく頭をなでてやると、由恵は落ち着いたらしい。
俺の方をじっと見上げて、真顔でたずねる。
「騎士くん、どうして私に優しいの?」
えらく無垢な顔だった。
一瞬流煌のことがよぎるほど。
もっとも、手を出す気はない。俺は視線を切った。
「……女が悲しむのは嫌だ。それだけさ」
本当に。
ギニョルも、フリスベルも、ユエも、先輩も、流煌も。
傷つくことがなければいいと思う。
恰好つけ、とからかわれるかと思ったが。
由恵は笑わなかった。
「むー、なんか余裕だよね。見た目、私の方がお姉さんなのに」
「こう見えても、成人向けのBLが買える年だ。ガキはお前だろ。そろそろ行くぜ。集合に間に合わなくなっちまう」
照れくさい。荷物を半分ベンチに残し、俺は立ちあがった。
自分で持ちやがれ。
思惑通り、由恵が荷物に手を伸ばしたそのときだった。
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