六章~バルゴの手の兄弟~
1無頼の酒場
アグロス、つまり日ノ本から見れば。
ポート・ノゾミは間違いなくひどい場所だ。
まず治安が最悪だ。日ノ本では所持を厳しく制限された銃が出回り、ドラッグに売春は蔓延、うろつくマフィアに、治安維持をきどって暴れる自衛軍。
また、通信インフラもひどい。ネットはほとんど普及しておらず、携帯はことごとく不通。一部で固定電話がつながる程度で、SNSに親しみ、文明の利器に頼るアグロスの人間にはまず耐えられないだろう。
危険かつ不便。わざわざここに来るメリットといえば、ホープ・ストリートでイリーガルな楽しみを味わうか、ノイキンドゥでマロホシの奴の魔法交じりの医療を受けるか。いずれにせよ金や権力が無ければ、島のうまみを味わうことはできない。
ただ、バンギアから見れば、島は十分に先進的だ。
インフラひとつとっても、井戸や川、貯水池の水をそのまま使うバンギアと違って、上下水道が完備されている。また、三呂大橋の橋梁内に通じた電線から、日ノ本の電力が供給される。アグロスでは型落ちだが、バンギア人にとっては便利な家電も使用できる。おまけにガスやガソリン、車やバイクだって出回っている。さらに言うなら、娯楽や日用雑貨品に至るまで、日ノ本のものが金さえ積めばほぼ手に入る。
その理由は、この島を日ノ本の一部と主張し、自衛軍を駐留させ、金をばらまいて元の住人を住まわせている日ノ本政府の政策なのだが。
バンギア人がこの島に来て、生活を確立することさえできれば、間違いなく大陸で最上級レベルの暮らしができる。それも、種族や家柄、身分にさえ関係なくだ。
自衛軍が暴れ回り、紛争で荒れた場所も多いバンギアにおいて、こんな素晴らしい島に移住しないほうが、むしろどうかしている。キズアトやマロホシといった、大成功者の例に尾ひれがついて噂になり、大陸からは結構な数の移住希望者が集まってくる。
そういうわけで。俺の居るここ、大陸とポート・ノゾミをつなぐ港町ゲーツタウンは、人でごった返している。
その様といったら、ポート・キャンプをさらに混とんとさせた様な具合で、バンギア人は大抵が揃っているように見える。
ローエルフ、ハイエルフ、ダークエルフ、悪魔、吸血鬼、ゴブリン、人間。ただ誰もが着の身着のままに近く、疲れた顔をしている奴も多い。路銀が尽きたのか、売れるものをかかえて露店に紛れ込んだり、何でもいいから仕事を求めて立ちんぼになったり。故郷を出奔してきた連中は、難民同然だ。
ここから運やコネに恵まれた奴が、ポート・キャンプに土地やツテを得て移住。仕事を見つけてある程度稼ぎ、ゆくゆくはGSUMや日ノ本のお抱えに上り詰めて甘い汁を吸う。そして、断罪法を犯して俺たちとドンパチを繰り広げる事になる。
ここに来るといつも思うが、いくら断罪しても、断罪法違反が減らないわけだ。
木製の扉を開けると、石造りの酒場は混とんとしている。
大声で喚き散らし、酒を飲んで騒ぐゴブリンに人間、ダークエルフ達。ホープ・ストリートよりランクは落ちるが、娼婦をかき抱いているのも居る。
略奪品だろうシャンデリアが頭上に灯り、ランプと松明が明々と燃えている。その下では、これまた略奪品らしいピアノをダークエルフの女が弾きまくっていた。調律は狂い気味だが、陽気で上手い。ブギーか、ホンキー・トンクってやつだろうか。2ビートが軽快で、なかなか洒落ている。
休暇の俺は、断罪者のコートをはおってはいない。ショットガンも持って来ているが、かついだソフトケースの中。ここは島じゃないのだから、断罪法も何もないが。バンギアで銃は貴重なので、やたらちらつかすと目を付けられて面倒が起こる。
二足歩行の山羊姿で、酒瓶や缶が並んだ棚を背に動き回る悪魔が居る。ここのマスターに違いない。カウンター前に座ると、声をかける。
「……棚のチューハイくれ」
三呂のスーパーじゃ300イェンあればお釣りが来るだろう。下手なものを飲んで当たったらどうしようもねえ。
俺に気付いた悪魔は瘴気のため息をつき、腕を組んだ。
「アグロスの酒だ。値が張りますよ、下僕半の旦那」
「これで足りるか」
目につかないよう、折りたたんだ紙切れを渡す。悪魔はカウンターの下で押し広げて確認した。
千イェン紙幣だ。大陸では、ポート・ノゾミよりも貴重。
「ほほう、とんだ失礼をしましたね。こいつはサービスです。ゆっくりやってください」
凍結なんて名前のわりに、すっかり温んだ缶チューハイ。食っても当たらないだけマシな塩で炒った豆。ザベルの店が恋しくなる。こんなわびしいものを食うために、ここに来たわけじゃない。
ぬるいチューハイを開けると、一口やる。店主に、ポケットから名刺入れを取り出す。
「……この女たちを知らないか。誰でもいいんだ、どこかで見なかったか」
悪魔はぱらぱらと目を通し始めた。
「写真ですか。アグロスのものですね、さっきの金といい、旦那はGSUMの方で。うらやましいもんだ、俺もつながりがあればあっちに渡れるんですが。マロホシよりはましな家の出なんだが、親も姉弟も不甲斐ない奴らばっかりでね」
「黙って見られないのかよ、どうなんだ」
吸血鬼でない俺には、嘘を見抜く術がない。
ただ、何か隠したなら、兆しくらいは見える。島で様々な種族とかかわり、断罪者の仕事を二年やってきて、少しはそういうものが分かるようになってきた。
「……残念ですね、どれも知りません。だがみんな一癖ある美人だ。旦那と同じ下僕なら、選んだ主人は良い目をしてる。人間のころの知り合いですか?」
そのものずばり、だ。
写真は、今までの断罪事件で集めたハーレムズの奴らのもの。死亡した奴らも、手配中の奴らも含めて、今警察署で手に入るものを、ありったけコピーしてきた。
今日俺は、休暇を取っている。普段はコンテナハウスでひたすら寝るところだが、わざわざここに来た目的はハーレムズの独自捜査。
もっというなら、流煌の足取りを追うことだ。
レグリムやフェイロンドの率いたハイエルフの暗殺者集団、シクル・クナイブ。それがキズアトのハーレムズに手を出して起こった、先月の事件。俺はそこで再び流煌と出会った。
流煌は俺を撃てなかった。燃え盛る島では、涙をも、こぼして見せた。
その真意が知りたいのだ。キズアトにチャームを受けて、身も心も完全に従属したはずの流煌が、なぜあのとき俺に向かって涙を流したのか。
それにはもう一度、俺があいつに、ハーレムズのフィクスに会うことだ。
もっともGSUMの本拠地であるノイキンドゥ、もっといえば行動が慎重になっているポート・ノゾミで会うことは望めないだろう。
可能性があるとすれば、バンギアなら大陸側。そうにらんで、ここまで来たのだが。
この店主は何も知らん。嘘を、ついているわけでもなさそうだ。
「どうもすいませんね。お役に立てなくて……主人の死んだ下僕ってのは大変でしょう」
この店主は、俺のことを悪魔なりに心配しているのかも知れない。
気遣いに応えよう。下僕半ってのは、差別語に違いないが。
「逃げたようなもんなんだ。あんたが気にかけることはねえよ。邪魔したな」
バックを持って、カウンターを立つ。一件目は収穫無し。他の酒場、木賃宿や露店を調べてみるとしよう。
ドアまで近寄り、出ようとした俺の背後で、喧騒に変化があった。
ピアノが止んだのだ。陽気なホンキー・トンクが突然聞こえなくなった。
振り向くと、ピアノの演奏台で、ひともんちゃく起こっていた。
ゴブリンとアグロス人が、奏者のダークエルフを引きずり下ろし、服を脱がしにかかっている。悪い酒でしこたま酔ってやがるのか、あるいは出回るドラッグか。
野卑な趣向だが、周囲にははやし立てる声が上がるばかりで、店主も手をこまねていている。こんな無頼な店と客だから、仕方ないのかも知れない。
対して女はというと、娼婦のつもりで来たんじゃないのだろう、泣き叫びながら必死に抵抗している。が、そうすればするほど、群衆と襲ってる奴のボルテージが上がるばかり。
「誰も聞いてねえぜ、お前のピアノ! 酒が飲めて、騒げりゃいいだけなんだよ!」
「島じゃ、ダークエルフの娼婦なんて珍しくねえ。ストリップくらい、良いだろ。ほら、大人しくしろよ!」
この町は、一応崖の上の王国の領土の一部だ。あまりに無軌道な乱痴気騒ぎには王国の法律が適用される。
だが治安を預かる王国臣下の領主は、紛争中、自衛軍の榴弾砲で屋敷ごとばらばらに吹っ飛んだ。もちろん、王国騎士が来ようはずもない。
しょうがねえ。ため息を吐くと、ソフトケースのジッパーを下ろしにかかった。
この場を収めても、焼け石に水。騒ぎで捜査の芽も潰される事になるが、こんなものを見て見ぬふりして、断罪者は名乗れない。
幸い、客の視線は演奏台に集まってる。銃を出す俺に目を向ける者は居ない。
距離20メートル弱。M1897を取り出し、フォアエンドを引き、威嚇用のスラッグ弾を装填したまさにそのときだった。
2階から出て来た、3人のゴブリン。娼婦らしいダークエルフを伴っている。
恐らくはアグロス製の、上等そうなスーツに帽子、分厚いコート。まるで小柄なマフィアの様な1人が、かたわらのアタッシュケースを蹴り開けた。
現れたのは、ずいぶん小さな軽機関銃。独特の形状のショルダーストックは、一度見たら忘れない。vz61、通称スコーピオンだ。
ゴブリンはストックを起こし、マガジンを入れると、セレクターを切り替えて天井に向けて掃射した。セミオートで撃ってるってことは、メリゴンで出回ってる仕様だろう。
観衆の動きが止まる。ゴブリンが俺を見つめ、目配せをした。客の目が集まってる間に、ショットガンをしまえってことか。気持ち悪いほどできた奴だ。
小柄な体躯を活かすかのように、ゴブリンはひらりと演奏台に飛び降りる。
呆然とするダークエルフに自分のコートをかけると、帽子を取った。
若いゴブリンだろうか、ガドゥより少し年下に違いない。ゴブリンの中じゃ目が大きい方で、でかい口と分厚い唇は種族共通だが、どこか品がある。
ただ、恐ろしい雰囲気を作っているのは、その左耳。爆発か銃弾にやられたのだろう、途中で千切れて、傷口がいびつにくっついている。
「あ、ああ、す、すいません、ギーマさん、何か、気に入らないことが……」
「そうそう、島のバルゴ・ブルヌスにも負けないように、この酒場にも、私達なりの饗宴をと思いまして」
ギーマ。どっかで聞いた名だ。GSUMでもない、シクル・クナイブでもない、無論自衛軍でもない。となると――。
3発の乾いた銃声。ダークエルフを襲った人間が、演奏台に倒れた。あの血の量、心臓を撃ち抜きやがった。スコーピオンが.32ACPの空薬莢を3つ、床に吐き出していた。
思い出した、片耳のギーマ。一年前の抗争で、トップに上り詰めた、バルゴ・ブルヌスの頭のゴブリンじゃねえか。あのカルシドの飼い主だ。
となると、上の奴らはみんな幹部連中。
まいった。とんでもねえ大物に出会っちまった。
俺が断罪者ってことも知ってやがるな。とっとと店を出た方がいい。だが目の前で粛清の殺人をされちまったら、見て見ぬふりをするわけにもいかない。
ふるえながらうずくまった、もう一人のゴブリン。ギーマは近づくと、その頭をつかんで顔を近づけた。
「お前ら、耳クソ貯め過ぎてるのか。それとも頭の問題か。饗宴をやるのは秩序の維持者を殺すときか、バルゴの命令のときだけ。さもなくば……なんて言ったかな?」
マガジンに弾丸の残るスコーピオンを突き付けられ、ゴブリンが震えあがる。
「きょ、狂喜神バルゴの、報復を受けん。されば、汚れた魂は、栄誉の天地でなく、悲惨の獄舎にと、とらわれぬ……申し訳ありません、商売が、うまくいかなくて……」
泣き崩れるゴブリンの肩を軽く叩くと。ギーマはため息を吐き出し、スコーピオンにセーフティをかけ、ストックをたたんだ。側近らしいゴブリンが拾った帽子をかぶり、表情を和らげる。
「しょうがねえ奴だな。覚えとけよ、バルゴは狂気の誇りを持つ、俺たちゴブリンの気高き神だ。饗宴のときはお前に伝える。教えに背くことはすんなよ、いいか」
うなずきながら崩れ落ちたゴブリン。側近らしい2階のゴブリンが、ケースを持って飛び降りて来た。ギーマは折りたたんだスコーピオンをその中に収め、札束を掴み出す。まとめていた紙を食いちぎると、勢いよく放り投げた。
「みんな迷惑かけちまったな! こいつは俺から店の全員におごる、今日は野暮な詮索なしで、ぱーっとやってくれよ!」
店中に札束が舞い散る。アグロスの最高額紙幣、一万イェン札だ。散っているだけで恐らく百枚以上はある。
たちまち怒号が上がって、札のつかみ合いが始まる。もう人殺しを覚えている奴なんて居ないだろう。撃たれた人間の死体は、適当に始末されるに違いない。
なんという資金力だ。アメとムチを巧みに使い分ける手腕も、卓越したものがある。饗宴で出て来る、暴れ者ばかり相手にしていたが。
真に恐ろしいのは、ギーマのカリスマ性。
バルゴ・ブルヌス、何人断罪したところで、新手がどんどん湧いてくるわけだ。
俺一人でこんな奴相手にできるわけがない。店を出ようとした腕がつかまれる。
「見てたぜ。一杯どうだい? 遠慮すんなよ」
腹に当たるのは、サイレンサーの不格好な銃口。あの騒ぎの合間に、俺に近づいてやがった。カスタムしたスコーピオン、サイレンサーを付けた仕様だ。
服装を直し、涙をぬぐったダークエルフが、再びピアノの前に座る。鍵盤が陽気に歌い始め、ホンキー・トンクが喧騒を盛り上げる
ギーマがこっちに手を振ってやがる。
まいった。こいつは、逃げられねえな。
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