未知との遭遇 その6

 権能による転移は、相手にその位置を教える手段になり得る。

 だが、場所さえ選べば検知しても違和感は持たれ辛く、ルヴァイルやインギェムの神処ならば、まず疑問にも思われない。


 だから、アヴェリン達をそれぞれ、各神処へ送る分には問題がなかった。

 しかし、ミレイユの方はロシュ大神殿近くに転移する訳にはいかない。


 この大一番で察知される愚は避けたかった。

 だから自力で飛んで移動する事になったのだが、実時間のミレイユもまた、『虫食い』の処理が終わって移動している最中、という点を忘れてはならない。


 無理を通せば発見される恐れがあり……しかし、飛ばねば決定的な瞬間に間に合わず、そして奇襲も不発で終わってしまう。

 なのでミレイユは、リスクを承知で空を飛ばねばならなかった。


 ただし、馬鹿正直に飛んだりはしない。

 幻術の使用は当然で、しかも高度を目一杯上げてある。


 竜での移動は通常、雲の高度よりも下だ。

 そして当時、実際のミレイユもその高度で移動していたと記憶している。


 だから、雲より上空に位置し、速度も出さずにいたなら、早々発見出来るものでない筈だった。


「恐らく、当時の私もそうして移動していたんだろうしな……」


 目的地が同じであるのに加え、出発地点さえ重なる。

 何故なら一度、実時間のミレイユは『虫食い』の跡地を見に行っているからだ。


 先行してルチアを向かわせ、そして結界を張って待機するよう命じていた。

 『虫食い』は神力を注がなければ解決できない問題なので、ルチア一人で解決することは出来ない。


 だから、ルチアに遅れて到着し……しかし、解決されていて不思議に思うのだ。

 ミレイユは当時のことを、僅かに薄れた記憶から掘り起こして振り返っていた。


「……そうだ、当時は権能の残滓が見えていたから、誰か別の神が気を利かせたのだと思っていた。神気の気配も薄く……だから、勘違いを後押しする結果となっていた……」


 そして、まさかそこに過去からやって来た自分がいるなど、予想だにしていない。

 事態を重く見た何れかの神が、その道筋を立ててくれた、と思った。

 そうして当時のミレイユは、そのままロシュ大神殿へ急行したのだ。


「その間は前方、あるいは地上ばかり見て、上など全く気にしていなかった……」


 そして、気付かないのは当然でもある。

 何より今のミレイユは、オミカゲ様によって神力の大部分を取り出されている状態だ。


 普段なら自己主張が激しい程に溢れる神気も、今はすっかり鳴りを潜めている。

 死角となる上空、そして何者もいる筈がないという先入観が、この姿を綺麗に覆い隠している事だろう。


 そうして――。

 今まさに、雲を挟んだ向こう側を、真っ赤な竜が通り過ぎていくのが見えた。


「ドーワだ……。では、間違いなく、元の時間軸に戻って来られているな」


 ほんの少し、不安に感じている事ではあった。

 ミレイユは実時間のミレイユに発見されていないし、そうする痕跡も残してはいなかった。


 しかし、時空を超えた転移は歪みを生むものでもある。

 自分のあずかり知らぬ所で、実は道を違えていたやも――その可能性は常に付き纏っていた。


「だが、これからアルケスと対峙するなら、まず間違いないと思って良さそうだ」


 ドーワの赤い翼は既に遥か遠い。

 ミレイユの神力が封じられているお陰で、速度が出ないのに加え、かの竜はこの世で最も速い翼を持つのだ。

 追い越され、そして追い付けないのは当然と言えた。


「しかし、拙いな……。余りに置いていかれると……。奇襲どころではないのかもしれない」


 アルケスが用意した、ロシュ大神殿を攻める淵魔は全て滅する。

 それが以前、ミレイユ自身が体験した歴史的事実だ。


 しかし、隠し玉がないとも限らない。

 ミレイユを追放するまでが全てではなく、アルケスなりの計画――本当の計画が、そこから始動する筈だ。


「それをやらせてしまったんじゃ、元の木阿弥だ。くそっ……、速度を出せないのが歯痒いな……」


 しかし、後々を考えた場合、高い上空を位置取れているアドバンテージは大きい。

 それで変えるに変えられず、実に焦れた思いで空を飛ぶことになった。



  ※※※



 そうして飛び続ける事しばし、空の向こうが白み始めて来て、新たな一日の到来を感じさせた。

 空高くにいるからいち早く気付けるが、地上にいる者からは、まだその光が見えていない筈だ。


 そして、日が明けるか明けないか、という時間帯は……。

 ミレイユがアルケスに一杯食わされる、そのタイミングでもあった。


「間に合うか……!?」


 ここまで来れば、高度を高く保っておく理由もない。

 少しずつ下げながら接近し、雲の中を突っ切って飛んだ。


 ロシュ大神殿へ到着したのは、そうした焦りと共にであり……そして、決定的な瞬間を目撃することになった。

 ドーワの頭を玉座として、ミレイユがアルケスと対峙している。


 アイナが『鍵』を使いミレイユの権能をこじ開け、そこに丁度良いタイミングで『孔』が現れた。

 吸い込まれそうになるのを、ミレイユは必死に耐えている。


 しかし、それも時間の問題だった。

 アヴェリンやユミル、レヴィン達が救出しようと駆け寄り、アルケスに攻撃を仕掛ける。


 勇み足だったレヴィンの攻撃は躱され、逆に『孔』の中へと突き落とされた。

 ヨエルとロヴィーサは、吸い込まれていったレヴィンを追って、共に中へ入って行く。


 そうしていよいよ、耐え続けるミレイユにも限界が来た。

 助け出そうと動き出すドーワを制止し、そうしてミレイユは強気な態度を崩さず言うのだ。


「すぐに戻る」


 『孔』に消えて行ったミレイユを、アヴェリン達がアルケスを全く無視して追う。

 そうした最中、ドーワは一人空を見上げ、実にドラゴンらしからぬ人間めいた笑みを浮かべるのだ。


「――その様だね」


 上空で待機していたミレイユと、一直線に視線が交差する。

 ミレイユもまた笑みを浮かべ、指を二本閉じて立てた手を、一度だけ横に振った。


 そして、決定的な隙を見せる瞬間を待つ。

 アルケスの性格からして、勝ち誇らずにはいられない筈だ。

 勝利を喜び、敗者を嘲り、己の全てを言祝ぐに違いない。


「ざまぁみよ、大神レジスクラディスッ! これからだ! これより真なる神の、真の支配が始まるのだッ!」


 ミレイユの予想通り、それは現実となった。

 アルケスは両手を広げて、大きく胸を反らす。


 その下品な哄笑が大地に、そして空に響き渡った。

 その光景を、大神殿に集まっていた信徒は呆然と見送っている。


 そこへ、元より明けの空が見え始めていた所に、白い光が差し始めた。

 山の稜線に光が掛かり、太陽が顔を僅かに見せている。


「――今か」


 ミレイユは上空から、重力を利用して速度を加速し、逆落としになりながらアルケスに突撃する。

 最後の瞬間まで神力を見せない為の措置だが、今回はこれが裏目に出た。


 勢いと、速度が足りない。

 直上から襲い掛かり、その頭目掛けて踵を落としたのだが、間一髪躱されてしまった。


 大きく胸を逸らし、顔が上空を向いたのも拙かった。

 それが何かを判断するより前に、身体が横っ飛びに逃げたのだが、全く無傷でもいられない。


 ミレイユの放った踵落としは、絞首刑の刃さながら振り落とされ、アルケスの右手を切断する。

 ミレイユの右足が地面を噛み、盛大な振動を起こして初めて、アルケスは視線をミレイユに向けた。


「な、ば、馬鹿な……!? 俺は、確かに……!」


「確かに……、何だ? 何か勘違いしたものでも見たか」


「イ、インギェムか……! アイツ、命令通りに送らなかったなッ!」


「いいや、アイツはしっかり命令通りに仕事をこなした。……が、どうしてここに居るか、それを教えてやる義理はない」


 時空間転移は諸刃の剣だ。

 細心に細心を重ねても、どこから綻びが生まれるか分からない。


 ミレイユはもしかしたら、この時この場所に辿り着けない可能性があったし、歴史を大きく歪めていたかもしれなかった。

 その恐ろしさは、かつて当事者でもあった、ミレイユが良く知っている。


 逆に敵の利としかならない可能性もあり、しかし、受け入れ難い未来を拒否するには、そうする他なかったのだ。

 そして、それをわざわざ教えて、敵に塩を送る意味もなかった。


「き、貴様……っ。俺の、腕を……!」


「苦しみを増やしてやるのは、本意ではなかった。その一撃で沈んでいれば、色々と楽だったのにな」


 言いながら、ミレイユは掌に魔力を込め、一拍の間を置いて魔術を放つ。

 それが豪火を撒き散らしてアルケスの腕に着弾すると、見る間もなく消し炭となってボロボロと崩れた。


「お、俺の、俺の……ッ!」


 アルケスは怒りのあまり、呂律がしっかり回っていない。

 顔面を朱で染めた様に赤くなり、コメカミには血管を浮かべて怒りを燃やしている。


「切れた腕をくっ付けるのは簡単だが、一から生やすとなれば面倒だぞ。今のお前には無理だ。片腕しかない中で、どうやって私に対抗する?」


「殺してやる……! 殺してやるぞ……ッ!」


「そんな事は、もう知ってる」


 武器を扱うにしろ、魔術を扱うにしろ、片手で戦う不利は言うまでもない。

 特に魔術は、上級術を封じたと言っても過言ではなかった。


 制御魔術の特徴は、自分の意思で量や質を変化させられる所だ。

 画一的な魔術を発動させる刻印とは、そうした部分から違う。


 そして、上級魔術ともなれば、片手扱えるほど簡単な制御になっていない。

 ミレイユでさえ音を上げる程なので、アルケスに扱える筈がなかった。


「慈悲を乞うなら、ひと思いに楽にしてやる」

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