不条理の打開 その6

 眩い閃光は、そう長い時間、続かなかった。

 レヴィンたちへ照らされた光量と、充てられる魔力の奔流により、永遠とも錯覚できるものだったが、実際には五秒と経っていない。


 ルチアが杖を胸元から離し、床板を杖頭で軽くと、全員の結界が同時に解除された。

 他人の作った結界を、自分の物のように解除するには、力量差以上の技術力がいる。


「大丈夫です、これで終わりました」


 それを差も当然と出来てしまう所に、彼女の非凡さが窺えた。

 狭い空間に閉じ込められていたレヴィンは、思わずたたらを踏む様に前へ出て、しかしすぐに背筋を伸ばして直立する。


 廊下側の襖が女官の手によって開けられ、そこから大神レジスクラディスが入室して来たからだった。


 彼女はアヴェリンを伴って近付くと、程よく離れた所で立ち止まる。

 興味深そうにレヴィン達を一瞥すると、肩の高さまで手を挙げた。


 礼を尽くすつもりで膝を付き、レヴィンは続けて頭を下げる。

 そうすると、大神レジスクラディスの背後から白い毛並みの神獣が顔を出し、その掌へ甘えるように鼻面を差し出した。


 大神レジスクラディスがその頭に手を置くと、そのまま後ろへ倒れ込む。

 三本の尾と、脇腹でそれを優しく受け止めると、ストンとその場に座り込んで、そのまま椅子代わりとなってしまった。


 巨大な頭を交差した前足の上に置く事で、丁度良い塩梅の肘掛けとなるらしい。

 神と神獣にとっては慣れた遣り取りらしく、眉間を揉まれると機嫌の良い声が、その喉奥から漏れた。


「……それで?」


 簡潔に問われ、ルチアが答える。


「予想通りでした。処置も滞りなく。もう安全です」


「うん、ご苦労だった。何のことか分かっていないお前たちは、説明が欲しいだろうな」


 そう問われたら、レヴィンのみならず、聞きたいと思うのが人の情だ。

 ただ、アイナは青い顔をさせて身動き出来ずにいて、極度の緊張状態にあった。


 ロヴィーサとしても似た様な心境だろうに、アイナを気遣って、その両肩に手を置き、安心させるように撫でている。

 レヴィンもまた、再会を喜びたいとは思っていた。

 しかし、安易に喜び合える状況でもなく、膝を付いた格好のまま、窺うような視線で安否を気遣った。


「この様な場所で話す事でもないんだろうが……。最悪、戦闘する可能性もあった。少々乱暴に扱っても問題ない部屋となれば、ここぐらいしかないと言われたのでな」


 剣呑な表現に、レヴィンは思わず眉根を寄せて、ヨエルと顔を見合わせてしまった。

 下手をすると、牙を剥いて襲ってくると思われていたらしい。

 レヴィンの心情としては、心外としか言いようがない。

 とはいえ、まずは話を聞いてみなければ始まらないと、と自らを戒めた。


「詳しい説明は、ユミルにさせる。――頼むぞ」


「はいはい。大抵の面倒は、大体このユミルさんの出番ってワケよ」


「減らず口はいいから、さっさと言え」


 ユミルは肩を竦めて一歩だけ前に出て、それから指先を一本、アイナへ向ける。


「まず前提の話をしたいんだけどさ、このコが洗脳されてたってのは、もはや周知の事実じゃない?」


「あ、その……」


 アイナがロヴィーサの腕の中で小さくなるのを見て、ユミルは小さく首を振った。


「それを責めようって話じゃないの。単なる事実確認で、そしてアンタは単なる被害者っていう認識は、未だに変わってないから」


「は、はい……。その……、大変なご迷惑をお掛けしまして、たい、大変……」


「いいわよ別に、謝罪なんて。それを口にさせたい相手は別にいるから。とはいえ、あっちも言う気なんてないでしょうし、こっちもそれより先にボコボコにするけど」


 ユミルの瞳に剣呑な光が漏れる。

 それに怖気付いて、アイナは僅かに身体を震わせた。


「――で、まずは先に、神器を回収させてくれる? アンタに悪用する気はないと分かってるけど、確保はしておきたいの」


「は、はいっ、勿論です! こち、こちらになりますっ!」


 アイナが両手で掬う様に差し出した『鍵』を、ユミルは睨む様にして見つめた。

 それから傍らのルチアへ、顎を突き出す様に動かすと、意を得た彼女が手を突き出す。


 しかし、触りはしない。

 魔力を照射して何事かを確認し、そうして精査が済んでから、ようやくそれを手に取った。


 重荷を手放せたアイナはほぅ、と息を吐くと、全員に注目されているのに気付いて顔を俯ける。

 ルチアは受け取った『鍵』をしばらく、しげしげと興味深そうに見つめていた。

 それを尻目に、ユミルは話を再開させる。


「さて……。アルケスのヤツは、色々と策を労し、アタシ達を嵌めようとした。まぁ、アタシ達って言うより、大神レジスクラディスを……というべきなんでしょうけど」


「は、はい……。それで利用したものの一つが私、ですね……」


「さっきの神器もさ、こちらの手に渡る可能性を考慮して、何か罠が仕掛けられているのか、とか思ってたの。だから、今更ながら調べたんだけど……」


「ほ、本当に今更ですね……」


 この声はレヴィンから発せられた。

 これにはユミルも、苦笑いしながら首肯する。


「まったくね。内の大神レジスクラディス様にも困っちゃうわよ。こんなの後回しにするな、って話よねぇ?」


「――おい、私だけのせいにするな」


 怒ってはおらず、呆れた調子で声が挟まる。

 レヴィンなどは恐縮して頭を下げてしまったのだが、ユミルからは全く悪びれる様子が感じられない。

 やはり普段から、こうした遣り取りは日常茶飯事なのだ。


「ま、それはそれとして……。洗脳にはさ、ある種の法則……というか、制約みたいなものがある。つまり、より簡潔で単純な命令が好ましい、って類の」


「複雑だと、どうなるんでしょうか?」


「強制力が弱まる。あるいは、複数の状況に対応しようとして、肝心の目的を達成させらないとか……。それは命令内容によるから一概には言えないんだけど、でも単純なものほど良いのよ。だって、あくまで実行の認識は、本人の思考や計算を元に行われるから」


 状況の設定を複雑化させると、複雑であればある程、本人が誤解する場合もある。

 全ての人間の知識や思考能力は、全員が一律で同じではないからだ。


 命令する本人は、自分と同程度の考えは出来るだろう、と思っていても、時に恐ろしく浅慮な人間もいる。

 誤解なく、確実に実行されない命令など、したところで全く意味がない。


「だから、単純である程、その命令は実行力が高まる事になる。……で、アイナはもう既に一つ命令を実行した。だから、これ以上は恐らく何もない、と考えてたんだけど。でも、そうじゃないとも考えられた」


「二つ命令があったかも、ですか?」


「普通はしないんだけどね。二つの命令が異なる状況で矛盾なく実行されるか、それが予想できないから。そして、矛盾するとどちらも実行できずに、精神錯乱を起こす可能性すらある」


「それは、また……ゾッとしませんね」


「洗脳する程、確実に実行して欲しい何かを命じているんだから、不安要素は極力排除したいものよ。術者の思考っていうのは、大抵そういう所に落ち着く」


 それまで『鍵』を舐め回すように見ていたルチアが、視線をユミルに移して困った様に笑う。


「思い違いの発言をして、申し訳ありませんでしたね」


「別に嫌味で言ったんじゃないわよ」


 ユミルは笑って手を振り、それからレヴィン達へ目を向けた。


「でもね、ルチアの考えも、そう間違ったものじゃないと思ったワケよ。こちらへ追い落とすまでが、アルケスの計画の内。でも別に、それ以外も道連れにする必要ってあったのかなぁって……」


「え……?」


 レヴィンが呆然として呟くと、アイナもまた似たような目を向けた。


「アルケスにとっては全てが道具だった、……でしょ? 全てに役割を負わされていた。アイナにはさ、感謝してるから、とか理由付けして送り返したみたいだけど……本心だと思う?」


「それは……」


「いらなくなった道具は、打ち捨てるヤツだと思うのよねぇ。殺処分でもいいんだけど……とにかく、丁重に扱ってやる理由がない」


「それ、は……」


 これにはレヴィンにも、反論するだけの材料が持てなかった。

 アルケスとは徹頭徹尾、利用する者とされる者の関係だった。

 そうと知らず慕い、思うように動かされたレヴィン達だ。


 ここまでどうもご苦労さま、と殺されていたとしても、全く違和感がなかった。

 しかし実際には、アイナと共に追い落とされている。

 いつも一緒のメンバーだったから、共にいる事、共に追い落とされる事を、疑問に思わなかった。


 近くにいたから巻き込まれただけとも言え、そして、状況的に有り得ない話でもなかった。

 しかし、もしそうでないとしたら――。

 レヴィンの背中に冷たい汗が伝う。


「アルケスは幾重にも、罠と策を張り巡らせていた。追い落とすまでが集大成で、終着点? 有り得ないわ。アタシ達は――大神レジスクラディスは、きっと帰ろうとする、とまで考えていたはず。だったら、追い落とした先でも作用する、何らかの罠を敷いたと考えるべきなのよ」

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