迷宮探索の苦難 その3

 本日、いよいよレヴィン達は迷宮の下層を目指す。

 食糧や水など、保存食を含む基本物資は既に、ロヴィーサ達が必要十分な量を用意してくれていた。


 レヴィン達は、一度迷宮に入ると帰って来られない。

 周期終わりの強制送還を受けるまで、常に迷宮内で過ごさねばならなかった。


 通常、探索者は一日の終わり――あるいは、これ以上は危険と判断した時点でマーキングし、脱出するものだ。

 そして翌日、改めて態勢を立て直し、再挑戦する。


 これがどれ程の有利と安全性を保障するか、敢えて口にするまでもない。

 レヴィン達は『個人空間』に物資を収納できるから良いが、魔力に乏しい獣人は実際に持ち歩くしかなかった。


 半日分の水と食糧しか持たなくて良い、また食糧切れを懸念して節約する必要もない、そのアドバンテージは想像よりも大きいものだ。

 レヴィン達はそれら一切、全てを受け入れ挑まなねばならない。


 前半部分を飛ばし、五十一階から始められるとはいえ、苦戦を免れない覚悟は必要だった。

 レヴィン達は周期始めの『速達組』が帰還した話を聞くなり、ギルドの門を叩いた。


 受付に逸早く到着すると、叩きつけるように探索申請書を出す。

 普通は一日で一階層、多くても二階層が相場で、だから記入欄にも目的の一階層のみ書くものだ。

 しかし、レヴィンが提出した用紙を見て、受付員は小首を傾げた。


「五十階層から最下層、とありますが……? どこへ行くのか、決まってないのですか?」


「いや、今日から潜り続けて最下層を目指す。別に違反じゃないんだろう?」


「勿論ですが……。まぁ、行ける所まで行くつもり、とのことですね」


 レヴィンが頷くと、受付員は赤線を引いて、勝手に最下層部分を消してしまった。

 そうして、ご丁寧に五十三階、と書き直してしまう。


 どんなに多くとも、一日で行ける階層に限りはある。

 その常識的な部分に照らしての修正だとは分かるが、余り良い気はしなかった。

 ともあれ、これで出発準備は整ったわけで、レヴィンは意気揚々とギルドを後にした。


 出入り口傍にはホラーツとボッテンが待機していて、迷宮の道中を共にして歩く。


「いやぁ、いよいよスなぁ……! いや、実際、炭鉱だけで金を稼ぎ出すのに、これだけ短期間でやったのは凄いスよ! 努力が実った、ってことスねぇ!」


「もう二度と御免だけどな……。あんなのもう一度やらされたら、気が狂う自信あるぞ。周囲には変な奴らって思われたし」


「まぁ、前提として、そこばっかり籠もるモンじゃないスから。普通は魔物を倒して、自らのレベルアップを目指したり、『恩寵』の使用感や組み合わせの実地試験とか、色々な目的で潜るもんスし」


「あぁ、酔狂な奴がいるって、ちょっとした有名人になったよ……」


 何しろ、いつ来ても、つるはしを振り下ろしている二人組がいるのだ。

 それが周期を跨いで、都合三度もいるのだから、永住しているおかしな奴ら、という認識がすっかり出来上がってしまっていた。


「ともかく、苦労した甲斐あって、ようやく挑める下地が出来た。……長かったな」


「俺なんて、もうこの達成感で、既に終わった気になってるもんよ」


 ヨエルが冗談めかして笑う。

 ロヴィーサは強く諌める仕草を見せたが、レヴィンとしてはヨエルを笑えなかった。


「その気持ちは分かる。けど、迷宮に入ってからは、気を引き締め直せ。俺もそうする」


「了解だ、若」


 ヨエルも冗談と本気の線引はしっかりしている。

 だから、レヴィンも安心して、その冗談に付き合っていられた。


 迷宮前へ辿り着くと、獣人の多くで賑わっていた。

 『速達組』の世話になる者、自らの『転移』でパーティともども出発している者と、様々な者達でごった返している。


 当然、『速達組』以外の転送屋、回復屋や買い忘れ補充の露店などもあって、一層騒がしい空気を発していた。

 周期の始めはいつでも活気がある。


 レヴィン達はその活気に背中を押されながら、『速達組』の列へと並んだ。

 そして、ホラーツ達とは、ここでお別れとなる。


「それじゃ兄さん、ご武運をお祈りしてるス! 次に会う時は、きっと周期の終わり頃スよね!」


「そうだな、残り三十八日程だ。何とか、最下層に到達して見せるよ」


「きっと出来るス! そして、アイナの姐さんも、どうぞ御存分に!」


「え、はぁ……。頑張りますけど……、何でいつまでも誤解されたままなんでしょう……」


 それは兎獣族の強さが伝説化している事と、アイナ以外、この都市に兎獣族が居ないからだろう。

 伝説を打ち消す何かが起きていないので、ホラーツがいつまでも期待する事になっている。


「まぁ、慢心だけはしないよう、気を付けて行こう。……まだ時間はある」


「勿論、まだ始まったばかりスぜ!」


 レヴィンとホラーツの間では、認識に大きな違いがある。

 今期迷宮の制限時間を憂うと言うより、ミレイユがアルケスに反撃するまでの時間を気にしていた。


 ミレイユが憂うことなく戦う為には、全ての神々の協力が不可欠だ。

 そして、その最後の協力要請を、レヴィンに託されたようなものだった。

 これに失敗すれば、大神レジスクラディスから少なからぬ嘆きと、大いなる失望を賜るだろう。


 レヴィンにとって、それは耐えられぬことだ。

 炭鉱で過ごした期間は三ヶ月程、そしてここに至るまでの旅で約ひと月。

 残りは七ヶ月程で、そしてこの挑戦が成功すれば、約半年の猶予期間が得られる計算だ。


 半年であれば、まず上々の結果と言えるだろう。

 今期で攻略が終われば、満足のいく報告を上げられる。

 レヴィンは『速達組』に料金を支払うと、背後の仲間たちを振り返って気合を飛ばした。


「よし、行くぞッ!」



  ※※※



 ――そうして、レヴィン達は迷宮攻略は失敗した。

 ひと月以上もの間、地下暮らしだった汚れを落とし、今は宿屋兼酒場で力なくテーブルに寝そべっていた。


 酒は入っていない。

 飲んでウサを晴らす気分ですらなかった。

 レヴィンの胸の中は、ただただ、申し訳ない気持ちで占められている。


「なぁ、若……。そう落ち込むなよ。俺達はよくやったさ」


「ヨエルの言う通りです、若様。この失敗は致命的なものではありません。むしろ、次回攻略に役立った……次に成功する踏み台、程度に考えておくべきです」


「そう、そうだな……。腐ってる場合じゃないしな……」


 レヴィン達は周期終了の強制送還によって、地上に帰って来た。

 それまでに到達できたのは、僅か七十八階。


 目指す行程の半分を、少し超えただけに過ぎない。

 せめて九十の大台を超えていたなら、次への期待は大きなものとなっていただろう。

 僅かに足りなかった、しかし次こそは、と――。


 実際はたかが半分という、みじめな数字を目にする事となった。

 次の挑戦では、更に十階程度は進めるかもしれない。

 とはいえ――。


「何と言いますか、攻略難度が指数関数的に増えていった感じがします……。八十階以降は、七十階よりも時間が掛かる、と思った方が良いかもしれません……」


 アイナの指摘は全くの正論だった。

 そして、それこそがレヴィンが憂う内容でもある。


「迷宮に十年挑んで、それでも無理だった、という話の意味が分かりかけてきた。魔物の強さは大した事がない。問題は、迷宮の構造だ」


「確かにそうだぜ、若……。地下に原生林とかあった時点で、何でもアリだとは思ってたがよ……。溶岩の川が流れるとか、毒ガス溜まりの迷路だの、知ってないと準備も出来ねぇだろうが」


「それこそ正に、値千金の情報なのでしょう。そして、そこへ到達できる猛者は、迂闊にそうした情報を漏らしません」


 溶岩の流れる川にしろ、迂回路は存在した。

 溶岩川には必ず着地するに丁度よい岩まで流れて来たのだが、まさかそこを飛び跳ねて移る度胸はない。


 落ちれば死ぬ一世一代の大勝負を、何度も続けて成功させねばならず、それでは命が幾らあっても足りないだろう。

 その迂回路を探すのにも時間が掛かったし、見つけた迂回路もまた、難所の一つだった。


 溶岩の川の上部に繋がる道で、断崖となった細い道を通らねばならない。

 落ちれば死の道に違いなく、容赦なく吹き付ける熱波が体力を削いできた。


 体力が落ちれば、集中力も落ちる。

 アイナがあわやという瀬戸際になった時もあり、実際九死に一生を得た状況があったのだ。


 毒ガスについても無味無臭で、レヴィン達は最初、その存在に気付けなかった。

 しかし、真っ先に気付いたアイナが、防護の魔術を展開してくれたお陰で、やはり九死に一生を得た。


 空気中に漂う薄い毒ガスはそれで防げたが、ガス溜まりとなって濃度の高い部分では魔術も防ぎ切れず、やはり別の道を探すしかなくなった。

 別の道は、また異なる毒溜まりの迷路だったりで、精神も魔力も擦り減らし、ろくな前進もないまま、長く足止めを喰らった。


 そして、正しい道順、毒のない道、それらを知らなければ、レヴィン達がそうだったように、時間を無駄に費やすことになるのだ。

 それが失敗の決定打になった。


 そうして時間が尽きてしまい、成果に見合わぬ敗退を余儀なくされたのだった。

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