迷宮探索の苦難 その2

 ホラーツは完全に感極まった様子で、身体を大きく震わせた。

 目尻には若干の涙すら浮かんでいて、耳にした言葉を反芻しているようでもある。


 ホラーツは素早くレヴィンに近付くと、その手を強引に取って両手で包み込み、激しく上下へ振った。


「いや、そこまで仰るとは……! 自分の底の浅さを思い知った思いで……! そうスよね! 人獣族が願いを叶えるだけでも快挙、そのうえ『恩寵』を使わず踏破! これこそ誰もが認めざるを得ない、揺るがない栄光ってもんスな!」


「あ、あぁ……。まぁ、そうかもな」


「お手伝いなら、幾らでもしますよ! まずは登録スね! ちょっと待ってて下さい!」


 そう言って、レヴィンの返事を聞かぬまま、ホラーツはギルドへ走って行った。

 置いていかれた格好のボッテンは、ホラーツとレヴィンを見比べた後、腹の贅肉を揺らしながら追い掛けていく。


 それから暫く――、五分と待たぬ内に、ホラーツは帰って来た。

 手には荒い作りの紙と鉛筆があり、得意満面の笑みで渡してくる。


「これは……?」


「ギルドの登録書ですよ。名前、種族、年齢、出身地などなど……。それ書いて受付に持ってけば、ギルドメダルを発行して貰えるんで」


「へぇ……、メダル? それがつまり、身分を表すのか?」


「そッスね。自分の階級を表すのは勿論スが、裏面には名前や種族が彫り込まれます。見分けの付かない死体になった時、そいつを証明する手助けになるんで、必ず持ち歩いて下せぇよ」


「ドッグタグみたいなものですか……」


 アイナが感心めいた声を漏らすと、全員の視線が集中する。

 自分が何か失言したかと思ったアイナは、わたわたと首を振った。


「何だ、それ? どっぐ……?」


「いや、つまり認識票ですよ。兵士の身元を識別するのに使う……」


「あぁ、そういう意味か。似たものは、ウチでもあるぞ。銅板に名前を刻んで、手首に巻くんだ」


「へぇ……? 兄さんトコの狼獣族じゃ、そういう事してるんで? 初めて聞きやしたや。なぁ、ボッテン?」


「……ブヒ」


 やはり言葉少なに返事だけ返したところに、レヴィンは焦りをひた隠して話題を変える。

 この時ばかりは、言葉少ないボッテンに感謝していた。


 迂闊な発言がボロになり、そこから変に嗅ぎ付けられるとも限らない。

 レヴィンは不自然にならないよう、細心の注意を心がけながら、ホラーツに話し掛けた。


「とにかく……あー、これに書けば良いんだな? しかし、出身地……? 参ったな……」


「兄さん、自分の出身地……分からないんで?」


 ホラーツの眉が訝し気に寄る。

 後ろめたさから、その目が何かを探るようにも見えてしまうが、被害妄想だと分かっている。

 レヴィンは努めて冷静に、そして自然な弱り顔に見える表情で頷いた。


「そう、孤児なもんで、色々と転々とさせられたからさ……。どこも長く居なかったから、さて何と書くべきやら……」


「なんだ、そんな事スか。だったら、最後に居た町やら、集落の名前でも書けば良いスよ」


「あぁ、そう、そうか……。あまり知られてないと思うんだが……」


「そんなの何処も一緒スて! この都市の外に、どういう集落と、どういう村や町があるか、知らない奴の方が多いんスから!」


 ならば、適当な名前でも、即座に嘘と見抜かれないかもしれない。

 それに、ここで長居するつもりも、探索者として暮らすつもりもないレヴィン達だ。

 その場限りの嘘で乗り切っても、問題はなかろうと判断した。


「そうか、ありがとう。これ書いたら……あぁ、鉛筆はこれ、お前のか?」


「いや、備品ス。ちゃんと返して下さいね。さっき見て来た感じ、探索者の不満も薄れてるみたいなんで、これからは受付も空くと思いますよ」


 まるでその言葉が皮切りであるかのように、ギルドから出て行く者の姿が見えた。

 ぞろぞろと一塊になって行く後ろ姿を見て、ロヴィーサもレヴィンの腕を撫でて催促する。


「今が良い機会かもしれません。済ませる事は、手早く済ませてしまいましょう」


 レヴィンは無言で頷き、手近なベンチで必要事項を記入すると、全員分が終わるのを待ってギルドへ駆け込んだ。



  ※※※



 ――現状を舐めていた。

 レヴィンはそう判断せざるを得なかった。


 ギルドへの提出と共に、メダルの確保は上手くいった。

 探索者として誰憚ることなく迷宮へ挑戦する権利を得て、即座に踏破してやろうと思ってさえいた。


 五十階層以降は未だ閉鎖されているので、どうあっても攻略は不可能だが、とりあえず滞在費も含め、稼げる分は稼いでしまおうと軽い気持ちでいたのだ。

 しかし――。


「……若、言いたかないが、俺たち炭鉱夫になりたくて、迷宮に来たんじゃねぇぞ……」


「分かってる。嫌と言うほど、分かってるさ……」


 今日もまた、レヴィンはつるはし片手に壁を削り、鉱石や石炭目当てに迷宮へ来ていた。

 ――そう。今日も、である。


 レヴィン達の格好は、探索者らしからぬ作業服姿だった。

 しかもその上を脱ぎ、薄手の肌着一つで、身体中に汗を掻いている。


 それも全て、鉱石目当てに『炭鉱』へ通い詰めているからだった。

 肌は土と埃、時折石炭が出す黒い炭が原因で、すっかり黒くなっている。


 行き来するだけでも膨大な時間を擁するので、寝泊まりすら『炭鉱』の中だ。

 アイナ達とは別行動で、彼女らは彼女らで、地上にて金策に走っている。

 全ては、その金がないからこそ問題だった。


「くそっ、金が要るとは聞いてたがよ……っ! 貯まるまでの辛抱とはいえ――くそっ! 旅の間より辛い生活、だぜっ!」


 話している間も、互いに決して手を止めない。

 鉱石よりも石炭の方が良い値段で売れるが、採取率は悪かった。


 しかし、良い値段で売れるとはいえ、それは所詮、日銭で暮らす場合に限っての話だ。

 深層探索を目指す者にとって、それは結局、微々たる金額に過ぎなかった。


「食事代に加え、宿泊代も掛かる。いや、俺達は掛かってねぇが、アイナ達には要るだろ。自力で五十階層分攻略する手間考えりゃ、金で解決するのは正解だろうよ。けど、金を稼ぐってこんなにも辛いもんだったか……!?」


「もう何日、帰ってない? 陽の光が恋しいよ……」


「他の奴らみてぇに、『恩寵』がありゃあな……。そうすりゃ日帰りで出来る仕事だったろうに……」


「それを言うなよ。今更、覆らないことなんだから……」


 ホラーツがあの時、挙動不審になっていたのも当然だ。

 せめて探索様の『恩寵』を、と言っていたのは、こうした場合を想定した言葉でもあったのだろう。


 金を稼ぐのにも、ある程度潜らねばならない。

 そして、二十階層を越えるとなれば、日帰りが出来る距離ではなかった。

 それこそ、到着と同時に帰路につかねば、到底不可能な距離である。


 日帰りが出来ないとなれば、その場に留まり、仕事をするしかない。

 食糧等は『個人空間』に仕舞っておけるから良いとしても、籠もる日数分の食糧を先に買い溜めしておく必要があった。


 その費用も決して安いものではなく、潜るからには、最低限その値段を稼がねばならない。

 そして、鉱石の採取にしろ、常に一定の能率で獲得できるものではなく、当然そこにはムラがあった。


 魔物の乱入で中断させられる事もある。

 レヴィン達にとって、全く相手にならない強さだが、作業を中断させられる苛立ちは強い。

 そして、強いストレス下における余計な苛立ちは、この場合致命的だった。


「気が狂っちまうよ……! 壁、石、魔物! 魔物、石、壁! 一体、いつまでこんな生活、続けなきゃいけない……!?」


「もうすぐさ。もうすぐ、『速達組』へ渡せる金が貯まる。地上で働くロヴィーサ達も、ひと月分の食糧代は稼いでくれているだろう。そうすれば、次の周期でアタックできる……!」


 実は、既に炭鉱夫生活を続けて、はや三ヶ月が経過しようとしていた。

 それまでの間、ユミルに嫌味を言われたのも、一度や二度ではない。

 催促という名の罵倒を受けたことさえあった。


「……あの時、ミレイユ様の蒸し風呂道楽で一月ひとつき使わなくて良かった……。下手すると、あんなアホな理由で、時間切れになった可能性すらあったぞ……!」


「そりゃあ流石に言い過ぎと思うが……。俺達が不甲斐ないせいなのは間違いねぇし」


「そうとも、次の周期で終わらせれば済む話だ。『速達組』が帰って来たと同時に出発してやる。これ以上、長引かせることは許されない。確実に終わらせるんだ……!」


「そりゃあ狙いたい所だがよ、若……。五十階層以降の構成なんて、俺達ろくに知らねぇじゃねぇか。急ぐ余り、そこが疎かにならないようにしねぇとな」


 レヴィンはヨエルに顔を向けて、力強く頷いた。

 それは淵魔が相手だとしても、共通している部分だ。

 例えば、仲間の危機を助けるため、周囲の状況も省みず、突っ込むような真似はしない。


 どれほど窮地で、どれほど急ぐ様な状況でも、皮一枚分の警戒心は常に用意しておくものだ。

 レヴィンはそれを良く知っている。


「大丈夫、不甲斐ない真似は見せないさ。それに、残りは一応、七ヶ月程度は残っているんだ。これの失敗は、決して致命的ってわけでもない。命あっての物種でもある。命を引き換えにして先を急ぐ程じゃないだろう」


「了解だ、若。だがとりあえず、まずは残り三日、石稼ぎせにゃならんな……」


 その一言で、レヴィンの熱く滾っていた熱意が鎮火した。

 そうして止まっていた手を振り上げ、力強くつるはしを振りおろした。

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