迷宮探索の苦難 その1

 翌日、ギルドに顔を出すと、不平不満を言う探索者達で、建物内は溢れて返っていた。

 予定にない完全封鎖だから、日銭を稼いで日々を暮らす者達にとって、死活問題となっている。


 しかし、それをギルドに文句を言われても、対処できる筈がない。

 運営しているのはあくまでヤロヴクトルの迷宮側であって、ギルドが管理しているのは探索者の方だ。


 探索者同士のトラブルや探索中の事故など、あくまでそこへ挑む者達をサポートする為の組織であり、唐突な迷宮封鎖を解除する権限などない。

 迷宮側から、詳しく説明されているかも怪しいものだった。


 レヴィン達はギルドの入口に入って、辟易とした息を吐いた。

 足を踏み入れはしたものの、受付には獣人がごった返していて、近付ける雰囲気ではなかった。


 あの人だかりの中を押し入って、自分達の我を通すわけにも行かず、仕方なくギルドを後にした。

 建物から離れた路地の端で、腕を組みながら入口を見やる。


「どうしたものかね……?」


「とりあえず、ほとぼりが冷めるのを待つしかないのでは……。迷宮が開放されない限り、あの手の輩はそう簡単に引っ込んだりしませんよ」


 冷ややかな瞳を向けて、ロヴィーサが蔑みにも似た声を落とす。

 ヨエルにもこれには同意したが、彼女とは違い、少し同情的だった。


「そうは言っても、奴らにとっては飯の種だ。普通は稼ぎの一部を貯金に回しとくモンだが、それが出来ねぇ奴もいる。文句の捌け口だって必要だろうぜ」


「……本来は、四十二日周期で来る、という認識だからこそ、ですかね? その時には備えるけど、そうじゃないなら好きに使う、とか……」


 アイナが可愛らしく首を傾げ、小さな鼻をヒクヒクと動かす。

 ロヴィーサがそれに相貌を崩して、毛並みの良い頭を優しく撫でた。


「まぁ、そういう事なんだろうなぁ……。それに、何も日銭稼ぎの奴ばかりって、わけでもなさそうだ。農家……って言うのは、こっちじゃちょっと違うんだろうが、とにかく農家だって困るんだろ。それこそ毎日荷卸ししなきゃ、都市の台所事情だって影響が出る」


「そうですよね……。そういうの、毎日採取できる前提で、納品数とか決まってそうなものですし……」


「やっぱ、考え無しに階層をぶち抜くのが拙かったよなぁ……」


 ヨエルが熊の巨体を震わせて、大きく溜め息をついた。

 しかし、レヴィンにとって、それは看過できる台詞ではなかった。


「あれは元々、ヤロヴクトル様の挑発が原因だろう。素直に協力してれば……いや、もっと早い段階で、俺達だけにやり直させて、最下層まで来いとか言っておけば、ここまで大事にはならなかった」


「まぁ、そうよなぁ……。喧嘩売る相手、明らかに間違えてたもんなぁ……。というか、あれで口説いてたつもりなんだろ? 尚更、同情の余地はねぇが……」


「でも、ここで暮らす人達には同情しますよ。明らかに、とばっちりですもん」


 アイナが見せた苦り切った表情に、誰もが同意する。

 その時、横合いから聞き覚えのある声が、跳ねる様な気軽さで掛かってきた。


「どうも、皆さん。おはようさんでございやす。ホラーツです」


 顔を向けると、猿顔に満面の笑を浮かべた男がいて、隣には言葉少ないボッテンが、豚の太鼓腹を震わせて礼をした。


「あぁ、おはよう。何か分かったか?」


「えぇえぇ、色々と。今回の騒動、どうやらヤロヴクトル様が何かしたらしい、というのが真相みたいスな」


「そう……なのか?」


 真実を知っているレヴィン達としては、何とも反応し辛い。

 完全な間違いではないものの、その通り、と素直に追従できないところがある。

 レヴィンの困り顔を見たホラーツは、得意満面な笑顔で楽し気に続けた。


「どうもその時、深層にいた連中には、ヤロヴクトル様の声が聞こえていたらしいス。誰か個人に語り掛け、挑発しているようだった、と……」


「へ、へぇ……。誰を相手に?」


「それがまぁ、馬鹿みたいな話で」


 それまでの笑顔から一転、ホラーツは肩を竦めて腕を組み、難しそうに顔を顰めた。


大神レジスクラディス様がどうの、と言ってたらしいス。こんな所に、そんな雲上の方が来る筈ないじゃないスか。……ねぇ?」


「あ、あぁ……。そりゃあ、そうだ! それが当然の反応ってものだな! ただ……、あぁー……皆して、そう思ってるのか?」


 何しろ、ミレイユが――大神レジスクラディスがこの世界、この時間に、二柱いる事実は極秘中の極秘だ。

 それが当時、迷宮に突入していた全員に聞かれていたのだから、実は結構な大事件である。


 あれが切っ掛けで、実時間のミレイユに知られたしまったら、目も当てられない。

 そう思って慎重に訊いてみたのだが、ホラーツには笑い飛ばされた。


「そんな訳ないじゃないスか! どうせ魔王に対抗した、別の誰かのごっこ遊びでしょうよ! 過去に大神レジスクラディス様が訪れたなんて話、一回もないんスよ? ただの一回も!」


「そう、そうだよな……。居る筈がない、ハハハ……!」


「どうしたんスか、兄さん。何か挙動が不審ですぜ」


「――いや! もしかして、本当に来てるのかと、そう思ってしまっただけだ」


「何スか、兄さんも初心うぶスな! 来てる訳ねぇスって! 本当に来てたら俺ぁ、裸一つで迷宮に潜ってみせますよ!」


 迂闊な発言はしない方が身のためだぞ、と言いそうになって、レヴィンは乾いた笑みを漏らすに留めた。

 そして、きっとホラーツの様な反応が、この都市では普通の感性というものだろう。


 レヴィンでさえ、自分の領都に大神レジスクラディス様が来てる、などと言われても、まずホラ話として受け取る。

 正しく信者の数が多いユーカード領でさえ、そうした反応になるのだ。

 それより遥かに現実味のない話として、彼らは受け取るのも当然という気がした。


「けど、まぁ……。どういう訳か、大穴が空いたのは事実みたいスし、ごっこ遊びにしろ色々規格外なのは確かスな」


「それは、そうだな……。何とも物騒な話だが……」


「ちっと恐ろしい話スよ」


「しかし、なんだ……。こういうのって……、よくある事なのか?」


 分かっていながら、敢えてトボけた質問を飛ばす。

 そして予想通り、ホラーツは笑い飛ばして手を振った。


「ある訳ねぇス! 多分、前代未聞じゃないスかね? こりゃ参った、って感じスけど、まぁ……これ以上は考えても無駄スな」


「そうか……。そうだな、深く考えても仕方がない。それより、いつから再開されるか、そっちの方がずっと大事だ」


 丁度水を向けられる形になったので、ありがたくそれに乗っかり、自分達の目的へと誘導する。

 実際、今日の目的としては、せめて探索者登録を終わらせることだった。


 探索開始は早くとも三日後だろう、という予想だったので、そこは早々に諦めていた。

 しかし、最初の一歩すら踏み出せないのは、精神的に苛立ちを覚えてしまう。


「あぁ、再開なら結構すぐみたいスよ。特に生産、採取区画の開放は最優先だそうで。その辺は、まぁ……言ってしまえば壁に穴が空いてるだけスし……何より、五十層以降全ては封鎖されたままらしいんで……。それで多少攻略に役立っても、あまり意味ないって感じスからね」


「じゃあ事実上、今期の攻略は不可能……ってことか?」


「そうスね。今期も残り十日程度、噂じゃ調子良く進んで、八十層まで到達した奴もいたらしいスが……。閉鎖がなくとも残り日数的にギリギリなんで、まぁ……諦め入ってるんじゃないスかね?」


 最下層に到達することは紛れもなく名誉で、単に願いを叶えられる以上の価値がある。

 一年に一度も達成者が出ないこともある程だから、その難易度も推し量れるだろう。


 調子よく進めていたパーティがあったなら、確かな手応えを感じていただろうに、その徒労感も大きなものに違いなかった。


「そいつらにとっては災難だったな……。でも、それなら混乱は早く解決しそうだ」


「……ッスね。最下層を目指せるパーティなんて幾らもないんで、そいつらにとっては腹立たしいでしょうが。まぁ、皆さんなら、どおって事ないスよ!」


「そうだな、まずは迷宮に慣れる所からか。何より日銭を稼げる様にならないと……。迷宮内で稼ぎの良い所って、どこになる?」


 幾つか候補は絞られるだろうが、迷宮初心者にとって悩ましい話になりそうだった。

 しかし、ホラーツは逡巡する素振りすら見せず即答した。


「そりゃあ儲けを期待するなら、『炭鉱』に行くのが一番でさ。石炭なんてまず確実に売れますし、鉄鉱石だってまぁそこそこ……。安く買い叩かれやすが、値崩れもしねぇんで。数が掘れるなら、まず確実な儲け先スよ。強い敵も出ないスしね」


「ほぉ……、なるほど。しかし、『炭鉱』って四十階層とかじゃなかったか?」


「お、流石にそこはご存知で? まぁ、ちと潜る必要はありやすが、三十まではまず安心して潜れますよ。とりあえず、パーティに一人ずつ『転移』と『脱出』の恩寵を受けておいて、『分析』と『地図』があれば、なお簡単に行き来できやす」


「魅力的なプランだが……」


 レヴィンは困り笑顔で頷いた後、肩を竦めて首を振る。


「俺達は『恩寵』を使えないんだ。行って帰って来ること考えると、四十階層はいかにも遠い……」


「え、いや……でも……」


 ホラーツはまるで初めて聞いたかの様に動揺し、視線をレヴィン以外――ヨエルやアイナへと向ける。


「え、全員スか? 戦闘用の『恩寵』だけでなく、探索も含めて何もかも使わないんスか?」


「そうだ」


「そりゃ無茶ッスよ! 前代未聞じゃ到底きかない! せめて探索系だけはないと、それこそどうやって行き来するんスか! ……なぁ、ボッテン!?」


「……ブヒ」


 ホラーツは殆ど恐慌状態で、額に汗して説得した。

 探索系の『恩寵』がどれだけ優れ、そしてどれだけ助けになることか、よく回る口で説明する。


 そして、その一字一句全てが正論でしかなかった。

 自分が何処にいるのか、そして何処へ向かうべきなのか、それを知るには『地図』がなくては話にならず、『分析』がなければ魔物の強さも分からない。


 戦うべきか逃げるべきか、そして戦うならばどういう戦法が有効か、それを教えてくれるものだし、いざ戦闘になればそれこそ『恩寵』の真骨頂だ。

 ある程度レベルが上がる毎に新たな恩寵を授かれるので、深層挑戦者はそれこそ数え切れない『恩寵』を身に着ける。


 何も付けない場合と比べ、その差は百倍とも二百倍とも言われ、その『恩寵構成』が攻略の鍵を握るのだ。


「腕っぷしの方は、まず置いときましょ。それだけの実力と自負がある、と思っときます。でも、腕っぷしだけじゃ駄目なんス。まず迷宮を攻略! それが出来てこそ、初めて奥へ進めるんスから! 最低でも『地図』くらい……」


「お前の心配は、ありがたいと思うよ。だが、もう決まったことだ」


「それは、あまりに迷宮を舐めすぎスよ……」


 ホラーツに真実を話せるわけがない。

 これは大神レジスクラディスとヤロヴクトルとの代理戦争だ。

 そして、レヴィンはそれに誇りを以て、挑戦しなければならなかった。


 しかし、それを正直に言えるはずもなく、また言っても信じられないだろう。

 だから、精一杯の虚勢を張って、不敵な笑みと共に言い切るしかなかった。


「まさしく、前代未聞だろう? だから挑戦する甲斐がある」

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