守り、守られたもの その3

 案内されるまま廊下を進んだ先の部屋では、既にオミカゲ様が待機していた。

 揃いの一式と聞いていた通り、その服装も皆とよく似通っている。

 特にミレイユとは相似性が高く、並んで立ってようやく違いが分かる程だった。


「おぉ……! よぅ来た、よぅ来た。……うむ、うむ。誰もが、よく似合っているではないか」


「そういうお前は……似合ってない訳じゃないが、違和感が凄いな」


「我と言ったら、和服姿ばかり想起されるが故になぁ。しかし……」


 言い差して、オミカゲ様はミレイユと肩を合わせて横に並ぶ。

 二人は姿形が同じで、その違いは髪色や、その長さぐらいしかない。

 それと知らずに見れば、あるいは双子や姉妹と見られたかもしれなかった。


「うむ、中々良いではないか。どれ……」


 オミカゲ様はスマホを取り出すと、肩を寄せ合うだけでなく、顔まで近付ける。

 腕を伸ばして、フレーム内に二人が収まるよう調整していた所で、ミレイユが距離を取った。

 その表情はあからさまに否定的で、厳しく眉を顰めている。


「何してるんだ、いきなり……。許可なく撮ろうとするな」


「それはすまなんだの。では、改めて……」


 再び肩を寄せ合おうとして、それより前に、ミレイユが待ったを掛けた。


「いや、許可してないだろ。何を当然みたいにしてるんだ。嫌だって言ってるんだ」


「何をそんな心の狭い事を……。別に良いではないか、恥ずかしい姿を撮っている訳でもなし……」


「そうかもしれないが、何か嫌だ。こう……口では上手く言い表せないが、何か嫌だ」


「子供の様なことを言うものよ……」


 やれやれ、とオミカゲ様は首を横に振り、これみよがしに溜め息をついて見せた。

 その仕草に、ミレイユの眉尻がピクリと動く。


「だが、言っておく。我が変顔して写メに撮ったなら……それ即ち! そなたの変顔でもある、という事実をな……!」


「どっちが子供みたいなこと言ってるんだ……」


 ミレイユは額に手を当て、大袈裟に溜め息をついた。


「大体それ、私にダメージ行くように見せかけて、しっかり自分がダメージ負ってるじゃないか。私には女官が、白目剥いて卒倒してる姿こそ、目に浮かぶぞ」


「……まぁ、それは置いておくとして」


「置くな、置いてやるな」


 ミレイユが半眼になって指を突き付けていると、含み笑いにユミルが会話に入ってくる。


「いいじゃない、変顔。アタシ見たいわ。最近のアンタって、どうも顰めっ面ばかりで面白くないし」


「私はいつも真面目なだけだ」


「いや、どうかしら? ただ真面目っていうのも、割と素直に頷けないトコあるけどね」


 そう言って流し目を向けた先にはルチアがいて、その彼女も同意するように幾度か首を縦に振っていた。


「まぁ、ふざけているのか本気なのか、ちょっと判断に迷う時があります」


「――そんな馬鹿話してる場合か? 時間は有限なんだろうが。さっさと行って、さっさと済ますぞ」


「誤魔化した……」


 ぼそりと呟いたルチアの声は、敢えて聞こえない事にしたらしい。

 ミレイユは勝手に先へ進もうとして、途中でピタリと動きを止めた。


「そういえば、正面から出られる筈ないよな……。どこから行くんだ?」


「とりあえず、大社の方へ転移して、そこから改めて移動が良かろうと思っておる。……そうだな、鶴子?」


「それがもっとも現実的でございましょう。オミカゲ様の微行があったと、知られるわけにも参りません」


 高貴な者が身分を隠して、市井を歩く事はままあり、時として美談の様に語られるものだ。

 そうした事を、オミカゲ様が過去にしなかった訳ではない。


 神をより身近に感じられる事に喜び、知っても知らぬ振りをされていたものだ。

 しかし、現代において、同じことをするのは難しい。


 情報は声が聞こえるより早く伝わり、広まり、周知させてしまう。

 大規模な混乱に発展する可能性があるとなれば、秘するしかない、というのが現状の解決策だった。


「それにしても、オミカゲが外の土を踏むなんて、よく許されたものだな。私の時でさえ、御御足おみあしが汚れると、それはもう煩かった程だぞ」


「無論、誰もが諸手で賛成したものではなかった。反対意見も当然、多かったが、それも条件次第というわけでな……」


「あぁ、なるほど……。その条件というのが、そっちにいる鶴子も一緒に来ることか?」


「然様である。交換条件としては非常に緩い。あくまで、周囲を納得させる建て前みたいなものだの」


 鶴子がオミカゲ様の右斜め後ろで、気品のある老淑女の格好をしていたので、そうだろうという気はしていた。

 そして、例外を納得させるだけの条件がお目付け役の追加ならば、むしろ安く事が済んだと言うべきだ。


「まぁ、私から何か言う事でもないか……。お前の暴走が抑えられると思えば、むしろ歓迎すべきだしな」


「散々な言いようだの……」


「さっきの悪ふざけで痛感したんだ。当然だろ……」


 それで、と改めて仕切り直し、ミレイユが周囲を窺う素振りをした。


「転移はそっち任せって事で良いんだよな? そこまで私頼りと言ったら、流石に怒るぞ」


「分かっておる、我に任せよ。最初からそのつもりであったからの。……では、参ろうか」


 胸の上、鎖骨の下辺りをポンと叩いて、オミカゲ様が軽く請け負った。

 そうとなれば、行き先を変更せねばならない。


 転移術は高度な技で、誰でもおいそれと使えるものではなく、現代においても使い手は他にいない。

 しかし、そうであっても宮中で使うには憚られ、その入出現場所は厳格に定められていた。


 ミレイユの世界と『孔』で繋げる際も同様に、同じ宮へ繋げる契約が存在している。

 だからまずは、転移するにはその場所へ移動しなくてはならないのだった。



 ※※※



 転移に使用されるのは、ミレイユもかつて幾度となく使っていた宮だ。

 今では天門宮と名を改め、そこから転移を行った。


 そうして転移した先となるのは、御影日昇大社と呼ばれる、全国に置かれた御影神社の総元締めとなる神社だった。

 観光地としても名高いので、参拝目的のみならず訪れる者も多い。


 そうした者たちと混じってしまえば、ユミルの幻術も相まって、問題なく市井の中に混じる事が出来た。

 祭祀目的で使われ、普段は締め切っている舞殿から出て来たとなれば、多少目がつく所はあるものの、不審に思う者はいない。


 中で待機して待っていた巫女と一緒に出て来たので、何かの関係者か何かと思われたことだろう。


「ここも随分、久しぶりだ……。ルチア、お前も懐かしいんじゃないか?」


「そうですね……。自分の力不足を痛感した場所なので、何とも複雑な気持ちになりますが……でも、えぇ……。懐かしいです」


 ルチアは目を細めて舞殿を振り返り、それから大社全体に向けて顔を巡らせた。

 そこには憧憬だけでなく、哀愁までも仄かに感じている。


 それも当然だろう。

 ここには彼女そのもの――彼女の師匠と言える者と、短くも濃密な時間を過ごした場所だ。


 そうして、ミレイユは自分の言葉に少し配慮が足りなかった、と後悔した。

 ここはルチア以上に、その師匠と濃密な時間を誰より長く過ごした者がいる。

 オミカゲ様へ顔を窺う様にして見ると、そこにはやはり黙祷を捧げる様に、粛々と目を閉じていた。


「いや、すまなかった……。お前にとっては、まだ半年しか経っていない事だったか。喪に服している期間だったか……?」


「神道では、五十日祭を忌明けとするのでな……。そう長く引き摺ってるわけでもないが……。だが、うむ……そう簡単には割り切れぬわな……」


 オミカゲ様にとって、千年もの間、共に生きた掛け替えのない友だった。

 寿命の限界は近く、神宮を襲った変事を共に戦い、そして本来諦めていた未来を見られた。

 彼女にとって、その未来を掴み取った末での老衰は、本望であったろう。


 そうは言っても、オミカゲ様には何の慰めにもならないと、ミレイユにも分かる。

 だから、気軽な話題として出した事を、素直に謝罪を口にした。


「……そういうつもりじゃなかった。互いに流れた時間の差を、もう少し考慮すべきだった……」


「いや、構わぬよ」


 そう言って、オミカゲ様は哀愁を感じさせる笑みを浮かべる。


「我は常に見送る者なのだ。この千年、親しくし、別れがたいと思った者達と、幾度となく見送ってきた。その内の一つに、一千華も加わっただけのこと……」


「そうだな……、神に寿命はないからな……。その信仰が途絶えるまで、誰より長く、誰より多く看取る事になるんだろう」


「他人事の様に言うものよ。そなたとて、既に数百年生きておるなら、看取った数も相応に多いであろうが?」


 ミレイユは曖昧に頷いて、口の端に力を入れた。


「……あぁ、別れを惜しむ者と別れる経験を何度もした。回数が増す毎に、置いていかれる気がしていた。これは、慣れるものなのだろうか……」


「慣れぬであろうな……」


 オミカゲ様は寂し気な笑みを浮かべて空を見上げ、それから周囲を見やる。

 神社はその多くが高台に作られ、大社もまた例外ではなかった。

 眼下には多くの町並みが――近代的な変貌を遂げた町並みがある。


「変わらぬものなどない。五十年も経てば、元のままの物など、まずないものよ。あらゆるものは変貌し、変遷するのであろうが……」


 途中で言葉を切り、両手の指を組み合わせた自分の手を見る。


「我だけは、変わらぬものとして在り続ける。その事実がな、どうやら……多くの者は安心するものであるらしい」


「安心……」


「我を通じて不変を見る。何一つ変わらない存在があることは、心の拠り所となるようだ。そして、だから我はそうあるべきとも思っておる」


 そうして、慈愛の瞳を鶴子へと向けた。

 鶴子は恐縮と光栄、喜びと感謝を胸に頭を下げる。


「死して行くとしても、己を忘れないでいてくれる者が、ここにおるわけじゃ。それが救いとも感じよう」


「しかし、辛くないか。置いていかれるばかりで、親しくするほど失っていく時の重みは辛いだろう」


「いいや、失うばかりでないからの。我が可愛い子らがおる。重なる喪失ばかりでなく、新しき出会いも多くある。鶴子の母とも別れ難く思ったものだが、鶴子の出会いが我の心を温めてくれた。そうした出会いは幾つもあるものだ」


 そう言って、オミカゲ様は晴れやかに笑った。

 皺の目立つ鶴子の顔がくしゃりと歪み、その瞳から涙が溢れる。

 オミカゲ様はその肩を労わる様に撫で、それからミレイユへ哀しみを呑み込んだ笑顔を向けた。


「そなたにも、そうした出会いはきっとあるだろう。辛いと感じるのは当然……されど、それ以上の幸いがある事を祈る」

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