守り、守られたもの その2

 ミレイユが自室として割り当てられた神処へ戻ると、複数の女官が今や遅しと待ち構えていた。

 咲桜を先頭として、何やら物々しい雰囲気を発している。


「どうしたんだ、一体……」


「どうしたではございません、御子神様。みな、お召替えの手伝いをせんと、こうして控えておりましたのに……。一向に御姿をお見せになって頂けませんので、焦りを覚えていた所でございます」


「焦り……? なぜ焦る必要がある。着替えなんていらない。ユミルの幻術でカバーして貰う予定だ」


 そもそもオミカゲ様を引き連れる時点で、露見や発覚は、必ず避けなければならないことだ。

 その点において、ユミルの幻術頼りだったのは、最初から周知されている事実だった。


「無論、そうした対策がある前提なのは理解しております。しかし、幻術では万が一の事態が起こり得るもの……。その時に、周囲から浮かない格好をしていた方が、より安全だと愚考した次第です」


「分かる話だが……」


 咲桜が言う通り、幻術は万能ではない。

 見破ろうと気を張っている相手には、簡単に見つけられてしまう。


 だが、逆を言うと、こんな所に居るはずがないと思いこんでいれば、どこまでも見つける事が出来ないのだ。

 そして、オミカゲ様の存在は、多くの場合こんな所にいるはずがない、と思われている。


「発覚の恐れは、それこそ万が一にもあり得いと思うんだよな……」


「その万が一を想定し、対処しようと考えるのが、我々の役目でございますれば。どうか、お召替えを……」


「まぁ、一理あるか……。事前に情報が漏れているとも思えないが、お前たちの立場からすると、警戒しない訳にもいかないだろうし……」


「まこと、仰る通り……。ご慧眼でございます」


 咲桜が一礼すると、控えていた女官たちも揃って礼をする。

 ミレイユは素直に諦め、嘆息と共に別室へ歩き出した。


「仕方ない、さっさと済ませるか。手早く頼むぞ」


「無論でございます。神を待たせるなど、あってはならないこと……。全てこちらにお任せください」


 一礼と共にミレイユの後ろを女官たちが続き、アヴェリンもまた護衛の任を果たすべく付いて行く。

 それを端から見ていたユミルが、隣にいるルチアへ面白そうに呟いた。


「慣れって怖いわね。昔のあのコなら、もっと抵抗してそうなもんだけど」


「そりゃあ慣れもするでしょう。あちらで過ごしている時だって、エルフが着替えのみならず、全て手伝おうとするんですから」


 神へ直接触れられること、直接声を掛けられ、直接奉仕できることは、信徒にとって喜びだ。

 特にエルフはその特権を許された一族として、非常に高い誇りとしている。


 長く生きる種族だから代替わりも殆どなく、常に一定の顔ぶれなのが、ミレイユに採用された要因だろう。

 惜しむ別れを先延ばしにしたいから、傍に置くのはエルフばかりだと、ユミルなどは考えている。


「神ともなれば、まぁ……そう自由にはならないわよね」


「神処の中でくらい、しっかり神様の振る舞い、してくれませんと。他に示しが付かないってもんですよ。ただでさえ、外に出れば一市民ってフリしてるの、気に食わないらしいですから」


「あぁ……、ちょっと聞いたコトあるわ。アタシからも厳しく言ってくれ、って頼まれたような……」


「私にはもっと頻繁に来ますよ。同じエルフだから、この気持ち分かりますよねってていなんですよね。神なら余計好きなことさせろっていう、ミレイさんの言い分は、実際ちょっと無理かなって思いますよ……」


 何しろ、種族の誇りに関わる問題だ。

 エルフの信仰心は高まるに高まり、大神という肩書もあって、至上の存在として崇められている。

 だが同時に、ミレイユが住まう森には、エルフだけが住んでいるわけではない。


 多種多様、多くの人種が同時に住んでいるわけで、神への敬意の示し方、その接し方にも違いがあった。

 エルフが異常に気にする一方、常に気安い隣人として接する種族もある。


 誰もが等しく敬い、頭を垂れるべき、とするエルフの方が森の中では少数意見だ。

 それでも、その声が握り潰されないのは、ミレイユ本人が強く咎めないのと、その世話を一手に引き受けているのがエルフからだった。


「……ま、本気で変えたいなら、とっくに変えてるでしょ。エルフに対して義理立てとか、気遣いしてやってるとか無いと思うし。本格的な対立が起きないのも、あのコが宥めているからだしね」


「そうですねぇ……。でも、本格的に是正しようとしないのも、面倒だからって理由じゃないんですか? 上から押さえつけて言うこと聞かせようってしないタイプですし、色々と手回しするぐらいなら、今のままでいいや、みたいな……」


「言っても、所詮は着替えやら何やら、身の回りを甲斐甲斐しく世話されるってだけだからねぇ……。次々やるコト追加されて、今じゃ入浴だって自分で出来なくなってるけど、その辺どう思ってるのかしら?」


「嫌なら断るでしょう。結局、一度許したらし崩しになったとか、案外快適で止められなくなった、とかじゃないですか……?」


 待っている間、二人はやる事がない。

 だから、意味もない会話を、取り留めもなく続けていた。

 そうすると、横合いから別の女官から声が掛かる。


「どうぞ、神使の方々も、お召替えをお願い致します」


「……あら、アタシたちも?」


「はい、揃いの格好をしたいと、オミカゲ様が仰せです」


「なんとまぁ……、随分と少女趣味なコト言うもんだわ」


 口では面倒臭そうな言い方だが、その実、受け入れる準備は出来ている。

 ユミル自身、異世界暮らしの格好が許容されると思っていなかった。


 あるいは、着替え事態は提案されるかもしれない、と想定すらしていた。

 だから、互いにその提案自体は簡単に飲み込む。


「ま、いいです。突飛な格好にはならないでしょうから。……言っときますけど、私達は自分で着替えますからね」


「畏まりました」


 粛々と礼をした女官だったが、その声には幾らか悔しげな音が混じっていた。



 ※※※



 小一時間ほど経過し、全員が元の部屋へ再集合した。

 部屋へ戻って来たユミル達と、鉢合わせる形でミレイユも準備を終え、何とも言えぬ表情でスカートの裾を弄っている。


 全員揃いの格好を、といっても、本当に同じ服装をしている訳ではなかった。

 それぞれに細かな違いはあり、使っている色や、小物などで特色が現れている。


 ブレザーとブリーツスカートが基本で、首元がボウタイかフリルになっているブラウスとで、種類が別れる。

 そこにそれぞれ、スカーフや帽子、金具のベルトの有無などが合わさり、似た格好でも、まったく別の印象を与えていた。


「オミカゲサマから揃いのって言われた時点で、振り袖でも用意されてるかと思ったんだけど……。これならまぁ、及第点でしょう」


「そうか……? 目立たない格好って言うなら、ジャージでも着させろって言いたいぐらいだ……」


「――御子神様」


 心許ない心境でスカートを摘んでいたミレイユは、恐ろしく冷たい声音に動きを止めた。

 視線を向けると、そこにはやはり、冷たい眼差しの咲桜が一直線に見つめている。


「簡素な格好と申されても、オミカゲ様や御子神様が市井の格好をすれば、そのご気品を隠せるものではございません。それでしたら、良家の子女と思しき格好をされた方が、結果として良いという考えで、ご提案させて頂きましたものです」


「あぁ……、アイツが考えたにしては、やけに素直な格好だと思った。そうか、この服装を選定したのは、お前だったか」


「履物は別途、ロングブーツを考えておりました。一通りサイズは揃っておりますので、あとでご確認ください」


 ふぅん、と気のない返事をして、ミレイユはルチアから順に皆の姿を収めていく。

 一頻ひとしきり眺めて満足すると、腕を組んで幾度か頷いた。


「皆、よく似合うな。……いや待て、アヴェリンだけはパンツスタイルじゃないか。それがあるなら、私だってそっちの方がいい……」


「なりません」


 ミレイユの提案は、断固とした主張で否定された。


「アヴェリン様は護衛の任がございますので、そちらを優先した格好となっております。しかし、御子神様は違います。心ゆくまでお楽しみ頂く為にも、どうかそのままで」


「いや、でも……」


「なりません」


 取り付く島もなく、咲桜は頑として譲らない。

 それでミレイユは、助けを求めるようにアヴェリンへと顔を向けた。

 だが、こちらからも無言で顔を横に振られてしまい、味方はいないのだと察した。


 ユミルは言うに及ばず、ルチアもこういう時は味方してくれないと分かっている。

 それで渋々、首を縦に振って、髪を乱暴に掻こうとした。


「――御子神様。御髪おぐしが乱れます。振る舞いには気を付けて下さいませ」


「いや、だって幻術かけるんだろ? 良いじゃないか、どうせ周りからは……」


「なりません。なりませんったら、なりません」


 今日の咲桜は、やけに圧が強い。

 断固たる意志は、神であるミレイユでさえ圧倒し、思わず言うことを聞かねばならない気持ちにさせた。


 眉を八の字にさせて肩を落とし、頭から手を離して素直に従う。

 咲桜は上から下までミレイユを見つめ、頬に手を当て、熱っぽい息を吐いた。


「これならば、きっとオミカゲ様も満足なされるでしょう。今や遅しと待っておられるやもしれません。さぁ、早速、参りましょう」

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