守り、守られたもの その1

 オミカゲ様を外へ連れ出すと約束してから数日が経ち、遂にその日がやって来た。


 ミレイユはそのオミカゲ様が、昨日の内から妙にそわそわして、落ち着かない様子だったのを思い出していた。

 そんな調子で今日一日無事に過ごせるのか、とミレイユは今更ながら不安に思い始めている。


 昼より前から出発して、現地で食事を済ませてから、あちこち見回る計画となっていた。

 それまでまだ時間があるので、ミレイユは現在、アヴェリンを伴に連れて道場の方へ足を運んでいる最中だった。


 道場には鯉の棲む池と、立派な中庭を擁しており、その縁側で景色を眺められる造りになっている。

 その縁側は現在、全て開け放たれており、中の熱気や剣栽、怒号にも似た掛け声が響き渡っていた。


 ミレイユはアヴェリンと自分に隠蔽魔術を掛け、縁側付近へ辿り着くと、座ることはせず、道場の様子を窺う。

 レヴィンたち三人が中心近くに配置され、それを代わる代わる、現役の隊士達が立ち会っては揉んでいた。


「中々、見られる形になってるじゃないか。レヴィン達も力の扱い方に慣れてきたようだ」


「持て余していたものを最適化させてきた、という状態でしょう。非常に歪ですが、過程を考えれば已む無しかと。戦いを通して磨かれるべきものが、無理にこじ開けられた弊害でしょう」


 うん、とミレイユは言葉少なく頷く。

 相手の力量を読める実力者であれば、その歪さは嫌でも目に付くものだ。

 そして、レヴィン達自身も、それを良く理解していた事だろう。


 元より討滅士として高い力量を持ち、そして武術の基礎課程もとうに卒業している彼らだから、一度コツを掴めばその成長も目覚ましい。

 最初に聞いた報告では、ほぼ勝負にならなかったという体たらくも、今ではそれも既に見えなくなっている。


 一合、二合と打ち合う程度が限界で、良い勝負が出来るのは精々そこまで、と聞いていた。

 しかし、たった数日で、もはやレヴィン達が勝ち越しすらしている状況だ。


「誰もがあぁした変貌を遂げられるなら、確かに『鍵』の強化は素晴らしく思えるだろう。だが……、誰にでも試すものではないだろうな」


「なりませんか」


 ミレイユは個人空間に仕舞っていた『鍵』を取り出し、アヴェリンへ見せつける様に指先で弄んだ。


「そこにも一種の才能……篩が掛かる。あの三人は運が良かった。……ほら、よくあるだろう、力に呑まれる、なんてものが」


「あぁ……、確かに。ございますね」


「突然与えられた力は、万能感を引き起こす。その上で、謙虚にい続けられる奴は稀だ。事前に謙虚でいられない程の力量差を、感じられるだけの出会いがあったなら別だが」


 そう言って微かな笑みを浮かべると、アヴェリンは得心がいった顔で頷く。


「……確かに、それは運が良かったかもしれません。とはいえ、彼らの性格による所は、やはり大きいでしょう。増長満になれる者は、どこにだっているものです」


「それも確かに……、頷ける話だ」


 ミレイユは弄んでいた『鍵』を懐に――そう見える仕草で個人空間に戻し、改めて道場内へと目を向けた。

 そこでは、レヴィンと相対するアキラの姿が見える。


「……懐かしい顔だ。アイツ、あんなに幼い顔立ちだったか?」


「今より少し若い時分は、女に間違えられる程でしたよ。年を取ると精悍さが増したので、ミレイ様の記憶には、そちらが焼き付いているのやもしれません」


「そうだな……」


 アキラはこれより半年後、神宮事変戦勝祝賀会を期に、異世界へ渡る。

 そうして、生涯をその世界で過ごした。


 彼を慕う女性達と共に大陸の外へと旅立ち、数多の冒険の末、一匹の淵魔と遭遇する。

 当時はまだ淵魔に対する知恵もなく、特異な魔物を討伐した、という認識でしかなかった。


 しかし、その遭遇、その討伐こそが彼の生涯を決定付けた、と言っても良いだろう。

 その増殖傾向、特異な捕食行動が知られてきて、それの本質がどういうものか、ミレイユにもようやく理解できた時には、既に手遅れだった。


 根本を潰さない限り、永遠に終わらない戦いだと察知して、その根を叩く者と表に出る淵魔と戦う者と分ける必要を感じた。

 その際、声を上げて志願したのがアキラだ。


 彼の志と誠意を受け取り、それを任せた。

 アキラの一生を通じても終わらないことは、その時既に理解していた。

 だから退け、という言葉は、しかし彼を諦めさせるには至らなかった。


 子を成して役目を継がせる、という話が起こり、では誰を嫁にするのか、という話が起こるのも当然で――。

 揉めに揉めた結果、全員を娶れと、ミレイユが命じた。


 日本名は異世界では通じが悪く、いつの間にやら呼び名に変化が起きていたのは御愛嬌だろう。

 それこそが、ユーカード家、名前の由来と興りである。


「新旧ユーカード対決か。本来なら、絶対実現しないカードだな。今のところ、アキラ有利に見えるが……」


「アキラはトンビ、レヴィンは鷹です。その才能には大きな隔たりがあります。しかし……」


 眼の前で起きている光景は、常にアキラが優勢だった。

 歳の頃は二人とも大きく変わりなく、使っている武器も同じ。

 優劣の差は戦闘技術と、魔力制御、そして刻印利用の巧みさに出ていた。


「そうか……。レヴィンの方が、魔力制御に難があるな。しかも、扱い切れない総量に振り回されている。あれでは返ってやり難いだろう」


じゅう持っている内、さん利用できていれば良い方です。反してアキラは総量において劣りながら、十持つものを十全に扱えている訳なので、当然その開きで差が生まれます」


「それが外から見た実力と、実際に現れる勝敗の差か……。刻印の『年輪』を、ここぞという時に使うタイミングも、アキラの方が上手い様だ」


 あれは盾として扱うべき魔術だが、己のミスを肩代わりさせるのではなく、攻撃のタイミングに被せるのがアキラの使い方だ。

 それはどうやらレヴィンも同じ考えらしいが、アキラの場合と明確に違うのは、効果が切れていても突っ込む所だろう。


 淵魔との戦いは、手傷を負わないことを前提とした戦いだ。

 傷を負っても最終的に勝てば良い、という現在の戦法とは相容れない。

 その妙に噛み合わない部分で、レヴィンは後手に回されているのだ。


「より防御に徹した戦い方にシフトするとのは、これよりもっと後の話か。自爆覚悟と思わせる、鬼の様な力押しは、レヴィンにはやり辛いだろうな」


「ですが、あの攻めを覚えれば、レヴィンは一皮むけるかもしれません。……実直に学び取れれば、の話ですが……」


「よく見ると、武器の構えも振り方も、まるで鏡写し……。学ぶつもりがあるなら、取り入れるだろうさ。しかし……」


 ミレイユは矯めつ眇めつして、双方の動きから、手にした武器に移った。


「それにしても、レヴィンの代まであの武器が伝わってるんだな。不壊の付与がされてるとはいえ、それほど上等な刀でもないんだが……」


「ミレイ様より賜った武器です。家宝として、代々受け継ぐのは当然の事。アキラもその程、よく弁えています」


 アキラに与えた武器だから、アキラが持つに相応しいと、ついミレイユは思ってしまう。

 勿論、代々受け継がれていることに不満などない。

 ただ、予期せぬ事態から、こうして再び出会えた事で気持ちが揺れ動いてしまっただけだった。


「……感傷か」


「ミレイ様?」


 顔を覗き込む様に腰を曲げたアヴェリンへ、何でもない、と手を振った。


「見知らぬ相手ならともかく、アキラは私達に近すぎる。会って話すリスクを考えたら、このまま素知らぬ振りを通す方が良いだろう」


「……然様ですね」


「お前だけでも会っていくか?」


「……は?」


 言わんとした意味が分からず、アヴェリンにしては珍しく、言葉を失って見返していた。


「半年後の打ち合わせに、少し顔を出して来た、とか……。それらしい言い訳をすれば、アイツには通じるだろう」


「しかし、先程リスクの話をしたばかりでは?」


「……まぁ、戯れだ。二言、三言なら許されるだろうとな。急ぎの用がある、半年後にまたゆっくり、とか言えば不審にも思われない。……実際、その時改めて話していた気がするしな」


 ミレイユの提案に、アヴェリンは少し心を揺り動かされたみたいだが、結局首を縦に振ることはなかった。


「折角のお誘いですが、遠慮しておきます。気の利いた言葉を掛けられる気がしませんし、ユミルに知られると面倒です。……それに、既に見送りは済んでおります」


「そうだな……、そうだった」


 アヴェリンは寿命を廃、身命を賭してミレイユに仕えると誓った。

 その時から、彼女は常に見送る側の人間になった。


 アキラの葬儀にも参加している。

 涙を流す訳でもなく、ただ鎮痛な面持ちで目を伏し、花束を供えたものだった。

 凍り付き、蓋していた記憶が、まざまざと蘇ってくるのを、ミレイユは今等感じていた。


 それこそ正に、感傷だった。

 ミレイユは細い息を一つ吐くと、踵を返して中庭を離れる。


「昼前には出発だな……。こちらも、そろそろ支度を済ませてしまおう……」

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