その後に備えて その8

 道場に通う様になって、数日が経過した。


 レヴィンは既に言うまでもなく、基礎的な技術は勿論、相応の応用技術までしっかり備わっている。

 だから、今更懇切丁寧に、隊士達から教わることはなかった。


 実戦の中で磨き、矯正し、その都度、練度を少しずつ高めていく。

 実に地味で、胆力の要る鍛錬法だった。


 それはヨエル達にしても同様で、ここの所いつも悲鳴を上げている。

 刻印に頼らない戦闘は実力を底上げしてくれるが、同時にどこまでも辛い。


 勝つ回数より、負ける回数の方がずっと多いのも、精神的な負担となっていた。

 敗北は、己の無力を痛感させられ、否が応でもその事実を突き付けられる。


 しかし、それを糧に出来なければ、成長は望めない。

 強者だと思っていた自分を見つめ直す、良い機会だと思わねばならなかった。


 何しろ、レヴィン達の目的は、アルケスの打倒だ。

 そして、アルケスと対峙するとなれば、淵魔と――より強力な混合体ミクストラと戦う前提は間違いない。


 前回、レヴィン達は神使の影に隠れ、その神使らに護られながら戦う事くらいしか出来なかった。

 同じ轍を踏む訳にはいかない――。

 その思いが、今レヴィン達の原動力になっていた。


「とはいえ……」


 傷だらけになった身体を、アイナに癒やして貰いながら、荒く息を吐く。

 道場にいるつわものどもは、その全てが精兵だとは理解していた。


 しかし、少々度が過ぎている。

 道場に毎日通って分かったことだが、その顔ぶれは毎日違っていた。


 日を追う毎にレヴィン達は成長を感じていたが、同時に相手となる戦士たちも、その成長に応じた相手を当てられている。


 また、相手には休息があるのに、レヴィン達には基本与えられていないのも、敗北を重ねる要因となっている。

 その中にあって、治療が必要な傷を受けた時のみ、途中でも身体を休める事が許されていた。


「あの、レヴィンさん、大丈夫ですか……?」


「……キツイよ。間違いなくキツイけど、実感もしてる。間違いなく強くなってるし、その為に大神レジスクラディス様が用意してくれたものだ。何の不満もない」


 まるで、自分に言い聞かせているかのような台詞だった。

 それは一面の真理でもある。


 そう思わねばやってられない、という思い。

 そして、そう思うからこそやり遂げよう、という思いでせめぎ合っていた。


「……何にしても、アイナの治癒術には、いつも助けられてるな。ありがたい」


「いえ……! 私の身にもなる事ですから。レヴィンさん達を見てると、もっと自分も頑張ろうって気になります」


 健気な献身を感じさせる台詞と共に、治癒を終えてアイナは去っていく。

 その背を見送っていると、レヴィンへもまた数多の視線が突き刺さるのを感じていた。


 アイナに治癒を受ける時には良くあることで、彼女の人気が他の男たちから敵愾心を買ってしまうらしい。

 敢えて気付かない振りをして、レヴィンは息を整えながら開始線の前に立つ。


 そうすると、幾らもせずに次の対戦相手がやって来た。

 今度の相手も、やはりここ数字の間で、見覚えのない顔だった。

 だが、ひと目見て、すぐに直感が働いた。


 ――強い。

 だが同時に、拭いきれない違和感も一緒に感じていた。


 レヴィン達が強くなる毎に、対戦相手の質も上がる。

 だから、眼の前の人物が初見で、かつ強者であるのは不思議でも何でもない。


 しっかりと鍛え抜かれた身体に、精悍ながらも女にも見える優男。

 乱れのない魔力制御は見事の一言で、これまで戦ってきた誰より強いと思わせる。


 立ち姿から、レヴィンはそれがすぐに理解出来た。

 しかし、気になる違和感は、決してそういうものではなかった。


「……どこかで遭ったか?」


「いえ、初めてだと思いますけど」


 顔だけでなく、声まで中性的な男だった。

 その男が、緊張感もなく、きょとんとした仕草で見つめ返す。


 真剣を使うとはいえ、練習試合と思っているからだろうか。

 そこに一切の気負いがなく、どこまでも自然体の姿で立っている。


 レヴィンが何処までも真剣なのが馬鹿らしくなるぐらい、眼の前の男は気楽に見えていた。

 このまま買い物に行くつもり、と言い出しても不思議ではない雰囲気がある。


 ――だが。

 一礼した後、腰に佩いたカタナの柄を握った瞬間、その雰囲気が消し飛ぶ。

 それまでの安穏とした気配は鳴りを潜め、次にその目はレヴィンを殺す気配を纏っていた。


 余りのギャップに、眼の前の男が誰かと入れ替わったかと疑ったほどだ。

 ――先に動かねばやられる!

 レヴィンは一瞬にして理解し、後の先を取るなど考えなかった。


「ウォォォオオオ!!」


 先にやらねば、殺される。

 レヴィンは本気でそう思った。


 その思いに突き動かされて、レヴィンは必死にカタナを振るう。

 上段から袈裟斬り――からの、胴抜き。

 フェイントは完璧かと思われた。


 しかし、相手はそれを左腕の一振りで受け止め、逸らし、そのまま一歩踏み込んで肘を打つ。


「――ごはっ!」


 レヴィンの鳩尾に肘が突き刺さり、動きが止まった所を肩で突き飛ばされた。

 そして、その勢いのまま前進し、背中を強かに打った所へ刃が突き刺さる。


 首筋にピタリと沿って当てられ、レヴィンは身動き一つ出来なかった。

 鳩尾の痛みさえ、今は全く気にならない。

 それほど衝撃的な光景が、目の前に映っていた。


「あれ……、あっさり? 刻印使って良いって、言われてたんだけどな……」


 勝負がついたので、先程まであった殺気も綺麗に消えている。

 優男は困ったような顔をして、とりあえずカタナを引いて鞘に収めた。


 それでレヴィンの止まっていた痛みも、ぶり返してくる。

 まるで時間停止が解除したかのように、鳩尾の痛みが全身へ広がり、思い出したかのように咳も出始めた。


「ゴホッ、ゴホ……! ぐっ、ゴホッ……!」


「あー……、ごめん。君、やたら強そうに見えたから……。何だろう、随分チグハグだ。練度が全然足りてない」


 指摘されるまでもなく、レヴィンも良く理解している事実だった。

 こじ開けられた才能は、それだけで十全な強さを保障してくれない。

 雑に振り回すだけで倒せる相手ならば、それで問題ない事もあった。


 しかし、真の強者には、それでは全く通用しないと、ここ数日で身に沁みて感じている。

 分かっていたつもりで、ここ何度も敗戦を喫して、強く実感した事だった。


「実際、見立てが間違いじゃないなら、僕より強い筈なんだよな……。どうやったら、そんな不格好な事になるんだろう?」


「色々あったんだ、こっちにも……ゴホッ!」


 鳩尾を抑えながら立ち上がり、何とかそれだけ弁明すると、それ以上の追求はして来なかった。

 深く言うつもりがないと分かれば、それ以上訊く気もない、という一線引いた所は好感が持てた。


 とはいえ実際、彼にはどうでも良い部分に違いない。

 鍛える為に来たのであって、現状の不出来について文句を言う意味がなかった。


「……なるほど、結希乃さんからも言われるわけだ。これは勿体ない」


「まだまだ……ゴホッ、強くなれる、って意味で良いのか?」


「それは君のやる気次第だろうね。死ぬ気になってからが本番だ」


 違いない、とレヴィンは苦笑し、我ながらつまらない質問をした、と自嘲した。

 彼は開始線まで戻って一礼すると、そのまま壁際へと去っていく。

 入れ替わり別の相手が来るまでに、レヴィンは息を整え、痛みを制御しなくてはならなかった。


 話したいことは、まだ多くあった。

 左腕一本で受け止めた防御、それに使った刻印。

 使っていた武器、それに流派まで。


 訊きたい事は多くあった。

 だが、それは今すぐでなくても良い。

 何しろ、一巡すればまた否が応でも、また戦える。


 それまでに、この無様な決着は不本意だったと教えてやらねばならない。

 あれは全く本気でなかった。

 勝負事を前に戯言を、と言われても仕方ないが、それでも事実だった。


 最初の一撃を受け止められた時、その左手の甲に刻まれていたのは、紛れもなく『追い風の祝福』だった。

 そして、実際の斬撃を受け止めたのは、『年輪の外皮』に違いない。


 自らが宿しているだけあって、その防御効果や、ちらりと見えた刻印に見間違えはないと断言できた。

 この世界に刻印技術がない事は、とうに承知の上で、その中にあって一人だけ使ってきたから意表を突かれた、というのはある。


 卓越した接近技術に対応できなかった、というのも少なからずあった。

 だが何より、その戦闘技術が自分と良く似ていたのに戸惑ったのだ。


 最初に相対した時、覚えた違和感はそれだったのだ、と今更ながらに思う。

 全くの同一ではない。

 しかし、よく似ている。


 だから、即座に気付けなかった。

 何より、この異国――異世界の地で、自分の流派と良くにた剣術があるなど、夢にも思わない事だったのだ。


「――訊かせてほしい」


 幾度もの敗北、幾度かの勝利を経て、レヴィンは再び優男の前に立つ。

 今度こそ簡単に、また無様な敗北にならぬよう、慎重に構えて男に問うた。


「お前の名前は何と言うんだ?」


「……由喜門ゆきかどアキラ


「覚えておくよ」


 他に訊きたい事はあった。

 その流派や刻印について、問い質したい気持ちはある。

 しかし、再び対峙して目を合わせると、それは最早どうでも良くなった。


 何より、目の前の男は、そのような野次馬根性にも似た気持ちを抱えて戦える様な相手ではない。

 それはアキラがカタナを構えた事で、なお顕著になる。

 

「気になる……というより、不可解なことなど訊いてみたいと思っていたが……。戦いの前には些細なことだったな。それより今は、お前に勝つ方が重要だ」


 レヴィンは握り拳を胸に当て、それから人差し指を相手に向けてから腰を落とす。

 今度こそ、裂帛の気合と冷徹な慎重さで、レヴィンは床板を踏み込んだ。

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