守り、守られたもの その4

 オミカゲ様の言葉は、慈愛と気配りに満ちていた。

 そして、それは言葉だけの気遣いではなく、己の過去と照らし合わせた助言でもあった。


 ミレイユが己の世界で住まう神処に、その世話係として傍に置いているのは、多くがエルフだ。

 寿命は人間の十倍と長く、だから未だに特別親しい相手との別れはない。


 しかし、それはあくまで間隔が長いというだけで、その別れを遠ざけることしか出来ていなかった。

 親しくしたいと思えるだけの相手は、そう出会えるものではない。


 しかし、ミレイユは初めから身近に置く者を選別し、その選択肢を潰すような前提ではいなかったか。

 それこそ、別れを考えずにいられない、臆病な思いから出ていた行動だったのかもしれない。


「まぁ、そうだな……。考え方一つか。誰より多く見送る立場だろうが、誰より多くの出会いと縁を、得られる立場でもあったか……」


「我ながら安い台詞を言うもの、と思うが、ほれ……よく言うであろう。失う事を恐れるな、と……」


「それもまた、然りだな……。失う悲しみと同時に、得る喜びもあるか……。その境地に達したのはいつ頃だ?」


「さて……?」


 そう言って、忘れてしまった、とオミカゲ様は笑った。

 そうして、いつまでも涙の途切れない鶴子の肩を優しく抱いた。


「ほれ、お前もそういつまでも泣いておる。これから楽しもうというのに、湿った空気にするでない」


「ですが、オミカゲ様……っ。わたくしは、そのお心遣いがうれしく、もうしわけなく……っ!」


「申し訳なく思う必要があるか。辛いことばかりなら、我とて耐えられぬものであったろう。しかし、そなたらの様な者らが子を作り、次代に繋げる……その当たり前をしてくれたから、今の我がある。……誇れよ」


「オミカゲ様……っ!」


 今度こそ鶴子は涙腺を崩壊させ、オミカゲ様の肩に顔を埋めた。

 神の胸を借りるなど、本来有り得ない光景だろう。

 しかし、二人の間には、神と信徒以上の紡いだ絆があればこそ、許されていることなのだと思われた。



 ※※※



 鶴子が落ち着きを取り戻してから、改めて移動が開始された。

 大社内は人が多く、遷宮の祭りの熱気が未だ色濃く残っている。


 鳥居を潜り、そこから階下を眺めて見れば、石畳を沿った両脇に、屋台が幾つも軒を連ねていた。

 それを眼下に収めながら階段を下りつつ、ミレイユは感心したように呟いた。


「へぇ……、未だに屋台が並んでいるのか。こういうのって、祭りの当日とかにしか、ないものだと思っていた」


「実際の遷宮は、未だ始まっておらぬからな。これもまた、明日行われる祭事の前夜祭のようなものであろう」


「まだ……? だって、御用材だかを御大層に運び入れていただろ?」


「うむ、あくまで運び入れただけに過ぎぬ。実際は木材を乾燥させねば使えぬし、最低五年は寝かせるものだ。そして、此度使用される御用材は十年寝かせた物が使用される」


「つまり、あれはパフォーマンスか……」


 呆れた口調で言うと、オミカゲ様は小さく笑う。


「そう言われると身も蓋もない。……が、ともかく、実際に古い宮を取り壊し、新たに建て直す事こそが本番なのだ。それを明日から行われるので、こうして屋台も並んでおる」


「なるほど、そういうことか。しかし、屋台というものも、本番は夕方以降と思ってたが、案外昼からもやってるものなんだな……」


 階段を降り切り、つらつらと眺めながら歩いていると、懐かしい物も見えてくる。

 祭りと言えば定番の、たこ焼きやお好み焼き、焼きそばなどの店だった。


「祭りと言えば、粉ものは鉄板だよな。ソースが焼ける匂いは食欲を唆る」


「食べたいか?」


「そりゃあ……でも、女官長は許さないんじゃないか。立ち食いは品がないとか、そういう理屈で」


「今日ぐらいは許されよう。それに、軽食として昼に軽く摘むのは、ここで済ませてしまおうと思っていた」


 オミカゲ様が鶴子へ目配せすると、万事心得た表情で首肯する。

 アヴェリンなどにも何が食べたいか聞き取りして、一人注文の列へと並んでいった。


「……なるほど、やけにあっさり同行を認めると思ったら、そういう役割も担っていたわけだ」


「何もそれを期待しての事ではなかったが……。頼めばユミルなどでも、代わりは務まろうから。とはいえ、我らは傍使いを持つ身。順当な役目を持つものに、順当な仕事を任せるというだけ」


「まぁ、そうかもな……」


 神は奉仕されることを由とし、それを享受する存在なのだ。

 むしろ、勝手する方が問題となる場合もある。

 ミレイユの場合は色々と緩い部分が多いものの、オミカゲ様となればそうはいかない。

 本来、こうして外に出るのも、あり得ないことではあるのだ。


 道の端に寄って、邪魔にならない所で鶴子を待っていると、オミカゲ様の身体が小さく揺れる。

 何かがぶつかる音もして、何事かと目を移すと、五歳ほどの小さな子どもが、その足に抱きついていた。


「おや……。可愛らしい童子わらしだの」


 しかし、よくよく見ると、抱きついたわけではないらしい。

 両手が綿あめと水風船で塞がっていて、どちらもぶつからないようにした結果、抱きつく様に見えていただけだった。


「はわぁ……!」


 顔を上げた子供は、感動の面持ちで目を輝かせ、一心に見つめた。

 オミカゲ様は白雪の頭髪を隠すために、帽子を被っている。

 それに加えて、ユミルの幻術の影響下で、背景に溶け込む一般人として見えているはずだった。


 しかし、どうやら子供の目には、何か違うものが映っているらしい。

 オミカゲ様は目線の高さを同じくしようと腰を曲げ、その頭を柔らかく撫でた。


「人混みの中ゆえ、あまり急がぬとな……。御母おたた様とはぐれたか?」


「ママ? ママ、あっち……!」


「そうか。迷子でないなら、大丈夫そうだの。……ほら、はぐれぬようにな、早くお行き」


 子どもの指差す方には、父と一緒にまだ小さな子を抱いている母がいた。

 オミカゲ様が促すと、嬉しそうに駆けていく。


「ママ! あっち、あっちにオミカゲ様いた!」


「あら、そうなの? 良かったわねぇ」


 母親は慈愛の籠もった手付きで子どもの頭を優しく撫で、ちらりと視線を向けてきた。

 だが当然、彼女にはオミカゲ様の姿など見えていない。


「でも、オミカゲ様は、きっと皆を見守るのにお忙しいわ。良い子だから、邪魔しないようにしておきましょうね」


 元気よく頷く子どもの頭をもう一度撫でて、親子は雑踏の中に消えていく。

 その後ろ姿を目で追いながら、オミカゲ様は嬉しそうに笑った。


「子どもは良いの。屈託がない。我の様に年を取ると、濁っていけない」


「濁ってる自覚があるのか」


「それはあるとも。永く生きると、やはり色々あるものだ。その濁りも、子と触れ合う事で薄れるように思う。活力を得られると言っても、良いかもしれぬの」


「……子ども好きの、行き着く先がそこなのか」


「子の成長は喜びだ。それを幾度となく得たから、ここまで続いて来たのやも、とすら思う」


 オミカゲ様の千年は、忍耐との戦いでもあった。

 投げ出すことは、自らに課した封により出来なかったにしろ、耐え切ることのできた理由の一つに、その喜びがあったからかもしれない。


「しかし、まったく見ず知らずの子どもでも、そう思えるものなのか……?」


「それだけでは難しかろうな。だが、我には御由緒家があった。生まれた赤子は、両親の次に我が抱く権利を有する。腕に感じる温かみは、言葉に出して尽くせぬものよ」


「その気持ちは……、分からないでもないな。しかし、大丈夫なのか? そんな面倒な決まりごと作って、嫌がられたりしてないか?」


 両親に対して配慮があっても、その祖父母は押し退けられている形だ。

 初孫の場合もあったりして、自らもその腕に抱ける日を心待ちにしているだろう。


 それこそ永く伝統となっている事に加え、オミカゲ様第一主義の御由緒家だ。

 殊更、文句も付けないのだろうが、臍を噛む思いで待ちわびた人もいそうなものだった。


「そうでもないぞ。初宮参りを知らぬのか?」


「さて……。確か、生まれた赤子を抱いて参拝するとか、そういう行事だったか?」


「うむ。両親、両祖母揃って、生後一ヶ月頃を目安に、誕生の報告と健康祈願を捧げにやって来る伝統行事よの。我の場合は――御由緒家は、また特別だ。抱いた子に、必ず一字授けるのよ。これが大層、喜ばれるのじゃ」


「ほぅ……、それは……」


 面倒くさそうだな、という言葉を、ミレイユは辛うじて飲み込んだ。

 実際、与えられる側としては大変名誉な事になるはずで、御由緒家は遡れば、その血はオミカゲ様へと繋がる。


 現代において血は薄れていても、名付け親として新たな縁が生まれるわけで、これが喜ばれないわけもない。

 そして与えるとしても一字だけなので、完全に親が名付けを放棄することもなく、初進物しんもつとして有り難がられるものなのだろう。


「なるほど、考えるほどに……うん、喜ばれそうだな」


「……そなた、実は面倒くさそう、などと思わなかったか?」


「何? 何を根拠に……。言ってる意味が分からない」


 あくまで真面目な顔つきで横に振ったミレイユだが、全員の目が懐疑的だった。

 オミカゲ様から始まり、ユミルやルチアも同じ視線を向けられている。

 あげく、アヴェリンからも肯定的な援護がなかった。


 ミレイユが実に気まずい気持ちで顔を背けた時、丁度鶴子が両手に包みを持って帰って来た所だった。

 話を逸らす絶好の機会だと思って、ミレイユは彼女を指差し歓迎した。

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