覆い隠された欺瞞 その7
歩廊に設けられた胸壁には、矢狭間と呼ばれる隙間がある。
そこから顔を出し、外を見ていたレヴィンは、悪態と共に息を吐いた。
辺境領で一度に相手する淵魔の数は大抵が百、それを下回る事の方が多く、混戦と言っても高が知れていた。
かつて、旅が始まるより以前、二百の数が出現した時でさえ、大変な騒ぎとなったものだ。
だから、淵魔が大量に襲って来ると言われても、その想像には限界があった。
敵の数は千を超えるだろう、更にその上を行くかも知れない――。
レヴィンはそのように予想していたのだが、まさか万を超える数が来襲するなど、完全に予想の外だった。
「これは、また……!」
「とんでもねぇな。こんなに溜め込めんでたのか……。地下神殿では溢れ返っていたのは見たけどよ、アレさえ、あくまで一部に過ぎなかったのか」
レヴィンの横に並んだヨエルもまた、悪態と共に呻き声を上げた。
それに首肯したレヴィンが、迫る淵魔を目で追いながら、低い声で放つ。
「龍穴が閉じて通行可能となった、それぞれのアルケス神殿から集結させた……それがあの数か」
「……どう? これでもまだ突っ込む?」
ルミから挑発的な視線を向けられる。
それが文字通りの挑発でしかないと分かっていても、レヴィンの意思は揺るがなかった。
本来なら竦み上がって当然の光景を前にして、それでも戦意に些かの衰えもない。
「その必要ありと仰るならば、どうぞお命じを。見事我ら二人で、果たして見せます!」
「やめてよ、言わないわ。実際、その提案は魅力的なんだけど、アンタを失うリスクを考えたら、到底採用できないのよね……」
何しろ、仮に死んでしまえば、ただ優秀な討滅士を戦死させるだけで話は終わらない。
同時に、それだけ有用な戦力を、相手に取り込まれることも意味する。
戦力喪失だけでなく、敵の戦力拡充に寄与するとなれば、そう易々と賭けに出られるものでもなかった。
だからルミは、最初から籠城戦で抑えると決めている。
耐えられれば勝つ。これはそういう戦いだった。
押し負ければ龍穴の要衝を奪われ、更なる淵魔の跋扈を許してしまう事態になるだろう。
「しかし、ルミ様……。先のお言葉を疑うわけではないのですが、頼りにしている援軍とは、本当に来るのでしょうか?」
「来るわ、それは間違いない。そして、現状において、これほど頼れる援軍もない」
「は……、ルミ様がそこまで断言されるなら、こちらもやる気が出るというもの。兵達の士気も上がるでしょう」
籠城戦における肝は、正にそこだ。
最初から袋のネズミなのだから、士気を保てなければ瓦解する。
そして、士気を失った軍隊は脆いものだ。
抗戦意欲を失ってしまえば、どれほど優れた兵と将がいても、戦闘続行は不可能だった。
そのうえ、前方には万を優に超える淵魔、である。
これが視界に入っただけで、多くの将兵が戦意を失っても不思議ではなかった。
「まぁねぇ……、ここが要衝であるのは、神官兵ならば周知の事実だから。落とされるワケにはいかないのは当然、期待するだけの奮戦もしてくれるでしょう。一日保たせろって命令なら、士気は継続できるハズ……」
「はい、どれ程こちらが寡兵でも、一日ならば間違いなく」
レヴィンが意気軒昂に頷くと、呼ばれていた弓兵がやって来た。
信仰の高さから逃げ出すような兵こそいないが、それでも顔は強張り、緊張の高まりを隠せていなかった。
戦の前は誰だって緊張するものだ。
それは経験の有無でも、差が出るものではある。
しかし、それでも度を越しているように、レヴィンの目には見えた。
まるで新兵、初戦場とでも言っている顔だ。
――いや。
見渡せば、誰の顔にも同種の緊張が浮かんでいる。
年若い者だけではなく、三十代を超えていると思しき将官でさえ、似たような表情だった。
――まさか。
レヴィンの胸中に不安が
淵魔との交戦経験がないのは当然としても、大規模な戦闘自体、初めての可能性がある。
あるのは少数の魔獣や、魔物を狩り出しに行く経験のみで、それ以上ないのではないか。
あるいは、それすら経験してない兵がいる可能性も――。
レヴィンが疑念を浮かべた強い視線を向けると、ルミはうっそりと頷く。
「まぁ、その想像は間違いじゃないわよ。斬った張ったの経験は、殆どない連中だわ。でも、歩廊から弓や魔術を放つことくらいはできる。遠距離攻撃可能な刻印持ちも、弓兵と共に並ぶよう指示してある」
「時間稼ぎが目的なら、それも有用……かも、しれないですが……」
「言いたいコトは分かるわよ。こんな戦力で挑むのかってね。そこはこっちも情けなく思うけど、こんな事態、誰も想像してなかったからさぁ……」
「それは、そうでしょう……」
辺境領以外では、長く平和が続いていた。
そして、その平和は淵魔を駆逐した、という前提に成り立っていたものだ。
実は虎視眈々と、神殿内に溜め込み隠していたなど、想像の埒外だったに違いない。
実は小神の一柱が裏切りを働いていて、淵魔を利用し画策していたなど、神の目をもってしても、見抜けなかっただろう。
そこでふと、レヴィンは思う。
今更と思われるかもしれないが、それでも尋ねずにはいられなかった。
「裏切りを働いていた神は、アルケスその一柱だけなのでしょうか? 他にも結託している神々がいるとか、そういうことは……?」
「ないわね」
ルミの返答は短く、断定的だった。
全く疑っていないように見えるが、実は裏切りの神がいたのだ。
他にもいるかも……、と考えるのが妥当と思えるのに、ルミはそれを考慮すらせず切って捨てたように見える。
「あの……本当に? でも、何と言いますか、アルケスの蠢動は許していた訳ですよね……。この事態を未然に防ごうとしていた、とは仰ってましたけど、実は失敗してましたし……。全貌を捉えきれてないのでは、と……」
「アンタ……結構、痛いトコロ突いて来るわよね……。まぁ別に、その程度好きに言えって感じだけどさぁ」
ルミが楽しげに視線を向けると、レヴィンは恐縮して顎を引いた。
直立不動で腕を後ろで組、足を肩幅に広げていつでも、叱責を受ける準備をする。
表情は固く、無表情を装っているものの、悔恨に似た感情を押し殺しているのは明白だった。
「で、その質問に答えるなら……。長らく連絡が取れず、姿を見せてなかったのが、そのアルケスだけだから、ってコトになるのかしらね」
「しかし、それだけが理由というのも……」
「えぇ、ご尤も。でも、そもそもの話として、他の神々には裏切る理由も、裏切って得するコトだってないのよ」
「それは……、そうなのですか?」
素朴な疑問に、ルミは大いに頷く。
「淵魔は何でも喰らい、そして決して満足しない。これを支持するのはね、地上から信仰が消滅するのを、後押しするのと同じコトなのよ。人間に例えると、食糧と水を全て灰に変えてしまうのと同義だわ」
「でも、ならばアルケスは、そんな無謀なことを、どうして……」
「そこなのよね。戦争なんかじゃさ、焦土作戦ってのは実際、行われるケド……。これは規模が全世界におよぶ。全てを灰にして得られるものなど無い。汎ゆるモノを燃やす焦土作戦なんて、単なる自滅と同じよ。益がない」
「じゃあ、何故アルケスは、そんなことをするんですか……!?」
ルミの言い分が正しいなら、そもそも淵魔の利用は、最初から考慮の外にあるべきものだ。
全生物にとっての敵であり、排除、消滅させるべき存在だった。
しかし、現実として淵魔は目の前の地平線を埋めている。
奇抜であればこそ読まれないのが奇策、というものであったとして、それで得られた勝利の後に、何も残らないのでは勝利する意味もない。
どうせ負けるぐらいなら、と自棄になって初めて取り得る手段であって、最初から選ぶものではないはずだった。
「これじゃあ、自棄ですらない。自爆覚悟でもない。ひたすら迷惑なだけの――」
「そう、それ。それよ」
ルミが指を突き付けて言葉を止め、そして止められたレヴィンは硬直したまま、その指先を凝視している。
何を言われているか、レヴィンには全く理解できていない表情で、眉根を顰めていた。
「……それ?」
「だから、ひたすら迷惑かけるのが目的なのよ。得をしようとか、益を得ようとか考えてないと予想するわ。思い付く中での最悪の嫌がらせをして、大神へ意趣返しをする。勝利以上に、敗北を与えるコト……それが目的なのかもね」
「そんな……神が? 神なのに? ……何故?」
これには少し、迷う素振りを見せ、ルミは視線を斜めに向けながら答えた。
「何故と言われたら……、現状に不満があったからじゃない? 現状と言われても、思い立ったのは遥か昔のコトでしょうけど。神々が好き勝手できた時代と、今は正反対の時代だから」
「好き勝手、とは……? 神々が、その昔は色々と無茶をしていた、という事でしょうか?」
「まぁ、そうね。小神にとっては、やり易い時代ってのがあったのよ。気紛れで村を滅ぼすとか、一人の人間を無作為に選んで、破滅に追い遣るとか……。それを神の娯楽としていた時代があった」
レヴィンは信じ難いものを見るように首を振り、そして実際納得できないでいる。
そのような混沌とした時代など考えられないし、そんな時代に戻して欲しくないとも思った。
「今の大神が、神は人の世に手出し禁止など、多くの律令を科した。納得できず、最後まで抵抗したのがアルケスね。他の神からも遠巻きにされ、孤立し……で、度が過ぎるコトの罰として、神使を取り上げられたりもした。そうして、大人しくなったと思った矢先に……姿を消した」
「では……」
「自分が好き勝手できない、人の世を気紛れで玩具に出来ない……。そうした神の傲慢さを嗜められて、癇癪を起こした。……反乱とも呼べない、子どもの稚気が原因。神使はアルケスと共に罰を受け、その資格を剥奪。只人となり、寿命のまま老いて死んだ。その逆恨みも入ってたりするのかもね」
レヴィンはルミの言う事が半分も理解できず、二の句が継げない。
凝視するように見つめるレヴィンへは視線の向けず、ルミは吐き捨てる様に言った。
「他の神々は至って正常な感性持ってるからね。淵魔を持ち出すなんて、非常に迷惑しているハズよ」
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