覆い隠された欺瞞 その6

「中々、勇猛なコト言うわね。……まぁ、一歩間違えれば死ぬから、志願してくれる兵がどれだけいるか、って話になるんだけど」


「決死隊になるのは間違いありませんし、非常に危険ですが、一戦交えるのとは違います。馬術に長けた者だけいてくれたら、それで結構です」


「それをって言うあたり、やっぱりどこか普通と感性違うのよねぇ……」


 ルミの言い分には呆れが存分に含まれていたが、同時に楽しげでもある。

 顎に当てていた拳から指を一本、ピンと立てて、皮肉げな口調で続けた。


「神殿兵なんかやってるぐらいだから、ここにいるのは勿論、信仰高き者たちなんだけど……。だからって、竜の口に入って眠ろうと考えられる程、常識捨ててもないワケよ。圧倒的多数の敵に寡兵で突っ込んで、無事生還して来いなんて命令……、普通死ねって言われるのと同義と取るからね」


「死にませんよ。そうさせない運用で切り込みます」


「アタシはそれ、疑うつもりはないけどさ……、普通は無理って考えるのよ。そもそも、そんな限界の状況にあって、いつも通りの馬術を披露できると思う? ここに居るのは淵魔を見るのも初めてな連中ばかりで、そして肝の据わった者だけってワケでもない」


 レヴィンの不満げな顔付きで顔を逸らし、それから苦々しい息を吐いた。

 神に奉仕する兵隊が、何たる惰弱な、とでも思っていそうな表情だった。

 そして、それは事実で、レヴィンの胸中ではそれぐらい出来なくて何が神殿兵だ、という不満で渦巻いていた。


 しかし、それは過度な期待に違いなく、世界の常識としてレヴィンの方が異常なのだ。

 神殿は基本的に平和なもので、兵としてもあくまで、示威行為として置かれているものに過ぎない。


 魔獣や魔物に神の威光など通じないので、やはり時として、その武力を行使する機会はある。

 しかし、手に余る様なら冒険者へと依頼するものだし、神殿兵は熱心な信者であるに違いなくとも、精強な兵とは程遠い存在だった。


「……では、それならそれで構いません。俺とヨエルだけで見事、大任を果たしてみせます。頭数が多ければ、それだけ目立ち引き付けられると思いますが、むしろ二人だけの方が身軽で良い」


「ふぅん……?」


 頷く素振りを見せながら、ルミはヨエルへ顔を向ける。

 勝手に名乗りを上げられたヨエルだが、勿論これに異論などなかった。


 危険な戦場とあっては、むしろその背中を守れるのは自分だけ、という自負がある。

 むしろ、レヴィンを置いて城壁の守りに付けと言われていたら、怒りも顕に説得を開始していただろう。

 ヨエルはルミに威風堂々、視線を返し、胸を張って声を上げた。


「ご心配には及びません。我々には慣れた仕事です。奴らの鼻先を掠め、その戦列を乱してご覧に入れます」


「淵魔には考える頭を持たないからこそ、有効な戦術、か……」


「まさしく。若のいっそ自殺的な突進も、刻印と共にあれば、何程のこともありません。迫りくる淵魔とて、遊ばれてることに気付かず、大いに釣られてくれるでしょう」


 ヨエルも既にルミの正体について知らされているので、その態度は慇懃無礼だ。

 背筋を伸ばし、腕を後ろに組んでの発言は、領主やそれ以上の者へ向ける敬意と変わらぬものだった。


 ルミはそれを見据えて、好意的に見える表情を向けるものの、憂う気持ちも変わらず息を吐く。


「普通なら採用して良い案だと思うんだけどねぇ……。相手は神が率いる淵魔なのよ。これまでとは何もかもが違う。むしろ、それに慣れている方が痛手を被るかも……」


「神……、小神アルケス、ですね……。『疎通』の権能で、淵魔を自由に動かせるとお考えですか」


 アルケスの持つ権能は、正に『疎通』と『遷移』だ。

 淵魔を利用し、駒として扱っているのも、その意思の疎通を可能としているからに違いない。

 個が群れるだけの淵魔を、群体として意味ある行動を取らせられる可能性はあった。


 また、『遷移』の権能は、対象の移動をその本領とする。

 唐突に淵魔を一匹、面前へと移動させられるだろうし、レヴィンを一人淵魔の只中へ放り込むことも出来るだろう。

 ルミはそれを懸念し、また警戒していた。


「まぁ、悪くない案だとは思うのよ。でも、権能ってのは相応に厄介でさ、魔術みたいに抵抗するのは難しいのよね。その気になれば、レヴィンを敵中ど真ん中へ移動させられちゃうって思うと、虎の子をそんな危険な目に遭わせられないわねぇ」


「権能は、それ程に射程の長いものなのですか? 魔術や刻印とて、どこまでも遠い相手に対象と出来るとは限らないものです。それとも、神ともなれば関係ないのでしょうか」


「いや、あるわよ。その辺はやっぱり、魔術と変わりないわね。近くの方がやり易く、効果が強まる……そういう部分は共通してる」


「では、目に見える範囲にいなければ問題ない、という話になりませんか」


「そうねぇ……」


 ルミは意気込むレヴィンの顔を見つめながら、思考に耽る。

 彼がこれ程までに意気込むのは、そのアルケスに一泡吹かせたい気持ちが強いからだ。


 レヴィンの信仰心を利用し、淵魔を隠して、大神へ――世界への反逆を企てた。

 その駒と利用された屈辱と、信仰に泥を塗られた恥辱は、決して簡単に晴れるものではない。


 その手で持って打ち砕きたい、と思うのは当然だった。

 そして、それこそが今、レヴィンの原動力となっている。

 悪逆には誅を、裏切りには鉄槌を――。

 その思いが彼を駆り立てていた。


「実際、視界に入らない程の遠距離から、何かしら干渉するのは不可能だと思うわ。対象が強力、強大である程、遠くの相手には通用しない。でも、アンタの拉致はなくとも、淵魔を送り込むくらいはしてくると思うのよ」


「それは距離など関係ありませんか」


「遷移とはそういうものだから。こればかりは、権能の特性で、例外ね。目の前にあるものを、遥か遠くへ移すのは可能……。無垢しかいないと思ってたら、いきなり巨大な淵魔が頭上から襲って来るかも……」


「じゃあそれって、城門で護りを固めるのも無意味って話になりませんか……」


 レヴィンが表情を歪めさせて言うと、これには明確に否定の声が上がった。


「ここが何処だか、まだ分かっていないのね。神殿の形をしてるけど、その実態は大神が守護する要衝なのよ。その権能を持って守護されているんだから、他神の権能が及ばない領域なの。いきなり城壁内、神殿内っていうのは絶対無理」


「なるほど、そもそも権能の保護下でしたか……。じゃあ、やっぱり、後はアルケスにだけ注意しておけば、作戦は続行可能ってことになりますか」


「話、聞いてた? 打って出れば、頭上から別の淵魔が降ってくるかも、って話をしてたんだけど」


「逃げるだけなら……いや、そうか。馬型の淵魔が来たら……」


 レヴィンは眉間にシワを寄せ、悔しげに唇を噛む。

 体力なんてものがない淵魔と、遠距離競争などしても意味はない。

 全く分がないだけでなく、開いた城門へ駆け込み帰還する時間すら、なくなる可能性があった。


 淵魔への備えが万全であろうとも、強引な突入と共に幾人も喰らわれたら、下手をすると内側から崩壊する。

 危険すぎる賭け、と言わざるを得なかった。


「アンタの策は魅力的だったし、城壁へ喰い付かれる前に数を減らせるのも魅力的だったけど、敢えて無茶する必要はないわ。その熱意は買うけどね」


「は……!」


「そんな顔するんじゃないわよ」


 殊勝な態度でありつつも、歯噛みして悔しがるレヴィンに、ルミは破顔して呼びかける。


「レヴィン、アンタはユーカード家嫡男として、十分な勇気と気概を見せた。武器を振るう機会は、これから嫌という程あるんだから、是非ともそこで見せて頂戴」


「ハ……ッ! 必ずや、ご期待に応えます!」


「そこまで固く考えなくても良いんだけどねぇ……」


 ルミはどこまでも自然体だ。

 いっそ神使とは信じられない程の気安さで、威厳というのも余り見られない。

 それでも、レヴィンが実直過ぎる態度を見せるのは、信仰に背いた後ろめたさが原因だった。


 しかし、こればかりは口で何かを言った所で改善されないし、信仰に篤いからこそ見せる態度でもある。

 ルミは苦笑めいた笑みを浮かべ、それから何事かに気付き、城壁の外――遥か遠く地平線へ目を向けた。


「レヴィン、兵を呼び寄せて。弓兵を第一に、次に槍と剣を扱える者。その順番で歩哨に並ばせて」


「――来たんですか」


 ルミは城壁内でも一段高くなった高見の場所にいて、そしてレヴィンが居る位置は、位置的に遠くまで見渡せない。

 身を捩って、どうにか隙間から見えないかと覗き込んでいたが、見えない方が幸せだ、とルミはごちた。


 とはいえ、どうせ知ることになるので、僅かな時間の差でしかない。

 しかし、ルミとしては、いま目の前に広がる光景を、いつまでも知られたくない気持ちだった。

 ――淵魔の総数は圧倒的だ。


 ロシュ大神殿は、その三方を山で囲まれ、天然の要害となっている。

 レヴィンたちが抜けてきた様に、少数での移動であれば、山越えは難しくないとはいえ……。

 大部隊を運用するには道がなく、多数で攻めるには向かないから、侵攻方向は限定せざるを得ない。


 そして唯一の侵攻方向、その南方を一望できる平原には、その地平線から次々と黒い波が迫ろうとしていた。

 レヴィンは蟻の群れという表現を用いていたが、まさに平原を染める程の数で、淵魔は次々と姿を現してくる。


 途切れることなく続く群れは、山間やまあいの平原を埋め尽くす、絨毯の如し様相を呈していた。

 ざっと見るだけで二万を越え、そして、それはまだ増えようとしている。


 ようやく良い場所を見つけ、それを覗いたレヴィンは絶句する。

 これまで幾度も死線を潜って来た彼でも、これには流石に呻きにも似た声を漏らした。

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