覆い隠された欺瞞 その5

 ルミが指摘していた、ロシュ大神殿へ襲撃する為の、要所となるアルケス神殿――。

 そこが怪しい、と狙いを絞った時点で、ルミは既に偵察隊を派遣していた。


 神使の言葉は、神の口から出る言葉と変わらない。

 だから、偵察隊も偵察する意義を疑っていたわけではなかった。

 だが同時に、そうあって欲しくないという意味で、否定の気持ちが胸中に渦巻いていたのは事実だ。


 そうして辿り着いた神殿では、外見上、全く問題ないように見えた。

 遠くから見る限り、淵魔が溢れているわけでもなく、神殿が崩壊しているわけでもない。


 ただ、一切の物音がなかった。

 昼でも焚いている篝火すら今では消えているので、尚のこと空虚な雰囲気が感じられる。

 より近寄ってみなければ、正確な所は分からない――。


 隊員達はそう判断して、俗世と神域を切り離す、階段前まで馬を向けた。

 そして、小さな違和に気付く。

 一切の音が無い、と感じたのは比喩でもなかった。


 この時間ならば居て当然の参拝者はおろか、小鳥が立てるさえずりすらもない。

 あまりに無音の神殿が、嫌に不気味だった。


 そう思っているのは、ここにいる偵察隊全員の表情からも明らかだ。

 階段を登って確認べきと分かっていても、どうしたものか互いに顔を見合わせることになった。


 何しろ、誰もが率先して行くのを嫌がる。

 だが、何があるか、何が起きているものか、それを確認する為の偵察隊だ。


 入口までは見ませんでした、だから異常は確認できませんでした、では済まされない。

 何しろ、この任務は神勅にも並ぶ、神使が命じた偵察行動なのだ。

 隊員の一人が馬から降り、階段へ一歩足を掛けて神殿を見上げた時だった。


「お、おい、見ろ!」


 まるで、それを合図としたかのようだ。

 段上から淵魔が溢れて来る。

 先頭の隊員は元より、全員が粟を食って取り乱し、いつもは俊敏にやっている騎乗も、まるで這い上がる様な惨めさだった。


 背後から迫る淵魔は群れとなり、まるで波のように押し寄せてくる。

 悲鳴を上げて手綱を叩き、とにかく馬を走らせ、恥も外聞もなく逃げた。

 そして背後からは、ガラスを引っ掻く様な不協和音で、淵魔が威嚇の叫びを上げてくる。


 淵魔は一時、馬の尻に噛み付く距離まで来ていた。

 数は多くとも、そのどれもが、まだ何も喰らっていない無垢の淵魔だ。

 流石に速力において馬の方が勝り、淵魔を置き去りに駆けて行く。


「――この凶報を届けねば!」


 神使の推測は正しかった。

 神殿には淵魔が潜み隠れていた。


 ならば、他の神殿から一極に集中して呼び込まれたという推測も、恐らく正しいのだろう。

 姿を見せた淵魔は、きっとその一部だったに違いない。


「く、くそっ……!」


 彼らは必死に馬を走らせる。

 もはや背後に淵魔の姿は見えなかったが、そんなものは関係なかった。

 執拗と思える程に叩き、馬が潰れる事すら度外視して、ひたすらロシュ大神殿まで休ませることなく走らせ続けた。



  ※※※



 そして凶報は、間違いなく神殿長の元へと届けられた。

 大神殿内では、上へ下への大騒ぎとなり、戦の準備に奔走する。

 神殿内に居る者すべてが戦えるわけでもないので、地下の食料庫へ逃がしたりと、単に戦の準備と言っても、避難誘導が先んじて行われていた。


 そして、陣頭指揮を取り、兵に指示出しているのがルミだった。

 傍らにはレヴィンとアイナも加わり、そして牢から開放されたヨエルが、その後ろに付いて回っている。


 ロシュ大神では、かつて淵魔と戦う前線基地として役割を持っていただけあって、その壁は高く強固だ。

 慌ただしく兵が動いている傍らで、ルミは城壁の真上、歩哨の中心で地平線を睨んで立っていた。


「ルミ様、最初から籠城戦を、と……お考えですか?」


「敵の実数が分からないからね……。けれど、ここにいる兵だけで、正面から受け止められないのは間違いないでしょう。だからまぁ、……時間稼ぎに主眼を置くしかないわよね」


 平和な世にあって、神殿内での常備兵は驚くほど少ない。

 外敵が居なかろうと、見栄えする程度に用意されてはいる。

 しかし、それも僅か百名程度と、大規模戦闘では全くの無力な数字だった。


 ルミが敵側の作戦に気付いた時点で、他の神殿から兵を回させていたが、やはり周辺の神殿も兵の数は余りに少ない。

 だから、急遽かき集められた兵数は千といったところで、それも実践経験に事欠く様な連中ばかりだった。


「魔獣の討伐経験者は多いけど、魔物に対しては少ない。淵魔との交戦経験は当然なし。前に出して、喰われる方が面倒よ」


「それは勿論、ご尤もな話ですが……」


 レヴィンが渋い顔をさせたのを見て、ルミは相好を崩す。

 眉間にシワを寄せていた顔から、皮肉げな……そして悪戯好きする笑みを浮かべた。


「まぁ、アンタに言う話じゃなかったわね。専門家を前にして、講釈垂れるモンでもなかったわ」


「いえ、そんな……! 滅相もない!」


 レヴィンが慌ててかぶりを振り、その後、背筋を伸ばして一礼した。

 そんな彼を見て、ルミは疲れを滲ませる笑みを見せる。


「一々、そんな態度されちゃ、面倒で堪らないわ。もっと前みたいに出来ない?」


「そうは申されましても……」


 レヴィンにとって――大神信者にとって、その神使に向ける態度としては、むしろ砕けた分類だろう。

 直立して応答することは勿論、本来なら直接会話することすら、烏滸がましいと考えるべき相手なのだ。


 本人が気安い性格をしているからと、それに甘えるのにも限度がある。

 レヴィンもまた非常に困った顔を見せると、ルミはやれやれと息を吐いて、肩を竦めた。


「……まぁ、熱心な信者に言うコトじゃなかったわね。じゃあ、進言を命じる。どう対応するのが良いと思う?」


「では、遊撃部隊の隊長に、俺を指名して下さい。掻き乱してご覧にいれます」


「別にいいけど……っていうか、遊ばせておく戦力なんてないんだから、当然アンタにも部隊を預ける気でいたけど……。掻き乱す? それも敵の数次第でしょうよ」


「いえ、多い程に検討すべきです」


 レヴィンが断言する後ろで、ヨエルも同じ考えらしく首肯している。

 どうやら、破れかぶれではなく、明確な意思と展望を以て口にしているらしい。

 それでルミは、続きを聞いてみる気になった。


「敵が万の数を超えていたら? 掻き乱すも何も無いでしょう。押しつぶされて終わりだわ」


「それは一面の真実ですが、敵は群れを活用できない、という点こそ考えるべきです。アルケスは淵魔を数多く用意していました。地下神殿では、蟻の群れの様に見えていたものです」


「見えていたもので、全てだとも思えないけど……」


 これには強く同調して、レヴィンは声を強めつつ続ける。


「同意いたします。ですが、その数の大半は無垢の淵魔だったのです。見えた範囲では、何かを喰らった個体も発見できませんでした」


「だとしても、それに何かを喰わせ、兵力を強化させようとは考えていたでしょう。その為の準備時間だってあった」


「でも、調査隊を派遣するまで、その存在は認知されていませんでした。……そうですよね? 周辺の街などから被害が上がれば、推測より前に気付けたはずです」


「そうね……。それはそうだわ、アタリを付けていたのは、もっと前の段階だったから、警戒を呼びかけるくらいはしてたんだし……」


 そう言って、ルミは右上へと視線を動かし、首を傾げた。

 腕を組んだ格好で、しばらく考え込み、そしてやはり何度も頷き、レヴィンの考えを肯定する。


「魔獣や魔物ばかり狙っていたなら、外に知られていないのも納得だけど。……けど、それにだって限りがある。欲しければ欲しい程、とはならない。餌の数は限定的だったはずよ」


「……であるなら、強化個体は限定的、余程少ないと考えるべきです。戦力の大半は、この無垢サクリスが大半となるでしょう」


「そうね、同意するわ。強い個体ほど数が少ない。でも、無垢サクリスが戦力として頼りないのだとしても、数はやはり脅威だわ。何より味方の損害は、そのまま敵の強化になるのよ?」


 これにもレヴィンは力強く頷く。

 長年、淵魔と戦ってきた彼らだから、その程度の指摘は当然、想定の内だった。

 ルミの意見へ大いに同意して、それから自らの意見を開陳した。


無垢サクリスには知性がない。一つが狙った先に、我先へと食い付きます。多くは自らがどうしてその方向に進むのか、何故狙っているかも考えていません。群れではあっても、群体として動いておらず、直進と決めたらまずそれを続けます」


「あぁ、読めて来た……。つまり、本当に文字通り、に行くつもりなのね? 直進ばかりする連中を、ちょいと刺激してやると……。戦い、斬り込むのではなく」


「はい、仰るとおりです。騎馬の足ならば、まず追い付かれません。右へ左へと動くだけで、面白いほど食い付いて来るでしょう。その間に矢でも魔術でも、思う様撃ち込んで下さい。本格的な戦闘前に、出来る限り数を減らすのです」


 ふぅん、と組んだ腕の右手を持ち上げ、顎先に拳を当てる。

 面白そうに唇を歪め、その目は好意的な視線でレヴィンを見つめていた。

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