東方防壁攻防戦 その3
ミレイユはドーワに目配せして確認する。
意を得たドーワは、すかさず目を閉じて念話に集中した。
「……あぁ、間違いないよ。どうやら南部でも動きがあるようだね。既に隔壁の一部に喰い付かれている……」
「拙いな……」
レヴィンは言葉を零して歯噛みした。
淵魔の襲撃を隔てる壁は、全て三重で用意されている。
それは東部も南部も、変わらない防備だった。
そして、多くは第一の壁に到達させるまでもなく、討滅させる場合が多い。
接近を許してしまった場合でも、そこで籠城めいた防衛戦が可能なので、数が多い場合は敢えてそうした戦術を取ることもある。
とはいえ、耳にする報告から考えると、単なる物量差でそうせざるを得なかった、と想定するしかなかった。
レヴィンが何かを期待する視線を向けるのと同時、ミレイユは声を上げて信者達へ呼び掛ける。
「ハスマルクはいるか」
「ハッ、ここに――!」
一人の女戦士が群衆の中から立ち上がり、堂々と宣言した。
女性にしては大柄で筋肉質でもあり、耳の上で編み込んだ髪を後ろに流した女傑だった。
大神殿の攻防では籠城戦を指揮し、打って出たアヴェリン達の支援に努めた優秀な指揮官であり、そして強靭な戦士でもあった。
ユーカードと双璧を成す辺境の守護者で、淵魔掃討において頼りになる討滅士でもあった。
「――近くへ」
ミレイユが短く命じると、一礼してから歩き出す。
そうしてレヴィンの近くまで来ると、再び腰を折った。
「お呼びにより、罷り越しました!」
「うん、お前の領が危機にある。そして、一匹たりともこれを内側に通してはならない。お前には至急、兵を率いて貰わねばならない」
「無論でございます! 我が領と兵を喰らわんとする淵魔どもに、目にもの見せてご覧にいれます!」
「威勢が良いのは結構だがね」
ドーワが会話に割って入り、時折目を閉じながらあちらの様子を口にする。
「今は壁があるから持ち堪えてるが、数がちょっと異常だよ。それは東部にも言える事だが……、人の手だけでは骨が折れるだろうねぇ」
「ドーワ様……! それは……しかし、我が兵達が一丸となって……!」
「一人喰われたら、そこから鼠算式に厄介さが増える……それが淵魔じゃないか。なに、お前たちを軽んじるって話じゃない。こういう時の為に、我ら竜がいる」
「では……!」
ドーワはゆっくり瞼を閉じ、それで首肯の代わりとする。
「我が同胞の翼と息吹を、お前に貸そう。この危難に際し、何者にも勝る助けとなるだろうさ」
「ハッ! ご支援、有り難く……!」
ハスマルクが深く頭を下げた時、頭上に十を超える竜の影が現れ、空の上を旋回し始めた。
それからゆっくりと降下し、大神殿の外へ横一列に着地した。
ミレイユもそれを認めて、ハスマルクに指示を出す。
「では、兵を率いて自領を守れ。そして、凌ぎ切れないと判断したなら、素直に援軍を要請しろ。近くの竜に言えば、それがドーワに伝わる。東部の戦況次第だから、どういう援軍を送れるかは現時点で不明だが……、我らは決してお前達を見捨てない」
「ハッ! そのお言葉を聞けただけで、万の援軍を得た気分です! 兵たちも
「あぁ、任せる。……そう、そうだった。援軍を即座に確約できなかった詫びに、一つ渡しておくものがある」
ハスマルクの返事を聞く前に、ミレイユは念動力を用いて『神器』を渡した。
受け取ったハスマルクは、恐れ多そうに両手で捧げ持ち、それから控え目に声を発する。
「こちらは……?」
「インギェムの神器だ。ヤロヴクトルの処刑場に繋がっている。淵魔を投げ入れれば、即座に討滅してくれる場所だ。狭い入口などに設置すれば、勝手に自滅してくれるだろう。上手く使え」
「ハッ! 何から何まで手厚い援助、真に感謝に堪えません!」
「それだけの大事だ。――頼むぞ」
「お任せ下さい!」
簡潔な激励であろうと、ハスマルクの戦意はみるみる内に上昇していった。
誇り高い表情で一礼すると、連れて来た兵を指揮して大神殿横に整列した竜の傍へと駆け寄って行く。
そうして兵たちを竜の背に乗せるや否や、空高く飛び上がり、そうしてすぐに見えなくなった。
「……さて、次に神殿の者達だが」
ミレイユはそう言って、今も平伏している信者達を見る。
「既にここは主戦場から離れたが、全くの無防備にするのも怖い。ロシュが大陸の要である事は変わりなく、東部と南部の襲撃を陽動に狙ってくる可能性もあるからだ」
「……まぁ、あるにはあるでしょうけど、その可能性はごく少なくない?」
ユミルの指摘に、ミレイユは軽い調子で頷く。
「実はその狙いがあったにしろ、潜伏していた“新人類”は排除した。奴らこそが要であったはずで、それがないなら打つ手なしだ、とは思う」
「けど、狙われていたのは事実だし、放置するのは怖いわよね。それも分かるわ」
だから、とミレイユは神殿長へと目を向け、その頭に言葉を投げ掛けた。
「……だから、龍穴には事が収まるまで、精霊を使い常に警戒させておくことを命じる。主戦力が抜けるから、その穴埋めも必要だろう。これには少し、ハイカプィに兵を出させよう」
「ハハッ! 受け入れの準備を進めておきます!」
神殿長が平伏したまま更に額づけ、声高に返事をする。
しかし、ミレイユの意に不満とまでは言わずとも、ユミルは疑義を呈する質問を投げた。
「でもさ、ハイカプィの権能と神使たち、ここで使うの勿体なくない?」
「提供して貰うのは鬼族の戦士だ。血気盛んで、力の有り余った奴らはゴマンといる。それらを貸してもらうさ。それならば後顧の憂いもないし、事があらば時間も稼いでくれるだろう」
「竜は?」
「残念ながら、東部と南部で全て使う……が、もしもが起きれば、援軍の派兵も必要だ。伝令役として竜の一体は置いておこう」
彼らの念話は、貴重な情報の伝達手段だ。
そして、それらを統括するドーワに全ての情報が集約される。
彼女の頭に乗っているミレイユに、それが即座に報告され、そうして全体を見渡した指示が出来るのだ。
各所に竜を配置するのは、当然の措置だった。
「じゃあ、エルフはどうする? 数こそ少ないけど、ハイカプィに兵を出させておいて、自分は出さないってんじゃ筋が通らないでしょ」
「勿論だ、こちらでも用意する。……が、鬼族と違って、こちらは常に臨戦態勢など整えていないからからな……。準備はさせるが、少し時間が掛かるだろう」
「それは仕方ないわね」
実時間のミレイユが放逐されるまで、中央大陸に手出しなど出来る筈もなく、当然事前準備の範囲外だ。
特に平和な時代が長かった中央大陸は、そう簡単に準備が整わない。
ミレイユの一声があれば、何にもまして叶えようとするエルフだが、準備していない事まで即応しろとまでは言えなかった。
一応の話し合いが終わり、ミレイユは小さく首を巡らせて首の向きを変える。
「さて、これでとりあえず、東部に集中できるか……。ドーワ、戦況はどうなってる?」
「……良くないね。東部は南部の比じゃないよ。よく持ち堪えているが、既に第一の壁は突破されてる。その上、後続からは未だに淵魔が湧き出てる状態さ」
「アルケスは?」
「そっちは未だノロノロと、ユーカード領を飛んでるよ。しかし、壁に向かってるのは確かだね。竜の存在にも気付いているみたいだが、逃げる素振りは見せてないね」
竜には攻撃しないよう命じている。
それを感じ取って、ある程度は安全と見ているかもしれないが、アルケスに確信など持てない筈だ。
逃げるなり、撒きたいと思うのが当然の心理だろう。
だから、アルケスの動きは奇妙に映った。
「不気味だな……、何か狙いがあるのだとは思うが……」
「こっちを待ってるのかしら? 追い付かれて得になるコトなんてなさそうだけど……」
「あるいは、援軍の可能性とか」
そう言って、言葉を挟んだのはルチアだ。
「援軍が
「そうだな……。だが、知らぬは本人ばかりなり、とも言うし、体よく利用されてるだけかもしれないぞ……」
「アレコレ考えるには、情報が少な過ぎますしね。いずれにしろ、どういう思惑があってもアルケスを取り逃す選択肢は持てない訳で、ならば我々は追うしかありません」
「正しくその通りだな」
「罠があれば食い破る、ただそれだけの事ではないか」
アヴェリンが決然として言い放つと、ミレイユは笑みを浮かべて頷く。
「それもまた然りだ。考えすぎるのは私の悪い癖だな。――至急、後を追う」
「綺麗に方針が決まったは良いがよぉ……」
インギェムが困り笑顔で肩を竦める。
「己にも何か指示はないのかよ?」
「いいや、特別なものは何も。手筈通りに頼む」
「運送屋に徹してれば良いんだな? あちこち忙しく移動させられそうだね、こりゃ」
「あぁ、非戦闘員なりの活躍ってのはあるものだ。そして、お前の権能は後方を支えるのに、非常に有用だ。頼りにさせて貰う」
それを聞いたインギェムは、僅かに顔色を良くする。
「おう、お前からそんな台詞を聞かされるとはな。直接戦えないのは申し訳なく思うけどよ、出来うる限りの支援はさせて貰うぜ」
「あぁ、お前にしか頼めないことだ。エルフには私からだと言って、早く準備させてくれ。……頼むぞ」
「ま、小間使いよろしく、忙しく走り回ってやらぁ」
インギェムはニヒルな笑みを浮かべて、孔の中へ帰っていく。
ミレイユは竜の頭上座から神殿長を見下ろし、再び言葉を投げつける。
「では、ロシュの守護は任せる。お前たちならば安心だと、信頼している」
神殿長から平伏のまま、実直な声を上げた。
すぐ傍にいた外部からの協力者――ヴィルゴットへと、直接的な兵の指揮権を頼んでいる。
慌ただしくなり始めた神殿内に、いつまでもいる訳にはいかない。
ミレイユはレヴィン達まで含め、全員をドーワへと乗せた。
ただの竜でも恐れ多い気持ちが強いレヴィンだ。
それが
強張った顔をして、しっかりとドーワに一礼してから背中に乗る。
そうして全員が乗り込むと、重力を感じさせない浮力で持ち上がり、翼のはためきで颶風を巻き起こしながら上昇した。
更にもうひと羽ばたきすると、あっという間に速度が乗り、雲を貫き飛んでいった。
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