東方防壁攻防戦 その2
「今すぐ、逃げたアルケスを追う」
「いいともさ」
ドーワは機嫌よく頷いて、それから目を細めて嗤う。
「いい加減、あいつには腸煮えくり返っていた所さ。そろそろ引導を渡してやる必要があるだろう。他の竜にも呼び掛けるかい?」
「そうしてくれ。空に網を張り、どこへ逃げようとも見つけ出せ。攻撃はしなくて良い。アイツは今や、淵魔になっている可能性がある。他者の生命を喰らうのは淵魔の特徴だ。ここで戦力強化なんてされたくない」
「……そうだね。力を落としているとはいえ、曲りなりにも神だ。慎重に越したことはないだろうさ」
そう言うと、ドーワは目を閉じて精神を集中させた。
竜が扱う対話とは、声に出すことばかりではない。
互いに念話で意思疎通を図れるのだ。
そして、ドーワが指示を出している間に、ミレイユも仕事をしなくてはならなかった。
同じく指示を待つ、アヴェリン達を見て伝える。
「聞いての通りだ、アルケスを追う。出来れば『核』について聞き出したいが、無理なら諦める」
「了解しました」
実直に礼をしたアヴェリンに続き、ユミルも頷いて見せると、それから不敵な笑みを浮かべた。
「既に淵魔化されていたら、訊き出すどころじゃないでしょう。けれど、せめてああいうのが量産化されているのかぐらいは、掴んでおきたいわよね」
「奴らはマナを持たない。それが一種の見分け方になるだろう」
「簡単に言うけど、誰もが出来るコトじゃないからね。刻印頼りで魔力の制御を怠っている奴らには、尚のコト無理でしょう」
「だとしても……いや、そうだな。それは仕方ない。それに、私が相手したのは試作品段階に見えた。あれで完成形だとしたら弱すぎる」
ユミルは苦い笑みを浮かべ、そしてレヴィンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……どうした?」
「いや、アタシ達も遭遇してるからね。苦戦した……ワケでもなかったけど、記憶を覗き見しようとして自爆されなかったら、少しは面倒になったかもしれないわ。……それに、レヴィンはまぁ、散々だったらしいわよ」
ミレイユが目を向ければ、レヴィンは大変申し訳なさそうに頭を下げ、悔恨に嘆いた。
「ルヴァイル様をお守りする任、十全に果たせずこの様な体たらく……申し開きもございません!」
「お前たちで苦戦するのか……? いや、しかし……」
「そりゃ、アンタなら小指一つで吹き飛ばせるのかもしれないけどさ……。魔術士にとっては、割と天敵みたいな能力してたし、レヴィン達だって――」
「いや、自分の力を勘違いしてるんじゃないんだ。今はドーワが捜してくれているし、その間に認識の擦り合わせをしておこう」
それに誰も異議はなく、そうしてアヴェリンから遭遇した淵魔の特徴について話し始めた。
※※※
「……なるほどな」
全員から話を聞き終え、ミレイユは重い溜め息をついた。
事態の深刻さは感じていたが、予想以上だったと改める他ない。
淵魔は喰らう対象の特徴だけでなく、持つ能力まで吸収する。
そして、複数喰らうことで、その能力同士を結合するのだ。
それがどういう経過あって得たか不明だが、ルヴァイルの能力から時空間へ影響を及ぼす程の力を得た……と考えるしかなかった。
「これは……、予想以上に問題だな」
「ですが、ミレイ様が試作品、と言っていたことは頷けるところがあります」
アヴェリンが声を上げて首肯し、当時を思い返しながら言葉を続ける。
「ヤツが持っていた未来視にしろ、十全に使いこなせていたか、と言われたら疑問でした。更に見える未来は限定的で、遠くまで見ることも出来ない。それは戦闘中故のことかしれませんが、より遠くまで見えていたなら、私の参戦は防ごうとしたでしょう」
「……そうだな、実際負けている訳だ。そして、負ける未来が見えていたなら、全力で回避しようとする。遠い未来まで見えてなかった証拠だ」
「そう思います。ユミルの時にしても同様です」
自分なりの解釈を進言しようとしたアヴェリンだが、それより先にユミルが割って入って、持論を展開する。
「耐性を得るとはいっても、それまでしっかりダメージ負ってたワケよ。最終的に無力化するのだとしても、それまでが長すぎるわ。実際、それで完封されてるワケでね……。直接攻撃を与えず、結界で物理的に遮断してしまえば動けなくなってたし、色々と片手落ちなの」
「つまり、未完成……試作品だという推測に、また一つ確証が加わった訳だな」
「でも、本当に試作品なんでしょうか?」
そう疑義を呈したのはルチアで、ミレイユに促される視線を受けて、そのまま話を続けた。
「片手落ちっていうのは、その通りだと思いますよ。でも、もしかしたら、育成中だったのではないかと。だって、人間の特徴ってそれ一つが成長する部分でしょう? 適応能力とでも言いますか……。得た力を、そのままではなく伸ばそうとします。魔物などなら、そうした事は起きませんから」
「しかし、それならばやはり、試作段階と同じ意味じゃないのか」
「いいえ、これは試行錯誤して大きな能力を作る工程を省ける部分に、意味があるのだと思います。淵魔は能力を組み合わせて強化しますが、逆を言うと組み合わせずに強化できないんですよ。その結果、とんでも性能が生まれることもあります」
「あぁ……。それぞれの特徴や能力は良いのに、自ら台無しにする淵魔を、これまで幾度も見てきたな……」
それは例えば、馬と鳥を組み合わせた場合などが例に挙げられる。
馬の脚力と鳥の翼を合わせれば有用なものを、鳥の空洞化した骨を得て歩くことすら出来なくなる場合もあった。
淵魔には肉も骨もないが、その特徴はしっかりと上書きされるので、何の役にも立たない個体が出来上がる。
そして、それは決して珍しい事ではないのだ。
アヴェリンはルチアの推測に頷き、合点がいったような晴々とした表情を見せた。
「なるほど、台無しにされるより、それを成長させてくれる淵魔がいるなら、実に有用だろうな。そして実際、試作品でも間違いはなく、実験目的で投入されたのかもしれん」
「それを悉く滅した今、そうした能力は消失したと……そう、考えて良いのでしょうか?」
ルチアの問いに、ミレイユは難しい表情で首を振る。
「期待したいが、そう甘くないだろう。丸薬によって淵魔と化すんだ。そこに能力を付与できるなら、それさえあれば幾らでもやり直せる、という話かもしれない」
「だとしたら、最悪ですね。――いえ、待って下さい。そもそも人間はどうやって調達するんです?」
「アルケスじゃないのか? 他に“ヒトガタ”が居ないなら、あるいは最初に持ち込んだのは、それしかいないって気がするが……」
「ですよね。手駒を全て放出したんでなければ、アルケスさえ潰してしまえば、新たには生まれて来ない……?」
それは期待したい所だが、材料の調達をするのに一番不自然でないのは、やはり人間だ。
最初の一人はどうしてもアルケスの必要があっても、それ以降は“ヒトガタ”を使えば良い話だった。
そして、それ専用の“ヒトガタ”がいたとしても、不思議とは思わない。
「まぁ、そこまで上手い話はないだろう。アルケスは逃げ隠れしている身だ。“ヒトガタ”ならば、神々や竜の視界から隠れるまでもない」
「ですか……、ですね」
「あ、因みにだけど……」
ユミルが声を挙げて、指を一本立ててはミレイユに向ける。
「その怪しげな淵魔、“新人類”って言うらしいわよ。どうもこの世の人間を、全員淵魔の支配下に置きたいみたいね」
「今の人類に、取って変わる新しい人類か? 馬鹿なことを……ッ」ミレイユは吐き捨てて続ける。「これじゃあ、どこまで浸透しているか分かったものじゃないな」
「元より『核』としても、アルケスとは別の思惑があって協力してたみたいですけど……」
「そしてつまり、全人類を自分の手駒に置き換えるのが、『核』の目的か……? アルケスを支配下に置くことは元より、神々全てすらそのつもりか……。それで話は、随分変わってくるが……」
ミレイユが不愉快そうに眉を潜め、ユミルもまた眉間に何本も皺を刻んで鼻を鳴らす。
「神すらも従える偉大な存在って? クソ喰らえよ。何一つ、思い通りにはしてやんないわ」
「それは同感だ」
険しい表情のまま頷いた時、遂にドーワから声が掛かる。
アルケスを発見したのだ。
「居たよ、見つけた。現在はユーカード領だ」
「ユーカード……!? 何故……!」
誰より激しく反応したのは、当然レヴィンだった。
その顔には焦りと苛立ちが目立ち、今すぐにでも駆け出そうとするかのようだ。
「
「いや、違うね。淵魔が湧き出てる。凄い数だよ。これまでにない攻勢だ」
「お祖父様……! 皆は!?」
レヴィンがドーワに近付き、懇願するように尋ねる。
しかし、ドーワにも詳細までは伝わってないらしく、鼻から小さく息を吐き――そして小さな火炎が鼻先から漏れた。
「すまないね、そこまでは分からない。しかし、どうも嫌な感じだよ。アルケスが呼び込んだのか、それとも別の意思あってのものか……」
「大攻勢か……。タイミング的に考えても、計画が失敗に終わったから、
ミレイユが渋面になって呟くと、ユミルはこれに同意しつつ持論を述べる。
「あるいは、肝煎りの“新人類”とやらが、全て失敗に終わって尻に火が付いたか、よ。計画を早める必要に迫られた、とかなら、割と頷けるコトではあるのよね」
「ならば、これが東部だけで起こっているとは思えない。陽動の意味も込めて、南部でも大攻勢が起きてる筈だ……!」
ミレイユはハッキリと顔面を苦渋に歪め、その場で勢いよく立ち上がった。
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