東方防壁攻防戦 その4
レヴィンはこれまでの旅路を振り返り、遠いとは言えない過去に思いを馳せた。
ユーカード領から出るまで、そしてユーカード領から出た後も、長らく時間を掛けて旅して来た。
そして別大陸を股に掛け、膨大な距離を移動したというのに、到着したのは余りに一瞬の事だった。
地形を考慮しない空の旅、そして風さえ貫く竜の翼は、移動時間を殆ど感じさせず感嘆とした。
何より凄まじいのは、超高速で飛ぶというのに、揺れは殆どなく、風の抵抗すら受けない事だ。
神が竜に乗って移動するのも、この快適さを知れば当然、という気がしてしまう。
「それにしても、アルケスは何処に……?」
「流石に追い付くのは無理だったらしい。既に壁の向こう側へと入ったようだ。そして、嫌がらせする余裕すらなかったらしいな」
「……と、申しますと?」
ミレイユの見解にレヴィンが尋ねると、今まさに迫り、そして過ぎ去るレヴィンの故郷を指さした。
「
「それは……、確かに」
レヴィンの性格からして、当然無視など出来ない。
被害規模次第で、人手は多く必要になる。
そして、普段ならば多くその手助けが出来る兵は、淵魔急襲の報を受けて飛び出している筈だった。
レヴィン達の性格を熟知しているアルケスだ。
有効と見るや、攻勢魔術の一つや二つ、撃っていても決して不思議ではなかった。
「アルケスならば、やりかねない……。でも、やらなかったというなら、竜からの報復を恐れたのでしょうか?」
「そういう性格をしていないだろう。触発するのを恐れた線は捨て切れないが、それより大事な何かがあったか……。もしくは、急行する理由があったのか……」
そう言って、ミレイユは前方に見える壁の奥を睨んだ。
ドーワが言っていた通り、既に第一の障壁は突破されていた。
幾つもの歯型で壁がくり抜かれており、最早障壁としての意味を為していない。
「くそっ……! 好き勝手してくれる……!」
レヴィンもまた、眼下を睨んで吐き捨てた。
数が多いと聞いていたが、実際に見てみると、その実態に舌を巻く。
地に満ちる淵魔が、泥のように蠢いていた。
ロシュ大神殿に侵攻して来た淵魔も津波のようだと思ったが、これはそれよりも酷い。
地に満ちる淵魔、とは決して比喩表現ではなかった。
淵魔を押し込める不毛の大地――。
壁より向こうは何もなく、ただ赤茶けた大地が広がるばかりで、その広大な土地に、今は夥しい淵魔だけが
「悪夢の光景だ……」
「だが、その悪夢も一夜で明ける。その為にこれまでやって来た」
ミレイユの言葉に励まされ、レヴィンは感謝と共に頭を上げた。
その後ろからユミルが、同じく眼下を睥睨しながら言ってきた。
「アルケスの姿は見えないわね。……というか、こう淵魔の数が多くちゃ、どこに紛れてるか分からないんだけど。提案としては、チームを二つに分けたいわね」
「この戦力を一箇所に集中させるのは論外だ。……それは良いが、具体的には?」
「そうねぇ、やっぱり防衛組と攻勢組かしら?」
ドーワが旋回し、それで身体が斜めに傾く。
今は速度も落ちて、戦場の上をゆっくりと飛び待っている状況だった。
そして、ドーワの周囲にはアルケスを追っていた竜や、追加で参戦した竜などで、総計三十もの戦力が加わっている。
防衛戦に徹している兵たちからは、沸き立つような歓声が上がり、竜の援護を感謝と共に歓迎していた。
「第二の障壁が突破されるのは時間の問題でしょう。最終防衛ラインまで退却させて、そこで戦力を纏め上げるの。そして、攻勢組はこれの侵入を遅らせつつ、背後から迫ってくる淵魔にも対応する、と……」
「大仕事だな」
ミレイユが簡潔に感想を述べると、ユミルは皮肉げに笑う。
「そうならざるを得ないって話でしょ。防衛にはアヴェリンとレヴィン組、攻勢には残ったアタシ達。そういう感じで行きましょ」
「私だけが防衛組か」
一人除け者にされた分け方に、アヴェリンが眉間に皺を寄せ不満を述べる。
その最中、竜からそれぞれ
竜にはそれぞれ得意とする
それで色とりどりの光が空を照らし、朝が明けたばかりの空を彩った。
「こっちは繊細さが必要だからね。それに竜の背に乗ってちゃ、アンタの得意分野を活かせないでしょう? どこかで潜んでいるアルケスが狙うとしたら、御しやすいレヴィン達の方でしょうし……そん時、アンタがいると心強いわ」
「しかし、一大決戦の時、私がミレイ様の傍におらんなどと……!」
「どっちにしろ、傍には居られないわよ。数において劣勢なんだから、臨機応変に対応する必要があるし、どこかで個別運用するコトにもなると思うから。ただ防衛ってだけじゃなく、切り込む必要だって出て来ハズよ。そういう時こそ、アンタの馬鹿力の出番でしょ」
「言い方は気に食わんが、単に引き離したいからの運用じゃないのは分かった」
アヴェリンの言い分に、ユミルは鼻で笑って首を回した。
その間にも竜の
「当たり前でしょ、そんな馬鹿やってる余裕ないわ。常にアルケスが襲ってくる可能性も考慮しなくちゃいけないし」
「まぁ、この数だ……。何処で何をしようと、楽できるという事はない。精々、ミレイ様をよく守れ」
「アンタはよくそれ言うけど、守る程の可愛げが、うちのコには全然ないじゃない」
「関係あるか! 私が傍におられんのだ! 必死に守れ!」
ユミルの耳元で、唾を飛ばす勢いで話すアヴェリンに、彼女は顔を顰めて頷いた。
耳の穴を指でつついて調子を確かめながら、もう片方の手で下を示す。
「それなら、とっとと行ってちょうだい。流石に壁の間は狭くて
「分かってる。お前の作戦に乗るのは気に食わんが、ミレイ様が何も仰らないのだ。それに従う」
「あぁ、お前ならどんな問題が起ころうと、安心して任せられる。――頼むぞ」
「ハッ! 完璧な成果を献上いたします! 私が行くからには、壁の外には淵魔一匹たりとも通しはしません!」
「うん、信頼している」
ミレイユが言葉通りの信頼の眼差しを向けると、アヴェリンは誇り高く頬を紅潮させながら一礼した。
「吉報をお届けいたします! どうかミレイ様も、お気を付けて!」
ミレイユは苦笑交じりに頷いた。
どこまでもミレイユの武器たらんとするアヴェリンは好ましく、またどこまでも心配性な彼女には困ってしまう――。
それが分かる表情をしていた。
そうして、ミレイユは旋回を続けるドーワに指示を出して、今も壁の歩廊で戦い続ける戦士達を指さした。
「今から低空飛行させて、あそこに近付く。『落葉の陣』を張ってやるから、そこ目掛けて降りろ」
「は、は……ッ! 了解です! ……いや、でも狙った所に落ちれるものか……」
反射的に返事をしたレヴィンだが、降下作戦などこれまで一度もやった事がない。
単に高い所から落ちるだけならまだしも、移動中の最中に降りるとなれば、素人でも難しいと想像が付いた。
また、第二障壁の上や両端には、足場として戦える歩廊が用意されているが、大人数が降りられるほど広々とはしていない。
果たして狙った場所に降りられるものか……。
そして、逸れた場合は淵魔の只中に落ちる可能性もあり、臆する気持ちを捨て切れなかった。
その不安はミレイユに一蹴されると思いきや、ごく自然に納得して修正案を口に出す。
「そう言われたらそうだな。当たり前に出来ると思ったが、慣れた者でも難しい。アヴェリンと同じ練度を期待するのは少々、酷か……」
「では……?」
「私が直接、投げ入れてやろう」
「え……!?」
ぎょっと身構えた時には、もう遅い。
ミレイユが念動力を使って、レヴィン達を既に持ち上げていた。
「え、え……!? ミレイユ様……!?」
「安心しろ、私は失敗しない。衝撃についても、『落葉の陣』が防いでくれる。……あぁ、感謝の言葉はいらないぞ。お前たちを大事に思えばこそだ」
「いや、ちが……っ! ミレイユ様!?」
「さぁ、行って来い!」
抗議の声など全く耳に入っておらず、ミレイユはレヴィン達を次々と投げ飛ばした。
その衝撃は凄まじく、まるで人間砲弾だ。
しかし、言うだけあって狙いは正確で、歩廊の一部へ次々に着弾する。
本来ならその衝撃で、壁に罅が入りそうなものだが、これもミレイユが言った通り、『落葉の陣』が受け止めてくれたお陰で傷一つない。
戦闘が始まるより前から疲弊した気持ちで立ち上がり、レヴィンはロヴィーサを、そしてヨエルはアイナの手を取って立ち上がらせた。
それから、一拍遅れてアヴェリンが降り立つ。
歩廊の上は一種騒然としていて、まさか攻撃されたのかと動揺していたが、煙の晴れた向こう側から現れたのがレヴィンと分かって、また別の歓声を上げた。
ユーカード家の人間は、淵魔討滅に対して信頼できる戦士の代表みたいなものだ。
そして、レヴィンの実力を知らない兵など、ユーカード領にはいない。
「……若様! 若様だ! 神の赤竜から降って来なさったぞ!」
「神にも認められしユーカードの、その次期当主が、神の救援を自ら勝ち取って来たのか!」
それは大いなる誤解だったが、兵たちの士気は否応なく上がる。
これに水を差す必要はなく、むしろ大いに活用すべき所だった。
「そうとも! 神は……、
『おぉぉぉぉオオオオッ!』
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