東方防壁攻防戦 その5
兵達の歓声が、怒号となって響き渡る。
ユーカード領が討滅の任を預かって以来、恐らく初めての氾濫で、誰もが不安を感じていた時だ。
しかし、頭上には竜が羽ばたき、そして神すら救援に来ている。
それが彼らの誇りを刺激し、大いに盛り上げ、淵魔と戦う力になった。
壁をよじ登ろうとして来る淵魔は多い。
数に圧倒されていたのも確かだ。
しかし、彼らの士気は熱気を帯び、次々と淵魔を追い返し始めた。
「よぉし、まだ大丈夫だ! 武器構えェェッ! 刺せェェェッ!」
歩廊の兵は槍を持ち、次々と突き刺しては登って来ようとする淵魔を貫く。
また、武器は全て刻印を宿すものばかりであり、時に火炎を吹き出し、貫くだけでは飽和しようとした時に使っている。
ただし、刻印を宿した武器にも使用制限があり、何度も使えるものではない。
使い捨てにせざるを得ないのだが、その場に捨てる事も出来ないので、兵たちは手に武器を持ち、代わる代わる場所を交代して淵魔を撃退していた。
そして、兵士は手に槍を持つ者ばかりではない。
弓を持って矢を放つ者は壁に直接、刻印を使って爆撃する者は主に地面へ向けて攻撃していた。
ここが正念場と分かっているから、誰もが出し惜しみなく全力をぶつけている。
「撃てッ! 次々に撃てッ! 奴らを壁から引きずり落とせ!!」
それでも淵魔の数は全く減る様子がない。
壁から落ち、地面に衝突しては溶けて消えて行く
その後方では竜が空を舞い、口からは次々と
それだけではなく、雨あられと竜の背から魔術から注がれていた。
天地が割れるような、目も眩む攻撃には違いない。
それでも淵魔の勢いは衰えることなく、むしろ増しているようですらあった。
「逃げ先がここしかないせいか……?」
そして、反撃も出来ないから、かもしれない。
しかし、当然竜までは距離があり、攻撃など届かない。
淵魔に恐怖の感情などなく、攻撃を受けたとなれば反撃しようとするだけだが……。
その矛先を、向けやすい方向に変えただけかもしれない。
「攻撃の手を緩めて欲しい、とも言えないか……」
それはそれで、やはり
命あるものを狙うのは淵魔が持つ、唯一の本能と言ってよい。
何より、竜と魔術の複合攻撃以上に、淵魔の数を減らせる手段などないのだ。
「今だけの辛抱だ……!」
まさか本当に無尽蔵である訳がない。
最大のピークを越えれば、後はこの勢いも目減りして行くに違いなかった。
「若様、それより御方々から受けた指示を遂行いたしませんと……!」
「――あぁ、そうだった!」
ロヴィーサからの進言を受けて、レヴィンはハッとする。
現在の最高責任者が何処に居るかは、近くを見渡せばすぐに分かった。
そこでは自らも槍を振るいながら、見事に指揮を取るエーヴェルトがいた。
そのエーヴェルトも、一応の危機を凌ぐと、副官に指揮を任せてレヴィンの方へと駆け寄って来る。
頬の一部に薄い切り傷がある以外、大した手傷を負った様子もなく、大股で近寄って来てはレヴィンを抱き締めた。
「おぉ、我が孫! 我がレヴィンよ! 全くどういう登場の仕方なのだ! 神竜に跨がり参上するなど、長きユーカードの歴史に於いても聞いた事がない!」
「お、お祖父様! 遅参いたしまして、申し訳ありません!」
「ムハハ!
そう豪快に笑ってレヴィンの背中を乱暴に叩いて、エーヴェルトは身体を離した。
次期当主に相応しいと、誰より認めるエーヴェルトだから、神の助力さえ勝ち取ったレヴィンの存在が堪らなく誇らしい。
それはつまり、神の承認を受けたと言って過言ではなく、そしてそれは開祖以来の快挙でもあるのだ。
しかも危急の時、もう駄目かと思われたその瞬間での事だった。
障壁はまだ後ろに一枚残っているが、残っていたからといってどうとなる状況でもなく、数に押し潰されるのを待つしかない状態だった。
それを救った立役者とも言え、自然エーヴェルトにも熱が籠もる。
「それにしても、心配していたのだぞ! 馬だけが帰って来て、お主たちの姿がない。消息も途切れ、もしやと思わされた所だったのだ!」
「それは……、申し訳ございません。こちらにも色々ありまして……」
「それはそうだろう! 何事かなければ、馬だけ帰って来たりするものか!」
心のどこかで引っ掛かっていた馬が、無事帰っていたと知って、ヨエルやロヴィーサからも安堵の息が漏れた。
レヴィンも勿論その一人で、小さく笑みを浮かべた時、エーヴェルトは一歩離れて上から下まで眺めた。
「それにしても、男子三日会わざれば……とは言うが、随分と見違えではないか! ――いや、ヨエルやロヴィーサまでも、これまでと比較にならん! これは一体どうしたことか!」
「それも離せば長くなりますが……。
「ほぅ!」
詳しく言えないし、いま詳しく説明する状況でもない。
それで簡潔な報告となったのだが、エーヴェルトの顔は増々喜びに満ちていった。
「そこまで
「それで、お祖父様……」
「む……、アイナとやらまで一緒ではないか。送り届け、異世界とやらに帰す話ではなかったのか?」
ヨエルの陰に隠れて見えなかったアイナだが、戦場の只中、激しく行き交う兵士に押され、前に出て来て顕になった。
エーヴェルトの疑問は当然でもあったが、レヴィンとしては余りに今更な質問でもある。
実は互いの時間と認識に、大きな隔たりがあるとは思われていないからこそ、出て来る質問でもあった。
「お祖父様、その辺について、詳しく説明している暇はありません。それより、先にご紹介を。――こちら、
「おぉ、神使様……! ご尊顔を拝しますは光栄の極み……! この危難に際し、神使様からのご助力頂けるとあれば、兵も奮い立ちましょう!」
根っからの大神信者のエーヴェルトは、感動も露わに一礼する。
アヴェリンはそれを受け取り、泰然と頷いてから口を開いた。
「うむ、勝利へ導く為に、こうして来た。そして、
「なんと、
本来は僅かな時間でも、余裕などない筈だった。
しかし、消息不明となった孫が生存していただけでなく、神の寵愛を受けて神使と共に帰参したとなれば、エーヴェルトとてその興奮は抑えようもない。
だが、改めて神託を授かるとなれば、態度も即座に改められ、背筋をピンと伸ばした。
「
「承った……!」
エーヴェルトは力強く頷き、直後に指揮官としての表情を取り戻し、単純な疑義を申し立てた。
「防衛体勢を整え直すのは良かろうと。しかし、問題もあるのですぞ……!」
「それは……?」
「撤退までは良いでしょう。少しずつ手勢を移し、消耗した兵を入れ替え、武器と戦力を整える……。仕切り直すに問題はないと思われます!」
「そう、
アヴェリンもまた力強く頷き返すも、エーヴェルトの顔色は芳しくなかった。
「しかし、整えてどうする、という問題でもあります。既に
「そうだな、上空からもそう見えた」
「最終障壁に陣取ることは、これ以上負けられないという背水の陣に等しい! かつ、援軍なしに戦える状況でもない! 神使様の助力、レヴィンたちの帰参はこれ以上なく頼もしいが! さりとて、それだけで凌げる程、此度の淵魔襲撃は甘くなかろうと存ずる!」
長らく前線で淵魔と戦ってきたエーヴェルトだからこそ、状況をごく正確に捉えていた。
神の援護は凄まじく、今も天と地に光が交差し、荒れ狂う衝撃が地面を揺らしている。
それでも淵魔は壁へ襲い来るのを止めない。
或いは神と竜から逃げ出そうと、壁の外へ一縷の希望を見出しているようにさえ錯覚する程だ。
そこへレヴィンが二人の間に割って入り、声を大にして宣言する。
「ご安心を! その援軍も、間もなく到着します!」
「なに……、南のハスマルクが来てくれるのか……?」
それはエーヴェルトとしては実に現実的な発想で、そしてそれでも尚足りない、と顔には書いていた。
レヴィンはそれを否定し、首を横に振る。
「これはもう我らユーカードだけの問題ではありません。はっきりと世界の危機です。そして、だから援軍も我らの知る者ばかりでなくなります」
「む……、それはどういう意味か」
「世界の神々……そして、その神々に庇護される民が、その援軍としてやって来るという事です! 急ぎ、撤退の準備を! 最終障壁で待ち構えましょう!」
「……今は納得している場合ではなさそうだな。相分かった、その援軍を信じて、今は撤退作業を進めよう!」
信じて良い筈だ。
こういう時の為に、ミレイユは神々の間を巡り、協力体制を築いていたのだ。
そして、逆撃を始めると同じタイミングで、神々も軍の準備を始めている筈だった。
「殿はお任せを! 我らがしかと務めてみせます!」
「なに……? その様な危険、お主に任せられる筈なかろうが!」
「いえ、むしろこの程度出来なくては、御方々に示しが付きません。むしろ、尻を蹴り上げられ叱責されます」
レヴィンがアヴェリンを見て笑うと、エーヴェルトは豪快に笑った。
「ムハハ! ならば任せよう、撤退指揮はこちらで持つ! あちらで会おう!」
「はいッ! しかと務めを果たしてみせましょう!」
互いに敬礼をして背中を向ける。
そうして、各々の仕事に取り掛かった。
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