辺境領の変事 その3
撤去作業にしろ、修復作業にしろ、慣れているというのは事実で、順調に進められた。
太陽が頂点を過ぎた辺りから開始して、陽が傾きかける頃に撤去は終わり、既に仮型を組み上げていた。
これまで淵魔が二日続けて、襲撃して来たことはない。
それどころか、最低でも七日の間を開けてやって来るのが常であり、ひと月に一度の頻度も珍しくなかった。
今回は淵魔の変化に兆しを見たので、前例通りと考えるのは危うい。
だから、ロヴィーサが提言した通り、部隊の入れ替わりで領都に帰るエーヴェルトから、その旨を伝えて貰う手筈になっていた。
ゆっくり徒歩で進軍しても三日の距離に領都がある。
前線から余りに近過ぎるのには理由があり、領都はこれまで幾度も遷都して来たからだった。
領都はユーカード家が収める土地。
そして、ユーカードは常に前線で指揮を取り、領民を守る。
初代の教えを誇りとし、忠実に守った結果が前線へ即座に応じられる様、領都を繰り返して来たという訳だった。
だから、街の規模はそれほど大きくない。
防備を固める壁こそ立派で、歩哨や見張り台もあって、外敵への備えは万全に見える。
城郭都市として設計されている為、その防御能力は高かった。
しかし、設計上の問題として収容できる人数には限りがある。それが問題と言えば問題だった。
それでも、かつて領都だった街よりは大きく頑丈で、住み心地も良くなっている。
何より順当に行けば、このテルティアが最後の領都だ。
淵魔へ対抗して東進する必要もなくなり、また脅威の根幹も消えて無くなる。
どっしりと居を構えるに相応しく、大河の中島を天然の要害として作られた街には、まだ開発の余地が残されていた。
街の外では放牧も行われており、馬や牛、羊などの姿と牧童の姿も見える。
テルティアに掛ける、期待と展望は明るかった。
レヴィン達一行に気付いた彼らは、一様に手に振って歓迎を示していた。
今回の勝利で、また一つ淵魔の歩幅を減らせたと見て、誰の顔にも笑みが溢れている。
跳ね橋を渡り、テルティアへ騎乗したまま踏み入ると、街に住む皆が笑顔で迎えてくれた。
「若様、お帰りなさいやし! 今日も戦勝だったようで!」
「お疲れ様です、若様! 何事かと思いましたが、ホッとしましたや!」
「先代様も、お務めお疲れ様でございました!」
道の両端に寄って来た領民へ、レヴィン達は揃って手を振って応える。
石畳と石造りの町並みは無機質で無骨な印象を与えるが、彼らの表情が明るいお陰で、街の活気は逞しい。
また住んでいる民の多くは戦支度を手伝う者たちとあって、他の街と比べると無骨な雰囲気は拭えない。
テルティアの経済は戦闘の上で成り立ち、戦闘を繰り返す事で潤って来た。
一つの勝利は一つの余裕を生み、淵晶は富を作る。
全てではないにしろ、それは民に対しても還元されるので、勝利はいつだって歓迎できるものだ。
「まったく、我が領民どもの何と愛らしいことよ! この笑顔を守る為、我らはその身を盾として捧げねばならん! 分かるな、レヴィン!」
「はい、よく心得ております、お祖父様。父祖に……何より初代様に、顔向けできない振る舞いはしません」
「うむ! そうでなくては! ユーカード家も安泰よ!」
そう言って、機嫌良くエーヴェルトは笑った。
彼の威勢良い豪快な笑い声は、周囲に良く響く。
そうでなくとも普段の声からして大きかった。
先程のやり取りも周囲の領民に聞こえていたと見え、領の安泰、対淵魔の安泰に一際大きな笑みと歓声が湧いている。
「良い野菜採れましたや、明日にでも持って行きますよって!」
「全員無事の戦勝だ、肉も捌かにゃ! 良い羊、締めますわぃ!」
「若様、こっち向いてー!」
中には黄色い声援も混じり、苦笑しながら手を上げて見せれば、年頃の女子が悲鳴にも似た歓声を上げた。
すると、すぐ背後から低い声音が響いて来る。
「余り調子に乗らないで下さいね、若様。目に付く者を手当たり次第に、手を出すなどなさらぬように」
「しない、する訳ないだろ……! そんな節操無しじゃない!」
「然様でございましょうとも。ですが若様も年頃、婚姻を考える歳です。正妻をお決めになるまでは、他の婦女子への手出しは控えて下さいませ」
「なんでだよ! 誰にも手なんか出さない!」
まるで、正妻が決まった後なら手を出しても良い、と言うような口振りだった。
実際、法の上でも領主は複数の妻を持って良い。
レヴィンの父は妻を一人しか持たないが、初代様からして三人の妻がいた。
家を継げない次男三男が別に家を興し、それが現在の分家となった経緯があるので、誰に咎められるものではない。
とはいえ、複数の妻を持って当然というロヴィーサの考えも、今の時代において古めかしいものだ。
一人の妻で十分と考えていたのは、レヴィンの父も、また祖父にしても同じだった。
「ともかく、まだ妻なんて俺には早い。それに、俺は……」
「俺は……何です?」
ロヴィーサが小首を傾げ問い掛けると、レヴィンはバツが悪そうに顔を背けた。
直前に見せた熱心な視線を見れば、どう思っているか一目瞭然なのだが、肝心のロヴィーサは気付かない。
「何ですか、ハッキリ言って下さい」
「言える訳ないだろ……!」
「何故です。若様が当主として立つには、まず婚姻が成立してからじゃありませんと。そろそろ真剣に考えて頂けなければ困ります」
「いや、そうだけど。そうじゃなくて……!」
若い二人の微笑ましいやり取りを見て、エーヴェルトはまたも声を上げて笑う。
何に笑われているか分からないロヴィーサは、不思議そうに首を傾げ、笑われたレヴィンは顔を赤くさせた。
領都の中央を貫く大通りを進めば、直ぐに領主の館が見えて来る。
兵を引き連れて行く訳にはいかないので、宿舎で一度解散させるよう、ヨエルに預けて別れた。
道を更に進めば、幌の付いていない馬車がポカリポカリと音を立てて歩いている。
領主の館は目の前で、この道を進むのなら、目的地もそこにしかならない。
荷台には生活用品や水が入っている樽、食料品などが少量積まれているだけだったが、荷物の中に埋もれるように小柄な誰かが座っていた。
全身を麻のローブで包んでいる為、男かどうかも分からない。
手綱を取っている人物もまた同様に、フードを被って人相を隠している。
不審さしかないが、それが誰なのか、背格好からレヴィンにはすぐ分かった。
「――先生!?」
声を上げるのと馬車へ追い付き、館へ到着するのは、ほぼ同時だった。
道を譲る意味でも、また馬を止める為にも入口から逸れた所で荷馬車は止まる。
御者台から降りて顔を見せたのは、レヴィンが口にした通り、昔から知己のある男性だ。
「やぁ、随分と久しぶりだ。一年ぶりかな?」
フードを目深に被っているので、その人相までは窺えない。
しかし、鼻から下から見える範囲では、歓迎の笑みを浮かべていた。
名前をアクスルと言い、体格は中背中肉。
年の頃は二十代から三十代といった所だが、その容姿はレヴィンでさえ見たことがない。
食事中も、睡眠中もフードを外さないので、何かしら理由があるのだと誰もが察している。
そして、自ら口に蓋して理由を話さないのだから、相応の理由もあるのだと理解していた。
気にはなっても昔からのこと。
今更、それを問い質すものでもなく、そういうものだと受け入れられていた。
レヴィンは馬を使用人に預けると、ロヴィーサを伴い近寄る。
互いに気安い関係で、その関係性は領都全般に渡った。
なにしろ、兵をしている多く者は、彼の教えを受けているのだ。
特に魔術関係を中心に、魔力の扱い、制御とその鍛練方法、刻印の扱い方も教授してくれている恩人だった。
レヴィンとロヴィーサ、ヨエルは元より、エーヴェルトの代まで遡ってその薫陶を受けているので、一族の……あるいは領の恩人と言っても過言でない。
「先生、お久しぶりです。どうしたんです、急に!」
「お言葉ですけど、若様。先生が訪ねて来るのは、いつだって唐突ですよ。それに……」
ロヴィーサが口ごもって言葉を止めると、そこへ横入りする様にエーヴェルトが声を挟んだ。
「それに、いつだって厄介事を持って来よる! 口さがない者が、お主を何て言っておるか知っているか?」
「はて……? そういった都合の悪いものは、生憎この耳に届いて来ない様になっておりまして」
アクスルは旅人だ。
一つ所には留まらず、町から町へ、常に移動を繰り返す。
かといって、商いを生業にしている訳でもなかった。
彼は『深淵渡り』と呼ばれ、淵魔の動向を探る目的で旅をしている。
ここ辺境領では東へ押し込む事に成功しているが、大陸全土で同じ事が出来ている訳でもない。
以前アクスルが訪れた際には、南方が危ういと報せを持って来たので、その応援にエーヴェルトとその部隊が駆り出された。
彼の登場は凶事の前触れと言われ、不吉を呼ぶと嫌う者も一定数いる。
感謝もされているが、来る度に厄介事を持ち込むとなれば、そうした意見が出るのも仕方ない。
しかし、己を不吉呼ばわりされていても、アクスルは露ほども気にならないようだった。
「まぁまぁ……。世の中には嫌われ者ってのも、必要なものなんですよ。それで事も無しなら、よろしいじゃありませんか」
「嫌われ者を買って出とる訳か! まぁ、そうでなければ、淵魔に付いて回れる訳もない!」
実際、アクスルの情報に幾度も助けられたのは間違いない。
淵魔の氾濫は即ち、この世の終わりだ。
自分達だけ助かれば良い、という問題ではない。
仮に南方での封じ込めが失敗していれば、そこからどれだけの淵魔が大陸中に広まったか、想像もできない。
辺境領とて東側のみに注力する事が出来ず、戦力を二分した結果、どちらでも敗北した可能性もある。
それを思えば、彼の功績は間違いなく大きなものだ。
「それで、先生。今日はどういった要件で? こっちも今しがた戦勝して来たばかりで、即座の対応は勘弁願いたいんですが。兵も休ませてやらねば……」
レヴィンが困り顔で尋ねると、もっともだ、という風にアクスルは頷く。
「あぁ、大丈夫。これまでの様な件ではないよ。……厄介事には違いないけどね」
「う……」
レヴィンが思わず顔を顰めると、逆にアクスルは破顔する。
「まぁまぁ……、そういう顔をしたい気持ちは分かるけどもね。此度の戦勝、実に見事だった。それで、余り大きな声で言いたくないんだが、淵魔の動き……妙じゃなかったかい?」
その一言で全員の顔が引き締まり、空気が一変する。
エーヴェルトは今にも掴み掛らん勢いで迫り、すぐにでも口を割らせようとした。
胸倉を掴み上げようとした手は躱さなかったものの、すぐにその手を叩いて降参を表した。
「いやいや、ここで話すのは何でしょう。それに、祝勝の宴があるのでしょう? その時にお話します。何が起きたか。――何が問題か」
そうまで断言されると、エーヴェルトも頑固ではない。
即座に手を離し、怒張させた顔のまま頷いた。
「確かであろうな? 勘違いでは済まされんぞ」
「はい、こちらが確信している情報を、間違いなくお話します。どうせなら、ユーカード家全員に聞いて貰いたい話です」
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