辺境領の変事 その4
夕方になり、空が茜色に変わった辺りで、祝勝会が開かれた。
篝火を焚き、領主の館前の広場を使って盛大に肉を焼く。
その火を中心に輪を作って、各々好きに飲み食いするのが、ユーカード流の祝勝会だった。
この時は館の方も開放されて、大広間まで自由に行き来できる。
こちらには肉ばかりでなく多種多様の料理が並び、また酒もふんだんに振る舞われていた。
館の中庭では今日だけでなく、これからの戦勝を祝う催しも行われ、大抵の場合、拳闘で勝敗を付ける勝負が繰り広げられる。
そして今日もまた、定番の拳闘が中庭で賑わっていた。
『うぉぉおおお!!!』
「ダァーッハッハ! 良いぞ、流石我が孫! 領主の器とは、そうでなくてはならん!」
レヴィンが目の前の男を打ち倒し、拳を振り上げればワッと歓声が湧く。
上半身は肩裾のない麻シャツ、下も踝が出る麻ズボンで、手には包帯を厚く巻いたバンテージがされてあった。
血も多く付着していて、相手の顔面も相応に出血していて腫れている。
「ほら、さっさと治療して貰え!」
「ええぃッ、今日こそ一撃と思ったのによぉ……!」
「前よりは良くなってた。ヒヤリとする場面もあったしな」
しかし、レヴィンの顔は綺麗なまま、一撃喰らった様子もない。
つまりそれが、彼我の実力差というやつだった。
その上で容赦なく顔面を殴れたのも、魔術を使った治癒手段あってこそだ。
この世にあって、全ての者は魔力を持つ。
魔力は魔術を使用するには、なくてはならない力だ。
しかし、多くの場合はその魔術ではなく、習得が容易な『刻印』によって行われる。
とはいえ、たかが拳闘の治癒に魔術を使うというのも贅沢な話だった。
そうだとしても、このテルティアでは許される。
何しろ生まれながらにして、戦闘を子守唄にして育つ様な街だ。
誰もが魔力を習熟するし、誰もが刻印を持っている。
正式名称を『魔術刻印』といい、これは非常に身近なもので、唾付けておけば治る、の気楽さで治癒術が使われていた。
他の街では、こうはいかない。
だがそれは、同時に全領民全兵士という意味でもある。
もしも淵魔が溢れる事態となれば、全員一丸となって戦う。
それを出来るだけの土壌を、築き上げているという意味でもあった。
レヴィンが対戦相手を下がらせ、次の相手を待っていると、ヨエルが前に進み出て歓声が上がる。
歯応えのある奴が出て来たと、笑みを深くしたのだが、ヨエルが見せたのは手を払う動作だった。
「若はもう十戦したろ。勝ち抜き数が十に届けば、次に譲る決まりだ。それに、体力の消耗激しい相手に勝っても嬉しくねぇしな」
「試してみるか?」
「
そうまで言われて残り続ければ、周囲の反感を買いかねない。
それにレヴィンとヨエルのカードは鉄板ではありつつ、見飽きられている所もある。
拳闘は宴の華であると同時に、稽古の意味合いも兼ねていた。
一人が占有するのは褒められない。
それを重々理解しているレヴィンは、肩を竦めて下がった。
『うぉぉぉおおお!』
そして、その代わりに歓声と共に迎えられたのはロヴィーサだ。
ヨエルが出て来た時同様……あるいは、それ以上の大きな歓声で持って迎えられ、挑戦的な笑みをヨエルへ向けている。
レヴィンとヨエルの拳闘が鉄板なら、ヨエルとロヴィーサの拳闘は、稀にしか見られない好カードだ。
普段はロヴィーサの方から辞退する事が多く、対戦機会に恵まれない。
だというのに、今日は何か彼女のやる気に火を付けることがあったらしい。
「初っ端からお前さんか。もう少し、新兵なんかにも機会を与えて欲しいもんだ」
「ボコボコにされてから、そうなさると宜しいでしょう。私はこの一戦を終わらせて、すぐ下がりますので」
「……これは勝ち抜き戦なんだがね?」
「部隊後退の合図を聞かず、最後まで殿を務め、あげく頭部に傷を負った馬鹿者には、少し灸を据えねばならないでしょう」
ロヴィーサが何故やる気になったのか、これで判明した。
今回の戦闘報告を聞き、詳しい内容を知った彼女は相当なお冠のようだ。
ヨエルにしても反論せず、自分の失態に嘆く素振りを見せている。
ロヴィーサもヨエルを兄と慕う気安さを持ち、互いに信頼する仲ではある。
しかし、時として見せる無鉄砲さと、自分を犠牲にし過ぎるやり方には、以前から苦言を呈していた。
口で言っても分からぬようなら、と重い腰を上げることにしたらしい。
「どうにか手加減願えないかね」
「言ったでしょう、ボコボコにします。止める者が傍に居ないと出来ないなら、そうならないよう教育するまで」
視線を向けず、バンテージに緩みがないか確認しながら、底冷えする声音で言う。
そうして開始の合図と掛け声が上がり、先制したのはロヴィーサだった。
ヨエルは重い大剣を軽々と振るい、その膂力で敵を薙ぎ倒せる体格を持つから、互いの差も倍近くある。
力もスタミナもロヴィーサを上回るが、それに反してスピードは遅い。
逆にロヴィーサはスピードで勝り、それ以外では劣っていた。
ただしそれは、魔力を用いない場合に限っての話だ。
筋力と体力は、魔力によって補える。
そして、魔力の補佐は鍛えた筋肉よりも、余程戦闘に寄与するものだ。
ヨエルも魔力を制御して応戦を試みるが、端からスピードに差があるからか、ロヴィーサの動きを捉えられない。
上手くフェイントを入れ、近付けさせまいと足を使うが、それさえ掻い潜って一撃が放たれる。
ボグォン、と肉を叩いたとは思えない衝撃音と共に、ヨエルの身体が横に流れる。
横っ腹を外から殴られ、口から唾液が飛んだ。
一瞬、白目を向いたヨエルは、それでも歯を食いしばって反撃を試み、上段から拳を振り下ろす。
小さなステップでこれを横に躱し、動きに揺れたロヴィーサの髪が、数本千切れて宙を舞った。
ユミルの伸び切った腕が戻る動きに沿って、ロヴィーサもまた接近すると、今度は逆側の腹を殴りつける。
またも重く鈍い音が鳴り響き、ヨエルは身体を丸めて数歩、たたらを踏んだ。
「ゴ、ぉ……! お、ま……! てか……げん……!」
接近戦、それも手が触れる程の超接近の間合いで、ロヴィーサに敵う者はまずいない。
淵魔と戦う場合は接近させずに倒すのが大原則だし、大剣という得物の差もあり、そうした戦いではヨエルに大きな分がある。
だが、ロヴィーサはその逆で、接近されてからが強い。
それはレヴィンの護衛という、異なる目的の観点から来る違いだった。
むしろ、短いリーチの武器でフォローする事を目的としているから、額を合わせる様な接近戦は、彼女の独壇場だ。
そうして、拳闘という互いに無手の場合、これが圧倒的顕著な差として現れる。
ボコボコにする、と言った宣言通り、終ぞ一度もヨエルに殴らせる事なく、一方的に打ちのめした。
最後には顔面を盛大に腫らし、地面の上に寝転ぶ無様な醜態を晒している。
「これに懲りたら、次からは命令に良く従いますよう。兵が可愛いのは分かりますが、部隊長が盾になるのは、それとは全く別の問題です」
「フ……、フガ……」
腫れ上がった目は何も見えてないだろうし、同じく晴れた唇で返事もままならない。
それでも、了承の意は感じ取れ、ロヴィーサは満足して立ち去ろうとした。
勝敗内容がどうであれ、勝利者にエールを送るのが習わしだ。
ロヴィーサはその背に歓声を受けながら、レヴィンの直ぐ側へと戻った。
レヴィンの隣にはエーヴェルトが杯を干しており、帰って来たロヴィーサに満面の笑みを向けた。
「うむ! よく躾けてくれた! 儂も幼い頃から面倒見てる故、あれには甘くなりがちだ! それに行軍訓練などで締め上げても、全く効かぬ奴だ! かといって、儂が同じようにしても喜ぶだけで、ただの訓練にしかならん!」
「エーヴェルト様におかれましても、ご苦労が多い様で……」
「まぁ、淵魔相手に一歩も引かん所は、評価に値するのだがなぁ……! もう少し臆病であって欲しいが、中々ままならん! 悩ましいところよ……!」
給仕が杯に注いだ酒を豪快に飲み、熱い息を吐き出す。
ロヴィーサもエーヴェルトの悩みに同意して頷き、レヴィンもそれに追随した。
「しかしお祖父様、ヨエルの勇猛と果敢さは、兵達を鼓舞してくれます。それもまた、欠点を補える程の評価ではないでしょうか」
「そうだな! しかし、無鉄砲では困る! お前を守る為なら、それも許されよう! しかし一兵卒にまで、その慈悲をくれてやっては身体が持たん! あれはいずれ、お前の隣で将となるべき男! 兵は慈しむものだが、将の代わりとなるものではない!」
エーヴェルトの言い分を残酷とは言わない。
誰もが、それを当然と理解している。
淵魔との戦いは生存競争と似ていて、少しでも
一切の慈悲無く立ち向かうものであって、その為には一兵の犠牲もやむを得ないと、冷静に判断する思考も必要だ。
「その点、ロヴィーサには心配がない。叩く
「はい。エーヴェルト様のご期待に応えられるよう、努力いたします」
「うむ!」
分家の人間は、本家を支えるもの、共に肩を並べて戦うものと理解されている。
そうやって三百年もの間、淵魔と戦い抜いてきた。
その連携や信頼が何より大事だと心得ていて、ロヴィーサもまた、レヴィンに尽くすことを誇りとしていた。
レヴィンが歴代の当主と比較して、最も優れているとの評価を受けているのも一つの理由だ。
剣術、魔術、体術、勉学に指揮能力など、エーヴェルトも若い頃の自分と比べて、素直に敗北宣言を上げた程だ。
当主の証とされる、初代から引き継がれる刻印とその
それが何よりの証明だった。
だから、エーヴェルトは孫が可愛くて仕方がない。
特に自分の子――レヴィンの父でもある、エーリクの出来が良くなかった事から、それに拍車が掛かった。
初代と同じ黒髪を持たぬ事も理由で、髪色は必ずしも優性である事を意味しないのだが、その色を誇りとしてきた歴史がある。
だからユーカード家において、黒は好まれる色で、その髪色を持つことが、当主の印と看做される慣習もあった。
エーリクはそれを持たないので一段低く見られ、戦闘能力に関しても平均を上回ることが一度もなかった。
エーヴェルトは落胆したが、愛さない訳でもなく、それならばと文官めいた机仕事を与えた。
領を預かる身として、そうした仕事もまた必要になる。
そこで才気を発し、テルティアは更に大きな発展を遂げる事となった。
現在の淵晶取引を拡大させ、大きな財を成したのも彼の功績だ。
しかし、やはりここは最東端、辺境領の淵魔と戦う最前線である。
自ら戦え、兵を鼓舞し、指揮できる者が領主あれと求められる。
エーリクは自ら戦えないが、代わりの仕事をこなし、戦場以外で多くの貢献をした。
そして何より、レヴィンという歴代の雄を誕生させた。
そういう意味でも、今では肩の荷が下りたエーリクは、ユーカード家でもその立場を確保していた。
一時は棘もあったが今はすっかりと抜け落ち、今の文官生活を楽しんでいる。
そのエーリクが妻デシレアを伴い、レヴィン達へと近付いて小声で呼んだ。
「楽しく話してるところ済まないね。我らの先生が、何やら話したいとの事だ。宴もたけなわ、注意が逸れる今頃が良いだろうとね」
「フン……! ようやくか!」
エーヴェルトが言葉も荒く息巻くと、杯の中身を飲み干し立ち上がる。
レヴィンとロヴィーサも並んで立ち上がり、先頭を歩くエーヴェルトに付いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます