辺境領の変事 その2

「おぉ……! 我らが次期領主、我が孫よ! よくぞ駆け付けてくれた!」


 筋骨隆々の老人が破顔し、一際大きな声を発しながら、レヴィンへ近付いて行く。

 年の頃は六十過ぎ、元は黒髪だったものが半分以上は白くなっている。

 左目は黒い眼帯をして、顎髭を蓄え、顔には幾つもの傷跡があった。


 名前をエーヴェルト・ユーカード。

 彼が今さっき言った通り、レヴィンの祖父である。


「お祖父様! ご無事で何よりでした!」


「うむ! あのままであれば、結局押し負けていたであろうよ。救援をヨエルに頼んだものの、果たして間に合うか……肝を冷やしたわ!」


 そう言って、呵々大笑して胸を張った。

 笑いつつも睥睨する先には、大破したバリケードが見える。

 ここは最前線、淵魔の襲撃著しい地帯で、強固な壁を築くには時間が足りない。


 だから大抵は、堀を掘ったり木材で作った簡易砦を用い、淵魔を堰き止めるものだった。

 幾らでも作り直しと換えが利くのは良いとして、防御力が無いのは常に悩みの種だ。


 危ういと判断して、即座に救援を呼んだエーヴェルトは、流石に幾度も難局を乗り越えてきただけあって、その判断も早かった。

 他の者でも同じ事が出来たかどうか……。


 誰もが淵魔の厄介さを知っているものの、これまで常に打ち勝ってきた自負もある。

 呼ぶのは当然として、どのタイミングで、という判断は簡単でない。

 仮に到着した時、既に盛り返して反撃が成功していたら、臆病に駆られて呼び出した、と思われる。


 武勇を何より誇りとする辺境領の戦士達に、その屈辱は何よりの毒となる。

 葛藤している間に淵魔を調子付かせる事もあり、それならば援軍を呼ぶべき、という判断が正しい。

 だが、誰でも常に合理的判断が出来る訳ではなかった。


「ともかく、此度も淵魔を押し返した! 負傷こそあれど、誰一人、奴らの犠牲にされなかった!」


 エーヴェルトは誇りを持って宣言し、周りの兵達もそれに合わせて勝鬨を上げる。

 一頻ひとしきり笑いあった後、しかし、と不思議そうな顔をレヴィンに向けた。


「随分と速かったではないか? ……それ事態に文句はないが」


「えぇ、はい……。独断専行しました。とりあえず、即座に動ける兵だけ先行させた形です」


「その中にお主がいては、仕方ないではないか!」


 眉を怒らせ、口を引き絞った後、ずいと顔を近付ける。


「部隊を預かる者として、責任感が足らん! 戦士としての武勇を求め、先走るなどもっての外だ!」


 まさに雷が落ちた様な、と形容するに相応しい怒号だった。

 レヴィンもこれには背筋を正し、殊勝に反省の色を見せる。

 だがその直後、エーヴェルトは大口を開けて笑った。


「だが、お陰で助かった! 事もなしとはならんだろうし、信賞必罰は世の常だ。何かしら言い渡されるだろうが、こちらからも口添えしておく!」


「ありがとうございます、お祖父様」


「構わん! 何しろ今回は異常だった! お主の助けなければ、儂の可愛い兵どもは、その幾人かが喰われておったやもしれん!」


 エーヴェルトは慚愧に堪えない顔で顰め、深々と息をつく。

 腕を組んで周囲を見渡すのに誘われ、レヴィンもまた同じ方向に目を向けた。


 最後まで戦場に立っていた兵は百名に満たない。

 本当にたった一つの傷、たった一滴の血液で淵魔は強化される。

 だが、それは大幅な強化を意味しない。


 やはり、喰らう量に応じた強化であるのは間違いないのだ。

 それでも個体差の激しい淵魔によっては、少しの強化で手に負えなくなるモノも存在する。

 だから、刻印の回数制限が切れた者から後退させるのが常だった。


 しかし、単に後退させただけでは、残存兵力の差から圧殺されかねない。

 だから、敢えて残してリスクを飲み込み戦力を維持するか、それとも後退させるかの決断をしなくてはならなかった。


 たった一つの個体が戦況を覆すなど、淵魔との戦いでは余りにありふれた話だ。

 その境界線を見極められる者こそ良い指揮官とされ、そしてエーヴェルトは正にこれまで同様、見事やって退けたのだ。


 前線に残った兵の数が、予定数より少ないのはその為だ。

 そして、その兵達が勝鬨を聞いて前線へと戻って来ようとしていた。

 彼らは手ぶらではない。

 破壊された前線基地やバリケードの修復する為、建材を引っ張って来ている。


 一度現れた淵魔は、第二波までの間隔が長い。

 ランダム性が高いので確かなことは言えないものの、最短間隔を想定して準備を進めなくてはならなかった。

 その為、戦闘が終われば、あぁして即座に修復しようとする。


 そして、その指揮を取っているのは、これまで心配して姿を探していた、ヨエルその人だった。

 黒髪の頭には血の滲んだ包帯を巻いており、頬にも手傷が見えている。


 無事であるのは何よりだが、相当無茶をしたらしい。

 エーヴェルトもまた彼の姿を目に留め、重い溜息をついた。


「あれにもまた、危ない橋を渡らせた。本人の刻印回数も限界に来ていたから、撤退の指揮を取らせたのだ。しかし今回は中々、敵の手も休まらんでな……」


「ヨエルは元より、身体を張って仲間を守る気質ですから。多少の無茶をしてでも、撤退を上手くやったでしょう。手傷を受けても、それと引き換えに目の前の淵魔だけは滅する。それが出来る奴でもあります」


「そうだな!」


 エーヴェルトが頷き、互いにヨエルを目で追う。

 その視線に気付いて彼は目を向け、ニヒルな笑みを浮かべてから、前線へと建材を運び込んでいった。


 そこでは既に、破損した資材の撤去作業が始まっており、勝利に浮かれていた兵達も、これに参加するべきか指示を待っている。

 エーヴェルトは引き上げ命令を出し、その代わりにレヴィンへ顔を向けた。


「最後まで踏ん張った兵どもは疲労が多い。お主の兵を使っても構わんか」


「勿論です。実戦時間も短いものでした。体力は有り余ってますよ」


「我らの滞在任期も明日で終わりだ。どうせなら一緒に帰らんか? その方が色々と都合が良かろう」


「お供します。……でも、明日まで存分にこき使う、大義名分を手にしたかったとかではないですよね?」


「そんな訳なかろうが! 馬の面倒はこちらで預かる。淵晶えんしょうの確保もあろうが! ほれ、とっとと行ってこい!」


 エーヴェルトは声を上げて笑うと、そのまま自分の部隊を率いて戻っていく。

 淵晶とは、淵魔が溶けて消えた中から現れる結晶体のことだった。

 これが武器防具の加工、魔力を伴う魔術秘具の作成など、幅広い用途に使えて重宝される。


 辺境領の外では高く取引されていて、これの取引で財を成していると言っても過言ではなかった。

 戦闘が終わった戦場で撤去、修復作業も大事だが、これの回収作業も同様に大事だ。


 離れていくエーヴェルトの後ろ姿を見ながら、レヴィンは黙って控えていたロヴィーサへ声を掛けた。


「そういう訳だから、そっちの部隊も一緒に作業だ。ヨエルが指揮を取るみたいだから、撤去か回収か、詳しい指示はそっちで貰おう」


「畏まりました。滅多な事にはならないと思ってましたが、無事な姿が見られて安心しました」


 あぁ、と生返事を返しながら、兵に号令掛けて進んでいく。

 撤去作業にしても、ここにいる兵ならば大抵一度は参加しているので、やる方も心得たものだ。

 詳しい指示は後で貰えば良いという判断で、兵達を参加させながら、レヴィンとロヴィーサは二人でヨエルの傍へ寄った。


「今回は、中々無茶したみたいじゃないか」


「あぁ、お陰さんでな」


 頭の傷を指差しながら言うと、ヨエルは笑って顔を向けた。

 レヴィンより一歳年上である事を差し引いても、ヨエルは屈強な身体をした戦士だった。

 彼のトレードマークとなっている大剣も、今は邪魔にしかならないとあって身に帯びていない。


「後でお祖父様からも聞くつもりだが、前線で実際に淵魔を受け止めた者としての意見を聞きたい。異常は数だけだったか?」


「そうだな……」


 ヨエルは、しばし考える仕草を見せて、それから口を開いた。


「受けた印象としては、……必死だった。多分、そういう事になるんだと思う」


「何に対して?」


「分からん。……が、俺達を倒したい、喰らいたいという姿勢じゃなかったな」


「東に追い込まれ続けて来たんだ。奴らとしても後がない。……そういう意味でもないのか?」


「……違うと思う」


 淵魔は水を嫌う。

 浴びたからとて溶けるような事はないが、雨の日は絶対に現れないし、過去において川を渡って侵攻して来た事もないらしい。


 東端への制覇がこのまま続けば海へ行き渡る。

 神殿をこの先に建立できれば、辺境領からの完全討滅も見えて来る。

 三百年に渡る激闘の終止符が、今世代で打てるかもしれない。


 それはつまり、淵魔たちにとっても必死になれる条件とも取れ、だからとレヴィンは尋ねていた。

 だが、ヨエルの所感では違うらしい。

 彼は難しく眉根を寄せ、隔壁のある方向へ顔を向けた。


「奴らが必死だったのは、俺達に向けてじゃなかった。もっと向こう側、隔壁よりも更に外へ意識が向いてた気がする。……そう、俺達は眼中になかった」


「奴らに命惜しさなんて概念はないから、目の前の敵を無視することなんて有り得ない筈だが……。隔壁の向こう?」


 レヴィンが首を傾げると、ロヴィーサがそこへ口を挟んで来た。


「それはつまり、領都へ向けた敵意、という意味でしょうか? 謂わば敵の本拠地を特定したとか、そこを狙って……という様な」


「方角的には、有り得る話なんだが……」


 これまで淵魔との戦いは、常に陣取り合戦だった。

 地中から湧き出て来られるのは、神による庇護の届かない大地まで。

 また、神殿はどこにでも建てられる訳ではなく、その龍脈に沿った位置でなくては効果がない。


 奴らもまた龍脈に沿って移動すると言われており、龍脈から極端に離れた場所からは発生しないと言われていた。

 そして、それは三百年の月日が証明してきた事実でもある。

 こうして隔壁を用意し、一方向からの脅威に限定できているのも、過去の努力で上手く陣取りしてきたからだ。


 それを領都の――ユーカード家が先頭に立ち、統率し、音頭を取って遂行して来た。

 淵魔に個体としての差はあれども、意識を持った個体は確認されていない。

 だから、何かしらの単一目標を目指すなど、これまでなかった。


「有り得るのか……? 淵魔が何か目標を定めるなんて……」


「これまでは、目の前のモノにしか興味を示しませんでした。喰らう事こそ目的、そう思える行動しかして来なかった。だというのに……?」


「陣取り合戦で危機感を覚えたにしろ、やはり遅すぎる。淵魔は隔壁の向こうに何を見たんだ……」


 レヴィンの呟きに応えを返す者はいない。

 明らかな変事が起きている。

 これまで見せなかった淵魔の異常行動こそが、それを示していた。


 余りに不気味、そして不可解――。

 だが、考え込んでも答えは出ない。

 その時、ヨエルから殊更明るい声が発せられ、俯いていた二人の顔が上げられる。


「ま、何にしろ勝ち続ければ良い話だ! 今日も護れた、明日も護れば良い。これまで続けて来た事を、これからも続ければ、それで全て解決だ。悩む必要もなくなる」


「そうだな、これまで通りだ。淵魔の襲来に備える。俺達は迎え撃つ。また一歩前進する。それだけの話だった」


「けれど、変化も必要で、対策は必至です。常駐部隊の増設は進言なさるべきかと」


 ロヴィーサの提言にレヴィンが頷き、ヨエルが親指で背後を示した。


「それよりまずは、撤去作業と修復作業が先だ。変化、異常……それなら淵魔対策は、また一つ何か上積みしなきゃならんだろう。その為にもな」


「まぁ……、先決か。あまり長話していても部下に恨まれる。さっさと始めよう」

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