神が庇護する世界にて。~彼が異世界人と出会う時、全てを欺瞞と知る物語~

海雀

第一章

辺境領の変事 その1

 レヴィンは手綱を強く握り締め、三百名の兵と共に馬を疾駆させていた。

 顔に焦りと苦渋を浮かべ手綱を握るのは、短い黒髪に鍛え抜かれた身体を持つ、二十歳を目前とする偉丈夫だった。


 所々に金属を貼り付けた革鎧を身に付け、先祖伝来の武器を腰に佩いている。

 率いる兵も武器こそ違うが、それぞれ似たような格好だ。

 彼の目指す方向には助けを待つ同胞がおり、現在はその脅威を退け、救助するべく行動中だった。


 プロテージ大陸の東方、その更に東端にある辺境で、ユーカード家は代々、地の底から滲み出る怪物と戦っている。

 レヴィンはその辺境領の守護を任せられる、ユーカード伯爵家の嫡子であり、自らもその任を全うする戦士でもあった。


 ――地の底から滲み出る。

 それは比喩的表情でもあり、そして事実を湾曲に伝える言い方でもある。

 『奴ら』は何もない所から、それこそ雑草が生える様に生まれてくる。


 だから、深淵から這い出る悪魔とも言い習わし、これを『淵魔』と称してきた。

 淵魔は特定の形を持たず、獣の様にも、魚の様にも、鳥の様に見える場合もある。

 時として、どれとも合致しない姿は珍しくなく、当て嵌められる種族が存在しない。


 ただ、総じて黒い泥に塗れた姿を取っていた。

 地中から湧き出るからだろうか。

 その異質な姿を見れば、誰であろうと特定の動物や魔物と見間違えたりしない。


 そして、淵魔は生きているモノなら何でも喰らう。

 人や動物は勿論、魔獣や魔物も例外ではなく、あらゆるモノを喰らった。


 淵魔は特定の姿形こそ持たないが、喰らったモノの特徴を引き継ぐ生態を持っている。

 そして、喰らう程に強くなる。

 だから、時として魔物すら守ってやらねばならない程で、淵魔が強化されるのを未然に防ぎ、これを討ち滅ぼすのが常識だった。


 淵魔は幾らでも喰らい、さらに上限なく肥大化、強化されるという。

 なればこそ、そうさせないように立ち回り、倒す。

 ――討滅する。

 それがユーカード家の……討滅士としての、繰り返し行ってきた矜持だった。


 レヴィンは馬の脚を緩ませることなく疾駆させ、そうして前方を睨み付ける。

 そこには馬車が四台並べる程の巨大な門扉があり、左右には侵入を許さない巨大な壁が立ち並んでいた。


 馬を走らせる集団が何者か認め、守衛が何かに合図すると、その巨大な扉が音を立てて開かれる。

 レヴィンは馬の脚を止める事なく直進し、守衛達に目礼だけして通り過ぎた。


「若ッ! ご武運を!!」


 守衛からの激励を背に聞きながら、馬の速度を落とさぬまま腕を上げた。

 彼らは援護として動かないが、この隔壁を守る任務がある。


 淵魔が前線を突破し、西へ逃げようものなら、彼らもまた壁となって戦う。

 決して外へ逃さない為の措置であり、その為の戦力だ。

 この隔壁は四番目、最後の壁であると同時に、未だ突破された過去のない、絶対の壁でもあった。


 ユーカード家は代々その戦力を駆使して、淵魔を東へ東へと追い立ててきた。

 東端を隔てる四つの壁が、その証拠だ。


 淵魔は何処からともなく湧き出る。

 生物的繁殖を為さず、泥から生まれるが如く発生する。

 それは事実だが、同時に神の庇護によって防げる存在でもあった。


 神殿をその地に建立し、神の威光を照らせば、その地では発生しなくなる。

 この地全てを神の威光で満たした暁には、この世から淵魔を討滅できるだろう。


 隔壁が一枚増える毎に勢いが増し、今では一方的に押し込む程に戦力も増した。

 押し込み、討滅し、この大陸から完全な根絶を成す。

 それがユーカード家の使命であり、その任を神から託された一族として、誇りにしているものでもあった。


 基本的に東端へは戦力が在中しており、淵魔の発生と共に即応できる体制が出来上がっている。

 部隊毎に月替りの交代制で受け持つ事になっており、それは次期当主であるレヴィンにも、在任機会が何度もあった。


 だから、修羅場も相応以上に潜っているし、東端の戦いがどういうものか理解している。

 生まれたばかりの淵魔はまだ弱く、その力量に個体差もあった。

 一度に発生する数も違いがあって、十の時もあれば百の時もある。


 そして、今度の淵魔は二百で利かないという。

 異常発生はままある事だが、これ程までの数は聞いた事がなかった。

 だからこそ、レヴィンは救援要請を聞くや否や、即座に動かせる兵を伴い急がせた。


 一つの綻び、小さな穴は、放置すると手痛い目に遭う。

 それを良く知るレヴィンは、現領主の指示を仰ぐより前に、独断専行した。


「二百以上だと……? 悠長に返事なんて待ってられるか……ッ!」


 淵魔を討滅するに際し、手傷を負わないのは絶対条件だ。

 血の一滴は元より、肉を大きく噛み千切られたら、それだけで敵を強化させてしまう。


 傷は癒せる。

 肉も元に戻るだろう。

 しかし、たったそれだけの事でも、淵魔は加速度的に強化される。


 だから複数人で一体を対処し、一つの手傷も負わないまま勝利するのが、討滅にとって最適解とされてきた。

 しかし、それも数によって圧倒されれば、無傷での勝利とはいかないだろう。


 焦りばかりが募り、レヴィンが走らせる馬の手綱にも力が入る。

 そこへ、横合いから馬を飛ばし、並列してきた一人の女性が声を張り上げた。


「若様! 焦り過ぎです! 既に馬も長く走らせています! 到着までにバテますよ!」


「分かって――ッ! いや、そうだな……。すまない!」


 激高した声を上げそうになり、レヴィンは素直に謝罪した。

 手綱を緩め、後ろの兵にも伝わるよう手を上げてから、馬の速度を少しずつ落とす。

 それで全体の動きが緩やかになるのを待ってから、変わらず並走を続ける女性へ、レヴィンは頭を下げた。


「すぐ熱くなるのは、俺の悪い癖だ。だが、性分らしい。治そうと、いつも思ってるんだ……」


「構いません。都度、私が諫めれば良いことです」


「苦労を掛けるな、ロヴィーサ」


「本家の支えは、分家の務め。お気になさる必要はありません」


 そう言って、ロヴィーサは殊勝に頭を下げた。

 それで両サイドで伸ばした銀髪が揺れる。

 馬の揺れに合わせて太く束ねた三つ編みも、それに合わせて跳ねていた。


 彼女が言った通り、ロヴィーサはユーカード家の分家――レグレモナ家に生まれ、僅か三日違いで生まれた縁もあり、姉弟同然に育てられた。

 実際、レヴィンの乳母はロヴィーサの母で、同じ乳を飲んだ乳姉弟でもある。


 辺境領に生きる一人として、また分家の役目を全うする人材足らんとして、彼女もまたレヴィンと同じ訓練を受けている。

 並みの戦士を凌駕する戦士でもあり、公私に渡って支えてくれる、心許せる存在。

 それがロヴィーサだった。


 そして、これから救援に向かう部隊には、同じく兄の様に慕うヨエルがいる。

 将として部隊を預かるのはレヴィンの祖父で、長らく淵魔と戦ってきた実績ある人物だった。


 他の将兵を軽んじているのではない。

 だが、レヴィンとしては決して見逃せるものでも、損なって良い存在でもなかった。

 急ぎ、焦る理由も、そこに起因している。


「常駐している戦力は三百だ。平時なら、過剰とも言える戦力を置いてる。だが……」


「分かっております。傷を負わず、勝利する為の過剰戦力です」


「だが、これまでは多くても百程度が上限だった。今はそれを遥かに上回る数が湧いている」


「はい、明らかに異常な数字です」


「お祖父様が率いている時の襲来だったのは、まだしも不幸中の幸いだった」


「ヨエルもいますから、滅多なことにはならないでしょう」


 ヨエルもまた分家の一つ、ガルムステット家の長男だ。

 一つ上の年齢で、よく兄貴風を吹かせて皆を率いていた。

 人徳もあり、公正な男で、戦士としても一流。部隊からの信頼も厚い。

 この様な状況にあって、任せて不安のない人物だ。


 だからこそ、こんな所で喪わせたくない、とレヴィンは思う。

 領兵は誰一人粗略に扱うものでないが、ヨエルは将来、領主の右腕として働いて貰うべき人物だ。


 ロヴィーサとヨエルの二人は、幼い頃から共に育ち、共に訓練して力を磨き合って来た仲でもある。

 つまらない死に様を許したくない、その思いが強かった。


 レヴィンが忸怩たる思いで前方を見つめると、次第に戦況が見えて来る様になった。

 既に半数近くまで減っている淵魔と、それにぶつかり、奮戦している兵が怒号を上げている。


 彼らもまた、幾度となく淵魔とやり合って来た歴戦の勇士達で、敵数が多いだけで怯むものではなかった。

 淵魔の知性は低く、獣とそう変わらない。

 個体によっては獣以下も珍しくなかった。


 淵魔は本能のままに動き、喰らう事しか考えていない。

 だから陣形を組み、互いの部隊を補助しながら戦う戦士達に分があった。


 その戦士達も、背後から土を踏み、蹴り付ける馬蹄音は聞こえていただろう。

 レヴィン達が近付く程に、その士気が上がっている。


 ふと上空へ視線を向けると、そこには空を遊界して飛ぶドラゴンの姿があった。

 大きく広げた翼、透けて見える翼膜、飛び去る気配なく旋回している所を見れば、むしろ兵士達はこれを見て士気を上げたのだと悟る。


 竜は神の遣いであり、神の眼であり耳であり、深淵を狩る者でもある。

 人類の守護聖獣として、これまで歴史上、幾度か共に戦場にあった。

 人の手に余るとなれば、神が支援として竜を遣わす――。

 そう、言い伝えられている。


 神が見守ってくれている。

 それが分かるから、誰もが奮起した。


「だが、神の手を煩わせるは、戦士の恥だ!」


 前方に見える彼らを横から大きく迂回し、レヴィン達は淵魔の横っ腹に突撃する。


「掛かれェ!」


『オォォォォオオオ!!』


 レヴィンが先祖伝来の武器、カタナを引き抜き空へ掲げる。

 それに合わせて兵も武器を取り、それぞれが構えた。

 淵魔もレヴィン達の存在に遅まきながら気付いたが、猛スピードで突っ込んで来る騎馬隊に対処するには遅すぎた。


「ギャッ!」「グェっ!」「ギィィィ!」


 騎馬に突撃され、淵魔達は成す術なく蹂躙されていく。

 レヴィンや兵も、ただ突撃に任せるだけでなく、その武器を振るって、頭や胴目掛けて斬り裂いた。


 正面からぶつかって戦闘していただけに、横を突かれた集団は弱い。

 ひと当たりで半数を減らすと、切って返して再突撃を行う。

 その時には淵魔も、騎馬に対する備えを見せる。


 しかし、肝心の正面から戦う方が疎かになった。

 正面と側面から追い立てられる事になり、最初こそ踏ん張りを見せたが、決壊も早かった。


「今だ! 馬を降りて掃討戦に移れ! 悉く滅せよ!」


 数が更に半数を割り、三十を下回るようになれば、小回りの利かない騎馬では不利になる。

 背を見せて走り去る騎馬に追い付ける淵魔も皆無ではなく、群れから逸れた一匹が何処かへ逃げ出す方が問題だ。


 淵魔は一匹たりとも逃がす訳にはいかない。

 確実な掃討を実現するには、馬から降りた方が確実なのだ。


「刻印、用意ッ!」


 人間は魔術をその身に刻んで使用する。

 朗々と詠唱を唱えて使う事はせず、多くはその両手に刻まれた魔術刻印を介して使うものだった。


 何しろ、刻印は魔術というより、武器や盾といった装備に近い。

 誰にでも身に着けられ、行使できるという点で優れている。


 特に手傷を負えない敵に対して、魔力の鎧で防ぎ切れる利点は、何にもまして好まれるものだった。

 種類にもよるが、鉄さえ噛み砕く淵魔の牙を、魔力の鎧は防いでくれる。


 勿論、永続ではないので、鎧や盾が無用の長物という訳ではない。

 それでも刻印が使える限り、安全は保障される。

 それは兵の士気にも多いに貢献するものだった。


「かかれェッ!」


 レヴィンは自分の部隊を率い突撃し、ロヴィーサもまた部隊を率いてフォローに動く。

 猫科を思わせる四足獣を、粘土で不細工に作り上げたかの一体を斬り伏せ、泥に溶けていく姿を見守る。


 淵魔は血を流さない。

 ただ溶ける様に、地面へ消えていくだけだ。

 そして、融解が始まれば、まず起き上がって来ないものだった。


 一体ずつ確実に処理しながら、ヨエルと祖父の無事を確認する。

 視線を巡らせたが、混戦の中で特定の人物を見つけ出すのは難しい。

 淵魔の攻撃を躱しながらとなれば、尚の事だった。


 そうして斬り続け、目の前の一体を討滅させると、離れた所から勝鬨が上がる。

 周囲には息を切らせる兵の姿しかなく、未だ淵魔と戦っている者はいない。

 レヴィンが武器を収めると、兵も同じく武器を収める者、あるいは武器を手に天へ掲げる者とで分かれた。


 しかし、どの顔にも勝利と達成感による笑顔が浮かんでいる。

 自分の定位置と言わんばかりのロヴィーサも傍にやって来て、互いに笑みを浮かべた。

 遠くの勝鬨に負けないよう、兵たちへ振り返って、レヴィンもまた声を張る。


「者共、良くやった! 勝利を神に捧げよ!」


『オオオッ! 我らの神に!』


『レジスクラディスに!』


 兵たち喝采が笑顔と共に戦場へ広がり、竜はそれを見届けたかのように、空の向こうへ消えていった。

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