砂となり、塵となり その2

 地を這い迫るアルケスに、ハイカプィは全く反応できていなかった。

 驚愕に顔が歪んでいて、ただ迫って来る影を目で追うしかない。

 完全な不意打ちだったせいもあり、身を守る動きすら出来ていなかった。


 アルケスの顔に会心の笑みが浮かぶ。

 醜悪に歪んだ、見る者すべてが不快に思う、腐った笑顔だった。


「全ての矮小なる神は、悉く地に堕ちろ……!」


 アルケスの腕が槍の様に伸び、ハイカプィの胸を刺し貫く――。

 誰もが手を伸ばし、それを阻止しようとしたが、間に合わない。

 そう思った矢先、先んじてその腕を斬り払った男がいた。


「――待ち構えていたのはお前だけじゃないぞ、アルケスッ!」


 それはレヴィンだった。

 目の前の淵魔、背後から迫る敵、陣形が崩れる事すら無視して、レヴィンはアルケスを優先した。


 戦術的には有り得ない事だ。

 それで一刀がアルケスに届こうとも、抑える壁が無くなれば、全滅する恐れもある。


 何より淵魔と戦い続けて来たユーカードだからこそ、全体の枠組みを考え、個人の勝手をしない、とアルケスも踏んだのだろう。

 ――だが、それが間違いだ。


 アルケスをここで討滅すること。

 これが何より――今大戦で何より、意味がある。

 そして、一人抜けた穴は、ヨエルとロヴィーサが……そして、アヴェリンがカバーしてくれると、信じているから出来る行動でもあった。


「おのれ……ッ! 出来損ないの、駒如きがァァァ!」


「お前はそうじゃないって、アルケス? やってる事が、淵魔の手先そのものだぞ!」


 レヴィンは更に猛攻を続ける。

 ハイカプィから遠ざける為に立ち回り、右から左へ、更に上から下へと、自在に軌道を変えて斬撃を放った。


「くっ……! お前……、何故ここまで……!?」


 アルケスもまた、以前のレヴィンとは違うと、その実力を改めたはずだった。

 しかし、レヴィンはその更に上を行く。


 蛇の様に躱す動きすら、今のレヴィンには通じない。

 的確に動きを見切り、残った右手を肩から斬り落とし、左手を切断し、胴を貫いた。


「ど、どうなってる……! おのれ……!」


 アルケスは防戦一方で逃げるしかなく、またも淵魔の群れに身体を隠そうとした。

 しかし、そう何度も同じ手は通じない。


「――ヨエル、使えッ!」


「『咆哮アンブリ・ロアー』! ッラァァァァアアア!!」


 ヨエルが放つ高音域の咆哮は、衝撃波となって辺り一面の淵魔を吹き飛ばした。

 上空に舞い上がり、あるいは遠方に吹き飛ばされて、この時だけ淵魔のいない空白地帯が出来上がった。


 レヴィンが背中を見せる程に身体を捻り――次の瞬間、力強く振り払った一撃は、魔力が刃に乗り斬撃となって飛ぶ。

 不可視かつ高速の斬撃は、アルケスが躱す動作すら許さず、その首を刈り取った。


「――かッ……!」


 何かを叫ぼうとした声は、結局音にならなかった。

 その一音だけにとどまり、アルケスの頭が地面に転々と跳ねてから止まった。


 崩れそうになる身体へ、ロヴィーサが急接近して、その身体に二本の短剣が突き立てる。

 そのまま体重を預けて突き倒し、短剣二つを更に深く突き刺しては、その身体を地面に縫い付けた。


「今だッ!」


 淵魔という存在に、急所という急所は存在しない。

 頭を胴体から切り離そうと、身体を両断しようと、個体が持つ生命力を失わない限り、息の根を止められないものだ。


 上位の混合体ミクストラともなると、二度や三度、頭を斬り飛ばしても討滅できない場合があった。

 しかし、再生できても、それが永遠に続く訳ではない。


 再生には保持する生命力が必要であり、そして再生すれば生命力を消費する。

 だから、とにかく部位を欠損させ、生命力を消費させ続けなければ、こうした淵魔は討滅できない。


 ただこのアルケスが、その混合体ミクストラと同質の存在かは分からない。

 しかし、細切れにして斬り刻むのは、どちらに対しても有効だろう、という発想で攻撃していた。


「手を休めるな! 斬れるだけ斬れッ!」


「応ッ!」


 一拍遅れて、ヨエルも攻撃に参加する。

 豪快な大剣の攻撃は、両断するだけでなく、勢い余って身体の一部が千切れ飛んだ。


 アルケスの身体に無事な部分は殆どなく、両足までぶつ切りにされている。

 一時生まれた空白地帯が、また淵魔に占領されそうになったが、鬼軍が押し込み空白を維持する。


「妙だな……、動きがない」


 攻撃され続けるまでは良いとしても、いつまでも再生が始まらないのは、不気味でしかなかった。

 固唾を呑んで見守っていると、細切れの身体は蠕動し、次いでその一つ一つから針にも似た糸が飛び出した。


「何……!?」


 レヴィンはカタナで払って攻撃を躱し、ロヴィーサもまた、素早く短剣を抜き取ると、機敏な動きで回避し、複数迫る針糸を斬り落とす。

 ヨエルも大振りな大剣を盾にしながら、この攻撃を躱した。


 しかし、この針糸は回避してそれで終わりではなかった。

 正確には針糸ではなく、それは良く見れば細い触手で、躱せず刺さった者もいる。


 エモスやアイナを、敢えて庇って鬼兵たちだ。

 引き抜こうと悪戦苦闘していたが、力ずくで引っ張っても全く抜けない。


「なんだ、これは……!?」


 そう言った矢先、触手がまた蠕動し始めて、すると刺さった者達が次々と崩れ落ちた。

 体中から力が抜け、膝を付き、しまいには倒れた。

 触手の刺さった周辺は血管が浮き出て、そこから恐ろしい勢いで痩せ衰えていく。


「何なんだ、これはァァァ……!?」


 助けに行く暇もなかった。

 殆ど一瞬に近い速度で『何か』を吸い取ると、触手は自動的に抜けた。


 そうして、アルケスの細切れにされた身体は、互いにくっつき合い、欠損部分が再生していく。

 まるで時間を逆戻しにしているかのようで、あっという間に元の身体を取り戻した。


「あの触手は『生命力』を吸い取るんだな。あれを受けるのは、アルケスに飯を喰わせるのと同じことか……」


「それだけではありません、若様。よく見て下さい」


 ロヴィーサが視線を向ける先では、驚くべきことに、淵魔すらその吸収相手だった。

 つまりこれは、汎ゆる生命、汎ゆる存在が、アルケスの餌として利用されてしまう事を意味する。


「これは……、拙い。それに最低でも、あの触手を躱せる実力者じゃないと、足手まといになる……」


「ですが、淵魔を排除する兵は必要です。これを排除していては、アルケスと戦うどころではありません」


「しかも、その淵魔すら、アルケスにとっては餌候補かよ。俺達はアルケスからすらも、淵魔を守ってやらなきゃいけねぇのか?」


 ヨエルがうんざりと息を吐く。

 ロヴィーサは視線を鋭く観察しながら、唾棄する勢いで言葉を放った。


「守る必要はないでしょう。ただ、吸収されないようにするには、全てを殲滅した方が良いと思いますが」


「アヴェリン様任せにするしかねぇが……、それでさえ簡単じゃねぇって……」


「だが……、これじゃあ結局、どれだけ追い詰めても終わらない。アイツは実質、無限の体力を持っているのと同義になった」


 レヴィンもまた、アルケスを睨みながら、悔しそうに顔を歪める。

 そうしている内に、グニグニとアルケスの身体が盛り上がり、数倍の体積に拡大してから、数秒掛けて元の身体まで収縮した。


「……まぁ、良くもやってくれたな。お陰で見せたくもない切り札を、晒す事になってしまった」


「それはそれは……ご愁傷さまだな。けど、それで勝ったつもりな訳じゃないだろう?」


 言い返されると、アルケスの表情が怒りに歪む。

 一瞬だけ見せた余裕も、やはり仮初のものに過ぎず、そして感情を制御できないのも変わりないらしい。


「どこまでも邪魔をする……ッ! 大神レジスクラディス信者……無価値な小僧め! だいしん信者……、だいしんだと……!? 誰が大いなる神かも知らず、簒奪者に対し、道理も知らずよくも……!」


「何だ、何を言ってる……?」


 突然の激昂、それも唐突に横滑りした怒りだった。

 レヴィンに向けた怒りであるのは間違いないが、それにしても感情の行き先がおかしい。


「邪魔をするな、邪魔をするな! 邪魔をするなッ!! ひれ伏せ、乞い願え! 新たな神を! 真なる……神を!」


 アルケスの目は常軌を逸して、まるで正常ではなかった。

 怒りに目が眩んでいるというより、全く目の前が見えていないように思える。

 それでも、多くの生命力を吸った力は確かなもので、地を滑りながら一足飛びに接近してくる。


「世迷言を……! 皆、一々こいつの言うことを気にするな! 斬り伏せれば良いだけだ! 何度でも! 何度だって!」


 迫るアルケスに、レヴィンはカタナを合わせる。

 その爪先は金属と同等に固く、レヴィンであっても斬り落とす事が出来ず、裂帛の一撃を受け止められた。

 空いた方の手で貫手を繰り出して来たが、返すカタナでそれを防ぎ、更に腹を蹴りつけて間合いを離す。


「オッラァァァ!」


 その横合いからヨエルが斬り付け、肩から腕を斬り落とした。

 しかし、今度は再生するまでもなく、地面に落ちて溶けるより前に、針糸の如き触手が腕を掴まえ元に戻す。


「ンだよ、こいつ……!」


 悪態を漏らしつつも、攻撃の手は緩めない。

 大剣を小枝の様に振り回すヨエルだが、最初の不意打ち以外、決定的な斬撃を打ち込めずにいた。


 そして、それはロヴィーサも同様だった。

 軽快な動きは健在で、繰り出される連撃は身体に突き刺さるのだが、切断まではいっていない。


 身体を深々と抉れているが、それは次の一撃が突き刺さる頃には再生してしまっているのだ。


「厄介な……!」


 そして、生命が尽きそうになれば、身体の至る所から針糸の様な触手が飛ぶ。

 むざむざ命中する事はなく、全て躱すか叩き落とすのだが、無防備に受ける淵魔までは防ぎようがない。


 触手を切断しても、地面に落ちた触手同士が結合し合って、やはり吸収を始めてしまう。

 どうにも防ぎようがなかった。


「くそっ……!」


 長くせめぎ合いが続く。

 互いに決定打がないまま戦闘は続き、そしてレヴィン達の体力にも陰りが見え始めた。


 アヴェリンが鍛えてくれたから、ここまで戦えた。

 しかし何事にも限界があり……、そしてとうとうその時が来たのだ。


 繰り出される攻撃も、受け損なうものが多くなっていた。

 それらは全て無防蟻に受けるのではなく、身を捩るなどして、掠るように受けてはいたものの、『年輪』は次々と削られていく。


 そうして三度目の受け損ねで、遂に『年輪』全てが剥がされると、アルケスは凶相を浮かべて猛追して来た。

 ヨエルとロヴィーサも、これを止めようと武器を突き刺す。


 しかし、この時ばかりは止まらなかった。

 アルケスの槍のような貫手が迫る。


 ――これは避けられない。

 レヴィンがある種の覚悟を決めた時、唐突にアルケスの身体が横向きに吹き飛ぶ。


「――グォッ!?」


「何だ……」


 唐突な出来事に何かと思ってから一瞬の後、何者かに殴られたのだと俄に理解した。


「――借りは返すぞ! このエモスを助けたからにはな!」

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