砂となり、塵となり その3
「無事だったか……!」
レヴィンは直接、その傷を見た訳ではない。
しかし、アイナの悲痛な叫びを聞いていたし、それからの音沙汰まで気にしていなかったので、重傷者として後方に運ばれたのだと思っていた。
傷が綺麗に塞がったのだとしても、体力の衰え、疲労の蓄積までは回復しないものだ。
戦線復帰など有り得ない話で、だからこうして隣に立っている事さえ驚いていた。
エモスの身長はレヴィンの肩より、なお低い。
まだ若い外見も相まって、頼り甲斐など皆無だ。
しかし、ここに至って自信に満ちた横顔は頼もしく感じた。
あるいは、ただ何も考えていないだけかもしれない。
それでも劣勢だった現状、好転するかもしれない要素は大歓迎だ。
エモスは不敵な笑みを浮かべたまま、一直線にアルケスを見つめる。
「よくもやってくれたな! 腹の一発、百倍に返してやらねば気が済まん!」
「ハイカプィ如きの下僕が……! 威勢の良い声を出すなッ!」
激昂したアルケスが、背中から数十……あるいは、百に届くかという触手を出した。
その触手を束ねて複数の槍と成し、八方から突き刺そうと射出する。
しかし、エモスは不敵な笑みを崩さぬまま、前進しながらこれを次々に躱した。
「遅い遅い! 不意を打てねば、そんなものか! 流石は醜悪な豚共に、その身を落としただけはある! 無様なものよ!」
「お前に用はない! 消えろッ!」
「そうはいかん! 貴様がハイカプィ様を、狙っていると分かったからにはな! このエモスが一歩たりとも、御身に近付けさせぬわ!」
エモスは手にした細剣を振るい、槍を叩き落とすか、あるいは斬り落とす。
触手と繋がる糸は、束ねているとはいえ強度自体はそれ程でもなく、切断するのは難しくない。
ただし、これは幾らでも接合し直すので、武器の無力化という意味では、短時間しか効果のないものだった。
「鬼族と根比べなど、端から無謀な事よ! ハイカプィ様が御わす前では特にな!」
エモスの近接戦闘技術は確かなもので、アルケスの攻撃を寄せ付けもしない。
レヴィン達と隣り合わせで戦っている時も、それは顕著としてあったものだ。
アルケスの攻撃も素早く、力強いのは確かだが、そこに技術はなかった。
持てる力を乱暴に振り回しているに等しく、だからそこさえ突破すれば、攻撃を当てるのは難しくない。
しかし、当てた所で倒せないのが、この敵の厄介な所だ。
槍を斬り落とし、腕を切り飛ばし、頭を半分に割ったとしても、無尽の生命力が再生させてしまう。
「あの野生じみた戦闘技術には舌を巻くが……、これまで通りの正攻法じゃ、奴は倒せない」
レヴィン達自身が、散々証明したことだ。
そして、備蓄分の生命力が底をつけば、周囲の人間・淵魔問わず、己の糧としてしまう。
だが、この時ばかりは勝手が違った。
エモスは至近距離でアルケスと相対しながら、遠くへ向かって吠える。
「――今だ、やれッ!」
「石壁生成! 一つ、二つ! 三つ……!」
アイナの声が耳に届くのと同時、アルケスの背後に地面から壁が
それでレヴィンは理解した。
エモスが回復したのなら、アイナもまたその役目を終えていた、ということだ。
これまで姿を見せず、戦線にも復帰しないのは、不思議に思ってもいた。
しかし、これでその謎も明らかになった。
つまり、アイナはエモスの傷を癒やし終えた時、何かしら作戦を立て、示し合わせる算段をしていたのだろう。
あるいはハイカプィの指示であるかもしれないが、ともかく備蓄分の生命力が尽きた時、行動開始する手筈を整えていたに違いない。
アイナが使った『石壁生成』の理術は、大人が両手を拡げた程しか横幅がない。
だから、一つの壁が十分な高さまで達するや否や、続けてその横、そして更に横へと、石壁を幾つも生成していた。
「ちぃ……! 小賢しい真似を!」
しかし、その意図が分からないアルケスではない。
閉じ込められまいと、逃げ出そうとするのだが、レヴィン達がそれを易々と許さなかった。
「――おっと、逃して堪るか。ここに居て貰う」
「邪魔だ、小僧……ッ!」
強引に突破しようとしたアルケスだが、体力切れの近いレヴィンであろうと、その場に繋ぎ止める事くらいは出来た。
一枚、また一枚と石壁が生まれていくのが、視界の端から見える。
それで業を煮やしたアルケスは、早々に攻撃を止め、逃げ出す方に全力を傾けた。
「忌々しい奴らめ……ッ!」
急に横っ飛びし、レヴィンから逃れて走り出すアルケスだったが、それでもまだ立ち塞がる者がいる。
予測して先回りしていたヨエルが、肩で担いだ大剣を、そのまま横薙ぎにした。
殆ど不意討ちに近かった攻撃は、アルケスも躱せずそのまま胴を両断される。
「ぐ、ぉ……!?」
「まぁ、そう急ぎなさんな。折角、良いパーティが開けそうなんだぜ? 主役が一抜けはねぇだろうよ……!」
上下に分断された身体の内、上半身が高く舞い上がっては、元いた地点へと戻される。
残った下半身もその程近くへと落ちたが、上半身から無数の触手が出て、下半身へと向かう。
これが二つを繋ぎ止め、また一つの身体へと復元されてしまった。
しかし、その間にも壁は次々と生成されている。
アルケスの傷は結果的に小さなものとなったが、今はそれで良かった。
何より閉じ込め、淵魔と隔離する方が大事だ。
しかし、その淵魔の群れが壁に殺到し、そこから壁に沿って流れ、壁の内側に入ろうとする。
しかし、それをロヴィーサが阻止しようとしたところ、右回りから侵入しようとする淵魔を、アヴェリン一人が全てを抑えた。
「こちらは任せろ、お前らは奴をやれ!」
「は、はい……! お願いします!」
アルケスと戦うのも苦労だが、無尽に襲い来る淵魔を留めるのも苦労には違いない。
ロヴィーサはレヴィンの元へ駆け寄る傍ら、生成され続ける石壁、その左回りを視る。
そちらは今も鬼族と淵魔のせめぎ合いが続いていて、回り込むどころではない様だ。
鬼族の勢いはこれまでの比ではなく、むしろ完全に押せ押せの状態だった。
それもその筈、彼らの頭上には再びハイカプィが控え、彼らの勇姿を間近で見ていた。
「押せ、押せ! 押し返せ!」
「我らの女神を讃えよ! その誉れ高き名を!」
傷付いても倒れず、それでも傷が積み重なり、重傷になった者は後ろへ追い遣られる。
それでも、ハイカプィの権能で傷を癒されるや否や、再び戦線へ復帰した。
負傷兵として下がる兵は多いが、それ以上に復帰する兵たちが後を絶たない。
淵魔の後から湧き続ける数も厄介だが、決して数が減らない鬼兵も、同じだけ厄介に見えた。
しかし、それが味方だと思えば、これ以上なく頼もしい。
そして、そういう彼らだからこそ、淵魔の浸出を止められているのだった。
思うようにことが運ばないアルケスは、凶相に唾を飛ばして吠える。
「この、虫にも劣る……ッ! ゴミカスどもがァァァッ!」
「何だ、それは! 自己紹介か!」
エモスが笑い飛ばして殴り付け、浮いた身体を斬り付ける。
反撃で伸ばされた触手槍を巧みに避け、そこにレヴィンが加わり、二人で追い詰めた。
その対応でアルケスは完全に余裕をなくす。
「ふざけ……ッ! ふざけやがって……! この、この新たな神に対して!」
「誰も望んでおらんわ、貴様の様な害悪は!」
二人が打ち込んで、その自由を完全に封じている間、更にアイナの石壁が数を増やす。
正十二角形の形で壁が完全に閉じると、アルケスの逃げ場は完全に封じられた。
ここに吸収できる他の淵魔はおらず、そして残ったレヴィン達に対しても、そう簡単に奪えるものではない。
「だが、まだだ! 天井が空いている!」
淵魔は壁をよじ登ろうとするだろう。
今も見えないだけで、そうしようとしている奴らはごまんといる筈だ。
しかし、そこへ軽やかな女性の声が落ちてきた。
それは上空から壁の内側を見下ろす、ハイカプィに違いなかった。
「そのぐらいならば、あたくしにだって出来るわよ。でも、結界については専門外、長くは続かないから、早めになさいね」
「ハッ! ハイカプィのご助力、決して無駄には致しません!」
エモスの掛け声を合図として、天井に半透明の膜が掛かる。
幾らか間を置いて淵魔も到着したが、叩き付ける動作を見せるばかりで、傷が入る予兆はない。
正十二角形の壁の中は、さながら闘技場が如しだ。
天井をいつ淵魔が破るとも分からないので、いつまでも対峙している訳にはいかないが、ここにアルケスを閉じ込める事には成功した。
だが、ここに至るまでの連戦で、レヴィンとしても既に余裕などなかった。
スタミナも底を突きものだ。
しかし、目に宿る英気だけは衰えず、それどころかここに来て、更なるやる気を見せていた。
――遂に、ここまで追い詰めた。
その事実こそが、レヴィンに力を与えている。
逆に追い込まれ、回復する手段の多くを失ったアルケスは、目の奥に力がない。
追い込まれた事を自覚する、獣の様な目だ。
しかし、こういう目が油断ならない事を、レヴィンは経験上知っていた。
だから油断など、彼の中には皆無だった。
「――みんな、油断するなよ。追い詰められた奴が、何をするか予想もつかない」
「それは確かだって気がするな、若。なぁに……、油断も気負いもねぇよ。ここで取り逃すなんて有り得ねぇ」
「報いを受けるべき時が来たのです。世界の全てを裏切った、その報いを……!」
三人が改めて武器を構え、そしてジリジリと距離を詰めていく。
エモスがそれを見て余裕たっぷりの笑みを浮かべ、殊更演技めいた仕草で細剣を向ける。
次に発したレヴィンの号令で、それぞれが間合いを開き、トドメを刺さんと攻撃を開始した。
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