それぞれの戦い その2
「ハスマルク様、どうなさいますか……!? 死守せよ、と命じられるのなら、我ら一丸となり――」
「いや、それは命じぬ。油壷を幾らか残して放ったのち、バリスタには矢を番えよ。距離から考えて、三度斉射できれば良い程だが、少しでも数は減らしておく」
「白兵戦は……。壁を登ってきた奴らはどうされます!?」
ハスマルクの命令が弱腰過ぎると見て取って、部下は声を荒らげた。
ここが生死を分かつ分水領と悟り、そして少しでも淵魔の数を減らすべき、と思うからの進言だった。
越権行為、余りに踏み込み過ぎた質問だったが、壁を越えられると被害を受けるのは兵たちの家族だ。
世界の命運は勿論だが、何より家族を守りたい気持ちが強く、だから出た発言でもあった。
それが分からないハスマルクでもないので、殊更攻め立てたりしない。
未曾有の事態に、混乱と興奮が入り混じっていることを抜きにしても、この作戦が弱腰に過ぎる、という感想は至極真っ当でもあった。
「兵の犠牲は作戦の内だ。この数の前では、犠牲なき勝利などあり得ん。――しかし、同時にこれは時間稼ぎの戦いでもある」
「それは分かりますが……!」
「壁には残した油壺を使って、火を放て。それで時間は稼げる。白兵戦も無論、行うが……それは第二障壁からでも良いだろう」
「ハッ……」
了解の返事こそあったものの、その表情は納得まではしていなかった。
淵魔を恐ろしく、そして憎悪を滾らせる者に表れる特有の感情が垣間見える。
少しでも殺し、少しでも仲間の死に報いたい――。
そう考える者は、戦場の熱気に当てられて、より攻撃的になるものだ。
しかし、指揮官たる者、その感情に引っ張られる訳にはいかなかった。
「――落ち着け、淵魔どもに一槍馳走してやる機会は、遅かれ必ず訪れる。今は撤退の後退の準備をしろ」
「ハッ! 申し訳ございません、即座に!」
自らを恥じる様に頭を下げ、部下が伝令に走って行く。
それを目で追ってから正面に戻し、淵魔の方を睨んだ時、それは唐突に現れた。
遥か前方に出現した『孔』と同質のものが、ハスマルクのすぐ傍に出現し、そしてその中から、とある人物が歩廊の床板を踏む。
ギョッとしたのも束の間、姿を認めてハスマルクは膝を付いた。
あわや敵の出現かと身構え武器を翳した兵も、ハスマルクがそうした動きを見せたなら、その動きに倣わぬ訳にはいかない。
同様に膝を付けた所で、頭上から声が掛かった。
「そういうの、色々伝達するのに不向きだから、立ち上がってくんねぇか?」
「しかし、インギェム神の御前とあらば! そう軽々しく……!」
ハスマルクが発した名前に、兵たちの中でもざわつきが生まれた。
しかし、それこそを厭うインギェムは、両手を腰に当てて前のめりになり、ハスマルクを強い口調で言い聞かせる。
「いいから、せめてお前だけでも立てって! 説明できねぇだろ?」
「は……、それでは……。失礼いたしまして……」
ハスマルクは立ち上がりこそしなかったものの、平伏した態勢から機嫌を確かめる様に顔を上げた。
だがインギェムは、今にも早く立て、と言わんばかりの表情をしていて、それで仕方なく立ち上がる。
「いやさ、さっきチラっと聞こえたがよ、ここ燃やすって?」
「は……、少しでも足止めになれば、と……」
何か叱責を受けるのかと身構えたハスマルクは、声量を抑えめに返答する。
しかし、インギェムの表情は実に感心したものだった。
「いいぞ。燃やすって事は、煙が立つってことだよな? つまり、視線が遮られるわけだ?」
「ハッ、戦況を見定めるには余りに不向き……! 己の浅慮を恥じるばかりです! 即刻中止に――」
「いやいや、そうは言ってねぇだろ? 皮肉で言ったんじゃねぇんだよ。是非ともそうしろ。それがお前達の味方になる」
言わんとしている事が理解できず、ハスマルクは思わず首を傾げた。
「どういう事でございましょう?」
「今、すんげぇ頼りになる味方が、こっちに来てる。モルディだ、分かるか? 『災禍』と『危難』の神」
「も、モルディ神……!?」
神々がこの戦いに参戦する、とは聞いていた。
しかし、本当に総力戦の駒として、神々が戦場に現れるとは思ってもいない。
精々、その神殿騎士や神使を貸し出す程度、だと思っていた。
「今、そのモルディが淵魔共に、その権能を思う存分、使ってくれてる。……今は敢えて姿を隠してるが――探すんじゃねぇ!」
ハスマルクの視線を見て取って、強制的に顎を掴み、インギェムと無理やり目を合わせさせた。
「権能がどういうものか、理解してるか? 無差別なんだよ、お前だって被害を受ける。迂闊に遠くを見るな、見つけようとするな」
「は、ハッ……! 失礼いたしました!」
僅かに顎を上下させる陳謝を受けて、インギェムはその手を離す。
「だから、煙で姿が隠れるのは、むしろ好都合だ。感謝しろよ、お前らこれから、ずっと戦場で楽できるぞ」
「ハッ、無論、神のご助力を受けるとなれば、これ以上ない誉れ! 必ずや神々に誇れる勲を上げて見せます!」
「あぁ、そりゃ期待してるが、そういう意味でもねぇ。誰か、弓と矢を貸せ」
適当に手を向けると、その先にいた兵が自らの弓と矢筒を献上する。
それを礼もなく受け取ると、矢を番え弓弦を引き絞り、完全に素人と分かる構えを見せた。
正直なところ、神が見せる姿としては、あまりにみっともない。
無論、それをここで口にする者はいないが、もう少しどうにか……と思わずにはいられない格好だ。
「あぁ、分かるぜ。みっともないだろ? 己は弓なんか扱わないからよ、真っ直ぐ飛ばすことすら出来ねぇ」
しかも、インギェムが見ている方は歩廊の反対側だ。
身体を右に向けていて、淵魔が襲撃して来ている方向さえ向いていない。
狙いを付けてすらおらず、それでは当たるもの当たるまい。
その時、丁度炎を命からがら抜けてきた淵魔が、身体の至る所を炭化させつつ、壁に向かって迫って来た。
「――ほっ!」
インギェムの顔の向き、身体の向きは依然そのままで、情けない体勢のまま矢を放つ。
だが、流石は神の身体から放たれた矢、というべきか。
教本から掛け離れた射術にもかかわらず、とりあえず勢いだけは大したものだった。
「よく見てろ」
言われて矢の飛ぶ方を見定める。
そして一瞬後には、その矢が見事眉間に命中し、淵魔は小さな悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
死亡した淵魔の常識通り、そのまま泥になって消えて行く。
「お、お見事です……! 神の弓術、しかと見届けさせていただきました!」
「いいや、そうじゃないんだな」
インギェムは苦笑しながら、借りた弓矢を持ち主に返す。
「モルディの権能が、奴らを侵しているせいさ。あらゆる『災禍』と『危難』が奴らを襲うのさ。黙っていても勝手におっ死ぬヤツもいるぐらいだが、あぁして抜けて来た例外でさえ、適当に撃った矢にまぐれ当りする」
「あれが、まぐれ当り……なのですか」
「狙う必要はねぇ。煙で姿が見えなかろうとも、淵魔どもには面白いぐらい当たるだろうよ。己が見せたみたいにな」
「それだけの『災禍』と『危難』が、あれらに襲い掛かっている、と……!」
インギェムは無言で頷く。
兵の間でもにわかに活気付いた時、インギェムは足を強く床板を叩きつけて、強制的に中断させた。
「モルディは常に空中にいる。しかし、敵だってバカじゃねぇから、距離が離れてようとも攻撃しようとはするだろう。モルディは躱そうとする筈だ。もしかしたら、お前らの視界に映るかもしれねぇ。――だからだ!」
インギェムはより一層、声音を強くし、ハスマルクを睨みつける。
「兵にはよく言い聞かせておけ。モルディを見るな、何も見ずに矢を撃て。目を瞑ったって、奴らには必ず命中するから」
「ご助言、そしてご助力、有り難く……! 誓ってその様に致します!」
「おう、そうしろ。ひと目見たいなんて欲、ぜってぇ出すんじゃねぇ。そんな事で死にたかねぇだろ?」
「ハッ、まさしくその通りです。兵たちには厳命いたします!」
その返答を聞くと、インギェムは満足気な笑みを浮かべて頷いた。
「要件はそれだけだ。一応、最終障壁の所にも『孔』は用意してある。負傷兵とか投げ込め。お前んトコの街に繋がってる。受け入れ準備も、今は忙しくやってる頃だろうよ」
「何から何まで、ここまで手厚く支援していただき、感謝の言葉もございません!」
「気にすんな、
インギェムの言い分に、どう反応するべきか迷ってしまい、ハスマルクは言葉に窮する。
その様なハスマルクにインギェムは笑みを深め、出現させていた『孔』へと片足を踏み入れながら顔を向けた。
「正念場だぜ。東と南、どちがら崩れても大変だ。神の支援も無尽蔵、とはいかねぇ。お前らの奮起に掛かってる。――頼むぞ」
言うだけ言うと、インギェムは『孔』の中に身を投じた。
そうして完全に姿が埋没すると、『孔』もまた消失する。
その虚空に低心平頭、腰を折った後、すぐさま腹から声を出して号令を掛けた。
「射撃準備! それと油壷を至急、準備しろ!」
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