それぞれの戦い その1
ユーカード領の東壁にて大攻防を繰り広げている中で、他にも悪戦苦闘している場所があった。
一つは南方領、そしてもう一つがヤロヴクトルの屠殺場だ。
その屠殺場となる舞台、迷宮の全階層を統括するメインルームにて、ヤロヴクトルは悲鳴を上げていた。
「一体、どうなっているのだ!? 淵魔が送られてくるとは聞いてたが、ここまで馬鹿みたいな数が来るとは聞いてないぞ!?」
「既に六十階層まで埋まりそうな勢いです! 屠殺するより、送り込まれる方が早い……早すぎます!」
ヤロヴクトルの神使もまた、投影される映像に悲鳴を上げた。
権能によって可視化された映像には、すし詰め状態の淵魔がおり、そして屠殺する為の罠群がフル稼働している所も映っていた。
「えぇい、限度というものを知らんのか! 送られる数は、もっと少ないと聞いていたぞ!」
「ヤロヴクトル様、ここで文句を言っても仕方ありません! 急遽、罠の設置を増やすべきです! そうでなければ……」
「そうならばどうだと言うのだ! こっちも使えるリソースを……」
「溢れた淵魔が、こちらにやって来るかもしれませんよ!」
その指摘に、ヤロヴクトルは動きを止める。
映像に映し出される淵魔は、孔が次々と現れて、とめどない勢いだ。
しかも、孔は一つだけではない。
複数の孔が繋がっており、そこから濁流の様に押し寄せてくるのだ。
神使の言葉は決して安易な憶測などでなく、起こり得る悪夢を示していた。
「い、いかん! それはいかんぞ! 物理的封鎖をして――」
「それさえ、パンクしたらどうなるか……! とにかく処理数を増やすしか手がありません! 用意して下さい、細かい調整はこっちでやりますから!」
神使の前にも投影されたディスプレイがあり、手元にはタッチパネル式の操作盤があった。
複数の投影された窓が神使を取り囲み、それを忙しそうに指先で触れては、迷宮管理画面を捜査していく。
「それしかないが……! 今だってリソースに余裕がある訳では……」
「上階層に割を食って貰うしかありません。まず魔物の出現を止めましょう。次に鉱石など、生活に必須とはならない物を削っていきます!」
第一階層――地上へ近付く程に、生活基盤を支える収穫物が増えていく。
それは迷宮都市を支える屋台骨であり、生命線と言って過言でもないものだ。
「しかしだな、鉄や石炭とて、決して生活に不足して良いものではないぞ!? 鉄不足こそ、迷宮都市を揺るがすと言っても……」
「たった一日の話です! 即座にどうこうとはなりません! 事態が終息した後、余分に排出しても良いでしょう。とにかく、いま必要なリソースを掻き集める方が優先です!」
「えぇい……! そうだな……! 後での修正がクソほど面倒なんだが……!?」
「それが本音ですか! いいから早くして下さい!」
元より神使はヤロヴクトルに容赦などないが、この時ばかりは一切の容赦を切り捨て、尻を蹴り上げる勢いで捲し立てる。
この場に神使は三人勢揃いしていて、その全員から殺意にも似た視線が飛んでいた。
「まったく……、今日は眠れんな!」
「私は完徹三日目です! さも悲惨みたいな言い方しないで下さい! 顔面の皮、毟り剥ぎ取りますよ!?」
「何でそう、わざわざ恐ろしい言い方するんだ!」
ヤロヴクトルの悲鳴が、メインルームにこだまする。
主戦場とは遠く離れた迷宮にて、ここでもまた別の地獄が繰り広げられていた。
※※※
そして、もう一つの戦場、南方領でもまた、この世の終わりが始まる光景に、誰もが覚悟を決めて挑んでいた。
実際の物量で言えば、東方領よりも激しくはない。
しかし、南方領からしても、淵魔が見せるこれ程までの大軍勢は、前代未聞のことだ。
以前、一度は普段と違う淵魔の動きが確かにあった。
それでも普段より多めの襲来でしかなく、そして対処可能な物量であり、実際撃退に成功している。
しかし、今回は違った。
波のように押し寄せる、という表現が当て嵌まる様な、凄まじい数の淵魔が湧いて出ていた。
「これ程、とは……!」
ハスマルクは兵を鼓舞する立場でありながら、動揺を隠すことが出来ない。
数多の淵魔が襲ってくる――。
それは
南方領の壁も三重の防壁を備えているが、この物量を前に、どこまで対処できるか、全く想像が付かずにいた。
部下の一人がハスマルクの横に立ち、縋るような目を向けて言った。
「ハスマルク様、いかが致しましょう!」
「遅滞戦闘を繰り返し、時間を稼ぐしかあるまい……! 今は
自らの力で解決出来ないこと、そして全てを神に委ねればならないこと、そこに忸怩たる思いはある。
しかし、敵の狙いは東方だけになく、南方から大陸全土へ攻め上がる事かもしれなかった。
それを思えば、何としてもここで淵魔の動きを止めるしかない。
幸い、ハスマルクはその為の神器を預かり、上空から竜の援護もあり、そして遠距離攻撃可能な兵器をも所持している。
とある樹木から採れる油は、非常に可燃性が強く、また激しい粘性を持ち、淵魔の行動を阻害するのに最適だった。
「火炎壁を張れ! 奴らを散会させるな!」
壁と壁で隔てられた土地は、赤黒く炭化し焼け焦げていた。
襲い掛かってくる淵魔を、まずこの樹木油で減らすのは上等手段だった。
そして、これまでは張った壁に突撃して来るのを待つのが、これまでの常勝戦術でもある。
ハスマルクはこの油と火炎で壁を作ることを命じつつ、今回は少々の変更を加えた。
「中央部分には投げ込まなくて良い! 敢えて道を開けろ! 奴らをそこへ誘導するのだ!」
特注のバリスタは矢を放てるだけでなく、この油壷を射出する機構も備えている。
壁の上に等間隔で並んだバリスタは、装填が済むとハスマルクからの号令を待った。
腕を振り上げ、雷鳴にも似た怒号と共に、その手が振り下ろされる。
「――放てッ!」
号令と共に油壷が投擲され、狙った箇所へ次々と落ちれば、着弾と共に発火した。
幾度となく繰り返された攻撃だから、これを失敗する兵はいない。
そうして、僅かに開いた道へ殺到する淵魔と、殺到するも押し出され、結局炎に焼かれる淵魔とで別れる。
「次弾、装填! 炎の壁に厚みを作れ! 強行突破させるな!」
ハスマルクが号令すれば、その合図に合わせて装填、射出が繰り返された。
壁の厚みは更に拡大し、粘性を持つ油故に、足を取られて焼け殺される淵魔で溢れていく。
そして、駄目押しにハスマルクは、
「神に賜りし神器、その威光と、力を見よ!」
唯一作られた道の上に、インギェムの『孔』が出現する。
恣意的に作られた道だ、などと淵魔に考える力はない。
直進するしかなかった所に、最後の罠が大口を開けて待ち構えているのだ。
左右は炎の壁に囲まれていて、逃げ出す隙もない。
そこへ更に、竜の
現状は完封していると言って良かった。
ハスマルクの顔にも、僅かに余裕が戻って来る。
「よし……! 数が多いと言えど、所詮は淵魔、烏合の衆よ……! このまま数を磨り潰して行くぞ!」
『おぉ! おぉ! おぉ!』
数の力は恐ろしいが、対処可能であるのなら、何とかできる算段はあった。
しかし、ハスマルクは楽観ばかり出来ず、むしろ現実的な面にも目を向けなければならなかった。
――このままでは早晩、炎を抜けられる。
強い可燃性を持つとはいえ、その継続力は決して高いものでなかった。
次々と投入せねばこの火炎壁は維持できず、そして油壺の備蓄にも限度がある。
無論、それは第二障壁、最終障壁共に、備蓄されている物資だ。
戦う位置を後ろにずらせば、その都度、同じ戦略を取るのは可能だった。
しかし、それは単なる消耗戦に過ぎず、そして尽きた時点で敗北が確定する。
淵魔の数は今のところ衰え知らずで、次々と淵魔が湧き出ている始末だった。
「このままでは埒が明かんな……。それに、どれだけ倒せば終わる、という戦いでもないのだ……」
「倒し続ければ、いずれ淵魔の数も尽きます! それはこれまでの常識において、当然の事ではありませんか!」
「その常識の通じない事態が、目の前で起きているのだ。盲目的にこれまでの常識を、当て嵌める訳にはいかぬ!」
そして、最も大事なのは、神々が敵首魁を倒すまで、この南方領を維持することだった。
ならば、稼ぐべきは、何よりも時間ということになる。
「油壺が尽きた時点で、兵を下がらせるつもりであったが……」
むしろ、壁上の歩廊で白兵戦を行い、少しでも淵魔の進行を遅らせるべきかもしれない。
仲間の中にも犠牲は出るが、時間との取引ならば、それも仕方なく思える。
しかし、仲間の損失は、同時に淵魔の強化と同義だった。
引き際を誤れば、想定以上の損失を生み、そして押し留めるどころか瓦解を生み出しかねない。
その見極めが、いかにも難しい。
下手に欲を出すより、確実性を取るべきか――。
数も数だから、崩れるとなれば一気だろう。
そこを冷静に、冷徹に、確実に見極めなければならない。
ハスマルクは額に汗しながら、今も炎に呑まれ続ける淵魔を睨み付けた。
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