それぞれの戦い その3
モルディと遣り取りする一切は、手紙を通じて行われた。
とはいえ、郵便の配達など出来るはずもないので、それらはインギェムの神器を通じて遣り取りされており、今回もそうやって詳細を詰め戦場へと参加している。
モルディは出現位置に細心の注意を払いながら、周囲を睥睨しては形の良い柳眉を歪めた。
三重の防壁の向こう側は、人類にとって未踏の地に等しい。
まだ手付かずの――手を付けられない龍穴が残っていて、そこから淵魔が溢れている。
それも尋常な量ではない。
全ての淵魔が放出されている、と勘違いする程の物量が、そこから溢れ返っていた。
恐らくあれこそ、この南方領に残された最後の龍穴で、そして忸怩たる思いがありつつ、これまで封じて来られなかった龍穴でもあった。
封じようとすれば、間欠泉の様に溢れ出てしまう――。
だから最後の最後で攻め切れない、という理由もあった。
そして今まさに、その間欠泉もかくやという様相を呈していて、それが現在、敵側も強い危機感を持っているという証左を見せている。
「いずれにせよ……」
モルディは空中に浮いたまま、眼下に淵魔の群れを見て、眉間に入れる力を増やした。
「これらが地に溢れるなど看過できぬこと……。世界の敵、そしてミレイユの敵……!」
モルディは両手を広げ、自らに向けられる畏怖と信仰を練り上げると、それに合わせて髪も広がり天を衝く。
「我が『災禍』と『危難』……思う存分、その身に受けるがいい!」
その強力過ぎる権能は、ただ身近に居るだけで、ただ視界に収めるだけで、例外なく侵される程のものだ。
龍穴付近を漂うだけで、淵魔はその影響から逃れられない。
しかし、モルディはそれだけで済ませたくなかった。
モルディには、腹の中に抱えた恨みがある。
普段は心に蓋をして、考えないようにしているが、よくもこんな身体にしてくれて、という思いは燻っていた。
神とは本来、敬われ、尊ばれる存在かもしれないが、モルディは決してそうではなかった。
その上、望んで得た地位でもない。
それは全ての小神にとって同じ気持ちだったろうが、得た権能によってその後に大きな差異が生まれた。
小神は大神によって造られ、そしてかつての大神は、創造神によって造られた。
神を欲した理由も、望まれた理由も、モルディにとってはどうでも良かった。
ただ分かるのは、終わることのない牢獄に閉じ込められた、という事実だけだ。
まだ、単なる人として生きていた時も、牢獄にいるのと変わらない生活で、世を恨んで生きていた。
家に対して、社会に対して、そして受け入れねばならない自分に対して……。
中流貴族の娘として生まれたモルディだったが、見目麗しい姉が二人いて、それより劣ると見下された結果、虐げられて育った。
まともな生活は送らせて貰えず、パンも水も、十分には与えられなかった。
逃避先がなかったモルディは、その恨みをただ一人で募らせることしか出来なかった。
災いあれ、不幸よ降れ、と狭い部屋の粗末なベッドで、泣きながら恨み声を漏らす日々が続いた。
早くこの生が終われば良い、と考えたこともある。
しかし、転機が訪れたと分かった矢先、次にもたらされたのは更なる上位存在からの搾取だった。
どこまでも終わりのない牢獄に、モルディは絶望する。
そして、いつかは死んで終わりとされた生さえも、モルディは不当に奪われた。
神に寿命はなく、不老の肉体は永遠に続く。
さりとて自殺する勇気もなく――。
更に言うと、自暴自棄になって全てを敵を回し、後に討たれる勇気もなかった。
何しろ、神の死とは、人の死と決定的に違う部分がある。
人の魂が死後どうなるのか、モルディは正確に知らない。
しかし、神の死後は、その魂まで囚われの身となると知っていた。
抜け出したいと思っても、どうあろうとモルディは牢獄から逃げ出す事が出来ない。
その牢獄に光明を差してくれたのが、他ならぬミレイユだった。
接触はおろか、会話すら不可能と諦めていたものが、ある日唐突にもたらされた。
友と呼んで欲しいと言われ、人の時ですら得られなかった、親密な関係を結ぶことも出来た。
ミレイユには感謝と恩義がある。
だから、そのミレイユに仇なす敵に、モルディは一切の容赦をしないと決めていた。
「お前たち淵魔全て、その不義と悪徳に鉄槌を!」
モルディの権能が膨れ上がり、それが黒い炎の様に揺らめく。
目視できる程に集約された力は、モルディを中心として拡大、眼下の淵魔たちを呑み込んでいった。
その炎に殺傷能力は一切ない。
見せ掛けの幻影みたいなものだが、次に起こった変化は劇的だった。
痛覚も感情もない筈ないの淵魔が、その場で苦しみのたうち回る。
遂には全身から体液らしきものを吹き出して、自壊し始めるものも現れた。
被害の大きさや種類は、それぞれ違う。
だが例えば、隣り合う淵魔同士の足が絡まり、周囲を巻き込み転び、それが何故か手足が引き千切れる程の怪我になった。
同士討ちを始めてみたり、その当りどころが致命的に悪く、そのまま溶けて消える淵魔までいる。
敵か味方かも分からず、前後不覚に陥っている感じで、第一障壁に辿り着ける淵魔は激減した。
そして、辿り着けてたとしても、既にモルディの権能に晒された淵魔ばかりである。
その後も汎ゆる『災禍』と『危難』が降りかかり、決して上手く物事は運ばない。
「淵魔……ミレイユの敵め! 何一つ、お前らが望む結果は得られない! ここで朽ち果てよ!」
モルディの一喝が、辺り一面に響き渡る。
危機を感じ取ってか、出現する淵魔の中には
しかし、種類が変わり、力がどれほど強まろうとも、モルディの権能の前では等しく無力だ。
空中にいる彼女を攻撃しても、それが何故か脇に逸れ、遠く離れた淵魔に着弾し爆ぜる。
汎ゆる攻撃が悪手になると知らず、それでも淵魔は本能のままに攻撃し続けるのだ。
モルディは決して届かないそれらを冷めた目で見つつ、ただ権能の維持に努めた。
※※※
ユーカード領の東端、その最終障壁の直前にて、レヴィン達は鬼族の精兵と共に淵魔の撃退を続けていた。
猪突猛進の気質が強い鬼族は、傷を負わずに勝利する、という考えが前提からしてない。
そして、その考えがいかに危ういかも、全く念頭にない様子だった。
レヴィンは一匹、また一匹と淵魔を斬り伏せながら、鬼族の神使に言葉を投げる。
「その、とにかく倒せば良いって考えで戦うのは止せ! 淵魔との戦い方を聞いてないのか!?」
「はぁん? 喧嘩で作った傷は勲章だろうが! 一々みみっちんだよ、みっともない!」
しかし、エモスは全く気にした素振りもなく、それどころか挑発すら交えてくる。
レヴィンは冷静さを保つのに苦労しながら、それでも辛抱強く説得した。
「これは喧嘩じゃない、戦争だ! それも、ここが瓦解すれば、全てを呑み込まれるかもしれない瀬戸際なんだ! 傷の多さは出血の多さだ、奴らを無駄に強化する!」
「情けない! この程度の敵、我らの大陸では弱小の部類だ! 強化されたとて、このエモスの敵ではないわ!」
話が通じず、レヴィンは頭を抱えたい気持ちに駆られた。
アヴェリンに顔を向けても、説得は最初から頭に無いらしく、二人のやり取りは完全に無視だ。
それは鬼族の説得など最初から不可能、と思っているからかもしれず、だから一人で黙々と淵魔を屠り続けている。
レヴィンは恨めしい目でその背中を見つめながら、エモスへと顔を戻した。
そもそも淵魔の特性を神々が知らない筈もなく、そして、それを親愛なる信徒に伝えていない筈がない。
聞いた上で淵魔を舐めているとしたら、余りに現実が見えていない、としか言えなかった。
しかし、それも鬼族の気質でしかないのなら、今はともかくレヴィン自身が言葉を尽くして説得するしかない。
「弱小なのは分かってる。こいつらは淵魔の中でも、一番弱い奴らだ! それでも……」
「フフン! 弱い奴らを相手にしていて、そのザマなのか? 我らの戦果と雲泥の差ではないか!」
確かに鬼族の戦果は、目を見張るものがある。
レヴィン達もまた十分な戦果と、敵の勢いに押されないだけの淵魔を討滅していた。
しかし、エモス達は更に凄い勢いで、淵魔達を屠っていく。
見ていて惚れ惚れする程だが、それは殆ど全力に等しい力で、敵を薙ぎ払っているからでもあった。
「戦いの構造を理解してないのか!? これは持久戦だ! なるべく長く戦い続けることを求められる! いつまで続くか分からない、淵魔の氾濫を見れば分かるだろう!」
「情けないことを言う! ならばいつまでも、全力で戦い続ければ良いだけではないか! 敵が最後の一匹になるまで、戦い続ければよいだけのこと!
この言葉には、流石のレヴィンはカチンと来た。
怒りがカタナに乗り、制御力が爆発して抜刀一閃、目の前の淵魔全てを斬り裂いた。
超大に伸びた剣閃は、カタナが届く範囲のみならず、その遥か後方まで薙ぎ払う。
崩れ落ち溶けて消える淵魔の集団で、レヴィンの前方が扇状の空白地帯が生まれた。
それを見たエモスは、機嫌よく笑う。
「ほっほー! まぁ、
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