一つ解決するその横で その3

 よろめいたままの姿勢で、しばらく固まったオミカゲ様は、ゆっくりと元に戻っていった。 

 ……かと思うと、するりとした動きで、ルチアの元までやって来る。

 そうして次に、誰かが止める間もなく、その胸へと顔を埋めた。


「おぉ、ルチア……。我が御子が、心無い事を言うて苛めよる。慰めておくれ……」


「心無いかは分かりませんけど、慰めるだけなら存分に」


 そう言って、ルチアはオミカゲ様の頭に手を添え、ゆっくりと撫で始めた。

 白魚の様な指が、新雪にも似た白髪に絡み、漉いては流れる。

 端から見れば仲睦まじいばかりの様子だが、ミレイユは冷たい視線で見つめていた。


「ルチア、余りを甘やかすな。大体、お前もお前だ。もう少し、威厳ある神の姿ってものを見せろよ」


「それって自分にも返ってくる発言って、自覚して言ってる?」


 ユミルが生暖かい視線を、ニヤけた笑みと共に向けて言い放った。

 ミレイユがオミカゲ様に向けている、冷たい視線とは真逆の眼差しだ。


「やっぱりアンタらって、その根本が良く似てるわ。ミレイユアンタがオミカゲ様を、正しい威厳ある姿でいさせようとさせたがるのもさ、つまり鏡の前に立って見てる気分にさせられるから、でしょ?」


「勝手に分析して楽しむな。今、そういうのは必要ない。大体――」


「ミレイ様」


 そこへ、物静かなアヴェリンの声が割って入った。

 普段は決して表に出ようとしないし、特に話し合いの場では後方に徹する彼女だが、話が脇道に逸れ過ぎると、それを修正しようと声を出す。


 特にミレイユとユミルは意見が白熱する事が多く、ユミルとルチアの二人は、議論より理論を優先して話を脱線させ易い。

 そうした時、彼女の一言が場を改めさせるのだ。


 今回もまたそうしたパターンで、話の方向が全くバラバラになっていた所を、彼女の声が止めてくれた。

 ミレイユはアヴェリンへと顔を向け、一度だけゆっくりと首肯する。


「まぁ、そうだな。話が脱線し過ぎていたな……」


「オミカゲ様に乗せられた形でしたのも、一つの要因でした」


「まぁ、このコからしたら、話が纏まらない方が嬉しいんでしょ。先延ばしに出来るなら、それこそ何でもしてやろうって感じに思えるし?」


 図星を突かれ、オミカゲ様がルチアの身体の中で、ピクリと肩を動かす。

 実に分かり易い反応だった。


 オミカゲ様は彼女の身体から顔を離すと、そのまま頭を膝へと移し、勝手に膝枕にしてしまう。

 外から見ていた鶴子が、はしたない、と叱責してくれたのだが、オミカゲ様はお構いなしだった。


「話が纏まれば、そなたらは帰ってしまうのであろう。今日中に纏まれば、明日か明後日には居なくなる。それは寂しい。余りに寂しい」


「そうは言われても……。やる事をやる為に、私達は今ここにいる訳なんだしな……」


「遊びに来てるってだけなら、幾らでも滞在を先延ばしにするんだけどねぇ」


 そう言ってユミルは笑い、それから肘掛けへ体重を掛け、体勢を戻す。

 背筋を伸ばし、改めて座布団の上に座り直した。


「これは売られた喧嘩よ。殴り付けられたら、殴り返すのがウチの神様だし、何よりそれが流儀だから。時間的制約は今回あまりないとはいえ、いつまでも先延ばしには出来ないわねぇ」


「言ってる事は間違っておらんがな。ミレイ様の権能を思えばこそ。しかし、何故だろうな……。お前が言うと、酷く野蛮な感じがするのは」


 アヴェリンがユミルへ視線も合わせず、吐き捨てるように言った。

 ほんの些細な一言から、売り言葉に買い言葉となるのは、この二人には良くあることだ。


「うるさいわね、放って置きなさいな。まぁ、麗しのお嬢様には、少しばかり似付かわしくない表現を使ったかもしれないけど」


「ほぅ、麗しの。へぇ、お嬢様……」


「何よ、言いたいコトあんなら言いなさいよ。その達者な口を――」


 更に口喧嘩が白熱しそうになった所で、ミレイユが小さく手を挙げて止める。

 僅かな動き、僅かな仕草だったが、些細なものだろうと、神使というのは神の一挙手一投足を見逃さない。

 即座に口論が止まった。


「話が脱線するのは、我らがお家芸だ。緊迫している時こそ、その空気を緩めようとする……が、そろそろ真面目に取り組むつもりになった所だ。――そういう訳だから、オミカゲも少し本腰を入れてくれ」


「相わかった。お巫山戯も過ぎれば呆れられよう。いつまでも現状が続けば良いと思っておったが、そなたを怒らせてまで続けたいものでなし……」


 真面目な顔をでそう言ったが、ルチアの膝枕から離れようとはしない。

 それどころか、その手を取って自らの頭に誘導する。

 ルチアは仕方ない、と言った笑みを浮かべたが、頭を撫でる仕草は優しく、無理やりさせられている者の姿には見えなかった。


「そういう訳だから……。それで、まずあちらへ帰る手段については、お前に任せて良いんだな?」


「そうさな……」


 オミカゲ様は頭を撫でられるまま、顎の先を摘む様にして考える仕草を見せる。


「我に出来るのは、あくまで補助的役割までだ。……いや、補助というのも、また適切ではなかろうな。無理に干渉し、捻じ曲げるだけ。元の時代ではなく、それより過去へ戻ると言うても、その細かい時間調整まで出来るとは思わぬ方が良い」


「……なるほど。だが、問題ない。こちらにはルヴァイルの神器もある。『歳量』を用い、重ねる年に制限を掛けよう。そうすると、最短でも一年前の世界に降り立つ事が可能な訳だが……」


「ふむ……、一年。それが最短なのか?」


「そうだな、『歳量』とはそういうものだから。歳を量る、重ねる概念を形にしたもので、それより短いスパンというものが設定できない」


 なるほどの、とオミカゲ様は頷くと、考える仕草のまま固まる。

 それからややあって、再び口を開いた。


「うむ、そういう事ならば、送り出す分に不安はない。しかし、過去に飛ぶ危険など、今更説明の必要もあるまい。過去のそなたら自身との接触は、いらぬ混乱を招くぞ」


「そこは実際、最も気を付けるべき部分だろうな」


「でも、私達は過去、自分達と出会った経験はありません。逆説的には、大丈夫と考えても良いのでは?」


 ルチアが指摘すると、これにはユミルから否定が入る。


「そうとも限らないでしょ。過去で干渉された結果が今に繋がっているとして、アタシ達が新たなループの扉を開かないとは限らない。慎重であるに越したコトはないハズよ」


「それはそうですね、確かに……」


 細かく頷いてから、ルチアはしっかりと頭を下げて謝罪した。


「申し訳ありません。少し因果と結果に囚われ過ぎていたようです。綻びは、どこからだって起こり得る。それを肝に銘じておきます」


「……うん。私も、改めて気を引き締め直そう。あちらの世界に帰って以降、我々は影となる。干渉は最低限でなければならない」


「湖面に石を投じる様なものですか。大きく揺らせば、鏡像が歪んで見えなくなる。だから、あくまで小さな揺らぎで済ませるべき、と……」


 ミレイユはその説明に、大いに満足して頷く。


「過去に起きたそのままが、実際に繰り返される訳じゃないと、我々は既に知ってる筈だ。幾らでも変わり得る、変えられ得ると……。我々は、我々の認識において、湖面の鏡像が動いてないと認識させておかねばならない」


「ですが、ミレイ様。そうなってしまうと、我々は一年も前に降り立ちながら、その実なにもせず、ひたすら隠伏しておらねばならなくなるのでは……?」


 アヴェリンの疑問は尤もだった。

 ミレイユの存在は、只でさえ目立つ。

 同じ世界に二つとあれば、それをミレイユ自身が気付かぬ筈がない。


 その上、ミレイユは大神レジスクラディスとして、『虫食い』の対処で世界を飛び回っていた。

 それら全てを回避して、秘密裏に行動は非常に難しかった。


「とはいえ、アタシ達の認識において、上手くやり切ってはいたみたいよ。暗躍の上で一番重要なのが、ロシュ大神殿へ救援が間に合うよう、問題となる『虫食い』の一つを、処理しておくってのがあると思うんだけど……」


「その当時、私達はそれが何者による対処なのか、理解してませんでしたものね。他に手が空いた神々などいなかった筈、と首を傾げていました」


「そして、やり切れた以上、やり切る方法はある。……そういうコトよね。単純な幻術で隠蔽は効果薄なのは、承知の通りだけど……」


 そう言って、ユミルがオミカゲ様へと視線を向ける。

 オミカゲ様は腕を組んで天井を見つめ、それから難しく眉根を寄せて言った。


「そうさな……。神気というのは、同じ神からすれば目立ち易い。魔力の隠蔽も必須ながら、むしろそちらが重要であろう」


「では、非常に強い制限が必要ですよね。普段、戦闘に参加出来ないのは勿論、魔術や権能の使用も制限しませんと。それこそ、結界に閉じ込めるくらいしませんと、魔力や神力の発露は隠しきれないでしょう」


「……結界内なら隠せる、というのなら、それも一つの朗報ではあるか」


 ミレイユが小さな溜め息と共に言うと、ルチアは曖昧に笑う。


「実際、『虫食い』の処理にはミレイさんが力を行使した筈で、そして我々は何も知らず仕舞いだったわけです。見つからない事が最優先としていた中で、これが成功していたのは大きいですよ」


「どちらにしろ、大規模な魔術合戦にでもなれば、結界を張るしかないだろうしな。暗中模索の中で、唯一の光明と言えるかもしれない。それにしても、面倒くさい……! こんな思いをするのなら、最初からアルケスの取っ捕まえて、その首捻りたくなってくる!」


「そんなコト出来ないって、アンタが一番よくご存知でしょうよ」


 ミレイユは憤懣やる方ない、といった風に顔を逸らす。


「分かってる……! やる気があろうと、やってはならない。過去の改変は、可能な限り避けねばならないからだ。起こるべき事が起きなければ、時間の流れが変わってしまう恐れが大きい。そして何より、アルケスを倒して、それで終わりじゃないからだ」


 ユミルはこれに無言で首肯する。

 倒すべきは、淵魔の『核』だ。


 これを滅しない限り、いつまでも永遠に戦い続け、イタチごっこする嵌めになる。

 完全なる討滅を目指す為には、敢えて泳がせる決断が必要だ。

 それこそ、過去に戻ろうとも、ミレイユが敢えて見逃す理由に違いなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る