一つ解決するその横で その4

「見つからない為に隠伏は必須、それは良いとして……。ならば大事なのは、過去に降り立った直後ではなかろうか。異物とも言うべき、別の神気を持つ者の侵入――そなたが警戒せぬ道理がない」


「そうか……。私がやって来たのを即座に察知されたのも、その侵入に気付いたからか」


「然様。ならば、そなたとて気付くが道理よ」


 確かにその指摘には、ミレイユも頷かざるを得なかった。

 そもそも、神気が世界に増える事態とは、神が一柱突如として増える事を意味する。

 何事かと訝しみ、調査を開始しない訳がないのだ。


「何より……我が『孔』に干渉し、無理に捻じ曲げる行程が良くない。到着先は、まず望み通りにならぬ、と考えるべきであろうな」


「……そうなのか?」


「うむ、『神宮事変』の折、そなたらを無理やり送り出した時が、正にそれであった。あの場合は、目的地へと送り届かぬ方が利になる故、むしろそうした性質を利用した形であったが……。何処へ出現するものか不明――そうであればこそ、裏をかける狙いがあるのも事実だった」


 ミレイユは深々と溜め息をついて首肯した。

 なるほど、とその口から小さな声が漏れる。


 当時のミレイユの身柄は、非常に危うい状況にあった。

 そして、その身を奪わんと画策した相手に対し、逃げる必要もあった。


 だからこそ、オミカゲ様の無理な干渉は、むしろ益にしかならなかったのだ。 

 しかし、今回の場合に当て嵌めると、少々厄介な事になる。

 ユミルの顔にも同じ懸念が浮かんでおり、天井を見据えながらオミカゲ様に問うた。


「そうするとさぁ……、送り出された先は、完全ランダムってコトになるの?」


「そうさな……、そうなると思う。指定した場所から外れるにしろ、どこまで遠く、あるいは近くになるやら分からぬ。もしかすると、指定した場所から遥か遠く、海の上へ、行き着く可能性すらある」


「それは……、まぁ拙いわね」


 ユミルが顔を盛大に顰め、眉の間に皺を刻んだ。

 そこへルチアが、ミレイユの方を見つめながら言葉を放った。


「でしたら、とにかく発見されない前提を最優先に、事を運んではどうでしょう? オミカゲ様に干渉して頂くのは、あくまで『孔』の安定に留めて頂いて、ミレイさんは結界内に封じたまま、転送してしまうのはどうですか? 隠蔽優先で考えるなら、最悪……、その姿さえ見つからなければ良いわけで……」


「それ『孔』から転送中は良いとして、到着してからはどうすんの? 結界内にいたまま移動なんて無理でしょ。やっぱりどこかで解除しないといけないし、その瞬間、やっぱり神気を察知されてしまうんじゃない?」


「でも、ユミルさん。他に方法なんて思いつきます?」


 これには沈黙による回答のみがあった。

 ユミルは苦々しく顔を歪め、大仰に溜め息をついている。


 ルチアのやり方が気に食わないからと、見せる表情と仕草ではなかった。

 それでは不測の事態に対応できないから、苦々しく思って見せる態度だった。


 突然、結界に包まれた何かが出現し、その場面をたまたまミレイユに属する何者かが発見すれば――。

 その時に起こすべき対処は、どうしても一手遅くなる。


 ミレイユ達に発見されなければ、まず問題ないという考えでも、初手から躓いた場合はどうするか。

 咄嗟に隠れるなど、その状態では不可能なのだ。

 しかし、現状、まず侵入に対して発見されない必要があるならば、ルチア以上の発案がないのも事実だった。


「そうさな……。では、もう一つ……我の力が役立つかもしれぬ」


「何か手があるのか?」


 ミレイユが向ける目に、凡そ期待らしいものは浮いていなかった。

 むしろ、非常に疑わしい視線を向けていて、不躾とも取れるものだ。


 しかし、オミカゲ様は全く気にした素振りも見せてない。

 顎の先に拳を当てた仕草は、何か確信めいたものを感じさせる。

 しかし、ルチアの膝枕で髪を梳かれているせいで、そこに威厳らしきものは皆無だった。


「試した事がないので、思い付いたままに言うが……。我の権能は『守護』と『集積』だ。それを用い、そなたから神気を集め、取り出し、固着する。そうする事で、神たる認識を薄くさせられるのでは、と考える次第よ」


「……可能なのか、そんなこと?」


「マナの集積について、今更そなたに説明の必要はなかろう。形なきものでも、保管する形で留めておけるのだから、同じことを神気に対しても行うだけ」


「私から神気を取り出す……。可能だとして、私は神としての存在が希薄になるのか? 下手すると消滅、なんてことは?」


 それは凡そ、思い付く最悪の想定だった。

 実現してしまったら、つまり遠回りな自殺に等しい。


 その懸念はアヴェリンを大いに驚かせ、腰を僅かに浮かせたものの、ミレイユの視線を受けて元に戻る。

 オミカゲ様も、何もこんな事でミレイユを害そうなどと、考えている筈もない。


 それで冷静に戻り、アヴェリンからの謝意を受け取ったオミカゲ様も、やんわりとした口調で続けた。


「無論、最後の一滴まで搾り取ろうという話ではない。要は、反応できないほど希薄に出来れば、それで目的は達しておる。集積した神気は、個人空間にでも収納しておれば、まず発見されぬであろう」


「……希望の持てる話ではあるな。……だが、推論ばかり並べ立てても意味はない。少し試してくれないか」


「良かろう」


 オミカゲ様は二つ返事で了承すると、ルチアの膝から起き上がり、ミレイユの前へ足を運んだ。

 正面に立ち、右手を頭の上に乗せ、神の力たる権能を発動させる。


 淡い緑の燐光が放たれると、それがミレイユにも伝播した。

 一呼吸の間に光が収束し、オミカゲ様の手へ集まる。

 頭から手を離すと、燐光もつられてその手を追い、次の瞬間には中心から光を放つ正立方体が出来上がった。


「……ふむ、こんなものか。気分はどうだ?」


「……良くはないな、身体が鈍い。薄皮を被って動いているかのようだ」


 ミレイユは不快そうに眉根を潜め、首を曲げたり、肩を回したりと、その動きを確かめている。


「だが、即座にどうこう、といった感覚もない。……そうだな、気分としては、かつて神でなかった身体を動かすものに、近いのかもしれない」


「それは重畳」


「この状態では当然、権能の行使は無理だろうな」


「難しかろうな。魔力切れの状態で、魔術を使う事と似た感じとなろうし、無理に使えば昏倒しよう。反射的に使わぬよう、よく気を付けよ」


 オミカゲ様が深刻な顔で説明すると、手の中にある立方体を掲げ、その中に見える光をまじまじと見つめた。


「……さて、こうして神気は、問題なく取り出せた。後は、これを個人空間へ仕舞った場合だが……」


「どれ、試してみよう」


 ミレイユが正立方体を受け取って、懐に仕舞う仕草で収納する。

 どうだ、という視線を向けられたオミカゲ様は、二歩、三歩と後ろに下がって、それから改めて満足げな笑みを浮かべた。


「うむ、これならば問題なかろうと思う。強大な魔術士がいるとは分かっても、気配のみで神とは気付けるものではない」


「そうねぇ……。アタシからしても、普段感じる威圧感とか、畏怖めいた感覚とか、凄く薄れた感じするわ。ただ、深く探ろうとすると、やっぱり分かるわね」


「あくまで遠方から見え辛くするだけ。本当に見えなくするには、全ての神気を奪わねばならぬだろうが、それでは本末転倒よ」


「まぁ、十分だ。その目を誤魔化せられれば良いわけだからな」


 それは例えば、暗闇を照らす光に似ている。

 今のミレイユは、小さな蝋燭だ。

 対して、オミカゲ様は灯台の光に似ている。


 どちらが目立つか、など言うまでもなく、距離を少し離せば見えなくなる。

 近付けばおや、と気付くことでも、素早く身を隠せばまた見失うだろう。

 結界内で閉じ籠もっていなければならない仮定から考えると、大いな進歩だった。


「神気を取り戻したい場合は、手に持って念じれば良いんだよな?」


「うむ、身体の中に溶ける様に消え、即座に力を取り戻すであろう」


「即座であれば、ある程度は安心できるか。後の問題としては、不意打ち的な攻撃に対してだが……」


 それこそ、ミレイユが神気を取り出されて感じた懸念だった。

 両手を握りしめては開いて、と繰り返しながら、思ったことを口にする。


「しかし、これは相当な弱体化を招いたんじゃないか? 少し怖い思いもあるな」


「いやぁ……、アタシは逆だけどね」


 ユミルは呆れた顔で、一笑に付した。


「弱体化して、それなの? いっそ笑い話の類でしょ」


「ですねぇ……。私もすっかり、感覚マヒしてましたけど……。昔のミレイさんって、神様じゃなくても十分強いんですよね」


「たった一人で戦力過多、とか言われてた奴よ? それこそ冗談って感じでしょ」


 気安い仲とはいえ、余りに余りな言い方だった。

 そんなユミルに、ミレイユは爽やかな笑みを浮かべて言う。


「ユミル、後で付き合え。少し、この身体に慣れておきたい」


「なに言ってんのよ、イヤに決まってんでしょ。そんなの、それこそアヴェリン使いなさいよ」


「ミレイ様がお望みなら、このアヴェリン、いつ何時であってもご期待に添ってみせます」


 頑なに拒否するユミルとは真逆で、アヴェリンからは漲る程の挑戦心が見て取れる。

 単に軽い運動で済ませるつもりはなく、ともすれば、その武器を打ち付けることに喜びを見出しているかのようだ。


 そして、それは事実でもあった。

 アヴェリンは決して、ミレイユに武器を向けたいとは考えてない。


 しかし、互いに武を競うとなれば、話は別だ。

 アヴェリンの向上心は決して潰えず、ミレイユが神となって決して届かぬ身となっても、その武威を高めることに邁進してきた。


 全ては、ミレイユの傍で立ち続ける為――。

 大神レジスクラディスの右腕たらんとするからこそ、その武威は誰よりも高みでなくてはならない、と信じている。


 そして、こと近接戦闘に限り――武器と武器のみを打ち躱す場合に限り、ミレイユをも超えたと、アヴェリンは考えていた。

 無論、アヴェリンの武はミレイユに捧げられるものであって、ミレイユを超える事に見出すものではない。


 だが、武人とは常に、自分より強い者を超えたいを願う生き物なのだ。

 信奉を向ける相手に対して、武を競いたいと願うことは憚るべきことだ。

 だからこれは、アヴェリンにとって降って湧いた幸運でもあった。


「……そうだな。では、アヴェリン。この話が終わった後にでも、少し互いに動いて見るか」


「ご期待に添えるよう、努力いたします」


 アヴェリンは喜悦を噛み締め、表情を押し殺したまま、粛々と頭を下げた。

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