一つ解決するその横で その6
「組み手の方は、さておいて……」
ミレイユは眼の前から動こうとしないオミカゲ様に、さっさと退くよう手を振ってから腕を組んだ。
「あちらへ帰るにしろ、一番の障害となりそうなのは、その転移直後になりそうだな」
「それを一番と言われては、その後の問題が、いかにも小さく思えてしまいますね」
ルチアが苦笑いと共に言って、それから小首を傾げた。
「でもとりあえず、今だけは諸問題を棚上げするとして……。確かに孔を通過した直後は、最も無防備な瞬間と言えるかもしれません。丁度一年前って、私達何処に居ましたっけ?」
「南東大陸とを、忙しく行き来してた以外、印象に残ってないわねぇ。それだって、神処とは掛け離れた場所との往来だったでしょ。一度も立ち寄らなかったかは疑問だけど、逆に安全地帯になってる感じするわ。……だからまぁ、降り立つ前から隠蔽の魔術を掛けておけば、神処を目標にするのはアリと言えるかもねぇ」
ユミルが思案に頭を悩ませつつ、唇を尖らせながら言った。
虫食いの対処で、何かと忙しく動き回るミレイユだから、確実に安全な一箇所というものは存在しない。
そして、ユミルが言った以上の際立って有効な転移場所など、他の誰にも思いつかなかった。
オミカゲ様もこれに便乗して、再び大人しくルチアの膝枕に収まりながら、ユミルの意見に同意している。
「運任せよりも勝算の高い場所があるなら、そこにするのが良かろうよ。慎重なのは結構だが、少々神経質過ぎるように思う。過去を知る分、有利は間違いなくそちらにあるのだぞ」
「それはそうかもしれないが、対処相手が自分達と思うとな……」
「まぁ、野生じみたアヴェリンの勘に、小さな穴さえ見つければ、それを見逃さず対処しようとするアンタでしょ? 感知に関しちゃルチアが恐ろしい精度で察知するし、空はドラゴンが見張ってる。神経質にもなろうってもんでしょ」
ユミルの悪戯めいた笑みは、ミレイユのいかにも不満な表情と共に睨めつけられる。
「当然、自分は何もしない、みたいな言い方するな。お前もお前で、その隠蔽性や追跡術が厄介だ。仕事に掛かるまで長いが、取り掛かればどこまでも執拗に追う陰険さがある」
「お褒めいただき、どうもありがとう。……まぁ、実際のトコロ、よほど分の良い賭けでしょ。ミレイユの森の中で出現を狙えば、後はどうとでも回避できると思うわよ」
「……そうだな、そうかもしれない」
「それより考えるべきは、断然、諸問題の方でしょ。アタシ達は、出し抜いたつもりのアルケスを、逆に出し抜いてやる必要があるのよ?」
非常に業腹だが、その悪行全てを見逃し、下手をすると手助けすらした上で、出し抜かせてやらねばならなかった。
そうして、その時間軸のミレイユが、最後の場面へ急行できるよう、『虫食い』の処理を先んじて秘密裏に行う必要もある。
「一年という準備期間が用意されているとはいえ、出来る事は多くないだろう。見つかりたくないからといって、必要以外の全て、ひたすら隠れ続けるのも上手くない。……どうするべきだと思う?」
「私達に見つかってはならない、という点が、何だか想像以上のプレッシャーとなってますからね……」
ルチアは顎先を摘むようにして考え込み、ミレイユへと顔を向ける。
「逃げ隠れするだけでも大変です。神力は対策済みだから良いとして、魔力をふんだんに使うのも、控えた方が良いでしょう。これは私達にとっても同様ですから、出来ることは必然的に限られるんですよね……」
「そうだな、だから戦闘は控えた方が良さそうだ。……それも、時と場合による、としか言えないが……」
「そうよねぇ……」
ユミルが大仰に溜め息をついて、首を振る。
「結局のところ、行き当たりばったりにしかならないと思うのよ。臨機応変と言えば聞こえは良いけど、手探りで暗闇を移動するのと変わらない」
「しかし、暗闇に怯えて蹲ってる訳にはいかんだろう。我らは勝利を掴みに行くのだ」
アヴェリンが毅然とした態度で言い放ち、そして続ける。
「何より、一年という時間を無為にするのは有り得なかろう。攻めに使うことこそ、我らに似合う」
「アヴェリンの言う通りだな。アルケスが勝ち誇ったその時に、顔面を蹴り付け、地に落とす為にも。――それで話はさっきに戻るが、その時のために、何が出来ると思う?」
「何が、と言ってもねぇ……」
ユミルは溜め息をついてから、肘掛けへとしどけなく体重を預けた。
片方の眉を吊り上げ、揶揄するような視線をミレイユへと向ける。
「ほら、ルヴァイルとインギェムは、アンタに裏切れ、と命じられたからそうした、という見解で決着したじゃない。まぁ、頷ける話だから、それを実現させるべく動くのは良いとして、他にもテコ入れしてみるのはどう?」
「テコ入れ、か。具体的にはどうする? その二柱が安心して裏切らせるだけの材料を用意する、とか……?」
かの二柱は、ミレイユを裏切る。
だがそれは、ミレイユに命じられた任務を、遂行したからに過ぎない――。
ミレイユはそう考えている。
それはあくまで予想に過ぎないが、同時に納得のいく推測でもあった。
逆に、そこまでしなければ、かの二柱が裏切るビジョンが浮かばない。
単に安い脅しで屈するほど、弱い神でも、覚悟のない神でもない、と知っているからだった。
「ルヴァイル達に危ない橋を渡らせようと言うんだ。命じることなく、詳しい説明も必要なく、頼むだけできっと頷いてくれるだろう。……だから、敢えての保険も用意してやりたい気持ちがある」
「敢えての保険……? それってつまり、どういうモノ?」
「裏切らせるまでは良いとしても、アルケスだって無理やり脅して言う事を聞かせようとするわけじゃないか。つまり、命の危険か、それに準じる用意がされてある」
「そうよねぇ……。二柱を神処で拘束ぐらいは、当然しようとするでしょうし、互いに互いの命の綱を握らせる、なんてコトもしてそうよ。淵魔を用いて、目の前で次々と信徒を喰らわせる、なんてのも有効かもね」
神とは飲食を必要としないが、代わりに信仰が――願力を得られなくば、その存在を維持できない。
信徒の一人もいない神は脆い。
勝手に自滅してしまう。
ミレイユを世界から追い落とした理由と、アルケスの最終的な狙いは、まさにそこにあったと考えている。
「今、自分で言って思い付いたんだけど……。よくよく考えるとさ、アルケスって実は結構、本気で暗殺狙ってたのかしら?」
「ミレイさんを、レヴィン達に暗殺させるっていう、あれですか?」
そう、とユミルが頷いて、指を一本顔の前で立てる。
「アタシはあの時、一割以下って言ったわ。失敗する前提だって。でも、実は違うんじゃないかしら。信徒のいない――信仰を受けられない神は脆い。ウチのコを追い落とすコトで、大幅な弱体化するって予想してたんじゃないかしら?」
「でも実は、御子神様と呼ばれて、結構な信仰を既に受けてる身なんですよね」
「そんなの、アルケスは知りようがないもの。レヴィンが返り討ちに遭って死亡すれば、酷く傷付くだろう。……いっそ、そういう嫌がらせを含んでいるんだろう、って思ったけどさ。刺し違えるコトが目的なら、案外達成の見込みありって思ってたかもよ」
「信徒が全く居ない前提なら、有り得ない話ではありませんね。でも実際は、真逆でした」
「……そうだな。
「まぁ実際は、元が強すぎるせいで、大した弱体化してなかった、とも知れちゃったワケだけど」
ユミルが鼻で笑い、ルチアが苦笑し、アヴェリンは誇り高い笑みを浮かべた。
「信徒を物理的に奪い、弱体化を狙う……。それを見せつけ――見せしめに使われたら、ルヴァイル達でなくとも、たまったものじゃないだろうな。憂いなく協力させるには、これを払拭できる何かが必要だ」
「あの二柱が弱い分、最低でも身の保証をしてやる何かが必要? 信徒を丸ごとは無理でも、神処に避難させて、そこを丸ごと守らせるとか?」
「結界の魔術だけじゃ、どうにも片手落ちって感じです。予め刻印を配ることで、魔術の確保は可能ですけど、長時間の展開はどう足掻いても無理ですしね」
「刻印ってのは、そう便利に出来てないからねぇ。かといって、一から修得している魔術士がどれだけいるんだって話……。それとも、一年の時間を有効活用させて履修させる? 使い物になればいいけど……」
自分で放った意見であるにもかかわらず、全く期待していない口振りだった。
実際、結界魔術は才能に大きく左右される分野だ。
高い魔力があれば使えるものではなく、また一年の猶予があってさえ、十全に使えるかは不安が拭えない。
それならば、一定の効果を確実に実現する刻印を、数多くの人間に刻んだ方が、まだしも効果を期待できた。
しかし、画一的な効果を、確実に実現できる一方、効果時間を延長させるなどの融通は利かない。
己の才覚で効果に幅を持たせられる魔術士との、最大の違いがそこにある。
刻印とて魔力量などで効果が左右されるが、逆を言うと発動だけはすれども、紙の様な装甲にしかならない、という残念な結果を起こり得るのだ。
刻印ばかりを、当てにするのも考えものだった。
「私が――私自身、あの二柱に何の対策もさせず、放り出すような真似をしたとは思えない。協力を要請するに際し、蔑ろにするとも考えたくないんだ。私はきっと、何かを用意した筈だ」
「そうねぇ、実にそれらしいって気がするわ」
「今更、アルケスの安い脅しに屈する二柱とも思ってないが、だからとて、死ぬ前提で放り出すのは主義に反する」
「確かに、ミレイさんは目的さえ達成できれば、後のことは知らない、というタイプではありませんものね」
「歴史通りに事実を繰り返す――それを可能な限り実現する為にも、これを蔑ろには出来ない」
ミレイユの中空を睨みつける視線が、より一層強まった。
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