幕間 その2

「……ない、とはどのような? 既に使者を、どちらかの領へ向かわせているのでしょうか?」


「神の庇護を授かり給う国ぞ。神に祈りを捧げれば、必ずや慈悲が下される。心配の必要はない」


 ヴィルゴットは愕然とした面持ちで、イデンロッドを見つめる。

 空いた口が塞がらない様子で、そのうえ二の句も継げていなかった。

 喘ぐように口を動かし、一度呼吸を整えてから、再び口を開いた。


「……お言葉ですが、陛下。あれを放置することが、どれ程の被害を拡げるか、想像すら付きません。神の慈悲はともかく、これの放置は無能の誹りは免れませんでしょう。王たる者の努めを、どうか果たすと仰って下さい」


「――そうであるなら! 尚更そんな必要はないッ!」


 突然の激昂に、ヴィルゴットは元より、控えていた兵士達まで目を丸くした。

 イデンロッドは荒く息を吐きながら、怒りを顔面に貼り付けて睨みつける。


「よいか、神託は既に下っておる。神の慈悲は約束されておるのだ! 無用に騒ぎ立てれば、民が不安になろう。何もしなくてよい、心配の必要もないのだ!」


「ですが、陛下! 伝承によれば、淵魔ヤツらは喰らうほどに強くなるのでしょう! そして、喰らうことが本能であったはずです! 神の慈悲が下されるまで、一体どれほどの民が犠牲になるか――!」


「それは神への不敬か! 不信心を棚に上げ、人の身でどこまで何が出来る思っておる! 座して待つべしとあらば、その様にしておれば良いのだ!」


「――お待ちを!」


 興奮冷めやらぬイデンロッドに、ヴィルゴットは手を挙げて諭すように問う。


「神託とは、ただ待てと伝えてきたのですか? 果報を寝て待てと? その様なふざけた神託が、本当にあったのですか!」


「貴様の言い分など、もはや聞きたくもない! 神への冒涜、これ以上聞き捨てならんわ! お前のお遊び騎士団は解散しろ! これからは宮中で、しかと礼儀を叩き込んでくれる!」


「お待ち下さい、陛下! せめて、警戒だけでも! もしも危機あらば、その時は迅速に対応できるよう――」


「聞きたくないと言った! 退がれ!」


 ヴィルゴットは歯を食いしばり、目を固く瞑る。

 次いでガントレットに包まれた、その拳を強く握り締めた。


 震える拳を必死に抑え、意志の力で一礼する。

 礼節通りの挨拶を済ませると、踵を返して謁見の間を出た。


 向かう先は自室でなく、部下たちを待たせた宿舎だった。

 足音荒く廊下を歩き、道行くメイドが端に寄って一礼する様を睨み付ける。


 メイドに当たった所で意味がないと分かっていても、気持ちの昂りを抑えられなかった。

 ただ震えて通り過ぎるまで待つメイドに、今更ながら申し訳なく思いつつ、足を速めて目的地へ急ぐ。


 宿舎へ辿り着けば、そこには毅然とした態度で待ち構える騎士たちがいる。

 ヴィルゴットが頼りにする仲間たちは、何かを期待する視線を一直線に向けていた。


 どの様な命令があっても即座に動けるよう、この場で待機するよう、命じていたからこそだった。

 だが、その彼らに今から玉座での報告をするのは、ヴィルゴットであっても心に重い。


 頼りになる仲間であり、そしてこれまで多くを支えて来てくれた部下達だ。

 宮中の誰より信頼できる男たちだと、ヴィルゴットは胸を張って言える。

 だからこそ、口に重しが付いたようであろうとも、その信頼に応えて、正しい報告をしなければならなかった。


「……皆、聞いてくれ。陛下は何もするな、との仰せだ。座して待て、と命じられた」


「馬鹿な!?」


 部下の一人が声を上げ、それに誰もが同意する。

 あの時の惨状を目にした者からすれば、淵魔の存在は、魔物と比べ物にならない脅威と映った。


 討伐は必須、そして戦うならば、専門家の知識もいる。

 既にそうした話は、帰途の最中にしていた事だ。


「そして、我ら憂国騎士団には解体命令が下った」


「陛下はご乱心なされたか!? 王領の魔物は、一体誰が退治していると思っているのか!」


 かつては冒険者が幅を利かせ、国からの報奨金を受けて討伐していた。

 しかし、金額に文句を付け、動いてくれないことが多々あったものだ。

 民の苦しみや嘆きを受け、それを憂いたヴィルゴットが自ら騎士を率い、これに対処したのが騎士団の始まりだ。


 そうして、ヴィルゴットの私設騎士隊は、いつしか数も膨れ憂国騎士団と名乗り、腰の重いギルドに代わり仕事をこなしてきた。

 王太子殿下に万が一などあっては、という声は幾つもあった。

 しかし、ヴィルゴットの腕は確かで、文句を黙らせる実績もまた、幾重にも重ねてきたのだった。


「ギルドは大きな仕事を失くして、途方に暮れていると聞く。そちらが上手くやるだろうさ」


「名のある冒険者は、既に王都から出払って久しくありますよ、殿下。気位ばかり高い奴らだ。呼びかけたところで、すぐには応じないでしょう。……数年は被害が続出しますよ」


「……そうだな」


 突然の解体はともかく、その後を継ぐ者がいなければ、当然そうなってしまうだろう。

 王の勘気に触れたことなので、貴族に近い者ほど敬遠する。

 自発的に後続ないし、代替部隊が出来るとは思えず……そして、なし崩しに放置される問題となるだろう。


「淵魔に対しても、神の慈悲を乞うだけで済ませるおつもりらしい。祈れば神が助けてくれるのだそうだ」


「有り得ん! 一体なにをお考えなのか! 何者かに誑かされているのではあるまいな!?」


「陛下御本人は、神託が下ったと仰せだったが……」


 口にしながらも、ヴィルゴットは苦みを隠し切れない表情で外を向き、そして別の部下から放たれた一言で顔を戻した。


「それなら父から、少し小耳に挟んでおりますよ、殿下。最近は、アルケス神にご執心だとか。寄進も多く寄せられたとか……」


「……それは、妙だな。陛下は根っからの大神信者だった。それがここで、急に宗旨替えをするのか……?」


「何か弱みを握られた、とも考えられますが?」


「神官共にしろ、そこまで浅慮でも、無礼でもなかろう。大体、父の様子は弱みを握られたもの、というより、狂信に近かった。まさか本当に神託があったとも思えぬが……」


 顎の下に手を添え、思案を巡らす。

 神は人の声に応えない。

 特に個人的な願いや希望など、そうした声には耳を貸さないものだ。


 人は時として道に迷い、そして躓くこともある。

 国と国とが衝突し、戦争が起きたりもする。

 しかし、そこへ神が介入し、全てを綺麗に解決する、などということはしてくれない。


 人の世は人が解決するものであり、人によって動かされるべきもの、と定めた為だ。

 どれほど悲惨な光景があろうとも、どれほど悪党が世を貪ろうとも、それを解決するのは人でなくてはならない。


 神は天上より見下ろし、ただ見守るのみ――。

 しかし、例外はある。

 それが淵魔という存在に対してだった。


「神殿の建立、淵魔の排斥は、神々が主導で積極的に行うことではある。だから、此度のことも一蹴に出来ぬものがあるが……」


「しかし、神託とはまた……。早々、下されることではありますまい」


「熱心な祈りを捧げていた、大神からならともかくな……。それまで見向きもしてなかった神だぞ」


 だが、思い返してみると、淵魔と遭遇したのは、そのアルケス神殿の近くだった。

 程よく離れていたし、目に見える範囲でもなかったが、近しい場所には違いなかった。


「そのアルケス神が察知したからこそ、淵魔の対処に乗り出した……。そう見ることも出来る、が……」


「影が薄いとはいえ、神は神です。あり得る話ではあります」


「神にとり、淵魔は唾棄すべき存在には違いないだろうからな。必死に大陸の外へ押し出していたのに、ここで例外の発生は看過できぬだろう」


 理屈の上では理解できる。

 神と淵魔は相容れず、常に仇敵として扱ってきた。

 だから、現れないはずの淵魔に対して、積極的行動を見せるのも不自然ではないのだ。


 しかし、ヴィルゴットの嫌な予感は消えてくれない。

 悪いこと程よく当たる、彼の勘は常に戦場で助けてくれた。

 そして、いつでもその勘を頼りにしてきた男でもあった。


 神が関わる問題だからとて、その勘を切り捨てる気にはならなかった。

 難しい顔をさせて、ヴィルゴットは重く息を吐く。

 そんな彼を見て、忠臣たる部下が声を掛けた。


「どうなさいました殿下、その様なお顔で。……何か気に掛かることでも?」


「……いや、陛下から御言葉賜った時より、既に覚悟は決めていたことだ。俺は宮中には帰らん。このまま外へ出る」


「殿下!? しかし、それでは……その行いが、どれだけ立場を悪くすることか!」


「俺とて大神レジスクラディス様を信奉しているし、神に対して尊崇を向けているが、それは別として淵魔の動向は気に掛かる」


 そう言って、集まった一同へ対し、視線を巡らせた。

 彼らの顔には、ヴィルゴット同様の懸念めいたものが浮かんでいた。


「何事もなければ、俺は王命を無視した反逆者として扱われるかもしれん。神が全て何事もなし、と解決してくれる問題かもしれん。……だが、淵魔は俺の心許せる仲間を喰らった!」


 その一言に、騎士たちの顔が引き締まった。

 何を言いたいか察し、そして同じ思いを顕にして顔を紅潮させる。


「ピアニー、ベールコンス、ボノド、スーアル、タンガロア……。誰もが俺にとって無くてはならない部下であり、戦友であり、家族だった! この仇を討つまで、到底安穏と宮廷で過ごすことは出来ん!」


「全く同じ気持ちです、殿下!」


「一度、城門を潜れば、俺は謀反者となる。もしかすると、二度と帰って来ることは許されないやもしれん。……それでも良い、という者だけ付いてこい。付き従わなくとも、咎めはせん。俺の気持ちより、王命が優先なのは当然だ」


「いえ、殿下! どうか、ご一緒させて下さい! 淵魔に喰われ、呑み込まれる時のアイツの顔が忘れられません!」


「同じく怪物へと貶められたからこそ、斬ってやらねば、その魂も救われないでしょう!」


 誰もが同様に声を上げ、賛同する者しかその場にはいない。

 熱に浮かされている部分もあるのだろうが、誰一人、この場に残ると言わなかった。


「俺は良い部下を持った。そして、儚くも失った友も、良い仲間に恵まれた! 我ら憂国騎士団、これより淵魔を狩るべく遠征する! 奴らを見つけて、その首落とせ!」


『オォ! オォ!! オォゥッ!!』


 ヴィルゴットが直ぐ側に立っていた忠臣に手を伸ばすと、その手の平へ鎧とよく似た、見事な兜が手渡された。

 力強い頷きと共にそれを受け取り、万感の思いと共に被るなり、腕を振り上げ踵を返す。


 悠々と、そして泰然とした風格で宿舎を後にし、部下たちが誇り高い眼差しでヴィルゴットを追う。

 騎馬に跨り、城門から出て行く百の騎兵は、最初に淵魔と遭遇した地点を目指して走って行った。

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