第二章
継がれる遺志 その1
道とも呼べない険しい道を登りながら、レヴィン達は山岳頂上を目指していた。
既に目算で八割程は踏破しており、峠はもうすぐ越えられると思われた。
レヴィンは顎下を伝う汗を拭いながら、足の踏み場を確認しつつ、慎重に歩を進める。
険しい道を登り続けているのだから、体力の消耗も相応に高い。
考え事をしている余裕はないと分かりつつ、苦痛から逃れる為か、思考は
レヴィンは、いつしか足元を確認しながら、自問を繰り返していた。
――これで本当に良かったのか。
リーダーとして率いるレヴィンだから、ヨエル達の命を預かる責任がある。
彼らの忠誠や、同行は心強いのは間違いない。
しかし、その忠誠は領を受け継ぐ者、今後も益々の繁栄を願う、ユーカード家当主へ向けられるものだったはずだ。
何も知らずにいれば、その敬意を存分に向け、また自身も誇り高くいられただろう。
しかし、今では淵魔から追われる身であり、そして神殿勢力からも追われる身だった。
かつて、神殿とその神には、敬意と尊意を向け、ただならぬ信奉も向けていた。
信仰できることが誇りですらあった。
大神レジスクラディスとは、それほど偉大な存在であり、他の六小神より尚上に立つ神だった。
世界の創造をしたとも、創り直して新たに始めたともいわれ、どちらが正しいのか時々議論にもなる。
どちらが正しいかはともかく、非常に格の高い神なのだ。
その神が、実は人類を裏切り、影から破滅を計画していたなど、決して知りたい内容ではなかった。
考える程に、レヴィンの気持ちは陰鬱になっていく。
空は対象的に晴れているのに、その心には暗く雲が掛かっていた。
レヴィンは今や、追われる身だ。
そして、これから神殿を襲撃し続けるにあたり、より躍起となって狙われる身となる。
栄光がその身を照らしていたのは、既に過去の話だ。
頼る者もなく、頼れる味方は敵へと回る。
神への信仰がある限り、レヴィン達の行動は狂気として映るだろう。
決して賛同されず、そして敵は一方的に増えていく。
後悔しているか、と問われたら、レヴィンは首を縦に振るだろう。
何もかも、知らずにいたら良かった、とさえ言うかもしれない。
しかし、既に道は敷かれてしまった。
往く道は茨で覆われ、そのうえ進んだ先が行き止まりだと知っている。
意味のない決死の行動でしかないのだろうが、抵抗の炎まで、レヴィンから取り払うことは出来なかった。
たとえこの火が無惨に潰えようと、これが火種になる可能性があるのなら、レヴィンの行動にも意味がある。
――知ったからには、知らないままでは済ませられない。
その意地こそが、レヴィンの原動力となっていた。
急斜面となっている岩肌を、レヴィン達は必死に登り続ける。
アイナも自分に治癒術を使い、お荷物にはならないと、必死に食らいついてくれていた。
これまでも泣き言の類さえ、一切口にしていない。
額に汗を浮かせ、前髪が張り付いているのも気にせず、懸命に足を動かしている。
レヴィンはその行動に、感謝を視線で送った。
――その時だった。
逸早く気配に気付いたロヴィーサが、自らアイナの肩を抱き、岩陰へと身を投じた。
そうして警告を鋭く発しながら身を低くする。
「隠れて! 空から何か来ます!」
その言葉を聞くか聞かないか――。
レヴィンとヨエルが弾かれたように動き、近くの岩陰へと隠れた。
装備の一部が光の反射で映らないように、マントで身体を隠しつつ上空を伺う。
そこには空を悠々と飛ぶ、ドラゴンがいた。
皮膜で空気を切り裂きながら、岩肌を掠めるように飛んで行き、そうしてまた上空へと戻っていく。
地上を睥睨するように見下ろしており、まるで何かを捜しているようにも見える。
ドラゴンの飛行速度は速く、すぐに姿は見えなくなった。
しかし、それが見えなくなった今も、まるで生きている心地がしなかった。
それまで止めていた息を盛大に吐くと、他の皆も思い思いの表情で吐き出していた。
思うこと、やることは皆同じだったらしい。
「これまで、ドラゴンを空に見るのは、非常に心強かったものだが……」
「索敵でもしていたのでしょうか。淵魔を探していたのなら、心強いことなのですが……」
「多分、そういうことじゃないんだろうな」
レヴィンは再び溜め息を落とし、今や見えなくなったドラゴンの姿を空に追った。
「ドラゴンは不穏分子を潰すつもりで、あぁして索敵しているんじゃないか。今まで辺境領で援護してくれていたのも、つまり見せ掛けの助力でしかなかったんだろう」
「神々の意思を考えれば、そういうことになるのでしょうが……」
「そして、この場合は俺達が目的ってわけかい」
ヨエルがうんざりするように顔を顰め、レヴィンへ倣うように空へ目を向けた。
ロヴィーサも同意しつつ、やはりドラゴンの影を追った。
「けれど、不穏分子とはまた、言い得て妙かもしれません」
「どういう意味だ?」
「一応は、神々も計画は秘するつもりがあるのでしょう? 一斉蜂起……との表現が正しいかはともかく、その次期を見定めて、淵魔を神殿から放出するつもりでいる」
「そうだろうな」
「でも現実には、完全で完璧な隠蔽まで考えていないように思えるのです。先程は無垢の淵魔まで放出して、私達の後を追わせました。でも、仕留めるのに成功していたら、今度はその淵魔が邪魔になるでしょう?」
「秘する意思があろうと、状況次第じゃ隠しようがないな……」
当然、淵魔はその本能として、生命を喰らおうとする。
そうしてレヴィン達を喰らって強大化した淵魔は、やはり非常に目立つ存在となって、各地を襲い始めるだろう。
そうなると、計画を秘しておきたい神々の計画とは反してしまう。
「でも、邪魔になった淵魔の処理役としてドラゴンがいると考えれば、不自然とは映りません。仮に目撃されても、それをドラゴンが淵魔を処理している光景なら、全く問題になりません。むしろ、より強く、神の威光と配慮に感謝するでしょう」
「未然に淵魔の暴挙を止めてくれた、と……確かにな。そして、俺達が淵魔を退けたとしても、そこでドラゴンが目撃された所で全く不自然じゃないしな」
「不穏分子の処理役、ね……。なるほど、流石は神様。エゲツねぇ程、良く考えてらっしゃるぜ」
ヨエルがいじけたような声を出し、大いに顔を顰めて空から視線を切る。
レヴィンもまた似た思いで足場へ目を戻し、また黙々と歩き始めた。
もうすぐ山岳の頂きへ辿り着く。
上がったなら今度は下らねばならず、それもまた大変で危険な行程だ。
だが、山場を乗り越えたとなれば、一つの達成感は得られる。
ドラゴンの件があったばかりなので、目立つ場所で長時間休憩もできない。
しかし、平坦な場所など他に見つけるのは困難だった。
さりとて、休憩したければ、良い場所を見つけなければならない。
それを励みに足を動かし、時折空へと顔を向け、何かが飛んでいないか確認しつつ、山頂を目指す。
山の天候は変わり易いものだが、幸いにして今のところ、天気の崩れる予兆もなかった。
そうして進むことしばし、ようやく山頂へと辿り着く。
どこまでも見渡せる世界は非常に美しい。
左右には尾根が広がり、木々に埋もれた山肌が見えていた。
日の当たる場所によって明暗がハッキリ分かれており、雲の影が山肌に落ちた部分には、雄大さが演出されているかのようだった。
山下の裾野に広がる盆地は草原が広がり、細く線を引いた様な道と、その間に町々が見える。
遮る物もなく見渡せる光景に、レヴィンも思わず、我を忘れてその光景に見入ってしまった。
その横に立ったアイナも、同じ様に眼下に広がる景色を見つめ、呆けた口でありきたりな感想を述べる。
「凄いですね……。世界は広いんだって、改めて感じました」
「そうだな。……ここからだと、神殿がどこにあるかも良く分かる」
辺境領内ならともかく、その外となると地理的な知識に疎い。それはここにいる全員が、共通している部分だった。
神殿は基本的に大きな建築物だし、高台に作られることも多い。
だから、眼下に広がる世界だけでも、既に五つは目星が付けられた。
今後の神殿襲撃は、それら目星を主軸に行う事となるだろう。
レヴィンが頭の中でそうした計算をしていると、未だに飽きることなく見つめているアイナに、そっと声を掛ける。
「随分、熱心に見るんだな。気になる所でもあったか?」
「いえ、ただ物珍しいだけです。あたしにとっては、あぁした光景は非常に新鮮ですから」
「……あぁした、というのは?」
アイナの隣に立ったロヴィーサが問うと、彼女は頷きながら指先を左斜め前方へ向けた。
「特に……ほら、あそこに見える巨大な抉れた跡ですとか、幾つも連なるクレーターとかです。――あっちなんて良く見ると、実は遥か巨大なクレーターの中に作られた街だって分かりますよね?」
「確かにそうですね。上から見ると分かり易いです。……まるで激しい戦闘痕の様な……。神々のうたた寝、なんて呼ばれますけど、もしかすると、遥か昔に何かあったのかもしれません」
「何かって……?」
「さぁ……。少し前までの私なら、きっと淵魔との戦い、と言っていたのでしょうけど」
それが盛大な自作自演と分かった今、淵魔は負けるべく負けるよう仕組まれていた、という事になる。
わざわざ地形を変貌させる程、巨大な力の衝突など必要ない。
レヴィンも少し考える素振りを見せていたが、やはり考えた所で答えの出ないものだ。
それより、と遠方を見つめていたアイナが、左方面の遥か先、海を指差して言った。
「結構、海が近いんですね。――それに、アレでしょう? 前に聞いた『魔の島』って」
遥か水平線の向こうには、薄っすらと島の影らしきものが見えた。
島なのか、それとも別の何かかもしれない影に、レヴィンはうっそりと頷いてやる。
「……あぁ、俺も話にしかしらないが、きっとあれがそうなんだろう。
「じゃあ、淵魔も?」
「奴らがやって来るのは逆方向だ。……いや、そんなのは関係ないか。あちらとは無関係、と思わせたいが為の欺瞞工作かもしれない。だからむしろ……、無関係ではないと思うべきなんだろうな」
レヴィンは瞳を薄くさせて、蔑むような視線を向ける。
魔の島は別名、神の住まう島とも呼ばれ、世界の中心と言う者もいる。
全てをあそこから支配しているというのなら、あの島を攻撃してこそ意味があるのかもしれない。
しかし、海路でしか行けない場所にある上、海流の関係で決して辿り着けない話は有名だ。
目指した者は数知れないが、誰一人それを叶えた者はいなかった。
「まぁ、今のところは休憩にしよう。時間的に、今から下山も大変だ。場所も良い塩梅だし、ここで野営して明日一番に下りるとしよう」
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