継がれる遺志 その2
その日、レヴィン達は山岳の頂きで一夜を明かす事にした。
ろくに遮蔽物もなく、見晴らしが良すぎるのは不安の種でも、他に適した場所が見つからないのでは仕方がない。
何しろ、またいつドラゴンが飛んでくるか分からないのだ。
常に緊張を強いられた中での野営となった。
手近な石を集め、疎らに生える草を千切ってテントを偽装してみたものの、どれだけ効果があるか不明だ。
その上、どれほど丁寧に小石を取り除いても、ゴツゴツとした岩肌では十分な睡眠など取れないものだ。
しかし、淵魔との戦いや、その後の登山で体力も気力も、そして魔力まで多大に消費し尽くしていた。
それでも失われたそれらを取り戻す為、身体は睡眠を求める。
見張りは交代制で行われるので、長い睡眠を取れなかったものの、寝床の不満など口にするより速く眠っていたし、背中が痛みを知覚するより前に起きていた。
無事、一夜を過ごし、ドラゴンや魔物の類にも発見されなかったのは僥倖だった。
山から見る眩いばかの朝日に目を細めながら、レヴィンは白湯に口を付ける。
地上よりも風が強く、また気温も低い所なので、温かい飲み物はそれだけでご馳走だ。
「皆、平気か? 体調を崩してる者は?」
「いや、大丈夫。他の皆も……、平気そうだな」
レヴィンの声に、ヨエルがそれぞれの顔色を窺う。
しかし、ロヴィーサはともかく、アイナについては心配なところだ。
誰より体力が低く、そして昨日も何とか置いて行かれまいと、無理しているのは見て取れていた。
それでレヴィンが、気遣わしい視線を送る。
しかし、返って来たのは、アイナの努めて形作った笑みだった。
「平気ですよ、これぐらい。巫女の修行は厳しいんです。……勿論、皆さんに適う程のものじゃないと分かりますけど、これぐらいでへこたれたりしません」
「そうか、……うん。でも、無理はするなよ。目的を達する
「分かってます。ご迷惑は掛けません」
決意を感じさせる瞳で言われると、レヴィンもそれ以上、何も言えなくなった。
旅の共に向けるものとしては、少々過保護に見えるが、何しろ回した敵は余りに強大だ。
孤軍奮闘を強いられる中で、熱を出して寝込むなどされた場合、立ち往生させられるのも困る。
人里へ絶対近寄らないのは不可能なので、宿で一泊するくらいはあっても、長期滞在はリスクばかりが増すのだ。
大神の信徒は何処にでもいて、そしてその気になれば、いつでも捕捉できてしまうだろう。
気にし過ぎて、し過ぎるということはなかった。
「食事を取ったら、山を下りる。まずは手近な町に寄って、そこで保存食や水の補給を済まそうと思う。――ほら、ここからも見える、あの町だ」
レヴィンが指差す方向には、壁で囲まれた中規模の町がある。
平原の中、近くには川も流れていて、主要街道の先には神殿らしき建物まで見えた。
ロヴィーサも指し示された町を見つめて、一つ頷く。
「まず目指すべき目標として、妥当という気がしますね。若様の仰る通り、食料の補充は必要です。獣の肉とて、いつでも手に入るものではありませんから」
「それに、情報だって必要だぜ。神殿の動向は気になるところだ。近くに神殿があるなら、殺気立ってるとか、何者かを捜しているとか聞こえて来るんじゃねぇかな。警備体制が敷かれているとか、そういう噂だって流れているかもしれねぇ」
「……そうだな。無知無策、飛び込みで神殿を襲撃するのは、もう無理だろう。ここからは慎重さが必要になる」
そう言って、改めて一同を見回し、次に空へと目を向けた。
「どこから見張られてるかも分からないしな……。追手は撒けたと思いたいが……」
「相手は神の尖兵か、あるいは神殿の手先か、はたまたドラゴンか……ってか?」
「そこに淵魔も加わりますよ。
「……全くだ」
レヴィンがいっそ愉快に笑って、カップの中の白湯を飲み干す。
ロヴィーサが直ぐに新しく白湯を注いでくれて、それに視線で感謝を示してから指示を出した。
「とりあえず、まずは飯だ。待ってる間になるべく痕跡となる物も消しておこう。すぐに発てるようにな」
※※※
山を降りる際は、登る時より気を付けねばならない。
より楽な運動であるのは確かだが、滑落を起こしやすく、重大な怪我の原因になり得る。
そうは言っても、何事もなければ気が緩むもので、いつの間にやら会話に花を咲かせていた。
息を切らして山を登っていたアイナさえも、今は体力の余裕からか、その会話に参加している。
「――でも、暢気に話していても大丈夫なんですか?」
「いつまでも気を張っているのも辛いしな。それで油断して、警戒も疎かになるなら、もちろん問題さ。でも、俺達一人一人に死角があろうとも、それぞれでカバーが出来るからな」
「そうですか……。そうですね、皆さんが油断してるところ、今まで見たことないですし」
アイナが得心と共に頷くと、それから気楽な態度で質問を続けた。
「とりあえず、目指す町は分かりましたけど、それからはどうするんですか?」
「そりゃあ当然、次は神殿さ」
「いえ、そうではなく……。その先のことです」
これにはレヴィンも即座の返答はしなかった。
彼としても、考えずにはいられないことだ。
このままでは玉砕の後、死亡するしかないと分かり切っている。
計画の全貌を知ろうとも、それを周知するのも不可能で、常識と信仰という蓋が全てを封じ込めてしまう。
反抗する、と決めたからには戦う。
しかし、それは死出の旅路であるのも同然だ。
付き合わせるのを申し訳ないと感じると同時に、アイナだけは生かしてやりたい、故郷に帰してやりたい、という気持ちを持っていた。
神と敵対している以上、素直に最初の案――神に願い奉り、帰還を望むのは不可能となっている。
何処にあるとも、実存しているとも知れない、神器に頼るしかなかった。
「そうだな、……先か。お先真っ暗ってのは、きっと今みたいな状態を言うんだろう。玉砕覚悟に意味はあるのか、そう考えてしまうこともある」
「無理もないと思います。そもそも、絶対不利の状態から始まった話です。……それでも、託された思いがあるから、諦めたら犠牲が無駄になるから……。だから、あたしもレヴィンさんに付いていこうって思えるんです」
「あぁ、先生の犠牲は無駄にしない。それは確かだ。ただ、一縷の希望があれば、とも思うよ。どれだけ上手くやっても……いや、上手くやればやる程、追い詰められた神々は何をしでかすか分からない」
「――結局、そういう話になるんだよな」
横で話を聞いていたヨエルは、腕を組んで、したり顔で同意した。
「上手く潜伏して、上手く襲撃を成功させ続けて……。それで奴らの鼻を明かせたとしても、計画は止められない。何しろ神殿の数が多すぎる。完璧を目指すから、今は不穏の種を取り除こうとしている段階なんだろう? けど、取り除かなくたって、どうせ誰にも止められやしない」
「分かっていたことではないですか。無謀と知りつつ、それでも反抗の意思は消さない。私たちがする事など、神の計画がほんの数歩後退させられるだけで、結局踏み潰されることには違いないのかもしれません」
ロヴィーサの口調は暗い言い方だったが、それでもレヴィンへ信頼を預けた笑みを向ける。
「……でも、仮にそうだとしても、抵抗することそのものが、無意味だとは思いません。敵わぬ相手と知っても、なお抵抗する意味はある。私はそう信じています」
「ありがとう、ロヴィーサ。百万の援軍を得た気分だ」
「そうだろうともなぁ……」
笑みを返すレヴィンに、ヨエルが意味ありげな視線を送る。
その視線から逃げるように顔を背け、遠く故郷テルティアがある方向へ目を向けた。
「憂いがあるとすれば、家のことだ。神々へ叛意を示したことで、全く無関係な家族や領民が被害に遭ったら……。顔を知られ、正体を知られたなら、報復は間違いないだろう。……既に時遅しかもしれないが」
「それは……」
これにはヨエルとロヴィーサも、神妙な顔をして黙りこくった。
考えられない事態ではない。
神を敵に回すとは、そういうことだ。
全知全能の存在ではないかもしれないが、人よりも多くのことが出来るのは間違いない。
その
そして、本当に知られた際には、苛烈な報復という名の、神罰を喰らうだろう。
何も知らず、ただ神へ深い信奉を向ける
「かつてはユーカード家の一員として、次期当主として、神へ強い信仰と尊崇を向けられるのは誇りですらあった。淵魔と戦い、領民の生活と平和を護るのも、また同様に誇りだった。だが……」
「あぁ、余りに多くが変わっちまった……。今となっては下手すると、領地にまで手が回されてるかもしれねぇ。背信者を突き出せ、神への信仰を示せって言われたら、誰だって従いそうなもんだ」
「あり得ない……、とも言い切れませんね。信仰という土台は、反逆者が生まれた場合であってさえ、排除するのに有効でしょうから」
「全てを計算ずくで計画を立ててる神だ。その辺りも当然、考慮の内だろうな……」
レヴィンは鼻を鳴らして顔を顰める。
現状は、まだ顔を知られていない段階だと信じたかった。
しかし、それも結局、反抗を続ける限り、露呈してしまう問題でもある。
成功はいつまでも続かない。
元より慣れない潜入と襲撃、常に勝者であり続けるのは難しいものだ。
だから問題は、それを受け入れる覚悟があるか。そして、それをやり切る自信があるか、だった。
「どの道、アイナを送還する為に神器は必要なんだ。襲撃は、そのついでって思えばいい」
「いえ、そんな……! そんなことの為に……っ!」
「いや、今のはアイナをダシにしたようで、言い方が悪かったな」
レヴィンは困り顔を見せてから笑みを作り、それから何でもないことのように手を振った。
「これまで協力してくれたアイナに、恩を返したいってだけさ。それに、アイナはこの世界の人間じゃないんだ。その命を賭けてまで付き合う必要はない」
「でも、それだったら、あたしにだって恩が……!」
「その気持ちは素直に嬉しい。でも、それだって神器が見つかったら、の話さ。今の段階じゃ、むしろ心中させてしまう可能性の方が高い。なるべくそうさせたくないから、比重をそっちに置きたいのさ」
話は終わりだ、という様に、レヴィンはアイナから顔を背けた。
アイナにしても、帰還と天秤に掛けたら、やはり帰還へ気持ちが傾く。
しかし、玉砕して果てるしかない彼らを置いていけない、という気持ちも確かだった。
レヴィン達は、その真実を知ったが為に、神が敷く真実に覆い隠される。
反逆者、背信者としての汚名を着せられ、民衆からは石を投げられ、呪詛を投げかけられるだろう。
それを思うと、アイナの足は自然、重くなる。
三人の背中を見る形になり、死なせたくない、との気持ちが強くなった。
しかし、どうすれば死なせずに済むのか分からず、アイナは泣きそうな顔で、只その背中を見つめることしか出来なかった。
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