迷宮都市の災難 その6

  ※※※



 レヴィンは疾風迅雷と言って良い速度で、迷宮を突き進んでいた。

 ルチアが魔術で詳細な地図を正面に投影してくれるお陰で、これまで迷わず進むことが出来ている。


 しかも、単に地図があるだけでなく、最短ルートまで示してくれるオマケ付きだ。

 アヴェリンが壁を壊して進めと言って来た辺りから、示されるルートにも変化が起き、薄い壁なら破壊するのが当然になった。


 専ら力仕事はヨエルの役割なので、レヴィンは任せて見ているだけだが、結局懸念していた通りになった。

 破壊する数が十を過ぎる辺りから、ヨエルは肩を庇うようになり、それ以降アイナに治癒されつつ涙ながらに突進している。


 だが、その甲斐あって、尋常ではない速度で進撃していた。


「しかし……っ! しんどい……! ここまで急ぐ必要がっ、本当に、あるのか……っ!」


 息も絶え絶えにヨエルが零す。

 ヨエルには壁破壊の役目があるので、露払いはレヴィンとロヴィーサの役目だった。

 壁を壊す回数はそれなりに多い上、ルチアは脆い箇所を見つける達人だった。


 殆ど休める暇もなく、接敵と撃破、疾走と破壊が繰り返される。

 そして、現在は四十八階層――。


 魔物の撃破とは違い、常に全力、乾坤一擲の一撃を壁にぶつけるヨエルは、疲労困憊で這々ほうほうの体だった。


「頑張れ、ヨエル。神使の方々が、休みなんてロクにくれないのは、もうとっくに分かってた事だろう!」


「そりゃ……っ、分かってるが……! ぜぇ、ぜぇ……っ! 肩が、肩がもげる……!」


 得意の大剣を駆使できていれば、ここまで苦労する破目には陥っていない。

 しかし、これも修行だとアヴェリンに言い渡され、体一つで挑むことになっている。


「魔力の扱いが下手だから、そういう事になるのだ。一点集中の練度が甘い。単に覆う形で魔力を使うから、骨への衝撃を逃せておらん。外へ張るんじゃなく、内側から保護してやるんだ」


「それがっ、難しいんですが……!」


 人には肌を覆う外皮があり、そして外皮を覆う様に魔力が覆う。

 これは防膜とも呼ばれ、力ある術士ならば堅固な壁として作用する。


 アヴェリンなどが無防備に攻撃を受けているように見えて、傷を負わないのは正しくこれで、下手な防具よりも優れた盾となる。

 だから、魔力を操作し防膜の厚みを作るのは、そう難しいことではないのだが、それだと内部への衝撃は崩せない。


 自らの突進力、打撃力をそのまま受けることにもなるので、それに対する備えが必要だった。

 アヴェリンの命令は、ヨエルの拙い制御技術を磨く為だと分かる。

 分かるが、ヨエルは既に泣きが入っていた。


「これで、まだ半分かよ……っ! もう剣を、ぜぇ……っ、握る握力さえ、残ってねぇ……っ!」


「十階層毎の障害がなかっただけ、温情があると思え。先駆者が既に突破していたからな。百階層へ至るには、嫌でも対応する機会があるだろう。その時に泣き言など許さんからな」


「アイナ、頼む……! 痛み止めとかないか……!」


「ごめんなさい。そういうのは、ちょっと……」


 治癒術にも様々種類があるものだし、基本的に癒えれば痛みは消えるものだ。

 それでもヨエルが痛がるのは、痛みが蓄積しているのに加え、癒える端から肩に衝撃を加えるからだった。


 一晩休めば、すっかり痛みは消えている筈だが、少しでも休む機会を与えられていないから、痛みで苦しむことになっている。


「ヨエル……。俺達はとにかく、踏破するしかこの地獄から逃れる術はないんだ。戦闘はこちらで持つから、耐えてくれ……!」


「そう、そうだな……。あと半分……、あと……。あと半分もあるのかよッ!」


 ヨエルはとうとう、突っ伏して泣いた。

 しかし、ここまでの――迷宮に限らず、ここまでの道中、レヴィン達はよく理解していた。


 ――神使とは、そう簡単に慈悲を見せてくれない。

 それはよくよく理解させられていたことだ。


「いいから、早く立て。立てないならば、無理やり起こし、お前を盾にして壁へ突っ込むことになるぞ」


「それは最早、拷問だろ……っ! いや、拷問すら生温い! 何でこんなことになってんだ……!」


「お前の魔力制御がお粗末だからだ。恨むのならば、自分を恨め。少しでもマシな制御が出来ない自分をな」


「ぐっ、う……っ、う……っ!」


 ヨエルは涙を拭うこともせず、立ち上がっては歩き出す。

 彼は涙を流すままにしたいのではない。

 拭う為に腕を上げることすら、既に出来なくなっているのだ。


 しかも、ルートの示された点が壁なら、そこへ向かって突進しなくてはならない。

 引いても地獄、進んでも地獄、果てない地獄にヨエルの慟哭がこだました。



  ※※※



 更に進んで五十一階まで進んだ時、フロアの様子が一変した。

 それまでも勿論、階層毎に特色があり、違いはあった。


 最初の十階層は石造りの人工的特色がよく表れた迷宮で、そこから二十階層へ進めば、人工物を取り除いた自然窟になった。

 キノコなどが生えた採取エリアでもあり、水薬の調合材料になる錬金素材が良く採れる。


 それが終われば草原地帯の三十階層で、洞窟内なのに昼のように明るく、特殊な鉱石が天井で太陽の代わりに照らしていた。

 自然の恵みの代表格、麦や野菜、果実などが採れるエリアで、多くの採取人が農業よろしく働く姿を目にできる。


 次の四十階層に進めば、今度は土壁と石壁が混在する、通称『炭鉱』エリアへと入り、ここでも採掘人が働いていた。

 壁を壊したすぐ横に、その採掘人がいて驚かせてしまい、目に土でも入ったのか、両手で覆って悪い思いをさせてしまった。


 それが終われば五十階層で、再び人工物のタイル模様が出て、迷宮らしい迷宮が姿を表す。

 そして、ここが下層において最も苦戦する階層でもあった。


 前半部分は周期ごとに構造が変化する。

 階層ごとの特色は変わらず、ただ次の階段の場所が違ったり、通路や壁の形が変化するのだ。


 そして、この階層はその変化具合の違いを、最も感じさせるエリアでもあった。

 十字路を幾つも組み合わせた迷路は、単純だからこそ迷いやすい。


 しかし、幾つもの壁を破壊して進むレヴィン達にとって、それは大した障害とはならず、そうして六十階層へと到達した。


 それまでの雰囲気と打って変わって、原生林の生える樹海が広がっている。

 ここもまた、天井でひしめく特殊鉱石が、階層全てを明るく照らしていて、地面は湿った土に覆われており、場所によっては泥濘ぬかるみもあった。


「明らかに空気が一変した……。これまで通りにはいかない、って事なんだろうな。『速達組』は、五十階層まで攻略するという話だったが、上下で完全にレベルが違うせいでもあるのか……」


「そうだな、『速達組』はその為だけに『恩寵』を組んだ者達だ。ここから先は、探索を助ける『恩寵』だけでは、どうしようもない領域と思えば良い。つまり、戦闘向きの『恩寵』だけで組んでなお、限られた者だけが挑戦できる……そういう類いのな」


 ミレイユの言葉に、レヴィンは気を引き締める。

 ここには壁がない代わりに大木が群生していて、苔生した根本から蔦が絡まり、大木同士の距離も近いから、それが壁の代わりになっていた。


 それが幾重にも重なって視界を遮っている箇所もあり、木々の間を抜けるのは現実的でない。

 単なる迷宮以上に、迷い易い構造であるらしかった。


「迷い易そうだ……。けど、安心しろ、ヨエル。流石にここは、破壊する壁なんてなさそうだぞ」


「あぁ、どうやらそうらしいな……。俺の肩はボロボロだ……。しばらく、休ませて貰うぜ……」


 真っ白に燃え尽きたヨエルが、感情を失った顔でそう言った。

 今にも倒れ込み、そのまま気を失ってしまう危うさがあるものの、とりあえずは立って正気を保っている。


 申し訳なさそうな視線で一瞥してから、レヴィンは前方に投影された地図へと、視線を移した。

 地図が示すルートもこれまでと違い、随分と入り組んだ動きだった。

 五十層までが殆ど直線的な道ばかりだった事を考えると、それだけ厄介な階層、と言えるのかもしれない。


「木々の間を縫って移動するせいかな……。ジグザグな動きが多いみたいだ」


「これまでは、次の階段まで近い場所は、意外と多かったですものね。いえ、壁を破って直進するから、近いように思えていただけですけど……」


 アイナが申し訳なさそうにヨエルを見て、レヴィンがそれに応じて頷いた。


「そうだな。本来なら遠回りして進む設計だから、だと思う。ここにはそうした壁がないから、物理的に遠い場所で配置されているんだろう」


「厄介さは、これまでの比ではないでしょう。構造的は勿論、魔物や魔獣についても……」


 ロヴィーサが原生林を鋭い目付きで見つめながら、そう分析した。

 そして、それは決して間違いではないだろう。


 周囲に魔物の姿は見えないが、しっかりと気配だけは感じている。

 レヴィン達の姿を視認し、しかし即座に攻撃を仕掛けない、用心深さも持ち合わせている様だ。

 つまり、本能にのみ従わない、理性的な部分も持ち合わせている、ということだ。


「心が決まったのなら、早くせんか。先は長いぞ」


 アヴェリンからもせっつかれ、レヴィン達は気持ちを切り替えて走り出す。

 これまで同様、レヴィンとロヴィーサが先頭だ。

 しかし、いつでもレヴィンを護れるよう、ロヴィーサが一歩半ほど先行している。


 強者の気配を読み取ってか、魔物はすぐに襲い掛かって来なかった。

 動くものを見れば飛び掛かってきた、これまでの相手とは違う。

 それだけに、ここより下の階層はどういった敵が出て来るのか、レヴィンは戦々恐々とした思いをする。


 しばらくルートに沿って進むと、樹林の壁が現れた。

 隣同士、ほぼ隣接する形で生えた木々は、天然の壁として機能している。

 一見進む場所がないように見えるが、地図を見ればルートは壁を貫通していた。


 いつものように、砕いて進めという指示かと思うものの、地図に示される壁の厚さは尋常ではない。

 ヨエルの奮戦どころか、掘削道具を用いても、貫くのは到底無理に思えた。


「ちょっと待て。ここから、どうやって進むんだ……?」


 レヴィンは右へ左へ、そして上へと視線を動かす。

 しかし、鬱蒼と茂る木々の間は、子供ですら通れる隙間がない。

 ここからどうやって進むものか、レヴィンには見当も付かず途方に暮れた。

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