迷宮都市の災難 その5

  ※※※



 地下四十二階、通称『炭鉱』の別名を持つ階層は、駆け出しを抜けられない探索者や、金策に苦心する探索者にとって、実にありがたい場所だった。

 主に産出されるのは鉄鉱石と石炭で、これは鍛冶屋が相場で買い取ってくれる。


 だから転送のマーキング場所としても人気が高く、転送屋の多くが持っているスポットでもあった。

 当然、魔物だって出没するのが、それも小物ばかりで初心者でもない限り、大きな怪我を負うこともない。

 だから、日銭を稼ぐスラム出身の者が多く、万年貧乏な探索者など、多くの者が利用していた。


 そして、そこに一人、つるはしを持ち上げては振り下ろし、鉄鉱石を取り出す男がいる。

 ニセリという名の鼠人族で、未だ駆け出しの探索者だ。


 金のない探索者は、武具を揃えるのにも苦労する。

 十層毎に敵の強さや質が変化するので、その度に武具は新調しなければ使い物にならない。


 出現する敵に合わせた武具を、常に買い換える必要があるので、探索者という職業は金欠が歩いているようなものなのだ。

 必要なのは武具だけでなく、保存食や水は勿論、水薬も必要になる。


 その為の採取も必要で、金のない探索者は自作する者も多かった。

 武具の――とりわけ武器のメンテをする為に、砥石だって必要になる。


 嵩張る上に重いので、本来ならば置いていきたい程だが、刃が荒れる要因など幾らでもあるのだ。

 休憩の度に刃こぼれの有無を確認するくらい、用心する方が正しい。

 己の命を預ける武器なので、それぐらいしなければ生き残れない。


 ただ潜るだけでも、多大な出費と用意が必要だった。

 だからニセリは、今期に至って金策だけで、その時間を使うと決めていた。

 そして、そういう考えで迷宮に来る者は、何もニセリだけではない。


「あぁ、お前さんもいたか。この時期に炭鉱ってことは……、今期は金策回りに励むのかい?」


「そうとも。……ま、焦る事ぁねぇさ。達成者が出たからと、後の願いが叶えられないわけじゃねぇ」


 そう言って笑い、ニセリの横で顔見知りの探索者が、爪先を壁に打ち付けた。

 この男はノーミルという名前で、土竜族と呼ばれる、人より動物の割合が大い種族だ。


 殆ど人型の骨格だが、その背は低く、成人しても子どもほどの大きさしかない。

 しかし、力は強靭で爪先は硬く、つるはしを持たずとも壁を掘れる特性を持っていた。


「違いない。十年だろうと二十年だろうと、最終的に願いが叶えば、それで良いのさ」


「そうだな。……ところでお前、レベルはどこまで上がった?」


「へへっ、実はようやく百の大台を突破したんだ」


「おぉ、良かったなぁ……!」


「ありがとよ。これで階層を一つ下げても良いかって思ったんだけどよ、それには武具を新調しなきゃいけねぇし、『恩寵』の方も適したものに変えなきゃだろ? そっちの方も費用が掛かるし、まぁ……色々入り用だ」


 ニセリは我が事の様に頷き、硬いものが当たったつるはしを、何度か細かく動かして鉄鉱石を取り出した。

 そうして、掘り出したそれをまじまじと見つめながら語る。


「分かるぜぇ……。俺も最近まで同じく苦しんでたからなぁ。つっても、一つ終わればまた次だ。より良い武具に、より良い『恩寵』……。だからその次に備えて、こうして稼ぎに来てるのさ。チームのメンバーが、ちょいと怪我しちまってさ」


「あら、そりゃ大変だ」


「怪我こそ直ったが、大事をとって、もう三日ほど休もうって話になってな。他の奴らは酒飲んだり、姉ちゃんと遊んだり、好き勝手やってるよ」


「ひひっ、お前もそうしてりゃ良かったろう」


 ノーミルも二度、三度と爪先を打ち付けて、硬い感触に顔を綻ばせると、壁の中から鉄鉱石を取り出す。

 腰袋にそれを仕舞って、また手を動かし始めた。


「そうしたいのは山々だが、俺がリーダーだからな! あいつらヒーコラ言ってんのも知ってるし、せめて共有の水薬代くらいは、俺が持ってやらねぇと」


「いいねぇ、出来るリーダーだねぇ。流石、レベル二百も目前の男は違うねぇ」


「よせやい、俺はもっとビッグになるんだ! いつかレベル千を超えて、迷宮探索に名を残すんだ」


「おぉ、いいねぇ。やっぱり夢はデッカくなくっちゃ。確か、歴史上で最も高いのは、二千……幾らだっけか」


 しばし考え込んでから、ニセリが答える。


「確か、二千二百とちょいさ。すげぇよな、未だに百年抜かれない偉業だぜ」


「そいつに追い付ける存在なんて、きっともう出ないんだろうねぇ。今の最高峰……ゼシェラの奴でもあれだろ? 千八百とか、そんくらいだろ?」


「才能あるヤツだったんだけど、最近伸び悩んで、それで荒くなってるって噂だ。千超えた時点で十分凄いし、今の代でもそんなの十人もいないのに、贅沢な悩みだねぇ」


 レベルが百や二百という次元にいる者にとっては、まさに雲上の存在だ。

 そして、一部の傑物だけが五百の大台を超えることが出来て、その中の一握りが千に到達する。


 今代の最高峰――千八百という数字は、それを考えると天の頂きと言って良いほどで、遥かな高みに違いないのだ。

 誰もが羨む数値ではあるのだが、それまでが順調だったからこそ、本人はどこまでも高みに昇れると思ったのだろう。


 しかし、誰にでも才能の多寡があり、そして差異がある。

 誇れる才能を持っていようと、しかし二千を超えられる器ではなかったのだ。


「そっちは二百を超えるのに、何年使った?」


「二年さ。お前は……いま一年ぐらいか」


「そう、一年で約百レベル……上等じゃないか。あいつの千八百なんて、確か五年くらいのモンだろ? 贅沢だねぇ、贅沢な悩みだねぇ……」


「あと五年くらい、きちっと頑張れば分からんだろうにな」


 しかし今は、己の限界に絶望し、腐っていると聞く。

 最下層への到達は、十分狙える数字なのにもかかわらずだ。


 余裕を以って可能、という程ではない。

 それこそ歴代最高峰、二千二百は一人で攻略した猛者だ。

 だから伝説となっている部分もある。


 しかし、仲間と共に深層を目指す方が一般的で、個人が集団に勝てる場合など、早々あるものではないのだ。

 理想を追い求め、理想に縛られ、結果自滅する――。


「勿体ないねぇ……。仲間の誘いだって、引っ切り無しにあるだろうに? 一人じゃ無理だと悟ったなら、切り替えて仲間集めすりゃ良いのさ」


「まぁ、見合う仲間が居ない、ってのも問題なのかもな。だって、千八百だぜ? 今この街で、フリーの千超え探索者なんて、いやしねぇよ」


「かといって、それより低いパーティ入っても……アレか。都合よく利用されるだけか、それとも、ゼシェラの強さに押し潰されちまうかもな……。追い付こうと必死になる程に、壁の差を感じて参っちまうだろうなぁ」


 共に頂きを目指せる仲間がいたなら、それが最高だろう。

 もしかしたら、高め合い、補い合い、より強い探索者へと成長していた可能性もあった。


 しかし、その様な時期は、とうの昔に過ぎ去ってしまった。

 そこまで高みに至って、今更都合よく、最高の仲間に巡り会えるはずもない。

 そういうものは、駆け出しの頃から気の合う間柄を形成しておくものだ。


「実際、ウチに誘ったところで、互いに駄目になる未来しか見えねぇ」


「そうだねぇ、そうなるだろうねぇ。上手く引っ張ってもらって、得するのはこっちだけだし、ゼシェラに旨味なんて一つもないだろうしねぇ」


 ノーミルが呑気に答え、ありもしない妄想を口にする。

 爪先に再び鉱石の感触を覚え、取り出そうと穿り出した、その時だった。


 ぴくり、と鼻先が動き、髭が上下に振動する。

 次いで身震いして、身体中を纏う毛が総毛立った。

 その異常な様子に、ニセリがきょとんとして尋ねる。


「どうしたんだ、一体?」


「……何か来るぞ」


 それは『恩寵』とは違う、本能の警笛だった。

 恐ろしく強い何かが、こちらに向かってやって来る。

 それをノーミルは野生の勘と、粟立つ肌で感じ取っていた。


「……お前、『分析』あっただろ? どうなってる?」


「いや、採取だけに絞るつもりだったから、『恩寵』もそっちに切り替えててよ。レベル一のヤツしかねぇ。接近する敵のレベルだけ分かれば良い、と思って……」


「だったら、とにかく調べてみろ。ヤバイのが来る、とんでもなく強いのが……!」


「お、おう……!」


 普段のほんわかとした雰囲気から想像できない、ノーミルの指示に従って、ニセリは『分析』を発動させた。

 周囲にいる生命体の反応、そしてその強さまで調べられ、レベルが上がる程に詳細が細やかになるものだ。


 ニセリの目には、複数の光点が壁越しに近付いてくるのが見え、そして近付く程にそのレベルが鮮明になって来る。


「なんだこれ、おかしいぞ……! 何かぶっ壊れちまったのか……!?」


「なんだ、どうした……!」


「四万二千が来る……! あり得ねぇ、何だこの数字……!?」


「――四万!?」


 ノーミルは思わず飛び上がって驚く。

 それ程までに、常軌を逸したレベルだった。

 歴代最高峰を楽々と飛び越えた何者か、それがこちらに近づいて来ている。


「敵か!? 下層から変なの飛び出して来たのか!」


「違う、来たのは上層からだ、下じゃない! それに……違う! おかしい、こんなの……!」


 ニセリの額に冷や汗が滝のように流れる。

 壁の方を見つめて、今にも膝から崩れ落ちそうなほど動揺している。


「何だ、何が違う? どうなった……!?」


「五十三万だ、五十三万が来る……! さっきのと距離を置いて、更に恐ろしいのが来てるんだ!」


「――馬鹿な!!」


 ノーミルが余裕なく、唾を飛ばして叫ぶ。

 ただでさえ桁の違う化け物が来ていたのに、そこへ更に桁の違う化け物以上の怪物が来ているというのか。


 そんなことは信じられない。

 信じたくない、とノーミルは現実を拒否した。


「何でそんなのが上層から来るんだ! ちゃんと調べ直……いや、逃げよう! 真偽よりも、まず――」


 それ以上は言葉にならなかった。

 急接近して来た化け物が、道ではなく、壁を突き破って来たからだった。


 とてつもない衝撃と共に、砂埃や土塊、鉄鉱石が方々に散らばる。

 硬質な音を立てて落ちるそれらを、信じ難いものを見る目で、呆然と眺めた。


「――こっちだ、レヴィン。薄い壁なら、迂回するより突破した方が速い。次からそうしろ」


「アヴェリン様、それ……誰にでも出来る小技、みたいに言われても困るのですが……」


「言い訳するな。マップがあるなら、薄いか厚いか判別が付くだろう。お前なら体当たりでも砕ける筈だ」


「そんな事してたら、肩がイカれてしまいますよ……」


 愚痴を零しながら、黒髪の何かは再び走り始める。

 目に見えているのは間違いないのに、ひどく曖昧で、どこの誰で、どういう種族なのかまるで分からなかった。


 見定めようとすると途端にボヤけ、正確な姿が捉えられない。

 黒髪が飛び出すと、それに合わせて後続の三人が動く。


 走り去ったのを確認すると、次は金髪の何かが壁から出て来た。

 こちらを一瞥するのは分かったが、やはり姿はよく分からない。


「ご、五十……五十三万……!」


 隣のニセリはとうとう限界が来て、膝を震わせながら尻餅を付いた。

 涙と鼻水に汚れて、ひどい表情だ。

 金髪は一瞥だけして鼻を鳴らすと、先頭集団目掛けて走り出した。


「ひぃっ、ひぃやぁぁぁ……!?」


 その時、ニセリが顔を両手で覆って、蹲ってしまった。

 まるで日光を直視したかのようでもあり、痛みに耐えるようでもあり、身体を震わせ慄いている。

 どうした、と駆け寄りたかったが、ノーミルもまた身動き出来なかった。


 次いで姿を見せた、圧倒的存在感に身体が釘付けになる。

 もしも動いたら――。

 何か不興を買ったなら――。


 抵抗する間もなく消し飛ぶと、本能的に察知した。

 だから、ノーミルは身体が震えることすら、意志の力で制御して、嵐が過ぎ去るのを待つ。


 幸い、あちらは小物に様はないらしく、一瞥すらせず去って行く。

 焦点を合わせないよう、遠くを見つめていると、未だ後続があって身体の震えを抑えきれなくなった。


 ガタガタと身体を揺らしてしまったが、やはり小物は相手にしないようで、軽やかな足取りで去って行った。

 足音が遠くなり、すっかり聞こえなくなっても、ノーミルは動けない。


 嗚咽にも似たニセリの呻きがようやく耳を広い、緊張も過ぎ去った後、ようやくその場に座り込んだ。

 今日はもう無理だ、しばらく宿で寝込もう、と考えながら……。

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