迷宮都市の災難 その7
「レヴィンさん、ここ……。もしかして、ここから行けるんじゃないでしょうか」
アイナは訝しげながらにそう言って、足元近くを指差した。
木の根元には穴が空いており、ひと一人ならば通れそうな隙間がある。
魔物か何かが掘ったと思われ、中を覗くと遠くに光が見えた。
「きちんと繋がってるな……。狭いし窮屈だが、行けない事はなさそうだ」
「うぅむ……、だが本当に、ここしかないのか?」
難色を示したのはアヴェリンで、傍らのルチアへ睨む目付きで尋ねている。
狭い場所が嫌だとか、そうした理由で文句を付けていないのは分かる。
汚れを厭う人でもないから、もっと別な要因があり……そして、それはすぐ明らかとなった。
「ミレイ様がお通りになるのだぞ。屈む程度ならともかく、膝を地に付け這うなどと……! 到底、看過できるものではない!」
「最短ルートを選ばないなら、勿論ありますよ。大きく遠回りする必要がありますし、多くの難所を抜けることにもなりそうですが」
ルチアは投影された地図を動かし、指を向けながら詳しく解説した。
「四つん這いで進む速度を考慮しても、遠回りするより五倍は早く到着する見込みです。それが嫌なら、この分厚い木々の群れを、軒並み破壊するしかないですね」
「では、そうしよう」
「レヴィンやヨエルにやらせるなら、遠回りするより時間が掛かっちゃいますよ。有り体に言えば、日が暮れます。――あぁ、ここに日はないので、勿論比喩ですが。アヴェリンでも簡単じゃないと思いますよ」
原生林エリアは昼の様に明るいし、天井に敷き詰められた鉱石のお陰で、まるで外の世界と錯覚してしまうが、迷宮内であることに変わりはない。
このエリアに昼はあっても夜は訪れず、延々と代わり映えしない一日が続くことになる。
それはともかく、ルチアの見立てが面白くないアヴェリンは、不愉快そうに眉根を寄せて、挑むように尋ねた。
「何故、私でも無理だ」
「別に貴女を軽んじてる訳じゃありません。単に相性の問題です。この樹木、ペルマムっていう名前なんですけど、衝撃に対して強い剛性を持ってるんです」
「私が扱う武器では、大いに不利か……」
「えぇ、木こりの斧でも、倒れるだけの切れ込みを入れるのは容易じゃありません。でも、例えば火を放つとか、そうすれば結構アッサリいきますよ」
「エルフとは思えん台詞だな……」
過激な発言にアヴェリンが顔を顰めると、ルチアは心外そうに笑う。
「現実の森には敬意を払いますよ。でも、ここは一定周期で何もかも復活する空間でしょう? 何より、ヤロヴクトルに敬意なんて必要ないじゃないですか」
「それはそうだな。しかし、火を放つまでは良いとして、どこまで延焼するか分かったものではないぞ。制御できるのか?」
「それは私の不得意分野ですので、出来る人に聞いて下さい」
ルチアが目を向けたのは、ミレイユとユミルの二人だった。
その二人も、どちらがやるのか目で牽制し合っていて、自分の方からやる、と言い出しそうにない。
焦れたアヴェリンが、ユミルへ詰め寄って言った。
「ミレイ様に押し付けようとするな。お前がやれ」
「やれと言うなら、やっても良いけどさぁ……。延焼について、制御する自信まったくないわよ?」
「何故だ、お前の得意分野だろう」
「いや、火炎魔術は扱えるけど、得意分野かと言われたら違うわよ。単にバカスカ火炎球を投げ付けたり出来るだけ。指をパチンとやって火を消すとか、そういう小洒落たマネは無理だからね」
魔術で作る火と、そこから燃え移った火は、決して同一ではない。
だから、魔力で作り出した火を制御する事と、自然的に延焼した火を制御するのは、全くの別能力だった。
そして、延焼まで制御するなら、そもそも自然火すら飲み込む、制御された炎を生み出す必要があった。
そうした魔術は非情に高度でありつつ、制御も難しい上に、破壊効果が見合わないので習得してない場合が多い。
それが出来るのは、余程の酔狂か、あるいは狂人と相場が決まっていた。
例外があるとしたら、それこそミレイユくらいなものだった。
「ミレイ様のお手を煩わせるのは忍びない……。忍びないが……、しかし……」
「お前の葛藤はよく分かるが……」
ミレイユはアヴェリンの肩を労って叩き、笑って言った。
「私であっても労力に見合ってないと思う。何より、ここを利用する他の探索者を巻き込む可能性がある。――ルチア、どうだ?」
「この階層には、既に三つのパーティがいますね。ここから離れていますから、即座の影響はないと思いますけど、迷っている動きが見えます。……あぁ、一つはこちらに近付いているようですね」
ルチアは投影された地図を見て、正確に分析しながら答えた。
「……えぇ、巻き込む可能性はあると思いますよ」
「ことが火では、万が一もある。何より、そこまで気にして使う方が面倒だ。それなら素直に穴を潜る」
「しかし、それでは……!」
「構わないさ。これまで隠匿して移動して来た旅も、神に相応しいものでない場面は多々あった。それにまた一つ、これが加わるってだけだ」
ミレイユは親指で穴を指して、次いでレヴィン達に命じた。
「そういう訳だから、お前らから行け。私の姿を不格好と思うなら、さっさと抜けてくれることを願う」
「ハッ、直ちに! 申し渡された通りに致します!」
レヴィンが実直に返事して、ヨエルを先頭、次にロヴィーサ、そしてレヴィンとアイナが穴へ入る。
武器や防具で土壁を削る音をさせつつ、問題なく進んで行くのを見届けて、アヴェリンもその後へ続いた。
ミレイユもその後に入り、ユミル、ルチアの順で潜る。
誰もが旅慣れ、大抵の悪路なら問題なく踏破できる者達ばかりだが、四つん這いの速度は常人と殆ど変わらない。
遅々とした速度で進むのを、アヴェリンが苦々しい息で表した時、唐突にユミルから声が上がった。
「ちょっと待って。凄いコトに気付いたんだけど……!」
「何だ、どうした?」
興奮気味なユミルの声に、ミレイユも動きを止めて振り返る。
狭い穴の中なので、肩越しに横顔を見せることしか出来ていないが、話を聞くには十分だった。
「気付いたんだけど、目の前にアンタの尻があるって、結構レアじゃない? 誰もが羨む神の尻が、目の前でプリプリ動いてんのよ?」
「……聞いて損した。下らないこと言うな」
「この尻に毎日、フラットロが顔を埋めてたかと思うと、感慨深いモノがあるわね」
「埋めてないからな。誤解を招く言い方はやめろ。胸や首はあっても、尻だったことは一度もない」
ミレイユは嘆息すると共に、ユミルを睨み付ける。
「馬鹿言うくらいなら、その口を閉じてろ。――おい、もう進んで良いぞ」
「あ、えー……はい、了解です」
レヴィンが得も言われぬ表情で頷き、その前に居るヨエルの太腿を叩く。
それで一時中断していた進行が再開し、再び黙々と這い進むかと思いきや、ユミルの口はそう簡単に閉じてくれなかった。
「今この瞬間、アタシが尻に顔を突っ込んだとしたら、……どうする?」
「怒る。すごく怒る」
「そうなの。……怒られるだけで済むなら、試してみる価値あるわね」
「おい、ふざけるなよ。やるな、って言ってるんだ。これはフリじゃないからな」
ミレイユは凄んで釘を刺したが、ユミルの表情は飄々として捉えどころがない。
ものは試し、と本気でやり兼ねなかった。
「アタシは今、物凄いチャンスを得たかもしれない。周囲一帯が灰燼に帰す危機と、尻に顔を埋める機会、果たしてどっちを取るか? ――答えは決まったようなモンでしょ」
「何で今日のお前は、そんなに気色悪いんだ。それに、お前は私の尻に執着する様な奴じゃなかったろ」
「――ユミル、貴様! ミレイ様にそれ以上の不敬、絶対許さんからなッ!」
アヴェリンはミレイユより前にいるから、位置的にどうあっても妨害できない。
忸怩たる思いが胸を焦がそうとも、ユミルが絶対的優位な立ち位置にいる事実は変わらなかった。
アヴェリンはそれが我慢ならない。
「ミレイ様の御尻に指一本でも触れてみろ! 誓ってお前の骨という骨、全て砕いてやるからな!」
「ね……? 普段ならアヴェリンが絶対妨害してくるけど、今だけは違うのよね」
「何に同意を求められてるんだ。やめろ、事が済んでも、アヴェリンの怒りで迷宮が沈むぞ」
「三百年ものの尻よ。アタシは今日この尻を食う。生でね!」
無駄に堂々たる宣言をして、ユミルはミレイユまでの距離を詰める。
ミレイユも脚で蹴って牽制するが、態勢のせいもあって、威力のある蹴りになっていない。
ユミルは肩などを蹴られたが、全く堪えていなかった。
「くそっ、どうなってるんだ……! 何だよ、その執着……! どうしてお前は、そんな憐れなまでに発情してるんだ?」
「それはアタシが、憐れなまでに発情すべき存在だからじゃない?」
「何だその言い返しは。そんな存在であってたまるか……!」
「完璧に辻褄があってると思うけど」
「やめろ。これ以上、近付くな。口も開くな」
ミレイユは明確な拒否を示して蹴りを繰り出すが、顔面に飛んで来たものは手で受け止め、それ以外は敢えて受ける。
そうして、更に距離を積めていった。
「おい、ルチア! こいつをどうにかしろ……!」
「え? あぁ、はいはい。――ユミルさん、貴女はまだまだ発情できるはず!」
「何で焚きつけた!? 脚を引っ張るとかして、妨害しろよ!」
ミレイユの叫びはルチアに届かず、それどころか、ユミルを更に調子付かせた。
「……そうね、アタシもまだまだ発情が足りてないみたい。アタシの発情は、こんなものじゃなかったハズよ……!」
「意味不明なやる気を見せるな。おい、誰かコイツを止めてくれ!」
「ルチアの位置に私がいれば、その息の根、今すぐ止めてやったものを!」
アヴェリンの慟哭が洞窟内にこだまする。
怨嗟の籠もった声音は、心の臓が弱い者なら気絶しそうな程だったが、生憎ユミルはその程度で止まったりしない。
「太陽爆発の直前、最期の見る瞬間の光景がコレだったとして、後悔しないヤツとかいる? いないでしょ」
「くそっ……! この変態は、自分が何をしたいか自覚した上で、その人生を謳歌してるな……!」
「おい、レヴィン! 早く前に進め、さっさとこの穴蔵から出ろッ!」
後ろの妨害が役に立たないとなれば、急いでこの場から出るしかない。
せっつかれたレヴィンは何度もヨエルの太腿を叩き、ちらちらと後ろを振り返りながら急かす。
ヨエルは肩をやられていたせいで、必要以上に速度が出ないのも、また
「速く、速く進めェ……ッ!」
遅々とした歩みに、アヴェリンが焦れる。
ヨエルも必死に進んでいる。だが、そもそもが四つん這い、出せる速度に限界があった。
いよいよ限界に感じたミレイユは、魔術を発動し、渦巻く強大な風を生み出した。
それは風圧となって穴を突き抜け、四つん這いの人間を、さながら砲弾の様に吹き飛ばす。
「な、なんだぁ……!?」
レヴィンは一瞬、何が起こったか理解できなかったが、穴蔵を抜け空中に投げ飛ばされてようやく悟る。
身体を捻って地面を背中に向けると、次々と同じ軌道で落ちてくる、ロヴィーサとアイナを受け止めるべく手を広げた。
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