中央大陸デイアート その5

 現在、レヴィン達が居る大神レジスクラディスの神処へは、一般人の立ち入りは許可されていない。

 そして、侵入しようとして、簡単に入れる場所でもなかった。


 周囲は深い森に覆われているだけでなく、その木々自体が天然の要害となって立ち塞がり、その侵入を防ぐ防波堤の役割を果たしていた。

 木々の中には毒樹も混ざっていて、安全に通行できる地帯は存在しない。


 そうでなくとも、森の中には警護する者らが巡回しているので、迂闊に忍び込めるものでもなかった。

 だから、通常の方法で神処へ行き来するには、里長の屋敷を通行するしかない。


 遥か昔から、この地がまだ神処と呼ばれる以前から、同様に守護の任を貫いてきた里長が、今もその栄誉に預かっている。

 その説明を聞いたレヴィンは、ここから僅かに覗ける屋敷を遠巻きに見つめて、難しく顔を歪めた。


 木造の建物ではあるものの、造りはしっかりしていて、かつ立派な外観をしている。

 増改築を繰り返されたと思しき形をしており、古びた型の屋敷に、また別の屋敷が付いているような様式だった。


 木々があるせいで、その全貌までは見えないものの、ユーカード家の本邸より立派なのは分かる。

 そうとなれば、使用人の数も相応に多いはずで、その全ての目を掻い潜って進むのは、いかにも困難と思われた。


「……えぇと、それじゃあ、誰にも見られず通過するのは、大変難しいのでは……?」


「いや、実はそうでもない」


「幻術ですか? 大神レジスクラディス様は、ここに来るはずがない、と思われているとか? それならば……」


 姿を隠す幻術は、例えるなら盲点を拡大するかの様に作用させる術だ。

 意識してなければ風景と同化して、そこに何がいても気付けない。


 しかし、最初から警戒している相手には通じず、注視している相手には驚くほど簡単に見つかってしまうものだ。

 だから、自信あり気に否定して見せたミレイユに、レヴィンは納得しそうになったのだが、返ってきた返答はそれとも違った。


はもっと単純だ。森の中を突っ切れば良い」


「いや、先程……毒樹がある、と聞いたばかりですが……?」


「しかも、破裂樹まである。その果実は天然の手榴弾だ。……といっても、お前に手榴弾は通じないか。毒の礫が、高速で四方八方に散らばる物だ」


 具体的な事までは分からずとも、その説明でレヴィンにも大まかには理解できた。

 アイナは手榴弾の説明で十分だったらしく、顔を青くさせている。


「しかし、それならば、どうやって……? 防御魔術や結界術で、無理やり踏破するのでしょうか?」


「――それじゃあ、こちらから居場所を報せる様なものです」


 ミレイユの傍で控えていたルチアから、困り笑顔で注釈が入った。

 刻印魔術にそうした特性はないが、古式ゆかしい制御技術では、そうした反動めいたものがあるらしい。


 レヴィンが知っているのは、あくまで噂レベルのものに留まり、詳しい所までは知らない。

 それが顔に出ていたらしく、ルチアは困り顔を強めて解説を続けた。


「魔術は強力な術ほど、魔力波形が空中を伝播するんですよ。この人数をカバーする魔術なんて使えば、それだけで発見されてしまいます。それだけじゃなく、この波形に破裂樹は敏感なんです。果実が弾ければ、結構大きな音を立てる事にますし……」


「魔術の面だけ上手くやっても、破裂させてしまえば、どっちにしろ見つかるってコトよ」


 ユミルからも解説が入ると、それでやはり、レヴィンは首を傾けるしかなかった。


「では……、八方塞がりって事になりませんか?」


「そこでユミルが役に立つ」


 ミレイユは腕組して、揶揄するような視線をユミルに向けた。


「森の中の巡回ルート、そして毒樹を上手く避けるルート、それらをきっと熟知しているはずだ」


「あらやだ、そんなの知らないわよ。どういう根拠で言ってるワケ?」


「そうでなければ、誰にも知られず、酒場で大いに飲んだりできないからだ。屋敷の者も、警備の者も見ていないのに、どうやって酔っ払って帰って来られるだ?」


「アリバイが崩れるから、そういうルートがあるって、知られたくないんだけど」


 ユミルが悪びれることなく言い放つと、今度はアヴェリンが声を張り上げずに恫喝する。


「何がアリバイだ。酔って帰って来てる時点で、そんなものありはせん。ミレイ様はお目溢し下さっていたのは、単なる慈悲だ。こういう時こそ、役立とうとは思わんのか……!」


「まぁ、よくよく考えるまでもなく、煙に巻いてすらいなかったわよねぇ。思えば、こういう時の交渉材料に使おうため、温めて置いたってトコロかしら。イヤよねぇ、すっかりスレちゃって。大人って汚いわ」


「どの口が言うんだ。良いから、さっさと案内しろ」


 ミレイユが指を突き付けると、ユミルは肩を竦めて先導を始めた。


「駄々こねてる場合じゃないわね。……さ、こっちよ」


 ユミルは言うなり森の中へ飛び込んで、下生えを掻き分けて進む。

 そこへアヴェリンが付いて行き、ミレイユ、ルチアと続いた。


 レヴィンはその後ろで、次にロヴィーサ、アイナ、ヨエルが追いかける。

 ヨエルが最後なのは、何かと慣れていないアイナをフォローする為だ。


「ここからは声も出せないから、前の人と同じ道を必ず通るコト。突然、足を止めたりもするから、しっかり注意しといて頂戴」


 そうして、立て続けに何らかの魔術を掛けていく。

 それぞれの身体に薄い燐光が一瞬だけ纏い、それもすぐに消えていった。


「一応、隠蔽と消臭の初級幻術かけておいたわ。弱い魔術だから波形は小さい。その上、この人数じゃどうしても賭けになるからね。そこだけは納得して」


「巡回兵は鼻が利くし、耳も良いからな……。しかし、綱渡りなんて最初から覚悟していたんだ。このぐらいは、まだ試練の内にも入らない。上手くやってくれ」


「努力はするけどね」


 気楽な調子でユミルが言って、森の奥へと更に足を踏み入れる。

 現在時刻はまだ午前中で、先程まで陽はさんさんと降り注いでいた。


 しかし、一度森の中へ踏み入ると、やけに薄暗い。

 背の高い木々が多く、葉によって多くが遮られてしまうのが半分、もう半分は魔術による隠蔽に寄るものだろう。


 魔術的工作が幾つも張り巡らされているのは、素人のレヴィンにも分かった。

 これはレヴィンが特別鋭い観察眼を備えているわけではなく、素人目にも分かるトラップを仕掛けられている為だ。


 半分は威嚇目的であり、侵入すると痛い目を見ると教えている。

 そしてもう半分は、本命を隠すための囮に違いなかった。


「フゥッ、フゥッ……」


 細かく息を吐き、大きな音を立てないよう、慎重に進む。

 時折、背後を振り返り、仲間たちが無事に付いて来ているか、確認するのも怠らない。


 進む先に道はなく、草を掻き分けて進むので、どうしても音を立てる。

 それを最小限にする為、その歩みは遅くなるし、姿を隠して中腰になるので、更に歩き難かった。


 時折、周囲に気配がないのにもかかわらず、ユミルは立ち止まる。

 しかしそれは、彼女だから気付ける――そして、彼女だから気付ける先に、巡回兵がいるからに違いなかった。


 息を殺して進むものの、常に息苦しさを感じずにはいられない。

 蛇行して進む場所や、大きく円を描くように迂回する場合もある。

 そして、同じ場所を進んでいると思える箇所が何度もあった。


 森の外と思しき木々の切れ目が近くにあるのに、進んでは引いてを繰り返す様は、忍耐力を強く求められた。

 いっそ飛び出してしまえば森から抜けられるのでは……。

 そう思っても、ユミルがそれをしないからには、出来ない理由があると信じるしかない。


 ――いつまで、これが続くんだ……。

 時間的にはおそらく、一時間も経過してない筈なのに、その数倍は過ぎたと体感させられている。


 レヴィンは呼吸を整え、自分の体調を俯瞰して判断しながら、後方を振り返った。

 アイナも良く付いて来ているが、呼吸は既に荒くなりつつある。

 緊張状態に緩みが生じていて、動きに精彩も欠いている様だった。


 三分だけでも休憩を、と進言しようとしたその時、ユミルが森の外へ向かって一気に飛び出す。

 前の二人もユミルと同じ地点で横へ飛び出し、ようやく終わりだと、アイナの表情も輝き出した。


 レヴィンも慎重にユミルと同じ地点で足を踏み込み、光の中へ身体を投げ出す。

 するとそこには、想像もしていなかった世界が広がっていて、唖然としてしまった。


「こいつは……」


「――うぶっ!」


 口を開けて見つめていると、すぐ後ろからロヴィーサが抱きつく形でぶつかって来て、慌てて正気に戻る。

 ロヴィーサを抱き留める形で横に逸れ、アイナとヨエルの為にスペースを作った。


「わぁ……っ!」


「こいつぁ……」


 その二人も、目の前の光景を見て目を輝かせる。

 そこに広がるのは、単純な森の中に作られた町、ではなかった。

 大神レジスクラディスの神処を構えるに相応しい、素晴らしい都市がそこには広がっていた。

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