悪辣な罠 その1

 レヴィンが放ったのは、間違いなく全力の一撃だった。

 踵を高く持ち上げ、ふくらはぎに力を込め、前傾姿勢で捨て身の攻撃を繰り出す。


 防御を一切考えない捨て身の攻撃だ。

 しかし、レヴィンが持つ刻印年輪の外皮が、それを単なる破れかぶれにしていない。

 全身を包む合計十層の膜が、汎ゆる攻撃を受け止めるのだ。


 ――それも、あの鎧戦士の前では不安もある。

 しかし、死にはしない。

 死ななければ立ち上がれる。


 そして、立ち上がり、足を踏み出す限りにおいて、《追い風の祝福》が傷を癒やしてくれる。

 効果は初級治癒術と変わらぬものだが、足を踏み出し歩き続ける度に、その効果を発揮するものだった。


 だから、前に進む気力を持つ限り、常に治癒術を受け続けるのと変わらない。

 勝とうとする意志、負けない心を持つから、レヴィンは――ユーカード代々の当主は常に先陣を切って戦ってこられた。


「ハァァァッ!」


 レヴィンが繰り出す全力の振り下ろしは、しかし鎧戦士の盾で、あっさりと受け止められる。

 岩さえ両断せしめるレヴィンの一撃だが、相手を一歩後退させることすら出来なかった。


 微動だにしない鎧戦士に、レヴィンは思わず悔し気な息を吐く。

 大振りの一撃の後は、必ず隙を生じさせてしまい、反撃される絶好のタイミングだ。


 しかし、その間を縫う為に仲間がいる。

 わざと間を置いて駆け付けたヨエルとロヴィーサが、また双方向から攻撃を繰り出すが――。


 レヴィンの刃を弾く動作で、ヨエルの攻撃もついでに逸らし、ロヴィーサの攻撃を持ったメイスで受け止めた。

 ロヴィーサは二つの短剣を変幻自在に操る。


 短い刃渡りは連撃を使うに適していて、見てからでは対応するに遅い。

 そしてまさに、鎧戦士はその連撃を見ることもなく、的確な武器さばきで受けきってしまった。


「くぅ……っ!」


 ロヴィーサからも悔し気な息が漏れる。

 一瞬の隙に手首を返し、腕の線に沿う形で鎧戦士は武器を伸ばし、首の付け根を強かに打つ。

 動きが鈍った所を蹴りつけ吹き飛ばし、身体を捻ってレヴィンにも同じく蹴りを飛ばした。


 腹めがけて蹴りって来た動きに合わせ、レヴィンが身構えた所で、急遽蹴りの軌道が変わり、踝を巻き取られる。

 あっ、と思う暇もなかった。

 その時には既に投げ飛ばされ、地面に転んでいた。


 ヨエルはその時、レヴィンに構う事なく、既に攻撃を終えている。

 上段から振り落とされる一撃は、その頭部を完全に捉えている様に見えた。

 ――しかし。


 動作の全てにおいて、桁違いに疾く、練度に大きな差がある。

 一度その刃を弾く為に伸ばしていた腕は、既に戻って脇を固めていた。

 打ち下ろされる剣撃を難なく逸らし、そしてメイスの反撃を喰らったヨエルは、またも腹部を殴打され飛んで行った。


 既に一度吐き出した後だが、やはり胃液を宙に軌跡を残して落下し、そして受け身もままらなず、何度も跳ねて転んでようやく止まった。

 またも、全員が同じ場所に戻っている。


 これはもう完全に、偶然ではなく狙ってやってるとしか思えない。

 そして、鎧戦士は決して追撃しようとして来ないのも、相変わらずだった。


「くそ……っ、余裕の表れか……!」


「余裕にもなる、くっ……なるでしょう! 遊ばれています……っ!」


「もう出ねぇって……。もう、何も出ねぇ……」


 口の端から胃液を垂れ流すヨエルは、白目を剥いて呻きを上げている。

 ロヴィーサが腹を抑えて立ち上がる時には、アイナから治癒術がそれぞれに飛んできた。


 痛みに喘いでいた二人は、それでとりあえず戦闘態勢を取れるまでになったが、ヨエルは殊の外、体力の消費が激しい。


「くぞっ……、どうじで俺は……っ、ざっぎから……腹ばかり……っ!」


「肩のお返しじゃないですか。手傷とまで行ってませんが、一撃与えたのは事実ですし……」


「ぞんな……っ、げほっ、ゲホッ! ――くそっ、そんな理不尽な話があるか!」


 憤った所で仕方がない。

 強敵との戦いで、無傷の勝利は有り得ないのだ。

 とはいえ、相手の力量、技量共にレヴィン達より遥かに上である以上、完全な手詰まりではあった。


「どうする、若……?」


「相手に殺すつもりはないんだろう……。ユミル様のテコ入れで導入された奴だ。だったら、精々遊んで貰うさ。今日は勝てないとしても、明日の俺達は勝てるのだと、そのつもりで挑むんだ……!」


「そうですね……。我々の為に用意された試練です。見事、勝ち抜くしかありません」


 三者三様の構えで武器を向けると、鎧戦士も構えを取った。

 それと同時に、アイナから支援理術も飛んで来る。


 鎧戦士から威圧が放たれ、レヴィンは腹の奥が重たくなるのを感じた。

 恐怖で押し潰されそうになるのをぐっと堪え、歯を食いしばる。

 アイナからの温かな光を受け取りながら、レヴィン達は雄叫びを上げながら突っ込んで行った。



  ※※※



「――くそっ、勝てない!」


 レヴィンは木製のテーブルを力の限り――許される力の限り、強く叩いた。

 現在は既に迷宮を脱し、街の酒場で苛立ちをぶつけていた。


 胸を借りるつもりで、鎧戦士に挑む。

 相手は命までは取らない、だから幾度も挑戦出来ていた。


 強敵に――それも、全く勝ち筋が見えない強敵と戦える機会は、余りにも少ない。

 そして、そこに命の遣り取りが加わらないとなれば、尚の事だった。


 一度や二度の敗北は計算の内だ。

 十や二十でも同じこと。


 もう戦えないほど戦力を摩耗した後は、部屋を出ては休息し、また挑戦しての繰り返しだった。

 ――今期の攻略は考えていない。


 そう言った時のレヴィンは、間違いなく本心から口にしていた。

 しかし、その足止めが、既に二周期も続いているとなれば話は別だった。


「あの部屋を超えられないまま、一体何度、挑戦した……? そして何度、同じく挑戦して行く探索者を眺めた? ――全く勝てる感触が掴めない!」


 階層主まで到達したからには、挑戦するのは全探索者の権利だ。

 もしも、他の誰かが攻略してしまったら……。

 そうした暗い気持ちがあったのは確かだった。


 『恩寵』は自らの弱点も、そして不利も覆す神与の力だ。

 レヴィン達の代わりに倒してしまう可能性は、大いにあった。

 対戦し、対策を詰め、見事鎧戦士を完封できるような構成を、作り上げる可能性はあったのだ。


 しかし、これまで長く時間を使っているのに、誰一人突破できた者はいない。

 今や探索者の中では鉄壁の守り人として、あの階層主は恐れてしまっている。


「敗れ続けて、どれだけ経った……? 残りの期限は三ヶ月程だぜ? その間、誰一人、七十階層に下りた奴はいねぇ。……なぁ若、これ俺達でどうにかなんのか?」


「いっそ腕の立つ探索者パーティが突破してくれ、と思った事もあったさ……。上手く出し抜く恩寵構成でも作って来い、ってな……。だが、実際には誰もが諦めムードだ」


「大型修正が入る時期、というのは決まっているらしく、その時には階層主の種類や構成も大きく変わるそうですよ」


 アイナから迷宮の事情を聞かされ、レヴィンはひたすら重く感じる頭を上げた。


「……基本的に、階層主や障害の種類は、毎期変わるんじゃなかったか……?」


「それはあくまで、大まかに、ですね。またこれが相手か、というパターンも多いそうです。居座る階層主がいても、普段は対策がバッチリ嵌まれば、むしろカモですから……。喜ばれる相手らしいんですけど……」


「しかし、誰一人カモに出来ず、遂には挑戦を諦めた、か……」


「ですね。慌てなくとも、いずれ変わるのは間違いないので……。だから今は割り切って、金策に舵を切った人は多いみたいです」


 レヴィンの中にも、いっそ逃避したい気持ちがある。

 それほど鎧戦士に勝つ見込みがない。


「幾度も挑戦する内に、俺達は腕を上げたと思う。連携の練度も上がった。今までは三人で戦って来たから、アイナが入る事でぎこちなさもあった」


「だが、そうした固さはもう取れただろ。アイナの支援も、欲しい所でスムーズに来るようになったしな」


「アイナさんの制御力が上がったせいか、タイムロスもなく、素早く術が飛んで来るようになりましたよね」


 褒められたアイナは、恥ずかしそうに頭を掻く。

 実際それで継戦能力が増え、一撃与えられる回数も増えていった。


 しかし、鎧を貫くほどの一撃を与えさせて貰えず、それどころか向こうもこちらの動きを覚えてきて対応してくる。

 どうにも打つ手がなかった。


「俺もそれなりに、自分の腕に自信があった。ヨエルとロヴィーサが合わされば、向かう所敵なし、とも思っていたさ……。勿論、勝てない相手なんて、世の中にいると分かってたが。それでもだ……」


「正直、ここまでコテンパンにされるとは思ってなかったぜ、俺も……。いずれ勝ち筋だって掴めてくるって、思ってたんだけどな……。あぁ、思ってたさ」


 男二人が力なく項垂れ、手許のジョッキを掴んだ。

 木のジョッキに注がれたエールも、すでに半分まで減っている。


 自棄になる意味はないと分かっていても、今だけは酒の力を借りたかった。

 レヴィンは残り半分を一気に煽ると、盛大に息を吐き出して、ジョッキをテーブルに叩きつけた。

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