笑止の沙汰 その4

 その姿を見て取った咲桜が、引き攣り押し殺した声を上げた。

 即座に道を譲って膝を付き、丁寧に頭を下げる。

 それに見向きもせず部屋を横切り、オミカゲ様はミレイユへと大股で近付く。


「待たせた様だの」


「……いや、むしろ早すぎて困惑してる」


 それはミレイユの実直な感想だった。

 大体、神は基本的に神処から動かないものだ。

 奥御殿は広く、その全てはオミカゲ様一人の為のものだが、それでも活動範囲となれば極端に狭い。


 同じ神同士とはいえ、足取り軽く通えるような気安さもないはずだ。

 それは奥御殿にある不文律が、神の行動をある程度縛ってしまう、その慣例から生まれていたものでもあった。


「よくそんな、隣人を尋ねる気軽さでやって来れたな。以前はもっと、ひたすら待たされた記憶しかないんだが……」


「かつてと今とでは、色々と変わった部分もある故にな」


 そう言ってから、オミカゲ様は薄く笑う。

 次にユミルやアヴェリン、そしてルチアへ視線を移し、今度は朗らかに笑みを向けた。


「そなたらも壮健で何よりだ」


「ハッ、オミカゲ様に置かれましても、ご機嫌麗しゅう」


「あらまぁ、お変わりなく……って言った方が良い?」


 生真面目なアヴェリンの応対とは真逆に、ユミルは冗談めかして笑う。

 それに釣られて、オミカゲ様もまた笑みを深めた。


「まぁ、我に向ける言葉としては、冗談にしかならぬであろうな。……ともあれ、言いたいこと、聞きたいこと、様々あるが……。まずは座るか」


 ミレイユの――御子神の為に用意された部屋だから、開放的な間取りで広さも十分であり、調度品も一級品で占められている。

 基本的に畳張りで純和風の作りなのだが、部屋の一画には椅子やテーブルもあり、黒壇の艷やかな光沢が日光に反射して、見事な色を映していた。


 ユミルなどを始めとした、和風慣れしていない者達も同じく寛げるように、とオミカゲ様が手配させた造りだった。

 ミレイユが初めてこの部屋へ足を踏み入れたのは、暦の上で半年ほど前になるが、実はそれより遥か以前より用意されていたものだ。


 オミカゲ様は勝手知ったる様子で、そのテーブル席へ身を寄せると、音もなく女官が背後へ周り、その椅子を引いた。

 良い使用人は主に気配を感じさせないもの、とされるが正にそれで、今し方椅子を引いた女官は部屋付きではなく、オミカゲ様付きの女官長だった。


 奥宮に入った所でミレイユ達の前に現れ、先導した老女官でもある。

 オミカゲ様が上座に腰を下ろした所で、背後に向かって柔らかく声を掛けた。


「鶴子や……。我が御子らと、これから重大な話がある。茶を用意した後、別室で待機しておれ」


「畏まりまして御座います」


 一礼した後、鶴子はミレイユ達へと目配せする。

 どうやら着座を促す意味であると察し、ミレイユも上座に最も近い席へと向かった。

 咲桜もいつの間にやら傍で控えていて、ミレイユよりも先回りして椅子を引く。


 ミレイユはそれに小さく頷いて見せてから、音もなく腰を下ろした。

 その様子を、オミカゲ様は楽しそうに見つめている。


 茶の用意自体は既に行っていた様で、僅かな間隔を置いて部屋付き女官たちによって運ばれてきた。

 本来、日本茶や抹茶などが饗されるのだが、ミレイユの好みを知ってここではコーヒーが出て来る。


 配膳が終わると一礼し、鶴子と咲桜もまた、御用の際は何なりと、と言ってから去って行った。

 そうして、その場には一瞬の静寂が満ちる。


 ミレイユがコーヒーカップを手に取り、小さく喉を鳴らして嚥下した。

 すると、今もなお楽しげに見つめてくるオミカゲ様と目が合う。


「……何だ、コーヒーにケチなぞ付けないぞ。良い豆だな」


「そういう意味で見たのではない」


 オミカゲ様は苦笑して、改めてミレイユの姿を上から舌へと視線でなぞった。


「その神御衣を見ておったのよ。細部も違い、素材も違う。だが、受ける印象は、かつてそなたが着用していた物と大きく違わぬ。あちらにあっても採用されておるのだな」


「……どうも、私のイメージがこれで固定されてしまっているようでな。衣装係が仕立てる物は、大抵こういった形になってしまった」


「あちらにとっては見ない服飾……。その特別性故、そなたに相応しい形と思ったのか?」


「そういうことだろう……」


 大神は特別な存在だ。

 小神は六柱いても、大神は一柱しかいない。

 そして、大神は小神を束ね、統率する存在だと思われている。


 衣装一つ取っても、特別であって欲しいという気持ちが他の神と区別し、それが衣装にも現れる、という事だった。

 本来は、年を経る毎に、その服飾も変化していくものなのだろう。


 しかし、流行り廃りは神の世においては関係ないらしい。

 既に三百年以上、細かな装飾以外で違いが出たこともなかった。


 ミレイユも既に慣れているので、特別な何かを感じたりしない。

 しかし、オミカゲ様とお揃いという事実を思い出すと、得も言われぬ気分になった。


「……それで? 不躾に部屋まで乱入して来て、言いたい事が服装の感想か?」


「そんなわけがなかろうよ」


 言うなりオミカゲ様は立ち上がり、ミレイユの隣に立つと、肩を寄せ合う様に近付いた。

 方や椅子に座り、方や立ったままなので、オミカゲ様は中腰に近い態勢になっている。


「おい、何だ一体……」


 ミレイユの抗議も、オミカゲ様の耳には入っていない。

 そのまま構わず肩を更に近付け、袂から何かを取り出した。

 肩の高さでそれを掲げ、ミレイユも思わずその手に握られた物を凝視する。


 それはスマホだった。

 文明の利器、最新のテクノロジーが、神の手に収まっている。


 衝撃にも似た驚きを受け止めている内に、スマホのシャッターが切られた。

 ミレイユの理解が追い付いていない間に、オミカゲ様は写真を確認しては不満そうに眉を顰め、そして再びスマホを掲げた。


「いや、待て待て。こっちを無視してるんじゃない。を気にして撮り直そうとするな」


「なんじゃ、ほれ。ちゃんと笑え。うーむ……衣装も入るようにするには、自撮り棒が必要か……」


「自撮り棒……!?」


 ミレイユが驚愕の上に驚愕を重ねて、悲鳴に似た声を上げる。

 所構わぬオミカゲ様が、更にシャッターを切りながら頷いた。


「そなたが言いたい事は分かる。撮影ならば、誰か女官を使えば良かろうとな。無論、普段はそうすることも多いのだが、上から見下ろす形で撮りたいとなると、これが中々……」


「馬鹿か、そんなこと言ってないだろうが! 何だ、お前……スマホ持たせて貰えるようになったのか……!?」


 ミレイユの驚愕はそこにあった。

 神には神の、相応しい格式がある。

 娯楽に興じる神など必要ない、そうした神様論を口にしたのは、他ならぬオミカゲ様だった。


 信仰に陰りを付けるわけにいかない……そうした自粛もあり、また自罰的理由で多くを求めないようにしていたのが、オミカゲ様という神だった。


 ミレイユと最後にあってから半年の月日が経っている筈だが、それだけで済む話とは思えず、混乱は広がるばかりだ。

 オミカゲ様の肩を押して引き剥がすと、席に座り直した所を見計らって声を掛けた。


「一応……、一応、訊いておきたい。ここは、『あの大戦』から半年後、で合ってるんだよな?」


「うむ……? 何を当たり前の事を……。いや、そなたが信じられぬのは無理もない。たった半年で、我はスマホを勝ち取ったのだ。偉大なる前進……、そう言いたいのであろう?」


「ぶん殴ってやりたいな、そのドヤ顔……」


 ミレイユが漏らした一言には、呆れと怒りが半分ずつ混ざっていた。

 片眉を上げ、口の端を吊り上げた表情には、勝ち誇る色がありありと浮いている。

 まるで子どもがする様な自慢話そのもので、そこに神の威厳は微塵もなかった。


「いや、確かに私は、お前にスマホの一つでも持てとは言ったが……」


「うむ、流石に簡単な事ではあらなんだ……。鶴子の首を縦に振らせるのは、並大抵な苦労ではない。最終手段として、脅しまで弄した程であったのだ……」


 オミカゲ様は遠い顔をさせて窓の外を見、ゆるゆると首を振る。


「脅しね……。神の脅しとなれば、そりゃあ頷くしかないんだろうが……何をしたんだ?」


「イヤイヤと駄々を捏ねては、床に転んで手足を振り回した」


「――は?」


 ミレイユの顔から表情が抜け落ちる。

 本気で言っているのか、と思うも、その直後、冗談だろうと自分に言い聞かせた。

 オミカゲ様の表情は遠くを見るばかりで、そこに変化もない。


 どうせすぐに、笑顔を浮かべてしてやったりと言うだろう、とミレイユは待ち構えた。

 しかし、いつまで経っても、オミカゲ様の態度は変わらない。

 沈痛な空気が一室を支配した。


「……本気じゃないよな?」


「本気だ。というか、実際に起きたことであるな」


 ぬけぬけと言い放ち、遠い記憶を呼び起こすかのように目を細める。


「所構わず、巫女のいる前でも同じことをするぞ……と言ったら、泣いて止めてきようてな」


「そりゃ泣くだろう……。突然、幼児退行する神か? 信仰の根が、根底から折れかねんだろうが……」


 ミレイユが呻く様に言うと、オミカゲ様はようやく表情を崩して笑った。


「ふっふっふ……。我にはもはや、その信仰を必須としておらぬ故な。まさに怖いもの知らずよ」


「もっと別の所で、怖さを知っておいて貰いたいんだが……」


 オミカゲ様の信仰に陰りはなく、未だ篤く尊崇されているのは間違いない。

 そこへ自ら泥を掛ける行いは、女官としては、どうあっても阻止したいに違いなかった。

 ミレイユは老女官――鶴子へ、大いに同情した溜め息をつき、それからオミカゲ様へと向き直った。

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