笑止の沙汰 その3
「瓜二つだ……」
レヴィンの漏らした声はごく小さな物なのに、他の音が一切ない大広間には、やけに大きく響いた。
そして、それは決して、勘違いではなかった。
大神と同じ顔をしたもう一柱の神――オミカゲ様は、その視線をレヴィンへと向けた。
まるで初めて存在に気付いた様でもあり、興味深そうに目尻を緩めて、それから再びミレイユへと向き直る。
「然様……。事故であるとの申し出であるが、不可解に思える事もある。後ろの者共をこの場へ連れて来るよう指示したのは、そなたである様だ。――それは何故か」
「何故と言われてもな……。殆ど成り行き任せだったんだが……」
そこまで言って、オミカゲ様の視線の強さに言葉が詰まる。
ミレイユは小さく息を吐いてから、改めて事情を話し始めた。
「
「何故そなたは、そう意味もない上に、下らない策謀を巡らそうとするのだ……」
「いや、割と有効かと思ったぞ……本気で」
オミカゲ様は頭痛を堪えるかのように渋面を浮かべ、それからありありとした大きなため息をついた。
「……まぁ、良い。事故との由、詳しく申せ」
「話すのは良い。……が、ここでは無理だ。余人を交えない場所でなくてはならない」
「既にここには、我らしかおらぬが?」
「女官がいる」
大神は御簾の傍で黙って座り続ける、老女官を見据えた。
そして、御広間へ入室まではしないものの、その入口には兵も控えている筈だった。
微かに漏れる音を盗み聞こうとする、不届き者がないなどいないだろう。
また、聞こえた内容を吹聴する者などいない筈だ。
老女官にしても、口外禁止、とオミカゲ様より直接下知されれば、拷問されようと吐こうとしない。
神へ仕える者として、神命は文字通り、命より重いものだ。
それは大神も十分、心得ていることだ。
しかし、ミレイユはそれを押して、無理だと言っている。
オミカゲ様は視線をレヴィン達へ移し、それからその前方に座る、神使三人へと向けた。
その中でも、特にルチアへ長く留まらせると、小さく息を吐き出して頷く。
「……ふむ。そう……そうなのか」
何事かに納得し、それからレヴィンへと改めて視線を向けた。
「そなた……、
「は……? ハッ! 再創歴三二六年、にございます……!」
レヴィン達が生きる世界において使われる暦は、再創歴と称される。
一度の終わり、そして始まりを司る大神が、その様に定めた。
七日を一巡り、一週間と定めのも大神だ。
ただし、一週間の最終日、
大神の名に肖って付けたものだった。
「なるほどの……。話せぬか……相わかった。それについては、また別途、場所を設けよう。……なに、此度は待たせたりせぬ」
そう言うと、再び御簾が降ろされた。
その一言で閉幕なのだと、すぐに察せられる。
広間の外で控えていた兵が、中へ招き入れられたからだった。
そこからは大神とレヴィンは離れ離れとなり、別の一室へと押し込まれる事になる。
レヴィンはユミルへ、何事か問いたそうな顔をしていたが、それよりも早々に引き離された。
自分が何故ここにいるかも、またこれからどうなるか分からぬまま、とにかく待つようにとだけ伝えられ、レヴィン達にとっては落ち着かぬ室内で一日を過ごす事になった。
※※※
オミカゲ様が待たせない、と宣言したものの、ミレイユは全く信用していなかった。
七日以内に済めば吉、と思っていたぐらいで、下手をすると十日待っても不思議でない、と本気で思っていた程だ。
自室へと案内されながら、渡り廊下から見える風景に、強い哀愁を覚えた。
かつては、ここで過ごしたこともある。
一年に満たない短い期間だが、改めて、その風景に里心を見出せる程度には、心揺さぶるものがあった。
案内される部屋もまた、過去と変わった所がない。
ミレイユ個人にとっては、三百年以上も経っての帰郷だが、この世界にとっては僅か半年の間しかなかったのだ。
御子神として祀られ、暮らしていた日々が遥かな過去など、この世の誰も思っていないだろう。
自室へ繋がる襖を、傍らに控える女官が膝を畳み、礼節に則った所作で開く。
室内へ足を踏み入れると、そこにはかつて側仕えとして世話係を務めた女官が、五名の部下と共に控えていた。
ミレイユがその前へと歩みを進めると、女官達は正座したまま頭を下げる。
「お帰りなさいませ、御子神様。無事のご帰還、祝着至極に存じます。常と変わらぬ寛げる空間をご提供すべく、心身を賭してお仕え申し上げます。どの様な些細な事でも、お気軽にお申し付けください」
「あぁ……。久しいな、
「はい、お久しゅうございます。ご尊顔を拝謁するは、恐悦至極に存じます」
ミレイユと咲桜では、『久しい』の意味合いが大きく違う。
しかし、伝わらなくて当然と分かっているので、ミレイユはただ頷くに留めた。
咲桜はかつて、奥御殿で過ごしていた際、最も親しくしていた女官だった。
まだ二十歳にもなっていない年頃の筈だったが、どこまでも気配りの利く、実に稀有な人材でもあった。
そして、かつてと今では、大きく状況も、また立場も変わっている。
しかし、下手な気を回さなくて良い様に、今回もまた同様に充てがわれた、といった所なのかもしれない。
「そら、お前たちも声くらい掛けてやれ」
ミレイユが背後へ声を掛けると、アヴェリンからは堅苦しく型に嵌まったもの、ユミルからは旧知に対する挨拶がなされる。
「はい、アヴェリン様もユミル様も、お久しゅうございました。もうお
「そう……いうわけでもないんだが、ちょっと訳ありでな」
「と、申しますと……?」
咲桜が不躾でない程度に疑念を表出させると、ミレイユは困った様な笑みを浮かべながら紹介した。
「銀髪は珍しいだろう? この日本では、特に見られるものではない筈だ。しかし、その髪を持つ者に一人、心当たりがあるんじゃないか……?」
「それは……、勿論で御座います。御子神様とご一緒におられた、となれば、もうそれは限定されたようなもので……まさか」
咲桜がハッとした顔を見せると、ミレイユは頷いて見せる。
「大きく姿が変わったから分かり辛いと思うが、彼女はルチアだ」
「それは……、また……。無論、御子神様の御言葉を疑うつもりは御座いませんが、それでも驚かざるを得ません……!」
「そうだろうな。まぁ、事情がある。あまり気にしないでやってくれ」
「畏まりました」
咲桜が正座を崩さぬまま深く一礼すると、そこへ茶々を入れるように、ユミルが口を挟む。
「ほら、親戚の姪っ子を久々に見たら、別人みたいに変わってた……みたいな事ってあるでしょ? そう思ってくれたら良いわ」
「仰せの通りに致しますが、これは……しかし、そういうのとも随分違うような……」
咲桜が知るルチアとは、十四歳相当の外見だった。
しかし、久々の再会とはいえ、彼女にとっては僅か半年の時間しか経っていない。
目の前にいるのは二十代前半、アヴェリンやユミルと変わらぬ外見年齢に見えるとなれば、信じられないのも無理はない。
実は姉です、と言われた方が、よほど納得できるだろう。
実際、咲桜の表情にも、それを疑う色が浮いていたが、ミレイユ自身から本人だと口にされたばかりだ。
この国の人間に、神の言葉を疑う者などいない。
それで不思議そうな視線を向けるに留め、とにかく一礼して納得の意を示した。
「ユミル、余計なことを言うな。詳しく説明するわけにもいかないのに、彼女らを混乱させるだけさせてどうする」
「まぁ、いつものヤツだなぁ、と思われるだけじゃない?」
非常に業腹だが、それは認めなくてはならないだろう。
ユミルが奔放で手綱を握れない相手だとは、かつてその世話をした際、女官の誰もが思った事だ。
真面目に相手するだけ馬鹿を見る、とまで思っているかも知れず、ユミルの言動も今に始まった事でもない。
ミレイユがチラリと咲桜の表情を伺うと、そこには申し訳なさそうな微苦笑が浮かんでいた。
「……まぁ、いいさ。お前達には苦労を掛ける」
「滅相もないことで御座います」
ミレイユが小さく労うと、咲桜は恐縮した頭を下げた。
そこへ、今し方ミレイユが入室したばかりだと言うのに、襖の奥から入室を伺う声がする。
それも聞き覚えのある声で、先程まで会っていた女官長のもので間違いなかった。
何だ、と思って咲桜を見ても、驚きと怪訝とが分かる表情が分かるばかりで、この事態が予定に入っていないのは明らかだった。
さりとて、御子神の居る部屋への用事でかつ、予定にない訪問とあれば、大事であるとは予想できる。
咲桜が断りを入れて立ち上がり、応対に出ると、返事を待たずに襖が開かれた。
驚愕と息を呑む声が聞こえ、そちらへ振り返って見ると、咲桜の気持ちが手に取る様にミレイユは理解した。
苦虫を噛み潰した様な顔をさせ、思わず深く寄ってしまった眉間を撫でる。
そこには、先程別れたばかりのオミカゲ様が、返事を聞かずに入室しようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます