笑止の沙汰 その5

 自分の席に戻らされた後も、それが不本意だったのか、オミカゲ様は身を乗り出してスマホを掲げた。


「我の至極写真集、見せて進ぜようか。……ん?」


「何だ、生意気にも写真家気取りか?」


「そうではない」


 ミレイユの口調はどこまでも刺々しい。

 しかし、それは嫌っているからが理由でなく、どう対応して良いか分からないからでもあった。


 オミカゲ様はスマホを持ったまま、テーブルへ手を下ろし、左や右へと指を動かす。

 そうして、その中から幾つか写真をピックアップした。


「何気ない日常を切り取り、それを思い返して見ることは、存外に楽しいものよ。女官の働く姿しかり、木漏れ日の落ちる渡り廊下しかり、空に流れる雲しかり……」


「……そうか」


 スマホの画面を見つめるオミカゲ様の視線は、実に優しい。

 それを見て、ミレイユの表情も自然柔らかくなり、笑みが綻んだ。


「楽しそうで何よりだ。初めてスマホを持った中学生みたいだが」


「――それが良いんじゃないの」


 それまで互いが話すに任せていたユミルが、カップから口を離した所で声を投げ掛けた。

 その顔にはいつものニヤケ面ではなく、柔らかい笑みが浮かんでいる。


「第二の人生、楽しんでいるってコトだもの。人生は楽しんだ者が勝ちよ」


「確かにな……」


 そう言って、アヴェリンもまた相好を崩し、オミカゲ様へと笑みを向ける。


「心安らかに、また麗しゅう過ごしておられるのは、オミカゲ様の当然の権利です。大変、結構な事かと」


「何事もなく、世も太平ゆえな。しかし……、そなたらは違う様だ」


 スマホ画面から目を離し袂へ仕舞ってから、ミレイユ達を順に視線をなぞって、最後にルチアで止まって見つめた。

 オミカゲ様から見れば、他が全員かつてと変わらぬ姿をしているのに、一人だけ違うとなれば、どうしても目に付くものだ。


 即座の詰問があっても不思議ではなく、ミレイユから切り出すのを待っていた節もあった。

 しかし、流石にいつまでも黙ってはいられないらしい。


「ルチアの身にだけ何かあった、とは考えられぬ。その外見からして、二百から三百ほど歳を重ねた様に見える。……つまり、そういう事なのであろう?」


「あぁ、私達は凡そ、三百年後――お前から見てという話になるが、三百年後からやって来た」


「ふむ……、やはりか。それは、……うむ。芳しくないの」


 オミカゲ様は二度、重々しく頷き、それから挑むような目付きを向けた。


「そなたが戯れに、過去へ跳んで来るとは思っておらぬ。事故か、あるいは謀られたか、そんな所であろう。……どうなのだ?」


「話が早くて助かるな」


 ミレイユは苦笑いを浮かべて、うっそりと首肯した。


「そうだ、してやられた。敵の罠に嵌り、こちらの世界に追い落とされてしまった」


「やはり、そうか……。そなたが……、そなたらが揃っておるのにか?」


 オミカゲ様が信じ難いものを見る目でミレイユ達を見つめ、それを再び横からユミルが口を挟んだ。

 非常に不本意であり、かつ揶揄が存分に含まれた口調で言う。


「いや、あれは完全にアンタの油断が招いた結果でしょ。余裕も過ぎれば、相手に突かせる穴にしかならないのよ」


「む、ぅ……」


「なぁにが、やってみろ、よ。それでやられちゃ、世話ないわ」


 ユミルが散々に扱き下ろし、最後に鼻で笑った。

 それを聞いたアヴェリンの表情は、見る見る内に険しくなっていく。


 殺気すら漏れ出そうになった所で、朗らかな声音で笑い声が上がった。

 声の主はオミカゲ様で、愉快な冗談を聞かさせた様にミレイユを見る。


「ふふふ……、そうか。そなたらしくもないが、夜と闇の様に、自信と過信は分かち難いもの。絶対強者なればこそ、見せる余裕に付け込まれたのであろうな。……で、勝てるのか?」


「――勝てる」


 ミレイユは短く断言した。


「というより、正面から戦って負ける事はない。それが奴も分かるから、奇策を巡らし、私を追い出す事で勝ちを拾おうとした」


「ふむ……? しかし、そなたは戻れる筈であろう。追い出して、穴に蓋すればそれで解決だ、とでも思われたか?」


「インギェムが、あちらに付いた。こうした事態に陥ったのも、その権能と協力あってのものだった」


 神といっても、そこには力の上下が存在する。

 単純に殴りつける事は勿論、魔術で攻撃した際にも、その優劣はハッキリと現れるものだ。


 相手を強制転移させようとか、呪いを掛けようとしたならば、格上相手には拮抗し、最悪の場合は防がれてしまう。

 その力の上下関係を、ある程度無視してしまえるのが、権能という力だった。


 多くの場合、それに対抗する事は出来ないのだが、ミレイユだけは別だ。

 ミレイユの持つ権能こそ、『挫滅』と『反抗』であり、権能に対するカウンターとして特化している。


 力押しで相手してはいけない相手、それがミレイユだった。

 だが、どうしても転移させたかったアルケスは、数多くの神器を用いる事で、その抵抗の穴を突いた。


 いくら権能が強大でも、同時に対処できる数には限度がある。

 その上限がどこかまでは知らなかったから、あらん限りの権能をぶつけ、そして最後に強制転移を可能にさせた。


 どこまでも限度はない、という可能性もあった。

 しかし、アルケスはあるかもしれない僅かな希望に掛けて、最後には成功させた。

 そこは執念の勝利、と称えても良い快挙だ。

 だが、オミカゲ様が言った様に、それだけでは片手落ちだった。


「ふむ……、インギェム……。『孔』の元凶とも言える神であったか。あちらが『孔』を抑えているから、もう帰れはしないと思われておるのか?」


「そう単純な話なら良かったんだが……」


「では、違うと……。確かに神の一柱が裏切っている事実は大きかろうが……」


「いや、そうじゃないんだ。これは、裏切りとは少し違う」


 ミレイユが軽く首を振ると、オミカゲ様は少し考える素振りを見せてから、視線をユミルへ移す。

 彼女が自信ありげな笑みを見せていたからだった。


「かつて、そなたらと結託していた神だと思うておったが、何か計算の内というわけか?」


「いやぁ……? アレに計算とか、そういうのはないからさぁ……。ただ、裏切りに関しては、何か脅される材料があってこそ、協力しただけって思うわね」


「それを免罪符に許されるから……。その前提でおるから、協力も厭わぬ……と?」


「んー……、ちょっと違うわね」


 今度はユミルが考え込む仕草を見せて、指を一本立てて横に振った。


「つまりさ、何しようとこちらの動きを止められないって思ってる。罠に嵌めようと、穴へ落とそうと、その全てを乗り越えてやって来る。そして必ず逆襲するって、信じているのよね」


「まぁ……、間違った認識ではなかろうな。我とてそう思う。これと決めたら、その意思を覆すのは不可能であろうよ」


「そうでしょう? だから、ある種の信頼を以って、正々堂々裏切ったんじゃないかしら。どうせ無理だし、好きにやってみろ。無駄な足掻きだ、とか……そういう気持ちが近いのかもね」


「分かる話だの」


 妙に納得した顔をして、オミカゲ様は首肯した。

 持論を肯定されたユミルもご満悦で、ニコニコと笑みを浮かべている。

 しかしその直後、幕を下ろしたかのように、一瞬で表情が抜け落ちた。


「――けど、それはそれとして、コトの責任は取って貰うわ。どうせ平気だろ、で良いように使われてるんじゃねぇってのよ」


「それもまた、道理であろうよ。戒めと教訓は、しかと抑える必要がある。……まぁ、そなたらの事だから、心配はしておらぬが……」


 そこまで言って、オミカゲ様は顎下を撫でてミレイユを見つめる。

 そうしてまた、全員を順に見渡して、機嫌良さそうに笑みを浮かべた。

 まるで飽きる事なく一つの物を見る子どものようで、ミレイユの方が困惑してしまう程だった。


「……どうした?」


「なに……。そなたらの姿を見て、嬉しい気持ちになったのよ。我にとっては、既に遠い日のものであるからな」


 オミカゲ様の言葉に悲嘆めいたものはない。

 事実は事実と受け止め、自らの境遇を受け入れている。


 オミカゲ様は、この未来を勝ち取る為、全てを犠牲にしたと言って良い。

 心許せる仲間も、もしかしたらあったかもしれない未来も捨て、ミレイユの踏み台として全うする事を選んだ。


 オミカゲ様の表情に悲嘆はない。

 それは確かだ。

 しかし、そこに羨望めいたものは感じられた。


「まぁ……、何と言うか……。別にお前は私達の輪の、外側にいるわけじゃない。しっかりと輪の中だ。誰もお前から手を離したりしてない」


「そうよ、勝手に距離取らないで頂戴。物理的な距離があるのは当然、でも心の距離まで遠いと思って欲しくないわ」


 ユミルが仄かに笑みを浮かべて言えば、アヴェリンとルチアも、表情を改めて頷く。


「お前は一人じゃない、とか陳腐な台詞は言いたくない。でも、私達は分かち難いものだろう? 夜と闇の様に、切っても切り離せない存在である筈だ」


「うむ……、そうか……。ありがとう。確かに夜の寒さには、母の温もりが必要であろうよ。随分と、寂しい想いをさせたのではないか?」


「やめろ、鬱陶しい」


 冗談めかして身を寄せようとしたオミカゲ様に、ミレイユは腕を突き出して阻止した。

 ルチアが堪らず吹き出すと、続けてオミカゲ様も笑い出す。

 笑みに笑みが誘われ、一時、部屋に明るい声音で満たされた。

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