笑止の沙汰 その6

「さて、それでは……。済ませてしまうなら、早いに越した事はないんだろうな」


 ミレイユが敢えて明言を避けて、言葉を落とした。

 無論、それは元の世界に帰る事についてだった。


 過去へ来てしまう事は勿論、過去へ居続ける事もまたリスクに繋がる。

 そして、今も滞在を続ける事がリスクになるなら、即座に解決すべき問題でもあった。


 しかし、オミカゲ様はゆったりとした仕草で、首を横に振る。


「そう急ぐ事もなかろうよ。影響をごく少なくすれば、それで解決するではないか。ゆるりと逗留するが良かろう」


「そういうわけにもいかんだろ……」


「そなたは堂々、洋食屋などに入り浸っておった癖に……。聞けば、ゲーセンに行くつもりさえ、あったそうではないか」


「そこまで知られてるのか……?」


 ミレイユが発見され、ここまで連れて来られるまでの時間は、そう長いものでなかったはずだ。

 奥御殿へやって来て、実際の対面までの時間は更に短い。


 しかし、それらの事情を知っているなら、全てを事細かに報告されている、と考えた方が良さそうだ。

 ミレイユは嘆息と共に頷いたものの、素直に認めるだけでなく、反撃も試みる。


「まぁ、行くには行ったが……。それだって、ユミルの幻術があったからだ。出現場所も丁度隠れるには良い所で、誰かに見られた心配もなかった」


「つまり、上手く隠し通せれば影響も無視できる程に極小だと、そなたも認めているわけであろうが。ならば、こちらも上手くさせる」


「上手くと言っても、限度があるだろう……。ひとの口に戸は建てられぬ、とも言うじゃないか」


「勅を出す。そなたについて、一切の口外を禁ずると。奥宮の中でなら、それで全て事もなし、となろうよ」


 単なる願いでもなく、命令でもなく、神勅ともなれば、その効果は絶大だ。

 神が直接発する令には、一切口外されないと信じられる、それだけの効果があった。


 また、オミカゲ様に近い者ほど、今回ミレイユが事前連絡なしで来た事についても、不可解なものを感じていただろう。


 何か特殊な事情があったと察する者がいても不思議ではなく、そしてオミカゲ様の厳格なる箝口令が敷かれたなら、憶測すらも封じ込めるも可能そうだった。


「しかし、そこまでする必要あるのか? 単に送り返しさえしてくれれば、それで文句ないんだが……」


「――もう少し居ても良かろうが!」


 それまでの温厚な声音からは信じられない、悲鳴にも似た叫びが、オミカゲ様の口から放たれた。

 顔は俯き、そして大声を発した自分を恥じている様でもある。

 目を合わさぬまま、それでもか細い声を出して、言葉を続けた。


「もう少し、もう少しだけ居てくれても良いではないか……。そなたらが居る事で起きる不利益、それは何としてでも抑えるから……」


「う……ん、あぁ……」


 唐突に激したかと思えば、幼子の様な声音になり、ミレイユは何と返して良いか分からなくなった。

 二の句を継げずにいると、オミカゲ様は席から立ち上がり、そのまま部屋から出て行ってしまう。


 その後ろ姿を、ミレイユが呆然と見送っていると、その彼女を見つめるアヴェリンが、労るような声を掛けた。


「ミレイ様……。オミカゲ様の御心を、もう少し慮ってもよろしいのではないでしょうか」


「うん……」


 これにもやはり、返す言葉に気迫がない。

 女官が襖を開け、そこから立ち去る姿を、ミレイユはただ見送る事しか出来なかった。

 だが、沈黙はいつまでも続かない。

 ミレイユの後頭部を、軽い調子で叩く手があったからだ。


「……何するんだ、ユミル」


「何もなにも、アタシには主神が馬鹿やった時、叩いて止める権利ってモンが与えられてるからね。正当な権利を行使しただけよ」


「まぁ、結果だけ見れば、確かに馬鹿をやったらしいと分かるが……。アイツ、あんなに弱かったか?」


 オミカゲ様とは、この日本国を守護する神だ。

 ただ形ばかり、口だけではなく、実態と恩恵ある神でもあった。


 国民は畏敬を以って敬い、感謝を言祝ぐ。

 そしてオミカゲ様もまた、その謝意を受け取るに足る、泰然とした態度を取るものだった。


 しかし、先程からこちら、オミカゲ様の様子は明らかに異質だった。

 冗談めかした態度、そして口に上る言動、それら全て、ミレイユの知るオミカゲ様像からは想像も出来なかったことだ。


 弱味など見せる者ではないし、見せる事を許されない存在だったものが、『神宮事変』を期に変わった。

 そう、思っていたのだが――どうやら、それだけでもなさそうだ。


「単に浮かれてるだけにも見えたけど、空元気でもあるハズよ。あのコは、長年連れ添った、唯一心預けられる友を失ったばかりなんだから。その寂しさを、アタシ達で埋めようとしていても不思議じゃない」


「そうだな……。『神宮事変』から半年、喪は既に明けていると思うが……。だとしても、感情は未だ落ち着いていない、か……?」


「そう。だから思慮が足りない、って話をしてるんじゃないのよ。ちょっとは良いコト言うって、心の中じゃ褒めてたのにさ。台無しよ、台無し。支える気構え見せたんなら、もう少し優しくしてやんなさいな」


「それもまた、その通りだな……」


 彼女は決して弱い存在ではない。

 しかし、あれ程強く結びついた、心許せる友も居ないはずだった。


 身の回りの世話をする女官などに、親愛は感じているだろうが、そうであろうと決定的な差異はある。

 孤独を強く感じているのは間違いなかった。

 もしかしたら、ミレイユたちが今少し留まり、共に同じ時間を過ごせる、という期待も、オミカゲ様にはあったかもしれない。


 ――しかし。


 ミレイユは、とにかく事態の解決、叛逆に対する報復を優先させようとした。

 それは決して間違いでない。

 だが、この時間で長く過ごす事は、事態の解決を先延ばしにはしても、致命的機会損失にならない筈だった。


 そこへ、オミカゲ様へと同情的な視線を向けていたルチアが、ミレイユへ顔を向けて声を掛ける。


「誰が悪いと言うのなら、アルケスに違いないとは思いますけど、もう少し心のゆとりがあっても良いように思いますね」


「まぁ、そうだな……。有象無象の誰かに接触しても影響は軽微、しかし神宮関連となればそうもいかない。自分と繋がりの強い相手ほど、最小限に留めるべき、と思っていたが……」


「それほど気を付ける必要、ないと思いますけどね……。何より我々が、これまの間にオミカゲ様とその近臣から、何一つ話を聞いてませんから。こんなことになると知ってたなら、対策だって打てたはずでしょう?」


「そうだな……」


 ミレイユは事実として、今日こんにちまで、裏切りの果てに過去へ飛ばされる事など知らなかった。

 幾度となく日本に顔を出し、幾度となくオミカゲ様と顔を合わせたものだが、間接的なヒントになるものさえ、その口から言われた事がない。


 ただ、何か匂わせるものを感じた事はあったのは確かだ。

 たとえば、スマホを持つようになった経緯などが、それに当たる。


 既に持っていて当然、知っていて当然、という態度で、それとて違和感というほど大きなものではなかった。

 勝手に察して当然、という態度に見えたし、事実その通りとも思っていた。


 だが、今となっては印象が異なる。

 知っていて当然なのは、オミカゲ様から見た場合だ。

 今日この時をもって改めて知る、と知っていればこその態度に違いなかった。


「聡いアイツだ。何をすべきか、何をしてはならないか、既に熟慮している最中だろう。我々に――自分の不利になることは、決してしないに違いない」


「そうですね、そこは信頼して差し上げて良いのではないでしょうか。下らないことで足を掬い、何もかも台無しにする真似だけは、しないだろうと信頼できますから」


「そうだな、それは確かだ……」


 かつてオミカゲ様は、その身の全てを犠牲にして、ミレイユにバトンを渡した。

 その覚悟と、そこから得た何もかもを、投げ捨てるほど弱い心を持っていない。

 勝ち取った現在を蔑ろにしない事だけは、何より信用できた。


「まぁ、そういう事なら、少しは好きにさせようか。アイツが何とかすると言うのなら、実際何とかするんだろうさ」


「あら、ようやく素直になったわね。そうでなくっちゃ」


 ユミルが機嫌よく笑えば、他の二人の顔にも笑みが浮かぶ。

 オミカゲ様とミレイユは、切っても切れない関係だ。


 神使の三人が何より優先するのはミレイユに違いないが、同時にオミカゲ様もまた同様に助けたいと思っている。


 双方の願いが叶えられるのなら、なお喜ばしい。

 少なくない懸念があろうと、オミカゲ様の持つ権力と抱える有力者がいれば、あった事を失くす事も、決して不可能ではないのだ。


「それにさ、何も全てを任せきりにするものじゃないでしょ。三人寄れば何とやら、とか言うじゃない。そして、ここには頼りになるのが、アンタも含めて四人いる」


「ミレイさんは三人分換算しても良いでしょう。ならば実質、六人分の力がありますよ」


「何だ、その頭の悪い計算方式は」


「そうよ。アヴェリンいるんだから、そこからマイナス一人分もしないとさぁ」


 ユミルが茶化せば、アヴェリンも応じる。

 いつもと変わらぬ――そして、いつまでも変わらない口喧嘩が始まった。


「お前は他人を貶さんと話が出来んのか」


「出来るわよ。ただ、アンタには特別、口さがなくなるってだけで」


「とんでもない不心得者だな。お前が神使である事が、未だに信じられん」


「それこそ、いつまで言ってんのよ。持ちネタのつもり?」


 何かを口にすれば、次なる言葉が飽きることなく吐き出される。

 ルチアは早々に身を離して、ミレイユの傍へとやって来ては素知らぬ顔でお茶を飲み始めた。


 彼女からすれば見飽きただけではなく、全くの徒労にしかならないと分かっているので、止める言葉一つすら出さない。

 よくも飽きずに、同じことを繰り返し続けられるな、という本音しか出てこなかった。


 ミレイユはそんな二人を見つめながら、カップを口に運び、朗らかに笑みを浮かべる。

 どうせ大した事にはならないと知っているし、ここで乱闘騒ぎをするほど分別のない二人でもなかった。


 ただ、オミカゲ様が何をするつもりかだけ考えれば良く、それも大した問題にならないと高を括っていた。

 しかし、そうではないのだと、ミレイユが後悔したのは翌日の事だった。

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