それぞれの戦い その7

った……!」


 レヴィンの口には会心の笑みと、それから宿願を遂げる達成感が漏れた。

 そのカタナは腹部を貫き、急所を深々と抉っている。

 また、ロヴィーサの短剣が、その胸元を刺し貫いてもいた。


 どちらも致命傷で、即死に等しい重傷だ。

 レヴィンならずとも、これで決着したと感じるのは当然だった。

 しかし、背後からアイナの声が鋭く響き渡る。


「いけない、離れて!」


 レヴィンとロヴィーサは同時にその場から飛び退いたが、次なる一撃でロヴィーサの肩から鮮血が飛び散った。

 武器のリーチが原因で、より近くまで肉薄していた彼女は、その攻撃を避けるには近すぎたのだ。


 肩を庇って後ずさると、その入れ替わりにヨエルが立ち塞がり、そしてアイナがロヴィーサに近寄る。

 そうして、すぐさま治癒術がその傷に向けられた。


 ロヴィーサは傷口から手を離しつつ、信じられないものを見る目でアルケスを睨んだ。

 それはレヴィンも同様で、憎々しい視線を向けながら、呟く様に問う。


「何故……。手応えは、確かに……」


「くっくっく……」


 しかし、それに応えられる者はいない。

 アルケスは俯いた顔のまま、喉の奥で低く笑うばかりだ。

 ヨエルはレヴィンと肩を合わせながら、剣先を真っ直ぐ向けて言った。


「神は頑丈だって言うがよ、これは常軌を逸してるぜ。刺し貫かれて、血が流れないなんてあり得るのか?」


「神が致命傷を受けた場面なんて、俺は知らないから何とも言えないが……。しかし、これは違うって気がする。むしろ……」


 ――むしろ、淵魔の特徴に似ている。

 その言葉を、レヴィンは辛うじて呑み込んだ。


 そうである可能性が高いと知りつつ、声にすると現実になってしまいそうで、だから口にしたくなかった。

 人間離れした蛇にも似た動き、そして実際に見せた軟体性、それが人ならざる特性を証明しているとも言えた。


 既に神ではない、という言葉を悪い方向に考えたくなかったが、最早そうと考えるしかなかった。

 神々を襲った“新人類”を名乗る者どもと、“新神”を名乗るアルケス。


 ここに共通性を見出せない方がおかしい。

 そして、傷口から血を流さない所もまた、その推測に新たな裏付けとして決定付けていた。


 何より、ミレイユによって消し炭にされた腕が、今は復活している。

 淵魔の強い再生能力があれば、その回復も実に容易だろう。


「そこまで魂を売ったか、アルケス……!」


「何を憤っているか分からないが……、お前らには分かるまいよ! この俺が受けた屈辱を、恥辱を! 万倍にして返してやらねば気が済まない!」


 顔を上げたアルケスの顔は血の気が引いていて、酷く顔色が悪い。

 しかし、目ばかりは血走り、既に正気を失くしている様にも見えた。


「かつて神だった者が、どうしてそこまで……!」


「お前には分からないと言った筈だ!」


 アルケスは身体を左右に振って、頭の位置を無作為にずらしながら突進する。

 蛇の柔軟性があって、初めて出来る動きだった。


 それに翻弄されてしまい、攻撃するのが一瞬遅れた。

 その隙を突かれ、アルケスは更に胴体を伸ばして急接近する。


「――くっ!」


 だが幸いにして、アルケスは武器を持っていない。

 驚かされたのは事実だが、レヴィンには『年輪』があり、鋭い爪から放たれる攻撃も、その防膜が防いでくれた。


「チィ……ッ!?」


 悔しげな舌打ちは、互いの口から漏れた。

 アルケスは攻撃が失敗に終わった事を、レヴィンはまたも全十層を持つ防膜を、一度に破られた事から漏れたものだ。


 刻印には、そこに溜め込んだ魔力を使用する、という特性がある以上、明確な使用上限が存在する。

 そして、この戦いで失われた数はそれなりに多い。

 だから、残された使用回数は、今のところただ一回のみだった。


「――ンなろぅが……ッ!」


 腕が伸び切った所を、ヨエルが上段から一閃、大剣を振り下ろした。

 二の腕から綺麗に断ち切れ、腕は地面に落ちたが、間もなく泥へと変わって溶けて消えて行く。


 既に分かっていた事だが、これで本当に証明された。

 されてしまった――。


「以前なら、痛いと泣いていたかもしれないが……。今はこの通りだ」


 アクセサリーを自慢するように、アルケスは切断された腕の断面を見せ付けると、僅か数秒で元に戻す。

 指を何度か開け閉めして、感触を確かめると、それから満足気に微笑んだ。


「今までの身体が馬鹿らしくなるよ。痛みもなく、そして汎ゆる自由が利く肉体。筋肉、骨の動きさえ自由に、望み通りに動かせる。こんな素晴らしいものがあるかい?」


「それで失ったものは、一切目に入れず、考えずか? 曲りなりにも神だったろうに、自らを信じた信徒を、お前は泥を被せて裏切ったんだ」


「――信徒ではないッ!」


 アルケスは激昂して、レヴィンの言葉を否定した。

 それまでが飄々としていた態度だっただけに、突然の豹変ぶりに驚かされる。


「この百年……! 減り続ける信仰心は、離れていった信徒の数そのものだ! 裏切られたのはこちらの方だ! 見返りなくして信仰しない、欲深き愚物ども……!」


 アルケスの血走っていた目は、いつしか白目部分全てが真っ赤に染まった。

 その表情は、怒りと妬み、そして嫉みで歪んでいく。


「神は他に必要ない! ただ一つ……! 完全なる存在たる一つがあれば、それで良い! その他全ては従僕に過ぎぬ!」


「人が変わったみたいな……」


 いや、とレヴィンは自らの発言を撤回する。


「最初から俺達は、アルケスの素顔なんて知らなかった。恩を着せる為に、それらしい協力的で外面の良い仮面を付けて、俺達に接していただけだ……」


「それにしても、この変貌ぶりだ。正直、これが素だったとは思いたくねぇな」


 大神レジスクラディスに反抗し、世界に仇なした神とはいえ、そこまで腐った人格だとは思いたくなかった。

 一度は先生と呼び、そして慕った相手だ。

 最早、敵として相対するしかないと分かっていても、これ以上泥を被せられる気持ちになるとは、思ってもいなかった。


「本音ではあるんだろう。……だが、妙な気もする」


 ここまで感情を顕にするのも、実にらしくない、とレヴィンは感じる。

 長らくその感情に蓋をし、隠し通して来たアルケスだ。


 今この時になっても、本音全てを隠したまま、レヴィン達を攻撃していそうなものだった。

 それが今や、完全に感情のタガが外れた様に見える。


「淵魔になった弊害か……? 感情の制御が利かない、とか……」


「アヴェリン様と相手にしていた奴も、そういや段々と感情的になっていったな……」


 最初は余裕を見せていた。

 しかし、傷を受け、それを修復して行く度に、露骨な変化が見られたようになったと思う。

 もしもそれがトリガーだとしたら、アルケスもまた、傷を受けてから変貌したとも言えた。


「それが淵魔になるって事なのか? そうやってどんどん、精神的に不安定になる……?」


「俺は……、俺は淵魔じゃない! それを取り込み、克服し、支配するに至った、偉大なる存在なのだ!」


 口から唾を飛ばして、アルケスが襲い掛かる。

 ことの真偽はともかくとして、レヴィンは染み付いた動きでカタナを振るう。


「それが単なる思い込み、とは思わないのか?」


 一歩足を下げて肩を前に出し、向かい打つ形で逆袈裟に斬った。

 アルケスは胴を伸ばして蛇の様に身体を曲げ、刃の軌跡を避けようとした。

 しかし、そこへ踏み入ったヨエルが、横から残った下半身を斬り付ける。


「ハァーッ、甘いわ!」


 下半身は地を蹴って、そのまま横っ飛びに躱す。

 伸びた胴が鞭のようにしなって、より遠くの位置へ下半身を逃がした。

 しかし、連携攻撃はそこで終わりではない。


「――二人ばかり見て、周りが見えていませんね」


 挑発混じりの一撃で、アルケスの首に深々と短剣が突き刺さる。

 傷の治療を終えていたロヴィーサが、その隙を狙って側面から攻撃を仕掛けていたのだ。


「お前は……、前から……ッ! うろちょろと邪魔ばかり! 目障りな奴だった!」


 反撃に腕を振るったが、ロヴィーサは短剣を引き抜く動作と共に、更に深手を負わせ、軽いステップと共に躱す。

 やはり出血はなく、傷口から黒々とした断面が見えるだけだ。


 アルケスは腕を鞭として斬り裂こうとしたが、ロヴィーサはこれにも機敏に動いて攻撃を躱した。

 更に、しっかりと反撃して腕を斬り落とす。

 切断された腕が宙を舞い、淵魔の群れの中へと落ちて消えた。


「こいつら……! 馬鹿な……! 何故ここまで動ける……!?」


 アルケスの認識が、一年前までのレヴィン達で止まっていて当然だ。

 しかし、レヴィン達はそれまでの間に、多くの経験と鍛錬を積んだ。


 時に泣き言さえ浮かぶ、非常に厳しい修行期間を経ている訳で、それを知らず当時のままの認識で戦えば、齟齬が出るというものだろう。

 ロヴィーサはレヴィンの傍へと足を戻しながら、冷徹に観察しながら呟く。


「先ほどから、魔術的攻撃が一切ありませんね。淵魔に侵食された“新人類”とやらは、その特性と引き換えに魔力を失っていましたが……。“これ”もそうなのでしょうか」


「まさか蛇の特性だけで、ここまで増上慢になってるとは思えない。魔術がなかろうと、他の手段はあると見るべきだ。――油断するな」


「する程の余裕はありません」


「それもそうだ」


 笑みを浮かべず、アルケスを見据える。

 そこでは怒りすら生温い、恨みと敵意に満ちた顔で、アルケスが睨み付けていた。

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