謀の代償 その5

 レヴィン達が拘束された後、それだけでは終わらなかった。

 暴れたり、口を開いたり出来ないよう、魔術によって封じる念の入れようだ。


 神官と兵はロシュ大神殿から派遣された者達で、指一本、言葉一つ発せられないようにすると、それでようやく安心したようだ。


 レヴィン達は目線しか動かす事を許されず、そのまま神殿へと連行しようと動き出す。

 捕らえたのならば次はロヴィーサについて、とばかり思っていたのに、そうした様子はまるでなかった。


 レヴィンは話が違う、と口に出して叫びたかった。

 しかし、それも今や封じられていて敵わない。

 だから敵意を剝き出しにした視線を送るしかなかったのだが、ルミはその意図を正確に感じ取って返答した。


「何を言いたいのかしらねぇ……。裏切られたとでも言いたいの? とんだ思い違いだわ、これで良いのよ。アタシ達はさっさと大神殿まで帰るわよ」


 ルミが事も無げにそう言って、切って捨てる。

 レヴィンはそうなってから、初めて謀られたと気付き、己の失態を強く責めた。


 ルミはロヴィーサを助けると言ったわけではない。

 放置すると死へ近付く、と事実を述べただけだ。

 大人しくすれば助ける、など一言も発していなかった。


 早とちりしたのは、レヴィン自身だ。

 ――なんて馬鹿だ!


 都合よく解釈した浅慮を責め、詰り、もうロヴィーサを助けられないと悟って悔やむ。

 頭を地面へ打ち付けたい衝動に駆られても、今のレヴィンにはそれさえ許されていなかった。


 失意の涙さえ流すことが出来ず、ただ心中で己を呪う。

 物のように運ばれて行く様を、レヴィンはただ黙って見ていることしか出来なかった。



  ※※※



 ――ロシュ大神殿。

 その名の由来は『山王』を意味し、三方を山で囲まれ、天然の要塞として利用されたことに起因していた。


 かつて、未だ大陸に淵魔の跋扈を許していた時代、重要な拠点として使われていた歴史がある。

 淵魔討滅の壮絶な戦いを巻き起こし、後に龍穴を抑えたその時まで、一度たりとも淵魔にその地を踏ませなかった。


 淵魔の出現を完全に抑えると、今度はその威風を堂々と宣言する為、他とは一線を画す大規模な神殿を作るに至った。

 また、大神レジスクラディスを祀る神殿でもある為、優美さ、荘厳さ、建立面積共に他と比べようもなく立派だ。


 そうした背景を持つ偉大な神殿なので、他と比べて高い城壁を持つのも特徴だった。

 山壁による三方の防御に加え、正面には立派な歩廊付きの城壁がある。

 大扉も堅固な樫を以て作られ、鉄板と鉄鋲の補強も欠かされていない。

 もしも淵魔が襲撃して来ようと、鉄壁の守りで防ぎ撃退する構えだ。


 そして現在、城郭神殿とも呼べる地下にある、頑丈な石牢の中にレヴィン達は囚われていた。

 格子もまた特殊金属を用いた特別性で、対魔術の付与がされる逸品だった。


 身体能力を増大させたとして素手で折ることも、曲げることも出来ず、当然魔術を放とうとも傷一つ付けられない。

 藁で作られた粗末なベッド、そして便所代わりの桶が一つのみある。

 それが押し込められた牢に置かれた全てだった。


 レヴィンの正面にはヨエルが囚われており、その右隣にはアイナがいた。

 魔術による拘束が解けてから既に一時間が経過していて、レヴィンは壁に背を預けて座り込み、手足を放り出し放心していた。


 他の二人もまた、似たようなものだ。

 ヨエルは背中を壁に預け、片足を上げてその上に腕を置き、首は下を向いている。

 アイナは膝を抱いて座り込み、頭を下げて小さく縮こまっていた。


 身体は既に拘束から外され自由なのに、誰一人、動こうとも、喋ろうともしていない。

 地下牢の中には、時折天井から漏れる水滴の音だけが静かに響いていた。


 消沈した空気は、己の無力や、これから起こるだろう自らの処遇から来るものばかりではない。

 何よりも、ロヴィーサを悼む気持ちと、後悔から生まれたものだった。


 口にすれば、それを現実だと認めることになる。

 彼女の死を決定付ける気がして、それで誰もが口に封をしていた。


 ――己を痛めつければ、少しは気が晴れるだろうか。

 レヴィンはそうも考えた。

 しかし、それは贖罪と言えるものではなく、全くの別で、掛け離れたものだと自覚していた。


 むしろ、自分を慰める行為でしかなく、自分が少しでも楽になろうとなる手段でしかない。

 ロヴィーサもまた、己の死を理由に自分を痛め付けるレヴィンなど見たくないだろう。


 厳しく叱責すらして来るはずだ。

 少し冷たく感じる、彼女の思い遣りある台詞が、レヴィンの耳に聞こえて来そうな程だった。


「……くッ!」


 レヴィンの目尻に、みるみる涙が溜まっていく。

 吐く息が震え出し、呼吸も荒くなり始めた。


 どれだけ後悔しても、したりない。

 感情が今にも暴れ出し、何もかも無茶苦茶にしたい衝動に駆られる。


 その時、階段を降りてくる硬質な足音が地下に響いた。

 人数は三人分。どちらも革靴を履いていると分かる、鉄とは違う硬い音だ。


 レヴィンは涙を引っ込ませながら、無関心を装い、視線を下へ向けた。

 格子の外を直接見ないようにしつつも、その視線はしっかりと外へ向けている。


 足音はレヴィンの牢前までやって来ると、一人が一歩前に、二人がそのすぐ後ろに立った。

 服装と腰に下げた鍵束から、その男が看守と分かったが、すぐさま話し掛けて来ることはない。

 じっとりと、値踏みするかのような視線を向けられていた。


 そして何より、明確なのが敵意だった。

 視線だけで殺せるのなら、今すぐにでも殺してやりたい、とその雰囲気から汲み取れる程の、強烈な敵意を発している。


 長く沈黙が続き、それを無視するレヴィンが、ただ石の表面を見つめていた。

 どちらもが一切動かない時間が過ぎる。しかし、それも長くは続かなかった。

 厳しい声が頭上から振り降ろされ、レヴィンもそれに合わせて顔を上げた。


「出ろ、許されざる大罪人め」


「……もう、死刑の段取りが決まったか」


 レヴィン顔を上げた先には、声だけでなく、顔まで厳しい男がそこにいた。

 その目には激しい怒りと、唾棄する思いが渦巻いている。


 当然だろう。

 レヴィンもまた、そうされるだけの自覚をしている。


 もしも、何も知らぬままユーカード領におり、神殿へ火を付けた者を捕縛したら――。

 レヴィンには同じ様な視線と、台詞を言っていた自信があった。

 やったことは放火ではないし、実情としてはそれより尚タチも悪いが、大神の名を貶めたと憤怒の形相を浮かべていた事だろう。


「減らず口を叩くな。今から手錠を嵌める」


 看守が牢を開くと、後ろの二人が武器を構えて警戒する。

 武力に任せて押し通ることを、警戒して備えているのだ。


 しかし、それならば一つ、新たに刻印を刻めば済む話ではあった。

 優秀な施術士が必要となるものの、所持している刻印を封じる刻印、というものは存在する。


 そんなものを刻まれたくないのは誰もが同じだ。

 激しく抵抗する前提だから、どの様な施術士であろうと可能ではない。

 素早く、そして抵抗の間を縫って刻める技量が求められる。


 それだけの施術士ともなれば、簡単にお目に掛かれる存在ではないのだが、大神殿ともなれば難しい話ではないだろう。

 しかも、レヴィンは並大抵の兵とは比較にならない戦力を有している。


 本気になれば、素手であろうと武器を持った神殿兵三人程度、昏倒させてしまえた。

 それを正しく認識していないだけだとしても、どうにも片手落ちな部分は否めない。


 ただし、現状レヴィンに抵抗を示す気概など全くなかった。

 ロヴィーサの喪失と、全てを明るみに出された事実が、レヴィンから抵抗の意思を奪い取っている。


「若……」

「レヴィンさん……」


 向こう側の牢からは、格子を握りながら顔も近付け、心配そうに見つめる二人の姿があった。

 何が目的であるにしろ、ろくな目に遭わないとだけは理解できる。


 それが分かっていても抵抗する事なく、為されるがままに、レヴィンは手錠を掛けられた。

 背後から槍で背中を突付かれながら、言われるままに足を進める。


 階段を上がると、次は広い通路に出た。

 向かう先は処刑場ではなく、更に上階の特別な一室だった。


 扉やその周囲に巡らせた優美な装飾、白い木目の清廉な見た目といい、明らかに周囲から一段上質な雰囲気を纏っている。

 もっと物騒な場所へ案内されると思っていただけに、レヴィンにとってもこれは全くの予想外だった。


「てっきり……、良くて拷問部屋だと思っていたが……」


「無駄な口を叩くな。お前の火刑は、ほぼ決定事項のようなものだ。それだけのことをやらかした。……しかし、それより前に、聞き出さねばならぬことがおありとの仰せだ」


「おあり、仰せ、と来たか……」


 ならば、たとえば神殿長など、権威の高い誰かが直接、取り調べをしようとでも言うのだろう。

 それこそ刻印を使った読心などを用いるつもりで、だから拷問などという不確かな証言を求めないのかもしれない。


 人は、時として痛みと苦しみから逃れる為に、どうとでも心を偽る。

 拷問による証言は信用できないと考えるのは、不思議でも何でもなかった。


 ただ、それならば豪奢な部屋に連れて来る必要とてない。

 牢獄内では障りがあるにしろ、もっと適した部屋が、他に幾らでもあるはずだった。


 レヴィンは訝しげに思いはしたが、どうからどうした、という気持ちで開き直る。

 何をされようが、何を聞かれようが、最早どうでも良い話だった。


 辺境領の恩人であり、また恩師でもあったアクスル。

 幼馴染であり、それ以上の存在に思っていたロヴィーサ――。

 この旅で、失ったものは余りに大きすぎた。


 そして、旅の終わりとは結局、どこかで捕縛され、不名誉な死を賜ることだとも理解していた。

 抵抗する意味も、その気力さえも、牢へ入れられた時点で、既に枯れていた。


「ふん……」


 レヴィンが溜め息とも取れない息を吐いた時、面前の扉が開かれた。

 そのまますぐには入室せず、室内を見える範囲で観察する。

 扉を見た時点で室内も豪華と分かっていたが、実際はそれ以上の豪華さだった。


 レヴィンもユーカード家の領主屋敷の中で暮らしていたので、それなりに裕福な生活をしていると自負している。

 しかし、家風からして質実剛健の部分があり、調度品に掛ける費用も控えめで、他者から侮られない最低限の物しか用意されていなかった。


 目が肥えているなど言えないが、それでもレヴィンの目に映る光景は、まるで王宮の一室に入り込んだかのような錯覚を覚えさせる。

 しばらく呆然と見つめてしまって、背後から槍で突付かれ、それでようやく我に返った。


「早くしろ、中に入れ。お待たせさせるな!」


 厳しく叱責されるがまま入室すると、綺羅びやかな装飾品に目が眩しくなる。

 貴金属の類で作られたらしい見事な壺や、黄金で縁取られた絵画、鎧掛けの中で微動だにしない戦士像など、それらが壁中に設えてある。


 右手側には大きな窓ガラスが嵌められてあり、その正面には執務机らしきものがあった。

 椅子に座っているのは長い顎髭を蓄えた老人で、頭髪や髭は真っ白に染まっている。


 どうやら、この人物が呼び付けたと分かるのだが、手元の資料に何か書き留めていて、レヴィンには全く興味を示さない。

 無言のまま右手で羽ペンを動かし、時折、左手の冊子か何かの文字を確認していた。


 このままいつまで待たせるつもりか、とレヴィンが思い始めた時、老人は左手を広げたまま前方へと差し出す。

 老人から見て前方――つまり部屋の奥には、また別の応接室らしき物があって、そこの扉が開いたままになっていた。


 どうやら、そちらへ行って待ってろ、ということらしい。

 老人は何も言わないし、何も見ようとしない。


 背後を振り返ってみても、兵は正面を向いたまま、やはり何も言わなかった。

 それでとりあえず、レヴィンはただ指示されるがまま、奥の部屋へと足を運んだ。

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