謀の代償 その6
応接室に入ると、そこもやはり控えめながら、見事な調度品に溢れていた。
こちらは特に宗教色が強く、大神レジスクラディスの銅像などが置かれている。
錆の一欠片は勿論、曇りすら見えずに磨かれている様は、丁寧な手入れがされているのだと気付かされた。
右手を上に、左手を下に向けている様は、大神をモチーフにした場合よく見る構図だ。
終わりと始まりを示すと同時に、天と地を支える意味を含んでいる。
そうした銅像を筆頭にして、他にも多くの調度品があった。
見れば飾り付けられている絵画なども、全て大神に関わるものだ。
淵魔と戦う勇敢な姿を描いているものもあれば、天から見下ろし大地と人に慈愛を注いでいる姿もある。
レヴィンはそれらを我知らず見入り、それから敵中の只中だと、慌てて気を引き締め直した。
そして、そこでようやく気付く。
応接室に置かれたソファーには、既に女性が一人座っていた。
気配もなく、面白そうにレヴィンを見据えている黒髪の美女には、勿論覚えがある。
いつだって彼女の気配は希薄で、そしていつだって苦渋と辛酸を舐めさせられて来た。
ロヴィーサの件を思えば、今すぐにでも掴み掛かって、殴り付けてやりたい気持ちが沸き上がる。
しかし、今は手錠があり、拘束されている最中だった。
とはいえ、たとえ無かったとしても、勝てたかどうかは微妙なところだ。
それだけの実力差がレヴィンと彼女の間にはある。
それでも、一矢報いてやりたい気持ちは抑えられない。
――やるべきか、とレヴィンは一瞬の内、逡巡する。
どうせ、死ぬ身だ。
それならば、手傷の一つでも付けてやれば、少しは気が晴れるかもしれない。
レヴィンが筋肉を膨張させ、猫科の肉食獣の様にしゃがみ込んだ、その時だった。
ルミの方が片手を上げて、待ての姿勢でレヴィンを見やる。
その表情にはニヤニヤとした、しまりのない笑顔が浮かんでいて、この状況を明らかに楽しんでいた。
「くっ――!」
飛び付いて、その喉元に歯を突き立ててやる――。
膨張させた筋肉が収縮したその時、背後から音を立てて誰かがやって来た。
柔らかなカーペットを足底で叩く音が――不安そうなものに聞こえ、レヴィンはピタリと動きを止める。
振り返ってみると、そこにはアイナがまさしく不安そうな顔付きで、応接室へ入室しようとしていた。
「アイナ……、どうして? いや、君だけか? ヨエルは……」
「あのあと続けて呼ばれたのは、あたしだけです。ヨエルさんも、どうして自分だけ残されるんだって言って、出して貰おうとしてたんですけど……」
「そりゃあ呼んだのは、アンタ達二人だけだから」
ルミが気楽な調子で言って、待ての体勢で掲げていた手の平を、今度は正面のソファーへと向けた。
どうぞ座って、と言っているらしいとは分かる。
だが、素直に座って良いものか、レヴィンとアイナは顔を見合わせて迷った。
二人の背後では、槍を持った兵が依然として、部屋の前で警戒も顕に睨み付けている。
この兵が何も言わないところを見ると、座ること自体は問題ないとは察せられるのだが、何故こんな場所に呼ばれたのか、それこそが問題だった。
そして、明らかに神殿長クラスの部屋を、間借りしている状況も理解できない。
尋問にしろ、他の何かにしろ、適した部屋は他に幾らでもあっただろう。
レヴィンの困惑は分かり易く顔に出ていて、当然それを読み取ったルミは、流石に手は引っ込めて笑みを深くさせる。
「……まぁ、分かるわよ。何でこんな場所に呼ばれたのか? 別に難しい話じゃないわ。ここ以上に、快適な部屋がなかったからよ」
「快、適……?」
「日当たりも良いのよね」
部屋の側面にある大きな窓からは、さんさんと陽の光が注がれ、室内を明るく照らしている。
ふざけてるのか、そう言い終わるより前に、またも何者かが入室しようとして来た。
見れば使用人らしき者が、ワゴンを押してやって来ている。
その上には上質な茶器と、湯気を立てる香ばしいお茶、そしてお茶請けなどが並べられていた。
「お待たせいたしました。準備してもよろしいでしょうか?」
「えぇ、丁度良いタイミングよ。――二人とも、まず座りなさいな。これじゃあ、話も出来ないでしょ?」
ルミの返事でワゴンを押した使用人は、レヴィンとアイナ、二人の間を通って給仕し始める。
ルミだけではなく、レヴィンたちの分まで用意されているのだが、そちらは随分とおざなりだった。
ただし、ルミに対する恭しさと言ったら、まるで王族に接するかの様な扱いだ。
給仕できる喜びを噛み締めているようでもあり、それが出来る自分を誇らしく思っているかのように見える。
「ご苦労さま。下がって良いわよ」
そして、それは恐らく事実であるのだろう。
ルミに礼を言われると、花が咲き誇る笑顔を見せ、隠し切れない喜びと共に一礼し、それからワゴンを押して退出していく。
レヴィンはそれを呆気に取られたまま見送っていたが、ルミが茶器を手に取った音で我に返った。
そのルミも、いい加減呆れた表情で二人を見つめている。
「ほら、いいから座れっての。それとも、無理やり座らせられたい? そういう趣味?」
「い、いや……。だが、火刑に処す人間に、こんな事をする理由だってないだろう。いっそひと思いに毒殺でもしようってのか?」
「何でそういう発想になるの? 大体、火刑……? それ、誰が言ったのよ」
「誰って……、そこらの兵がだ。俺自身、不当とも思わない」
実際、それだけの事をした自覚は、レヴィンにもあった。
しかし、ルミは不愉快と感じさせる表情を作っただけで、それを肯定しなかった。
「とにかく、違うから。毒殺予定もないし、口の滑りが良くなる薬だって入ってない。アタシは話をしたいの」
「信じられるか……」
「じゃあ、無理やり座らせてやりましょうか? いいのよ、別に。そうしてやっても」
一声命じれば、背後の兵が暴力的な手付きで、有無も言わさず実行するだろう。
それも面白くないレヴィンは、とりあえずアイナに目配せして頷き、言われるままにルミの正面に座った。
だが、茶には手を付けようとしない。
手錠はされていても身体の前に手はあるから、茶器を手に取ろうと思えば可能だ。
しかし、ルミの言うこと為すこと気に食わないレヴィンは、素直に応じたくなかった。
本当に毒を飲ませたいのなら、こんな場所まで呼び付けてやる必要はない。
獄中の食事に混ぜてしまえば事足りる。豪華な部屋の中を、汚す心配もない。
ルミからしても、最初から怪しまれていると、当然理解している所だろう。
だから、何か混入させるとも思えないが、どちらにしても強制されるまで、口に付けない方が無難だと判断した。
そうして、レヴィンが挑むような目付きで睨んでも、ルミは平然としたものだった。
足を組み直しながら、背もたれに身体を預ける余裕振りを見せる。
一口、茶器に口を付けて小さく喉を鳴らすと、次いで世間話を始めるような気楽さで口を開いた。
「まず、訊いときたいんだけどさぁ……。アンタらって、淵魔の手先?」
「馬鹿を言うな。――あり得ない。何たる侮辱だ」
レヴィンが睨み付けながら強く否定すると、ルミはそれを鼻で笑った。
「自覚がないようだから言わせて頂きますけれど、アンタらがやったコトって、正にそれだからね。神の意を無視して、淵魔の利となる行為に加担し続けた。……それでどうして、淵魔の手先じゃないって言えるのよ?」
「何を言う。神が何をしていたか、俺が知らないとでも思ったか。神殿という檻を作り、そこに淵魔を忍ばせていた者こそが神だ。淵魔討滅が、壮大な欺瞞行為だったなんて、もう分かり切ってる話なんだよ……ッ!」
レヴィンが吐き捨てる様に言うと、ルミは愉快そうに顔を歪めた。
手に持っていたソーサーに茶器を重ね、それからテーブルの上に置く。
自然、前屈みになった体勢のまま、レヴィンを睨みつけた。
「――そう、確かに神殿内に淵魔が潜んでいた。隠されていたのよね。でも、それはこちらも預かり知らぬコト。とはいえ、ねぇ……少し短絡的すぎない?」
「今更そんな、チャチな言い訳が通じると思うのか……!? 預かり知りません? 馬鹿にしてるのか!」
「まぁ、そう言いたい気持ちは、分からないでもないのよねぇ」
一転して同意を示され、レヴィンは眉根を潜めて言葉を止めた。
彼としては、てっきり惚けたまま知らぬものを貫くか、別の嘘を言い出すかと思ったのだ。
しかし、返って来たのは困った顔をさせながらの同意であり、それで続く言葉を見失った。
「……何だ? 何を言ってる?」
「事実として、神殿内に淵魔が囲われていたのは認めましょう。事実としてそうだった。こちらでもここ数日、散々処理させられたからね。でも、それでどうして神の仕業って思うのよ? 証拠なんてある?」
「神殿内から出て来たんだ! それ以上の証拠は――ッ!」
声を荒らげ、立ち上がろうとしたレヴィンを、背後に控えていた兵二人が、手にした槍を肩に当てて止める。
兵は一切の言葉を発しないが、この部屋での無礼は決して許さないと、その行動で告げていた。
レヴィンが脱力してソファーに座り直すと、兵達も素直に一歩下がって直立し直す。
ルミは、それがまるで見えていないかように、構わず続けた。
「確かにそうだわねぇ。神殿は淵魔が存在しない安全地帯。龍穴を抑えているのだから、出現さえしないはず……。確かにそうだわ。それを覆せるのは神だけだ、と考えるのは納得できるんだけど、行動が飛躍し過ぎてるのよねぇ……」
「そんなことないだろう……。淵魔討滅は、我らが務め。放置なんて以ての外だ」
「そうよね、ユーカード家ならば、当然そういう発想になる。でも、やるべきが自領に戻って事態を知らせるんじゃなく、各地神殿を封印して回る? そこには偶然、神器を持った異世界人がいる? どんな巡り合わせよ、あり得ないわ」
「あり得ないなんてことは……! 事実、こうして……!」
ルミの言葉を聞く程にヒートアップしていくレヴィンを余所に、ルミはどこまでも冷静だった。
再び背もたれに身体を預け、組んだ足をぶらぶらと揺らす。
「あり得ないのよねぇ……。
「お前の言ってる意味が分からない……」
「そう? 分かり易いと思うけど。その場の成り行きで、トントン拍子に進む話じゃない、って言ってるの。首謀者がいるはずよ、この画を描いた人物が。アンタらを使った何者かが、その背後にいた。そうでないと説明つかない。――だから、それを教えなさい」
「首謀者とか、画を描いたとか、そんなことは……」
言いながらも、レヴィンの頭の片隅には、一つの可能性が浮かんでいた。
しかし、それを安易に認めるわけにはいかない。
何よりルミの言うこと全てを信じるより、他に信じられるものが、レヴィンにはある。
恩人の言葉は、それより軽いということはない。
「知った所で意味なんかないだろう。第一、もう遅い。……そんな事より、まず教えて欲しい」
「あらまぁ……、自分が質問できる立場だとは思わないコトよ。アンタに、それが許されてるとでも?」
「ロヴィーサのこと、忘れたとは言わせない。ひとの命を餌にして、それで捕らえておきながら、俺がお前を恨まないと思ったか……!?」
レヴィンは必死に怒りを抑える。
今ここで暴れても、背後の兵が黙っていないだろうし、何より枷ある状態でルミをどうにか出来ると思っていない。
細い可能性の糸を辿るなら、アイナの神器頼りとなるだろう。
しかし、それを持ってしても、どこまで対抗できるか未知数だった。
ルミはレヴィンの怒りを正面から受けても尚、余裕の表情を崩さない。
そして、今更ながらに思い出した、と顔を上げてニヤリと笑った。
「あぁ、そういう話もあったわねぇ……すっかり忘れてたわ。でもそれ、アタシの管轄じゃないしね」
「ふざけるなよ、お前……一体、何様のつもりだ……ッ!」
「レヴィンさん、抑えて……!」
アイナが背後を伺いながら、同じく錠を嵌められた両手を突き出し、肩を揺すって必死にレヴィンを宥める。
しかし、その程度でレヴィンの怒気は全く治まらない。
こういう時、傍で嗜めるのはロヴィーサの役目だった。
そして、そのロヴィーサはもういない。
「そういえば、冒険者のニセ肩書しか教えてなかったっけ……」
今更ながらに思い付いた、という表情だった。
ルミは茶化す様に言うと、更に笑みを深めて、嘘としか思えない事実を吐き出した。
「アタシって、これでも神使なんてやってるから。大神レジスクラディスに直接仕える、第二神使。地上における代行者。この世において、神に次いで偉〜い存在なのよ。……お分かり?」
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