謀の代償 その7

 神使とは、その名の通り神の使いであり、そして地上において、神に次ぐ権限を与えられる者である。

 その口から出る言葉、その身体が起こす行動は、神が行うものと同等に扱われる。


 神そのものの手足となるわけで、神の信頼を一身に受ける存在と言って良い。

 だから、ルミが言った様に、場合によっては国王よりも強い権威を行使できる。


「まさか……、本当に……?」


 レヴィンの脳裏には、異常にうやうやしかった使用人の姿が思い出されていた。

 あれが神使と知っての対応なのであれば、その態度にも納得する他ない。

 恐らく神殿長の執務室――その応接室を、日当たりが良いから、という安易な理由で専横するのも許されるだろう。


 背後に控える兵が実直な仕事振りを見せるのは、教育が行き届いているだけが理由ではなかった。

 些かの無礼、不始末を見せられないから、そうしているに違いない。


 幾つかの状況が、目の前のルミを只者ではないと示している。

 レヴィンがその実力において、決して勝てないと思ったのも納得できてしまう。


 只人が努力して到達できる範囲にいるはずもなく、神使は寿命を持たないとも言われる。

 神使だから寿命を持たないのか、神使になれば寿命が消えるのか。どちらなのか、定かではない。


 ただ、長い時の中で、同一人物と思われる神使が、歴史書の中で複数回に渡って登場するのは事実だ。

 それを頭で理解していても、レヴィンにとって、そう簡単に認められるものではなかった。


 何しろ、大神レジスクラディスの神使となれば、頭を垂れ床に額付けて対応すべき人物だ。

 不敬な言葉も、不遜な態度も、決して許されることではない。


 その口から出る言葉は、まさしく神が紡ぐ言の葉だ。

 そこに異議を差し込むことは、信徒であればこそ、決して許されない大罪になる。


 ――だが、ならば何故、と思わずにはいられない。

 冒険者として活動している節があったり、妙に軽薄な態度が、それを否定しているように見えた。


 いや、レヴィンはその可能性に縋りたいのだ。

 神使が嘘であるなら、今までの不敬はなかったことになる。

 使用人や兵達の態度も、演技で十分、通用する範囲だった。

 口を軽くさせる為の大掛かりな欺瞞……、そう考えることも出来る。


 レヴィンは口の中が急速に渇いていくのを感じていた。

 目の前に置かれたカップが目に入り、今すぐにでも貪りたり衝動に駆られる。


 だがレヴィンは、それを必死の理性で押し留めた。

 喘ぐように口を開きながら、それでも必死に声を絞り出す。


「だが、だが……! なぜ……!?」


「何故? 何故って、どういう意味? 淵魔関係において、神が座視して待たないなんて、分かり切った話でしょ?」


「いや、そうじゃ……!」


「神はいつだって淵魔に対抗して来たし、時として人に代行させて来た……でしょ? 他ならぬ、アンタが知らないはずないじゃない」


「そうじゃない……ッ!」


 レヴィンは押し殺した悲鳴で否定する。

 必死に頭を振って、焦りの滲んだ顔でルミを見据えた。


「神が淵魔に対抗していたなんて、そんな話は聞いていない。あなたは……あなたが、本当に神使なんだとして、だったら人の命を軽く扱って良いのか……!? ロヴィーサを……助かるかも知れない一縷の望みを、お前は俺から奪ったんだぞ……!」


「あぁ、それ……。言ったでしょ、それってアタシの管轄じゃないのよね。今は外に置いておきなさいな」


「そんなフザけたことを言う奴が、神使だって? 何かの間違い――騙りじゃないのか……!?」


 レヴィンの怒りも、ルミは全く意に介さない。

 涼しげな顔で受け流すばかりで、それどころか、レヴィンの反応を細かく観察しているようでもある。


「そうとも、騙りだ……。大体、冒険者をしてたのは……」


「あぁ……、地上で行動するには便利な肩書だから……それについては、確かに騙りと言えるかもね。あちこち移動していても、冒険者の証明さえ出来れば、大して警戒されないし。幾つか異なる身分を作っておくとね、スムーズに運ぶコトもあるからさ」


「そんな話、素直に信じるとでも……! 神使であるのが本当なら、一切の面倒なんか……」


「神使の身分にだって、面倒はあるものよ。特に秘密裏の行動なんて、まず無理だし。今回みたいに、裏でコソコソ動くような奴だとね、自ら居場所を知らせるようなもんよ。まったく向いてない」


 やれやれ、と息を吐いて、ルミは肩を竦めた。

 しかし、その口振りを認めると、常に地上の動向を伺っているように見えてしまう。


 神とは――神使とは、そこまでつぶさに気を掛けているものなのか、とレヴィンは疑問に思えた。

 そうした彼の考えが、透けて見えたのだろうか。

 ルミは、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。


「……ま、アンタがどう考えようと構わないわ。やり易いって言うのなら、今は冒険者のルミってことで許してあげるし」


 一度、そこで言葉を切って、ルミは表情を改めた。

 軽薄さは身を潜め、その瞳が真剣に細められる。

 気圧されかねない迫力は、虚偽を決して許さない、と脅し付けているようでさえあった。


「――さて、本題よ。アンタさっき、興味深いコト言ったわよね? 『知ったところで意味はない。第一、もう遅い』……? 随分な言い草じゃないの。どういう意味?」


「素直に話すと思うのか……」


「話しておいた方が良いと思うわね。お仲間の無事を願うなら」


 その一言で、レヴィンの蓋していた感情が一気に高まる。

 怒りを爆発させ、殺す勢いでルミを睨み付けた。


「ヨエルに何かしようものなら、絶対後悔させてやるぞ! 必ず、ユーカードの名に掛けて、その報いを受けさせてやるッ!」


「あまり熱くならないで頂戴。そっちの話じゃないのよ。牢に置いてきた僕ちゃんには、全く何の関係もない。これはそれとは別で……」


 そこまで言って、面倒くさそうに前髪を掻き上げ、溜息を吐いた。

 自らの言動を振り返り、後悔した様子を見せる。


「あー……、ちょっと胡乱に話し過ぎたかしらね。そこは反省するトコだわ……えぇ、申し訳なかったコトね」


 だが、ルミの言葉はどこまでも軽薄で、その言葉さえ皮肉交じりに聞こえる。

 レヴィンにとっても到底、信じられるものではなく、むしろ火に油を注がれた心境だった。

 レヴィンの心が、更に激しく熱しようとしたその時、冷水を浴びせる一言が、ルミから放たれた。


「ロヴィーサとかいう、多分、生きてると思うわよ。……言ったでしょ、管轄が違うのよ。助け出すのは、アタシの役目じゃなかった。別のが当たってた――ただ、それだけ」



  ※※※



 木々の間を縫うように走る河は、水深が深く流れも激しかった。

 成人した男性でも足が付かない程で、崖上から落ちて来た魔獣たちも、成す術なく流されていく。


 魔獣の群れに呑まれて落ちたロヴィーサは、着水と同時に気を失っていたが、それを掻き抱いて、流れに逆らい泳ぐ人物がいた。

 激しい流れなど物ともせず、頭上から降り注いでくる魔獣を時に腕の一振りで弾き飛ばし、そして対岸まで無事に辿り着く。


 そうして、重い足取りで水面から抜け出し、河から十分な距離が離れる地点まで歩いた。

 肩で担ぎ上げるようにして持っていたロヴィーサを地面へ下ろし、濡れそばった豊かな髪から、雑巾を絞るようにして水分を切る。

 ロヴィーサを見下ろしていた彼女は、膝を付いて耳をその口元へ近付けると、無造作に思える手付きで鳩尾みぞおちへ手を当てた。


 強く素早い動きで押し込むと、ロヴィーサの口から水が溢れる。

 激しく咳き込み、身体を横に傾けさせつつ、激しくむせた。


「げほっ、えほえほっ、ごほっ……!」


「気が付いたんなら、すぐ動け。泳げる魔獣が、こちらへやって来るかもしれない」


「げほッ、はっ、……はぁ、はぁ……。あなたは……、何が、どうして……?」


 自分の状況、周囲の環境、背後に見える河を見て、ロヴィーサはそれで現状を薄っすらと把握した。

 魔獣の爪に引っ掛けられ、体勢を崩し、最後に手を伸ばした光景を、今もはっきりと彼女の網膜に焼き付いている。


 必死の形相で手を伸ばすレヴィン、しかし手の届く範囲からは離れ過ぎていた。

 決して届かないと悟った彼の顔が絶望に塗り替えられ――。

 ロヴィーサ自身、魔獣の群れに突き飛ばされた時点で、その死を覚悟していた。


「リン……さん。あなたが、助けてくれたのですね……? でも、何故?」


「お前はユーカードの人間だ。こちらには、無下に出来ない理由がある」


 ロヴィーサが見上げるリンの姿に嘘はなく、その目には親密さすら浮かんでいた。

 敵対していた相手に救われたことも奇妙だし、嘘をついていると思えない態度も奇妙だった。

 ロヴィーサには、リンが何を考えているのか、全く理解できない。


「私達を、殺そうとしてたのでは……?」


「いいや、ただ問い質そうとしていただけだ。胡乱なやり方は好かん。それに、時間もなかった。お前達を追い掛け、口を割らせたい所だったが、素直に吐くとも思えない。一芝居打つ必要と、最悪の場合、捕縛する所まで考えていた。そして、あそこは色々と適した場所に思えた」


「だとしても、あの状況では、あまりに……」


「暢気に構えていられなくなった。最初は穏便な方法で、密かにその動向を探るだけのつもりだった。しかし、淵魔が噴出したとなれば、話は全く異なる。あまつさえ、どこかで見張られている可能性を考えれば、一芝居打つ必要さえあった」


「見張、られ……?」


 未だに事態を呑み込めないロヴィーサは、力ない声音で言葉を落とす。

 リンはそれに返答せず、ただ苦々しく顔を歪めた。

 何事かに対し――ロヴィーサではない別の何かに対し、怨嗟に近い感情を向ける。


 それから背後を窺い、今しがた河から逃れて来たばかりの魔獣を見据えた。

 どこからともなくメイスを取り出すと、目にも見えない速さで一足飛びに接近し、数体まとめて吹き飛ばしてしまう。


 リンは怒りと殺気を同時に撒き散らし、岸に上がろうとしていた魔獣を、たちまちの内に遠ざけた。

 圧倒的な武威を誇る存在に対し、魔獣たちも抵抗する気は失くしたらしい。

 嘆息一つ吐いて、リンは武器を仕舞うと元の位置まで戻って来た。


「面倒がこれ以上増えない内に移動する。着ている物も、乾かす必要があるだろう。適当な場所で火を熾す。何より、お前には休息が必要だ」


 言うだけ言うと、リンは勝手に歩き出してしまう。

 ロヴィーサはブーツの中に入った水を捨ててから、ふらつく身体で後を追った。

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