謀の代償 その8
川岸から離れ、森の中を小半時ほど歩いた後、ロヴィーサとリンは、そこで火を熾して暖を取った。
下着だけの姿になり、枝を上手く組み合わせて洗濯棒を作ると、そこに服を引っ掛け乾かす。
ブーツもまた、逆向きにして枝を刺し、焚き火の近くに置いていた。
火が赤々と照らす中、リンとロヴィーサは倒木を椅子代わりにして、対面で座っている。
リンは焚き火の調整に、細く割いた薪を手に取っていて、今も暖炉の薪に使えそうな太い幹を、素手のまま引き裂いていた。
本来は斧が無ければ、到底出来ないことだ。
しかし、まるで紙を引き裂く気安さで、実際に出来てしまっている。
それは彼女の実力を知っていても尚、ロヴィーサには目の前の光景が信じられるものでなかった。
ただ、出来ても不思議ではないと思う一方、なぜ出来るんだ、という思いで鬩ぎ合う。
そうして薪を
その沈黙に耐えかねて、ロヴィーサの方から話を切り出す。
「あの……、こんな近場で火を使って、大丈夫なのでしょうか……」
「問題ない。余程、運が悪くなければな。既に血は流れた。鼻の利くものなら、まずそちらへ流れる。こちらに気付くものがいようとも、血と肉を求めて逸れるだろう」
その一言で、唐突に腑に落ちた。
川岸から這い上がって来た魔獣を、リンは我先にと殴りに行っていた。
機先を制すつもりで速攻を仕掛けたのだと思っていたが、あの場で血を流す事こそを目的としいていたのだとすれば、納得も出来てしまう。
ロヴィーサが唸り声を喉の奥底へ封じ込めながら頷くと、リンはそれきり何も話さなくなった。
リンは元から寡黙な性格なのだろう。
これまでの経験から、ロヴィーサにもそれと察しが付いていた。
必要と思わなければ口を開かない性分なのだ、と理解し、ロヴィーサの方から口を開く。
「その……、訊きたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
「こちらからもある。……が、まず聞いてやる。言ってみろ」
「ありがとうございます。あなたは、ユーカード家を無下に出来ない、と仰りました。……何故でしょう?」
「一つは、個人的に縁があるから。大神レジスクラディス様と、初代ユーカードの話は知っているか?」
ロヴィーサは素直に頷いた。
それこそ、分家の一つとして、その逸話は幾度となく聞かされてきた。
初代様は直々に、大神様から淵魔討滅の任を受けたのだと。
これは辺境領に住む者なら、分家でなくとも知っている伝承だった。
「彼は良く神に仕え、真摯に淵魔討滅へ身を捧げた。
「神使へ……、でも……そんなまさか」
「彼は断った。既に三人の妻がおり、そして子供もいたからだ。愛する者と共に老い、そして共に死ぬ事を選んだ。だが、代わりに一つの頼み事を残した」
「つまり、それが……」
「子々孫々の繁栄を、とは望まなかった。大それた願いだと。ただ、気に掛けてやって欲しい、と頼まれた。だが、私としては……神使として、ユーカードには篤く報いてやりたい気持ちがある」
その言葉に、ロヴィーサの動きが硬直する。
まじまじとリンを見つめ、それから疑わしい者を見る目付きを向けた。
「神使……様? とはいえ、到底……」
「そうは見えない、か? 別に信じて貰う必要も、
「そう、若様――! 若様は無事なのですか……!?」
これには無言で頷き、小さく割いた薪を焚き火に入れる。
「今頃は、ロシュ大神殿に移送されているだろう。あちらが下手を打ってなければ、だが……」
「訊きたいことがあるから、ですか……」
「事実関係をハッキリさせておきたい。その為に聴き取りが行われているはずだ。最初から、我々の目的はお前達を殺すことじゃないし、捕縛する事でもない。本当なら、その動向を探るだけで終わる話だった」
「探るだけ……、それだけですか……?」
ロヴィーサは不思議そうに首を傾げたが、すぐに思い直す。
リンは言っていた。
暢気に構えていられなくなった、時間がなくなった、と……。
彼女らが不穏な動きを見せていたのは知っていたが、それら全て、その動向を探る為だったのだろうか。
「つまり、最初は踊らせるだけのつもりで、そこから何かを汲み取ろうと……? けれど……そう、淵魔の噴出。そのせいで、強引に進める必要性が生まれた……」
「お前は中々、考えられる頭を持っているようだな。神使が動くと、どうしても目立つ。我々は秘密裏に動きたかった。相手の初動よりも早く、その首根っこを掴み、事態が表面化するより前に収めたかった」
「あなた方が動くと、その相手が……無理にでも表面化させるから、ですか」
「計画を前倒しに早めたのは間違いなく、そして、実際早めただろう。……いや、計画はとうの昔に、始まっていたのかもしれないが……」
リンが苦虫を噛み潰す顔をして、焚き火を睨んだ。
そこへロヴィーサが、そもそもの疑問を口にする。
「神使の方が動くのは、そんなに目立つことなのですか? 決して侮辱するつもりなどないのですが、あなたから神々しいオーラが出ているとか、特別目立つ印があるとは思えないのですが……」
無論、リンは他者とは隔絶した武威を誇る。
だがそれは、実際に何かと戦闘にならなければ判明しないことだろうし、大抵の魔獣や魔物であれば、力を抑えたまま戦えるだろう。
力を抑えて勝つことぐらい、難なく行えるように思える。
全力を出さねば倒せない敵など、リンの前に早々現れるとも思えない。
言うほど目立つ事になると、ロヴィーサには想像し辛かった。
「説明は難しいが、これは分かることだ。神ならば、それを察するのは難しくない。我々の顔も知られていることだしな」
「神……ではやはり、大神様が行っていた事ではなく……。えぇ、そう……違う。それでは辻褄が合わない。でも計画が、とうの昔から始まっていたというのは……」
「そう……、裏で全く別の神が蠢動していた」
リンが怒気を含めた視線で制止して来て、ロヴィーサの口も勝手に止まる。
彼女は不機嫌な顔を隠そうともせず、厳しい口調で言い放った。
「私は大神レジスクラディス様の第一神使だ。その御心を叶える為に動いている。敵は全く別――、別の小神こそが敵だ。そいつが大神を裏切り、世界を裏切り、淵魔を使って、お前達にけしかけた」
※※※
応接間の一室で、レヴィンは身体を震わせ、その言葉を聞いていた。
怒りからか、悲しみからか、それすらも定かではない。
ただ分類できない感情が、レヴィンの内側から掻き乱していた。
「……信じろ、というのか。そんな話を……!」
「信じて貰う他ないわね。アンタ達は嵌められたの。
「何故……、大神から直接その使命を負ったのは、我らだけじゃないはず……」
「そうなんだけどね……」
ルミは困ったように眉根を寄せ、小さく息を吐いてから続けた。
「ちょっと思い入れが深いのよ。それは他の神にも知られた話だから、利用するならそれ、と決めていたはずよ。だけど、唐突にやって来た何者かが、アンタらを上手く転がせるはずがない。信用を得るのが先、と考えたでしょう。そうして実際、
「だが……、しかし……! 待ってくれ……!」
「ソイツは用意周到に準備したはずよ。大神を欺こうっていうんですからね、簡単な話じゃない。アタシらみたいな神使が、淵魔関係は見張っているワケだし。百年前から準備をしていたって、全く不思議じゃないのよね」
不条理な前提が積み上がっていく。
そして、ルミの言葉が全くの荒唐無稽だと、一蹴できない所にまで来ていた。
言葉を一つ耳に入れる度、そして考えを纏めるにつれ、浮かび上がってくる事実がある。
「先生は……お祖父様の前の代から、領での相談役だった。淵魔に、制御技術に、刻印に……陰日向なく、領を支えてくれた恩人だった……」
「あたしも……、あたしだって……、拾われてから命の恩人です。何より、こっちで生きていける知識とか、色々と教えてくれた恩師で……」
アイナがレヴィンに続いて言葉を零し、邪推を振り払おうとしていたが、口にした言葉はルミの確信を紐付けるものでしかなかった。
「なるほど、恩人に恩師……。言い方は違えど、恩を感じるに十分な実績を上げた人物ではあるようね。――言うことを聞かせるにはね、恩で縛るのが有効なのよ」
「そんな言い方……!」
アイナが咄嗟に否定すると、ルミは目を細めて尋ねた。
今度は言い逃しさせない、とその瞳が語っている。
「そりゃあ、アンタらはそう言いたいでしょうよ。反発も当然。だから『恩』を刻む事を企んだ。だって、これだけ体よく動いてくれるんだからね」
「それは……」
「しかも悪辣なのがね、こっちの人間だけを利用するに留まらないって所よ。大神が嫌がるコト、そして上手くコトを運ぶ為の芽を、幾つも撒いていた」
「こっちの、人間……?」
レヴィンが首を傾げながら、アイナを見る。
そしてアイナは、硬い表情をさせたままルミを見返していた。
ルミもまた、大きな反応を示さない彼女を観察する目を向け、指の先を一つの銅像へと向ける。
部屋に入ると目に付く大神の像だったが、アイナはそれよりレヴィンに釘付けだったから、気付いていなかった。
椅子に座らせた事で、その銅像からも視界から逸れていた事で、全く意識の外だったろう。
ルミが向けた指を、アイナは特に意識せず視線で追う。
「あれに見覚えは?」
「――ッ!?」
しかして、反応は激的だった。
アイナはこの一年――旅の間、神殿関係の施設には寄っていなかったという。
ならば、こうした像を目にした機会は、きっとなかったに違いない。
だが、アイナの反応は、単に初めて見た何かに対するものではなかった。
明らかに銅像の
「その反応を見る限り、間違いないみたいね。大神レジスクラディス……、良く似ているでしょう?」
レヴィンには、ルミの言っている意味が理解できない。
しかし、銅像を見ては驚愕しているアイナを見るに、彼女は明らかに何かを知っていた。
「これも訊いてくる奴には答えるな、って言われていたのかしら? その恩師とやらに? 命を狙われるとか? 攫われるとか、かしらね? ――そうね、アタシ達が探していたのは事実よ。探して、排除するのが、その役目でもある」
「排除……排除だって? アイナを殺させやしない! 俺は……!」
「落ち着きなさいな」
そのまま力任せに押し込まれ、抵抗しつつも、膝を震わせながら元に戻った。
ルミは兵達に労う仕草を見せてから、レヴィンへと向き直る。
「別に間違った言葉じゃないでしょ。この世界から、排除する。元の世界へお帰り願う。それもまた、アタシ達に課せられた役目」
「帰、る……? あたし、帰れるんですか? その……神様に願わなくても?」
「えぇ、帰してあげられるわよ。アンタみたいにね、こっちの世界へ送られてくる人っているのよ。送られるっていうか、呼び寄せられる……というべき、なんでしょうけど」
ルミは少し考える仕草をしてから、アイナへ顔と人差し指を向けた。
「そっちの世界でさ、『神隠し』って聞いたコトない? ある日、突然いなくなって、ふとした瞬間に帰って来る。場合によっては数年、経過してたりして……。で、その時の記憶を持ってない」
「あ、あります……! 都市伝説というか、眉唾ものの話ですけど……!」
「それってさ、こっちに流れて来た人を、記憶を消して送り返したからそうなってるのよ。本人の記憶を元に、その時間に帰してやってる。正確な月日を覚えてない人は、確実に大丈夫って思える年数をずらした上で、帰って貰う。同じ時代に同じ人間が二人いちゃ拙いから、一種の安全措置としてそうするんだけど、記憶が曖昧だと時間を大幅にズラしちゃう場合もあるのよね」
「でも、まさか……本当に?」
アイナは未だに半信半疑であるものの、信用に足る要素が、今の話に含まれていると納得していた。
レヴィンにとっては胡散臭い話だが、どうやらアイナにとっては違うらしい。
「
「でも、でも……! それだと、先生がその計画を動かしていた人ってことに……!」
「だから、そう言ってんのよ。そいつが諸悪の根源。そして、異世界人は必ず、召喚時に役目を与えられてる。本人がそれと知らずに、加担してる場合も多い。洗脳を掛けられ、条件付けで行われるコトもある」
「それじゃあ、あたしも……? あたしが……?」
アイナは自分の手を見つめて、ワナワナと震える。
今は鍵を握っていないが、もしも誰も見ていなければ、きっと縋るように握り締めていただろう。
「だからアタシは、見つけ出したら確証を得るまで付け回すわ。下手に知られるとね、裏で潜む奴にも教えるコトになっちゃうから、胡乱な方法になりがちなんだけど……」
ルミは心底疲れたと感じさせる息を吐いて、手首の先をプラプラと揺らす。
「ともかく、異世界人を排除したいのは、そうした理由から。敵の利する行為をね、陰ながら行う役目を負わされてる。けど、日本人を無体に扱いたくないワケ。大神サマは、日本人に甘いから。……そうした事情もまた、よく知られているから、利用されてんだけど」
「本当の、本当に……そんな事が……? 先生が、そんな……?」
アイナの顔は信じたくない、と如実に語っていた。
しかし、口から出る言葉は、それを否定し切れず、尻すぼみに消えていく。
それとは反対に、ルミは語気を強めて尋ねる。
「だから……いい加減、教えて頂戴よ。――そいつは今、どこにいるの?」
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