覆い隠された欺瞞 その1
「先生は……、アクスル先生は、もう何処にもいません。……死にました」
「……死んだ?」
「はい、俺達を淵魔から逃がす為、その身を犠牲にして……」
「淵魔に、――喰われたの? 間違いなく、その瞬間を目撃した?」
ルミが見せる表情は真剣そのもので、今まで見せていた軽薄な態度は完全に消えていた。
その瞳はレヴィンを居抜き、虚偽は決して許さないと告げている。
彼女の射抜く力は圧力を持って押し寄せ、レヴィンは思わず怯みながら答えた。
「い、いや……、直接は見ていない。――だが! 落盤に埋まったんだ、淵魔が外へ出ないように! 生きているはずがない!」
「いいえ、むしろ……だからこそ、生きていると思うわね」
激しく動揺するレヴィンを余所に、ルミは視線を切って脱力する。
面倒臭そうに息を吐き、眉根に寄せたシワを解すように指を当てた。
「恐らく神殿の建立初期から計画していて、百年程前から丁寧に駒を磨いて来た奴なのよ。自分が容疑に上がるコトまで計算ずくでしょうよ。そして、いざ嫌疑を向けられた時には、舞台から退場している――している様に見えるって寸法ね」
「しかし……! そんな馬鹿な! あの状況を直接、見ていないから言えるんだ! 到底、生き残れるような――」
「勘違いしないで欲しいんだけど、分かってないのはアンタの方よ。その先生と呼ばれてる奴はね、人間じゃないの。――神なのよ。落盤くらいで死ぬもんですか」
「だが、だが……!」
レヴィンは否定する言葉を探そうと懊悩する。
しかし、アクスルが人間でないのは、既に気付いていた事でもあった。
常にフードを被り、素顔を晒していなかったのは何故か。
祖父の代より領に関わっているのに、年齢に変化がなかったのは――?
恩があるから、そこを深く考えなかった。
昔からそういうものだから、と言われていたのも理由にある。
そして、何より――。
魔族を代表する様に、長寿な種族というものは存在するのだ。
仮に魔族でないとしても、恩義の前には小さな事に過ぎなかった。
年齢の過多など、その恩義の前には塵芥に等しい。
気にする程の事ではない、と一度決まると、それ以降は話題にも上がらなくなるものだった。
しかし、それらが長き時を使って恩義を染み込ませてきた、となれば話は変わる。
その傾向は長き時に渡って、ほんの数量ずつ落とされた染みだから、気付く事もなかった。
そして、旅が始まる前からこちら、その全てが誘導的ではなかったか。
アイナを連れて来て、護送するよう頼む所から始まり、神殿の裏の意味を教えるまで……。
神殿とは接触しないようにしている、という話にも理解できる部分が浮上してくる。
きっと、暗躍している事実を、どこかで見抜かれる事態を嫌ったのだ。
周到さとは、つまり念には念を入れることを意味する。
レヴィンは考え、考え抜く内――、神殿について考えた時、ふと閃くものがあった。
そこには揺るがぬ事実がある。
アクスルが目の前で息絶えた様に見えた事実は否定できても、もう一つの事実は否定できない。
「神殿から、事実として淵魔が出て来たのは見てるんだ……! 計画の内というが、こんなの大神でなければどうやってやるんだ?」
「訊いておきたいんだけどさ……。それ、何で大神じゃないと出来ないって思ってんの? 誰が決めた前提よ?」
言われてレヴィンの動きが止まる。
二の句が継げず、喉奥で唸り声だけが籠もった。
何故と言われても、神殿の建立は大神主導で行われていたもので、ならば大神が行った事と考えるのが自然だ。
「神殿を建立する理由は二つ。一つは龍穴を抑えて淵魔を締め出すコト。もう一つがマナを効率良く変換、循環させる為。だから精霊と契約して、上手くマナを管理して貰ってたワケだけど……」
「な、何……? 何を言ってる?」
突然、出て来た未知の話を、常識のように語られて、レヴィンは目を白黒させる。
マナを循環……と言われても、全く意味不明だった。
「まぁ、これは世界の成り立ちに関するコトだし、今は蛇足にしかならないけどさぁ……。世界にはマナが無かったから、これを行き渡らせる必要があったし、世界は砂上の楼閣だったから、滅びを止めるには神力を注ぐしかなかった」
「は、はぁ……?」
「信仰は願力が前提となる力だから、それを集積する神殿は不可欠で、そして願力は神の力になるって話よ。その神力を使ってマナへ変換してたのが精霊、それと同時に余力を世界の修復に充てて、復活させたのが大神」
「言ってる意味が分からない……、マナが……? 神力が……何だって言うんだ」
ルミはやはり面倒臭そうに息を吐いて、それから手首をパタパタと振った。
「いいわよ、蛇足だって言ったでしょ。つまりね、大神は世界の健康管理をしていたの。最初から、徹頭徹尾、神として在ってからずっとね。砂漠に水を注ぐような不毛さなんだけど、それを続けて世界を復活させ、維持させてきたのが大神よ」
「そんな話……、初耳だ」
「世界が危機にあった話? それとも大神の偉業の話?」
「どっちもだ……」
大神に対して知っている事と言えば、淵魔に対抗して戦った話と、初代ユーカードにその任を託したことだ。
竜を神の代行者として、淵魔に対抗し切れなくなった場所へ、派遣してくれることもあったはずだ。
矛盾だが、それこそ計画を覆い隠す、壮大な欺瞞だと思っていた。
何故ならば、アクスルがそう伝えてきたからだ。
「別に知らなくても当然だけどね。そういう自慢めいたもの、大神はとっても嫌うから。自らの功績を喧伝したくないのよね。何も知らず、空でも見つめながら、やぁ今日も平和だって思っていてくれたら、それで良いらしいの」
大神に対し、ルミの語り口は余りに特殊だ。
尊崇は当然ある。しかし、そこは友に対する親愛めいたものまで浮かんでいた。
神使という、直属の部下であることを加味しても、通常向けそうにない感情ではあった。
優しげな視線を空の向こうに向けていたルミが、今度は怒りも顕にレヴィンを睨む。
「……で、そういう神が何だって? 淵魔を使って世界を滅亡? ――あり得ないわ。アンタらはさ、そうやって騙されて、駒として存分、良いように使われてたってだけなのよ。絶対なる大神信者、ユーカードを弄べて、アイツもさぞかし満足だったコトでしょうよ」
ルミはまさしく吐き捨て言って、レヴィンは愕然として動きを止めていた。
表情には絶望がありありと浮かび、自らがしでかした過ちを振り返っては、今更ながら、遅すぎる自己嫌悪に陥っていた。
※※※
焚き火の炎に当てていた装備は、革製であったので水捌けも良い。
ただ、布部分はどうしようもなく、洗濯棒代わりの枝上で引っくり返し、衣服の乾燥を待ちながらリンは話を再開した。
そして、話を聞いていたロヴィーサは、余りに大き過ぎるショックに愕然としていた。
これまで信じて来たものに裏切られたと知り、そして反旗を翻したつもりが、実は敵の計略だったなど考えたくもない事態だったろう。
しかし、それは認めなくてはならない事実でもあった。
最初から全て仕組まれていたことであり、ユーカードの者たちは被害者だ。
リンもまた、彼らの足跡を追うに当たり、神殿の封印などという暴挙に出るとは思ってもいなかった。
だからこそ、そちらの対処に回っている間に見失い、再会した時には怒りを抑えるのに苦労した。
彼らは乗せられただけ、知らず加担させられただけ――。
そうと分かっていたから、その怒りも別に向けることで抑えられた。
そして、今のロヴィーサを見る限り、己の過ちを酷く後悔していると見て取れる。
だから尚、リンは冷静でいられた。
ここで自らの過失を認めず、ただ感情のままに否定していたら、恐らく手を出していたに違いない。
だが、ロヴィーサは冷静だった。
その咎めを必ず受けると宣言し、神への不敬を詫びた上で、リンにもしっかりと頭を下げた。
「何卒、今後の働きで挽回させて頂きたく思います。火刑、斬首も覚悟の上です。しかし、どうかユーカード家へ咎めが向くのは御寛恕頂きたいのです」
「お前の後悔、良く分かる。だから、存分に払うといい。淵魔と堕神に受けた屈辱は、同じく返して晴らせ。それが道理だ」
「必ずや、その様に……!」
ロヴィーサは再び深く頭を下げて、しっかりと五秒その姿勢で止まってから頭を上げた。
そして、それまで浮かべていた絶望を一先ず押し込み、挑むように問い掛ける。
「お許し頂けるなら、お訊きしたいこことが……」
「乾くまでは、まだ時間が掛かるからな。いいだろう」
今度は不敬にならない程度の浅い一礼をしてから、ロヴィーサは改めて問う。
「淵魔が神殿から溢れた件についてです。レジスクラディス様が為されたことでないとしたら、一体誰が、どうやって、という疑問が残ります」
「尤もだ。お前達が先生と呼ぶ人物、アクスルと名乗る輩は、小神アルケスで間違いあるまい」
「ですが、レジスクラディス様に貴女様がいるように、神使を使って動いていたのでは?」
「いいや、アルケス神は以前……遥か以前に、咎めを受けている。人に対し干渉が過ぎるという罪でな。勝手を許さぬ罰を下され、手足となっていた神使を取り上げられた。自由に出来る手駒がない」
それでロヴィーサも、納得した様子で首肯を見せる。
「だから、私達……そして、異世界人なのですね。自分に取って都合よく、そして大神様が手出しを控えるような人選をした」
「そうだ、それ故に気付くのも遅れた。まさか異世界人を召喚して利用したり、ユーカードを手駒にするとは思ってもいなかった」
「でも、干渉が過ぎる、とはどういう事なのでしょう? 確かに、神々は滅多なことで人の前には現れません。それに、願いを叶えるといっても、些細なことで……」
「そうだな、それこそ大神様が定めた、神々が従うべき律令だ。人の世を乱してはならぬ、人の世は人によって選ぶ権利がある、とな」
永らく続いたその常識があり、浸透しているからこそ、ロヴィーサにはピンと来ていない。
当たり前過ぎて、どこに疑義を差し込むべきか迷っているようだった。
「昔は、そうでなかった、という話だ。神が畏怖を与えたくて村を滅ぼし、
「そんな、
ロヴィーサにとっては全くの未知で、想像も出来ない話だった。
神々の横暴など信じられないと、その顔に出ている。
そして、この新大陸では尚のことであり、知らなくて当然でもあった。
大陸への入植が済んだその時には、既に大神による新体制が始まっていた。
「手足を失ったアルケスには、他に手段がなかったとも言えるだろう。そして、神殿の建立は人の手だが、龍穴の封は神の手によって行われる。その神殿に祀られる神が、直接行う決まりだった」
「道理という気がしますね、自分を祀る神殿なのですから……。いえ、お待ち下さい。そうなると……」
「気付いたか? お前達が淵魔を見たという神殿、そこは決まって
「アルケス、神殿……」
ロヴィーサのぽつりと呟いた一言が、焚き火の爆ぜる音と重なった。
これまで見て来た神殿と、そこから噴出して淵魔、それらが幾つも思い出される。
彼女は恐ろしいものを見る目付きで、爆ぜた火の粉を見つめていた。
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